第10話 残された爆弾①

文字数 4,886文字

 タイムリミットまで七時間五九分。
「爆弾?」
 ミカはパソコンの画面の中で減り続ける数字を見ながらJJに訊いた。
「俺たちが奴のアパートに突入したとき、どうやら奴は苦し紛れにこの爆弾を起動させたらしい」
「ということは、もう数時間も無駄にしてるじゃない!」
「事件も解決したし、こんなことが起きてるなんて思ってもなかったんだろう。現場の鑑識も済んで、ようやく押収品を調べだしたら、こいつが」
 続きは明日に、なんてことにならなかったことだけがせめてもの救いだとミカは思った。
「手掛かりは?」
「奴はこのPCを使って爆弾を起動したのは確かだが、信号はニューヨーク市内のどこかで途絶えていた。様々な国のサーバーを経由しているせいでピンポイントでの場所の特定はできていない」
 ニューヨーク市内といっても、マンハッタン、ブルックリン、ブロンクス、クイーンズ、スタテン島で合計一二◯ヘルタールもある。それを当てもなく隅から隅まで探すとなると、とても八時間では足りない。
「なんてことなの」
 ミカはその広さを想像して頭を抱えた。
「それから、これが」
 JJが神妙な面持ちでザックのノートパソコンを触る。エンターキーを押すと、ミカの写真が画面一面に写し出された。その写真は自然体のミカが街を歩いている姿を盗み撮られていたものだった。
「何、これ?」
「どうやら奴は、熱心なお前の信者らしい」
 JJがキーを押すたびに別の写真に切り替わった。どれも遠くから隠し撮られている。チームの中で真剣な顔で何かを伝えている写真。アダムと腕を組んで街を歩いている写真。その隣で笑っている写真。
「まさか……!」
 ミカはザックが爆破した対象物を思い起こしていた。どれもミカの好むものと対極にある場所ばかりだ。まるで、自分の趣味嗜好を知ってると言わんばかりに。JJは動揺するミカの顔を見た。
「お前、自分のせいでなんて思ってないだろうな。爆弾を爆発させたのは奴だ。お前がチェーン店のコーヒーを好むイマドキの女なら、御用達のピザ屋が爆破されてただろうさ。奴らにとってきっかけなんて何でもいいんだ。爆弾のスイッチを押したのは紛れもなく奴なんだ」
「わかってる」
 わかってはいるが、動揺を隠しきれない。つい、燃え盛る店の前で泣き叫ぶヴェロニカの母親を思い出してしまう。ミカは咄嗟に思い立ち、慌ててJJに訊いた。
「アダムの会社は?」

「フランク!」
 フランクはうしろから呼び止められ、聞き覚えのある声に「しまった」という顔になった。それを収めると、笑顔を作り振り返る。
「やあ、アダム」
 フランクはニューヨーク市警本部を離れて、アダムの勤める出版会社に出向いていた。受け付けに挨拶を済ませ、一階のロビーを歩きはじめたところでアダムに出会していた。
「一体、どうしたんです?」
 アダムにそんなつもりはなくても、ジャーナリスト特有の鋭さを感じたフランクは笑顔のまま僅かに緊張した。アダムの視線がフランクの横に立つ、黒いツナギに作業帽を被った男に注がれているのもそのひとつだった。
「保安上の点検だよ。ルシファーのね」
「点検? 本部刑事のあなたがですか?」
 流石に鋭いなと、フランクは笑顔を消さないように気をつける。
「ボマー事件の後片付けで署内は大忙しでね、老兵は雑用でもやってろとさ」
 フランクは戯けるように言うが、アダムは合点がいかない顔をしていた。
「老兵だなんて、そんな。あなたはあの麻薬戦争を生き抜いた強者じゃないですか」
 九◯年代、麻薬クラックの流行により、ニューヨークの治安は著しく悪化していた。子供たちの歩く通学路の脇には麻薬の容器が投棄され、街のクラブでは毎夜のように発砲事件が起きていた。刑事になったばかりのフランクは日夜修羅場をくぐり続ける二十代を送った。
「生き抜いた、か……」
 アダムの言葉にフランクは顔を曇らせた。アダムはそれにすぐ気がつき、自分の安易な発言がフランクを傷つけたことを知った。
