第10話 残された爆弾②

文字数 5,605文字

「点検の名目でもう調べさせたが、アダムの働くビルに爆弾はなかった」
 JJがミカに淡々と報告した。

 フランクが爆弾を前に硬くつむった眼をそっと開けて数字を確認すると、表示はゼロになったまま動かなかった。
「不発……?」
 ホッジスは恐怖に強張った喉の奥から、ようやく言葉を絞り出した。
 二人は大きな安堵のため息を吐きながら、腰が抜けたようにその場にへたり込んでしまう。
「ハハハ……、ちびっちまったよ」
 ホッジスは笑っていたが、フランクは息をするのがやっとというほど疲弊していた。
 忘れてはいないつもりだったが、改めて思い直していた。自分は運が良かっただけなのだと。覚悟を決めてこの任務に就いたつもりだったが、フランクは己の甘さを痛感していた。そして、この件が終わったらすぐに引退しよう。そう硬く決意した。

 JJはフランクからそう報告を受けていたが、ミカにはあえて伝えなかった。いたずらに動揺させるだけだと思ったからだ。
 そして、ホッジスの調べによると、爆弾の起爆に必要な信管が設定されていないだけで、セムテックスも爆破装置自体も本物であった。爆弾は確実に存在する。フランクの報告はJJにそう確信させた。
「そう」とミカは胸を撫で下ろす。それと同時に、このニューヨークのどこかに最後の爆弾を仕掛けたザックのことを思い起こしていた。
 突入のときに見せたザックの物憂げな表情。あれは何を意味していたのだろうか。ミカの気を引きたい一心で爆破を繰り返していたとするならば、ミカの嗜好に当てはめたとしても、その候補となる場所はいくらでもあった。ザックが死亡した今、それを特定するすべはない。ミカはどうしたものかと思い悩んだ。
「お疲れ様です!」急に部屋の外が騒がしくなる。誰か上役が来ているようだ。外の声からその対象がこちらに近づいてきているのがわかる。ミーティング室のドアノブがカチャリと下がり、ドアから顔を覗かせたのは広域対策局の巡査部長。案の定、そのうしろから局長のスミスが現れた。すぐにミカとJJは立ち上がって局長に整対する。
「休め」スミスの号令に二人は身体の緊張を解いた。
「マイヤーズ警部補、ボーマー逮捕、お疲れさま」
 スミスはミカに握手を求めてくる。ミカは手を伸ばすのを躊躇した。スミスは生粋の出世組で、手柄の横取りと上役への根回しで現在の地位を築いたという黒い噂の絶えない人物だったからだ。スミスはミカをはじめ、ハロルド警部を師と仰ぐ現場刑事にはすこぶる嫌われている男だった。今では、自分は影に隠れながら、ドリームダイバーを扱えるミカをいいように使っている卑怯者。それがスミスに対するミカの評価だった。
 広域対策局長ともなれば爆弾の存在を知らないはずもないのに、このようなタイミングで激励にくるとは、間の抜けた男だなと軽蔑しながら、ミカは仕方なく握手を返した。
「爆弾の話は聞いたな? 君が頼りだ。よろしく頼むぞ」
 スミスは力強くミカの手を握った。
「はい……、頑張ります」
 ミカはスミスの言葉の真意がわからず、訝しみながら当たり障りない返答をする。その反応にスミスは何かを確かめるようにJJの様子を伺い、JJも僅かに首を横に動かした。それを見てスミスは何かを察したように二、三頷くと「よろしく頼む」とミカに言い残し、部屋をあとにした。
「どういうこと?」
 どうやら自分だけ状況が把握できていないことを悟ったミカはJJを問いただす。
「説明するよりも、見てもらった方が早い」

