第9話 死地への突入②

文字数 5,091文字

「やっぱり行こう」
 ミカがJJに言った。
「いいのか?」
 JJがミカに確認する。
「今は面子がどうこう言ってる場合じゃないわ。階段で待機して、すぐに突入できるようするわよ」
「了解」
 JJはすぐに手振りで待機していたESUを呼び寄せる。ミカたちは拳銃を抜き、強化プラスチックの盾を持つ隊員の背中に隠れながらアパートの中へと進んだ。

 ワイドマンはその後頭部へ銃口を向け、ゆっくりとリビングへ向かい、距離をじりじりと縮めていく。
 ワイドマンは自分が興奮していると自覚していた。肉食動物が草食動物を捕食するために狙いを定めることに通ずるような感覚だった。なぜなら、視界の先にいる美味しそうな獲物は自分の存在を捕捉できていないからだ。ワイドマンは速る気持ちを抑えようと心がけた。荒くなった息遣いや唾を呑み下す喉の音で相手に悟られるわけにはいかない。
 両手で構えるグロックの先端がリビングへと続く壁を越え、ワイドマンは意を決した。
 しかし、ワイドマンから見る角度では男の背中が邪魔をして、手元のタブレットを確認することができなかった。そのタブレットの中には男に迫る四人の捜査官の姿が写っていた。
動くな(フリーズ)! FBI……!」
 ワイドマンが壁を通り抜け、一気にリビングの男へと距離を縮めると、一瞬にして男の後頭部がソファーの影へと隠れた。
 同時にワイドマンは自分の足に何かが触った感触に気づく。視線を足元に向けると、透明のピアノ線が足に絡みついている。視界の端に違和感を感じて目を向けると、目の前には壁に固定された深い緑色の手榴弾。それに気づいた次の瞬間、くぐもった破裂音と共に頭が半分なくなったワイドマンは、まるで電源が切れたかのように、そのまま真横へと倒れた。
 それは爆発というよりも破裂という印象に近かった。仕掛けられた手榴弾は火薬の量が調整されていたのだ。ちょうど、罠線を切った人物の頭が吹き飛ぶ程度の絶妙な量に。ワイドマンのあとをついていた三人の捜査官は一瞬何が起きたのかわからず、すぐに倒れているワイドマンへ駆け寄った。
 すると、ソファーの下から黒い筒状の物が床を転がり、ワイドマンの身体に当たって止まる。駆け寄った捜査官たちはそれを見て、恐怖に身体が竦み動けなかった。
 乾いた轟音と共に閃光が捜査官たちを襲う。三人の捜査官が視覚と聴覚を奪われ混乱していると、男がソファーの影から飛び出した。
 男の手の中でコンバットナイフが鈍く輝く。男は逆手に持ったナイフを手前の捜査官の背後から首元目掛けて一気に振り下ろす。短く声を上げると、瞬時に脳からの伝達路を断ち切られて身体の自由を奪われた捜査官は床に倒れ込んだ。
 男はすぐにナイフを首から抜くと順手に持ち替え、正面で耳を抑えて右往左往している捜査官の股間の付近を上に向かって差し込み、何度もそれを繰り返した。裂けた動脈から大量に出血し、腕は男の肩を抑えた形のまま、もう一人の捜査官も力なく膝から崩れ落ちた。
 アイリスが眼を凝らしながら気配のある方へ銃口を向けた。すると、すぐに顔面に激痛が走る。男がナイフの柄でアイリスの鼻を殴りつけていた。アイリスが痛みに顔を歪めると、男は拳銃を持った腕を切りつけ、アイリスは堪らず拳銃を落とす。
 それでもアイリスは果敢に男に組みつこうとするが、男はナイフを握った拳でアイリスの顔を何度も殴打した。
「ゴー! ゴー! ゴー! ゴー!」
 ESUの隊長の号令とともに、異変を察知したミカのチームが拳銃を構えながら一気に部屋の中へとなだれ込んでくる。その声に男はアイリスを盾にするように抱えてリビングへと引く。その途中、開かれていたノートパソコンを素早く触ると、それを乱暴に閉じた。
 すぐにリビングはミカのチームとESUで埋め尽くされた。男はアイリスの首にナイフを当てたまま、影に隠れるように後退りし、ミカたちはとうとう男を部屋の隅まで追い詰める。男はアイリスを抱えたまま窓を背にして動きを止めると、アイリスの首元のナイフをさらに強く押しあてる。その動作が突入したミカたちの足をあと数十フィートのところで止める。ESUたちの怒号が男を攻め立てた。