「すみません。軽々しいことを口にしました」
 事実、フランクは麻薬絡みのギャングとの抗争で、相棒の先輩刑事の殉職を目の前で体験した過去があった。立っていた場所が逆だったら、死んでいたのは自分。生き抜いたと言うよりも運が良かっただけ、フランクはそんな風に感じていた。
「いいんだ。そんなもの石器時代の話だよ」
 フランクはそう言って笑った。アダムもそれを見て安心したように笑顔になった。
「これから警部補とお祝いかい?」
 フランクはミカが市警本部を離れられないないと知りながら、あえてそうアダムに訊いた。
「いやあ、僕もボマーの記事に追われてまして。今日はここに泊まりですよ」
 アダムは自分の苦労を笑い、フランクもそれに合わせて笑うが、心の中で「それは困ったな」と呟いていた。
「きっとミカも忙しくしてるでしょうから、落ち着いたらゆっくりと」
「そうか」
「それじゃあ」アダムの挨拶にフランクは手を挙げて応えた。
 アダムの背中を見送るフランクにツナギ姿の男が声をかけた。
「アレが例の? あの男一人のためにビルひとつ吹き飛ばそうとするなんて、警部補もエラく惚れ込まれたもんだな」
 その男はニューヨーク市警のホッジス爆発物処理班長。フランクはハロルド警部の命を受けて、ホッジスと共に、アダムが働くこのビルにボマーの仕掛けた爆弾がないか捜索に来ていた。
 ザックの住むアパートを捜索したところ、残り時間を刻むパソコンと共に、ビルの青写真が見つかった。そのため、このビルを第一候補として捜索することになったのだが、カーター市長の演説もあり、それを極秘裏に進める必要があった。
 フランクはアダムの姿が完全に見えなくなったことを確認すると、まず人の出入りが少ない地下階にある機械室に脚を進めた。
「フランク。まさか、あんたとこうしてロートル同士で任務に就くことになるとはな」
 ホッジスは歩きながら皮肉めかして言った。「まったくだ」その言葉にフランクも笑みをこぼした。二人は同世代で何度か現場を共にした顔馴染みであった。
 本来、この任務はパトリックが就くはずだった。ハロルド警部は、従軍経験があり、他の者よりも爆弾の知識に長けたパトリックを指名するつもりだったが、フランクが代わりに名乗りを上げた。
 機械室を目指しながらフランクは思いにふけっていた。病気で妻に先立たれてしまい、息子とふたつ年下の娘には随分と不自由な思いをさせてしまったが、二人とも立派に成長してくれた。
 刑事の安月給と副業の不動産業で家のローンを払いながら、なんとか二人を大学へ行かせることができ、今では息子も会社勤めをしている。娘も結婚して子供を儲け、旦那も申し分ないくらい優しくいい男だ。どことなく亡くした妻の面影がある小さな孫娘は、もうこれ以上得ることはないと思っていたよりも遥かに大きな幸せをフランクにくれた。
 しかし、まだ幼いパトリックの子供から万が一にでも父親を奪ってはならない。息子と娘はもう自分がいなくても大丈夫だ。フランクは覚悟を決めてこの任務に就いていた。

 機械室のドアを開けると、想像していたよりも静かでフランクは少し不気味に思った。薄暗い部屋を照らすためにフランクとホッジスはポケットからライトを取り出しスイッチを押した。
 自然と二手に分かれて捜索を開始する。部屋の中にはビルのエネルギーを維持する装置が規律良く並べられていて、そのあいだをライトは照らした。
 唸り続ける機械音が耳に心地良くなってきた頃、フランクのライトがその先にある異物を照らしだした。腰の高さの小さな冷蔵庫くらいの塊がシーツのようなものを被せられ、明らかに装置とは別の存在感を表していた。
 それを見た瞬間、フランクは緊張に喉を鳴らした。それに近づく前に、ザックの部屋へ突入した際にワイドマンの命を奪った罠線をライトで慎重に探した。
 ゆっくりと近づき、その塊に対峙すると、シーツの端をつまみ、そっと引き剥がす。すると、レンガのように積み上げられたセムテックスの上に約一◯インチ四方の金属の物体が鎮座するように置かれていた。それはライトの明かりを眩いほど反射していた。