 ミカとJJはエレベーターに乗った。JJが二階、一階、二階と素早くボタンを押す。「二一二」とはマンハッタンの市街局番。エレベーターは一階を過ぎ、地下階を過ぎても停止せず、階数表示のない階で扉は開いた。
 ニューヨーク市警本部庁舎には使われていない地下階があった。米ソ冷戦を経て、庁舎建て替えに併せ有事の際に要人と市警上層部が緊急避難できるシェルターを築いていた。これまで使用の機会はなく、まったくの手付かずになっていた場所に、急遽、ドリームダイバーの専用室が作られた。この部屋の存在を知っているのは市警上層部でも一部の人間だけ、刑事隊長であるハロルド警部ですら立ち入りは制限されていた。
 そのフロアにはパソコンが備えつけられたデスクがいくらかあり、医療用の薬剤や書類が入れられた棚が無機質なコンクリートの部屋に置かれていた。奥に進むと処置台と医療機器、壁には大きなモニターが備えつけられている。オフィスというよりも集中治療室のような雰囲気を持つ空間だった。
「ミカ……」
 ドクが不安そうな顔をしてミカを迎えた。壁のモニターには、心電図が表示されている。その下には同じように脳波が、一番下にはレム睡眠、ノンレム睡眠を表す曲線のグラフがそれぞれ安定した波を保っていた。
 すでに誰かが処置台にいる。ミカはその顔を確認しようと脚を進めた。
「これは、どうゆうこと!」
 処置台に横たわっている人物を見てミカは声を荒げた。そこにいたのは爆弾魔、ザックだった。
「なんで、こいつが生きてるのよ!」
 アイリスの仇であるザックが今も生きていること、それを隠されていたことにミカは怒りを露わにした。
「昏睡状態なんだ。心臓も脳も正常に機能しているが意識はない」
「なんてことなの」
「警部補」明らかに不機嫌なミカにスタッフの一人が話しかけ辛そうに近寄ってくる。
「お電話が入っています」
 ミカがここに来たら連絡するように命令していた人物、ミカは電話の主が誰であるかすぐに察しがついた。
 モニターが切り替わり、一面にカーター市長が写しだされる。市長室直通のテレビ電話。
「ミカ。ニューヨークの守護天使」
 市長はミカの機嫌でも取るように笑顔を作った。しかし、気持ちの整理がつかず反応が薄いミカに、市長はやや不満そうに眼を細める。
「ここにいるということは、私が何を言いたいのか、誰よりも賢いあなたならすでにわかっているわね?」
「はい」
「私は会見で、ニューヨークに爆弾はないことを市民に伝えたわ」
 ミカはあとで知ることになるのだが、ザックと交戦ののちに逮捕したということと、ザックの容態が極めて悪いという報告を受け、市長は市民を安心させるために、先立ってザックは死亡したという情報を流させた。市長もまさかザックが奇跡的に一命を取り留めるとは想像しておらず、ニューヨークにまだ爆弾が残されているなんて思いもしなかったからだ。
「その言葉を違える気はないわ。だって、ニューヨークにはあなたがいるんですもの。そうでしょ?」
 爆弾が残されていることを市民に伝えず、自分の言葉を現実のものにしようとする市長の力強さに、ミカはわずかに気圧される。
「はい、その通りです」
「あなたの活躍には感謝している。それは私だけじゃなくて、ニューヨーク市民すべてがよ。だから、いつものように、このニューヨークを救って欲しいの。お願いよ」
 ミカは答えに詰まった。それはたった今、ザックが生きていると知らされたばかりで返答に困ってのことだったが、市長は野心家のミカが見返りを求めているのだと考えた。
「ミカ、いい? ニューヨーク全市民の命があなたにかかっているの。それを救えるのはあなただけなのよ。この件が解決した暁には、あなたは警部の席に座ることになるでしょう。それも本部の警部によ。あなたはそれに相応しい。もう危険な現場には立たなくていいの。あなたの後任もすぐに見つかるわ。やってくれるわね?」
「はい」
 ミカは毅然と返事したつもりだったが、本部の警部という大出世を目の前に、わずかに声が震えてしまう。
「爆弾を探しだして。今すぐに」
「はい、マム。必ず見つけだしてみせます」
「よろしくね」
 市長はミカの返事に納得したように口角を大きく上げると、そこで通話は終了し、モニターがザックの心電図に戻る。
「やるわよ」
 ミカはその規則的な波形を見ながらドクに言った。

 フロアの中には潜入前に打ち合わせすらための区画が設けられていた。とはいえ、それは急造のプレハブ小屋であり、外観は工事現場に建てられた事務所のようだった。その部屋にはミカ、JJ、ドクの三人のみだった。
 ミカが犯人に合わせてストーリーを構築し、JJが犯人の情報に見合ったものか精査と助言をし、ドクが医療的見地から客観的にそれを分析するというのが、いつもの流れだった。
「奴の情報は?」
「やはり、IDはどこからか買ったものらしい。突如ニューヨークに現れた。わかったのは身長、体重、血液型くらいのもんだ」
「突入のとき、アニメが流れてなかった?」
「そうだ。奴の部屋からアニメのディスクもいくらか押収されている」
「それが趣味ってことで間違いなさそうね」
 ミカは顎に手を添えて数十秒黙り込むと、口を開いた。
「じゃあ、こういうのでどう? 奴と映画館でアニメを観る。その映画館には、奴と私だけ……」

 ミカの作ったストーリーは、ザックが趣味としているアニメが映画館で上映されている。ザックが劇場内に入ると、すでに映画は始まっていて、ザックは遅れて席に着く。ミカは観客席の半分よりやや前側にすでに座っていた。ザックがミカの隣に座ればそこで接触開始だが、もし、それを躊躇して後ろ側の席に着いたのなら、ミカはしばらく遅れて来たザックを気にする様子を見せ、申し訳なさそうに近づく。
「もし、よろしければ、一緒に観ませんか?」