「ジンガーノ! 彼女を離せ!」
 ザック・ジンガーノ。男は紛れもなく、写真の男、ボマーであった。
 怒号の中、ミカも最前列で拳銃を構えてザックに狙いを定める。ザックの整った顔は捜査官たちの返り血で赤く染まり、それがグレーの瞳を際立たせていた。その光景が妙に浮世離れしていて、得体の知れない恐ろしさがあった。
「スナイパー」
 JJが小声で無線を送る。
「駄目です! 人質に当たります!」
 ザックの頭と身体はアイリスに隠れるようにぴたりと重なっていた。耳に挿したイヤフォンから聞こえてくる狙撃班観測手からの報告に、JJは奥歯を噛み締める。
 ザックの腕の中でアイリスは片手で顎を持ち上げられ、反対の手に握られたナイフを押し当てられて身動きが取れなくなっている。鼻は骨折して流血し、頰は紫に腫れ上がっていた。
「ミカ……、すみません」
 アイリスはミカの姿を見ると涙を流した。その顔にミカは動揺した。
「パット!」
 それをふり払うようにミカは別の角度から狙いを定めるパトリックの名前を叫んだ。
「ばっちり奴の眉間を捉えてますよ!」
 ミカは状況を理解した。だとすれば、パトリックほどの猛者ならすでに撃っている。なのに撃っていない、撃てないのだと。ミカも狙いは定まっていたが引鉄が引けない。
 拳銃の腕に自信がないわけではなかったが、小銃と違い拳銃の狙いは精密ではない。引鉄を引く指の力み、量産された弾丸の微小な差異、銃身の中の煤汚れ、そのどれかひとつでも悪い方に作用してしまったなら、弾丸が逸れてアイリスに致命傷を与えてしまうかもしれない。そう考えると引鉄を引くことを躊躇してしまう。
「警部補」
 フランクが発砲の許可を求めるが、ミカは応えられない。人質になっているのはFBIの捜査官であり、ニューヨーク市警の職員ではないのだと、フランクは冷酷な判断を迫る。命令すればフランクはアイリスごとザックを撃つだろう。わかっている。このままでは、平然と捜査官たちを手にかけた爆弾魔がどれほど危険な行動に及ぶかわからない。わかってはいるが、涙するアイリスの顔がミカの思考を曇らせる。横からは緊迫した状況に荒くなったエリオットの息遣いが聴こえていた。
「ミカ……?」
 ザックが血まみれの顔で目を凝らすようにしてミカの顔を眺めていた。ザックの異様な反応にミカは戸惑った。
「ミカ、マイヤーズ……!」
 ザックは興奮したように声を震わせた。ミカは一瞬、自分を見つめるザックの眼が優しくなったように感じた。わずかに微笑んですら見える。その眼から涙が一雫、頰を伝った。
 次の瞬間、ザックは目を見開き、口を大きく開けて真っ赤な舌を出した。
「やめろー!」
 ミカはザックの形相に危険を感じて叫ぶ。一か八か引鉄にかけた指に力を込めた。しかし、ザックは容赦なくアイリスの首に当てたナイフを横に引き抜く。
 同時にミカの拳銃から放たれた最初の一発はアイリスの肩をかすめながら顔を支えていたザック右肩に当たり、アイリスは床へ放り出された。二発目はパトリックが撃った銃弾が腹の中心へ、続けざまに放たれた三発目の銃弾が左胸に当たり、ザックの身体をうしろへと突き飛ばすと、背にした窓ガラスを破って、三階からそのまま地上へと落下した。
 ミカはすぐにアイリスに駆け寄ると手で出血する首を押さえた。
「救命士を呼んで!」
 押さえても次々と真っ赤な鮮血が吹き出してくる。
「……すみま、……せん。……すみっ、……せん」
 アイリスは目から涙を流し、口から血を吐きながらも懸命にミカに詫びていた。
「もういい! わかったから」
 アイリスの目が僅かに開かれる。
「マ、……マ……」
 そのままアイリスの視線が宙を舞った。
「駄目! 駄目よ! 救命士はまだなの!」
 ミカの悲痛な叫び声が現場に響いた。