「あったぞー!」
 フランクの声にホッジスは慌てて駆け寄る。
「これは……」
 ホッジスは目の前の脅威につい脚を止めてしまう。慎重に近づき、フランクの隣に立つと、二人は銀色に輝く物体を見下ろした。
「どうなんだ?」
「この量じゃあ、こんなビルひとたまりもないぞ」
 その見立てにフランクは恐ろしくなりホッジスの顔を見た。ホッジスもフランクに眼を向け、二人は顔を見合った。
 その時だった。高く短い不気味な作動音が聞こえると、銀色の物体の小窓に「0:03:00」と赤いデジタル数字が浮かび上がった。二人は驚き同時にそれを見た。すると、その数字が見る見る減っていく。
「何をした!」
「いや、何も」
「センサーか。温度か、振動か、爆弾が作動しちまった!」
 フランクはなぜか周囲を見回してしまう。まるで自分たちを見ていたかのようなタイミングで時限爆弾が作動した。まるで、そこにいるはずもないザックに見られていたような錯覚に陥る。
「どうするんだ!」
「金属を切り出しているのか。まったくのオリジナルだな。芸術品だよ」
「言ってる場合か! 早くなんとかしてくれ!」
 フランクが言い終わるより先に、ホッジスは身体に染みついた動きで素早く工具を取り出すと、小さなマイナスドライバーをフランクに差し出した。
「この四隅のネジを外して、これを開ける。あんたはそっちだ」
 説明しながらホッジスはもうひとつのドライバーで作業を開始している。フランクも慌ててホッジスと対面するネジを外しにかかった。
「待て!」ひとつを外し、ふたつめのネジを回しかけたところでフランクは疑問を持った。
「センサーがあったら、起爆してしまうんじゃないのか?」
「だとしたら、もう爆発してる」
 ホッジスはニッパーを取り出し、すでに次の作業の準備に取りかかっている。その言葉にフランクは青ざめた。ホッジスはそうとわかっていた上で、それを確かめる時間はないと判断し、賭けにでていたということだ。フランクはそれだけ逼迫した状態であるということを理解し、震える手でドライバーを動かしてネジを外す。
 ホッジスはセムテックスの上に工具を置くと、爆弾の両端を挟むように両手で掴み、罠線の抵抗がないか確かめながら、慎重に上げていく。半分くらい上げたところで確信すると、一気に蓋を外すように持ち上げた。
 すると現れたのは無数に絡まるコードの群れだった。
「なんてこった……」
 ホッジスから落胆の声が漏れる。すでに数字は二分を切っている。今から起爆に繋がるダミーのコードを避けながら時限装置を停止させる本線を調べる時間はない。
「信管を抜けば……!」
 フランクが縋るようにホッジスを見たが、言い終わるよりも前にホッジスは口を開いた。
「信管は真下に伸びて、ご丁寧にこのクソったれに埋め込まれてるんだ。終わりだよ……」
 フランクは呆然としたホッジスの横顔を眺めることしかできなかった。数字に目を移すと、すで残り時間は一分を切り、三◯秒へと近づいている。ビルの人間を非難させるどころか、自分たちが逃げ切ることも叶わない。
「よこせ!」
 フランクはホッジスの手元からニッパーを奪うと、一か八か何十本もあるコードを一本一本切り始めた。チラチラと数字を確認するが、それが止まる気配はない。
 一本コードを切るたびにフランクの頭の中で記憶がスライド写真のようにフラッシュバックする。息子と娘の幼少期。二人は段々と成長し、娘の腕に抱かれる赤ん坊。これは孫が生まれた日の記憶。数字はとうとう十秒前を切る。
「うおおお!」
 フランクは叫びながら我武者羅にコードを切り続けた。それでもまだコードは多く残っている。
 三、二、一……。
 フランクは爆発の衝撃に備えて身体を強張らせ、眼を硬く閉じた。その瞬間、生涯を捧げると誓った今は亡き最愛の妻がフランクに向かって優しく微笑みかけた。
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