「なるほど、アニメ好きの爆弾魔じゃあ、きっとオタクだろうから、女に耐性がないってことか」
 JJは納得したように言う。
「そういうこと」
「でも、奴はお前の顔をよく知っている。どうするんだ?」
「印象を大きく変える必要があるわね。私によく似た理想の女。荒技だけど、日常的に接していたわけじゃないから、いけると思う」
 ミカはそう言いながら、テーブルの上にある資料の中から女性向けのファッション雑誌を手に取り、素早くページをめくった。
「この恰好が良いわね」
 ミカはその雑誌をテーブルに放ると、一人のモデルを指差す。長めのスカートにカーディガンを羽織り、靴はパンプスで清楚な印象を受ける。
 これまでも、直接逮捕した相手の夢に潜入することもあったので、潜入対象に目の前にいる人物がミカであると悟られないようにしなければならなかった。いくら夢とはいえ、自分の顔や髪の色を変えたりはできなかったので、化粧をする、髪型を変える、衣装を替えるなど日常的に可能なもので印象を変える必要があった。
「これなら随分と印象が変わるな。それならこんなのはどうだ? そのアニメのトリビアを調べて話すんだ。ファンならまず知ってるだろうが、それを女が知っているってことにぐっと惹きつけられるはずだ。男は趣味を共有できる女に弱いからな」
「それはいいわね」
 ミカは早速それを採用することに決めた。
「それで、どうやって爆弾の在り処を?」
 ドクがミカに訊いてくる。
「目の前にはスクリーンがある。会話をして、信頼させたら、アニメの中に投影させるわ」
「なるほど」
「ドク、どう思う?」
 ドクはミカの提案した作戦を咀嚼するように頭の中で丁寧に分析すると、笑みを浮かべた。
「これほど安全で完璧なストーリーも今までないんじゃないだろうか」
「じゃあ、決まりね。準備でき次第、奴の夢に潜るわ」
「次のレム睡眠まで、およそ、二◯分といったところだろうか」
 ドクはモニターと同期したタブレットの画面を見てミカに伝える。
「それだけあれば、準備には十分ね。じゃあ、二◯分後、潜入を開始します」

 ミカは長めのスカートを履きカーディガンを羽織り、痛んだ髪は丁寧にうしろで一つに結わえていた。自身も慣れない女性的な服装に違和感を感じながら歩く。しかし、そこはミカが思っていた場所ではなかった。
「セントラルパーク?」
 ニューヨーク、セントラル・パーク。その公園と呼ぶにはあまりに膨大な三百ヘクタールを超える敷地は、摩天楼と称されるマンハッタンにおいて、ぽっかりと穴を開けたかのように存在し、目に鮮やかな木々の緑が、喧騒の中で生活するニューヨーカーの心の拠り所とも言える場所だ。ミカは見慣れたセントラル・パークの緑道を歩いていた。
 映画館の前に来るはずが、思いもしない場所に辿り着いていた。それでも、そういうことは稀にあったので、仕方なく歩いて目当ての映画館へ向かうことにする。
 すると、十歳にも満たないような三人の少年たちがバスケットボールで遊んでいる姿が目に入る。ミカはそれを微笑ましく眺め、少年たちに近づいた。
「ヘイッ!」
 少年の一人がミカにボールをパスしてくる。ミカは咄嗟にそのボールを受け止めた。
「グッドラック!」
 ボールをパスしてきた少年が親指を立て、眩しい笑顔で言った。ミカがなんのことかと驚いていると、少年たちは笑顔で走り去った。
 ミカは不思議に思いながらも馴染みのあるボールの感触を味わいながら、それを持ち替えてみたり、地面に突いてみたりして公園を歩いた。
 公園から一歩外に出ると、一気に歓声が沸き起こり、ミカは驚いてボールから目を上げた。沿道には人が溢れかえり、皆、ミカにエールを送っている。まるでニューヨークシティマラソンの時のようだ。
「一体、なんなの、これは」
 ミカは呆然としながら足を進める。すると、背後から獣が喉を鳴らす音が聴こえた。それは野良犬のものなどではなく、低く重い、聞き慣れない、獣によるものだと直感させた。ミカは音のする方へ恐る恐る振り返る。
「ライ……、オン?」
 そこには猛々しくたてがみをなびかせたライオンがミカをじっと見つめていた。
 ミカから数フィート離れた先に、ライオンがさも当たり前のようにそこにいた。ミカも動物園でこそ見たことはあったが、僅か数インチの檻がないというだけで、凄まじいまでの威圧感と恐怖をミカは感じていた。
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