「緊急ニュースです」
 テレビはどの局もほぼ同時に決められていたプログラムを中止し、緊急ニュースに差し替えた。
「本日未明、ニューヨークを震撼させた『ボマー』がニューヨーク市警の警官隊により射殺されました。現場となったアパートからは爆発音も聞かれ、周囲は一時騒然としました。容疑者死亡という形で事件は解決となりましたが、それについてニューヨーク市カーター市長が会見を開いています」
 ニューヨーク市庁舎の外でマイクに向かうカーター市長の映像に切り替わる。
「ニューヨークのみなさん。我々は勝利しました!」
 市長が笑顔で言うと、周囲から歓声と拍手が送られる。
「ボマーはもういません。もう爆発に怯えることはないのです! みなさん、一緒に外に出ましょう! 今日という日を一緒に祝いましょう!」
 大きいジェスチャーで観衆を煽る。市長の一挙手一投足に歓声が上がった。しかし、市長は振り上げた手を静かに下ろし、笑顔を収めうつむいた。そして、顔を上げると、眉をしかめて遠くを見つめた。わずかに唇を震わせる姿は、泣きだしてしまうのを懸命にこらえているようだった。数十秒、市長はそのまま無言でいた。すると、観衆から自然と拍手が湧き、黙ったままの市長を励ますかのように拍手は次第に大きくなっていく。市長がマイクに向き直ると拍手は一斉に止んだ。
「そして、亡くなった方々を一緒に悼みましょう。私たちは忘れません。私たちが忘れない限り、彼らは、彼女たちはいつまでも私たちの心の中で生き続けるのです。ニューヨークは私たちの家です。そして、私たちは家族なのです。私は、いつまでもあなたたちを忘れない。いつもあなたたちを想っています」
 カメラがVTRからスタジオに戻るが、カーター市長の感動的なスピーチに心を撃たれ、キャスターも一瞬言葉に詰まる。
「ええ、逮捕の際、捜査に関わったFBIニューヨーク支部の捜査官四名が殉職されたとのことです。名前はまだ公表されていませんが、わかり次第さらに詳しくお伝えいたします。繰り返します。ボマーは死亡しました」

 ミカは救急車に同乗し、アイリスが搬送された救急病院の廊下に置かれた待ち合い用のベンチに座り項垂れていた。
 今しがた、四人のFBI捜査官が処置の甲斐も虚しく死亡したと告げられた。それを聞かされたミカにどっと疲労感が押し寄せ、立っていることもままならなくなり座り込んでいた。
 もっと早く引鉄を引いていれば、それ以前に、なんとしてもFBIの単独行動を止めるべきだったのではと、ミカは両手で頭を抱えて自問自答を繰り返した。
 アイリスの笑顔が思い出される。つい先程まで談笑していたはずの彼女はもういない。
「私、あんたのこと、一度も名前で呼んでやらなかったね」
 まるでミカのことをヒーローのようにキラキラとした目で、緊張に顔を強張らせながら見つめていた。今日という日を無事に乗り切れていたら、ともに酒を酌み交わすような仲になれていたかもしれないのに。それほど知らないはずのアイリスという女性の死に、ミカは大きな喪失感を覚えていた。
 ミカのポケットの中で携帯電話が高らかに鳴った。その音が淡い妄想から現実へとミカを引き戻す。ディスプレイにはJJの名前が表示されている。それよりも驚いたのは表示された時刻が一五時に近いことだった。このベンチで何時間もこうして座っていたことを不思議に思った。
「ミカ、戻ってきてくれ」
 耳元で聴こえるJJの声が不安をはらんでいると、ミカはすぐにわかった。

 ミカが刑事部のオフィスに戻ると、皆が一斉にミカの顔を見た。一様に緊張した顔をしていて、明らかに様子がおかしい。ミカは怪訝そうに見回しながら進む。JJに手招きされ、ミーティングルームに入ると、促されて席に着いた。その側の机にはノートパソコンが開かれていた。
「現場検証に鑑識チームが入った。奴の部屋から証拠品を押収したんだが、その中にこれが……」
 JJが緊張した面持ちでノートパソコンをミカの方へと向ける。黒いデスクトップ一面に白い文字で時計のようなデジタル数字が並んでいる。時計と違うのは、その数字が減っていることだった。
「このニューヨークのどこかに、爆弾が仕掛けられている」
 ミカは驚いてJJの顔を見返した。真剣な顔はそれが真実であることを告げている。深夜◯時ちょうどに向かって減っていく数字はタイムリミット。この数字がゼロになる時、ボマーの仕掛けた最後の爆弾が爆発する。
 タイムリミットまであと八時間。
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