第11話 コンクリートジャングル②

文字数 6,989文字

 午後六時、タイムリミットまであと六時間。
「ザック・ジンガーノを知っているか? その答えはイエスであり、ノーだな」
 ニューヨーク市警本部の一室、会議室でJJはその男と対面するように座っていた。男の後ろにはパトリックが見張るように手を前に組んで立っている。
 男はブランド物の服で着飾り、トレンドの髪型も整髪料できっちりとセットされている。
 ニューヨーク市警が爆弾の在り処を探すため、メディアを使い、「ザック・ジンガーノに関する情報」という名目で広く情報提供を求めた結果、それに名乗りを上げた男、名前をオリバー・オニールといった。

 その頃、ミカはというと、ドリームダイバーの作戦室で一人、デリバリーの箱に入った中華で腹ごしらえをしながら途方に暮れていた。
 逃げるようにザックの夢から脱出したあと、JJとドクに夢の中での様子を話してみても、あまりに荒唐無稽なストーリーに苦笑すらしていた。潜入したミカからすれば次々と野性動物に襲われたのだから、とても笑える状況ではなかったのだが。
 潜入したあとは健康面を考慮して、次の潜入まで可能な限り間を空けるようにとドクに決められていたし、潜入先の状況もわからない以上、どうすることもできずにいた。

「と、言いますと?」
 JJがオニールに訊いた。
「あいつは何年か俺の下で働いていたんだ」
「ほう」得意顔で語るオニールに、JJはまだ半信半疑だった。
「俺の下」と言っても、オニールは四十手前に見えるし、多く見積もっても四五歳くらいの若い印象だった。オニールの着ている服は確かに一流のブランドではあったが、数年前のトレンドで、シャツも少しくたびれて見える。オニールはパンツのポケットに手を突っ込んで、脚を組み深く椅子に腰かけていた。とてもやくざ者には見えなかったが、何を目的にここへ訪れたのか、JJは注意深く男を観察した。
「失礼ですが、お仕事は何を?」
「まあ……、ゲーム関係?」
 オニールの煩わしい答え方にJJは段々と苛つきはじめていた。情報提供者の中には、時折こういった人間がいた。警察が欲しい情報を手にしているという優越感から中々核心に触れない者や、まるで警察で取り調べられている無法者を演じる者。こんなふざけた男と遊んでいる暇はないというのに、JJは怒鳴りたくなる気持ちを抑えて質問を続けた。
「ビデオゲームを開発されていたんですか?」
「ううん、ちょっと違うかなあ……」
 オニールがそこまで話すと、その後ろに立っていたパトリックがオニールに近づき、姿勢を正させるように椅子を押した。
「イエスか、ノーかだ」
 オニールは心底驚いた様子でパトリックを見上げた。
「まあまあ」JJはパトリックに笑いかけたが、その行動をオニールに詫びたりはしなかった。その様子にオニールは途端に心細くなり、先ほどまでの傲慢さは影を潜めた。
「それで?」
 JJは少し圧力を加えて訊いた。オニールは話す準備をするように唇を舌で湿らせ、ゆっくりと語りだした。
「刑事さんは、『ゴッドスリープ』を?」
 JJは眉を潜めた。ゴッドスリープ、安眠を約束する枕。このキャッチコピーを知らない人間などいないのではと思うほどの大ヒット商品。ドリームダイバーにもそのテクノロジーが応用されていると聞いたことがあった。
「はい、知ってますよ」それを、なぜ目の前の男が話しだしているのか、嫌な予感がしていた。
「俺の会社で、あのテクノロジーを……、よく似たテクノロジーを使って、夢の中を好きに遊ぶゲームを開発したんだ。その名を……」
「ドリームダイバー」
 JJは口について出てしまいそうになるのを慌てて堪えた。

 オニールは大手のゲーム制作会社で開発のノウハウを学び、一念発起して会社の同僚と共に、新たなゲーム制作会社を立ち上げた。主に携帯電話専用のゲームなどを開発し、細々と運営していた。しかし、オニールは一発逆転の機会を虎視眈々と狙っていた。
 オニールとザックが出会ったのは、会社設立から数年してからだった。その頃の従業員は十名足らず、さらに欠員が出て、インターネットに載せた募集広告を見たザックが応募してきたことがきっかけだった。
 オニールは直接ザックを面接した。見た目はいいのだが、雰囲気は暗く内向的な印象だった。ゲームデザイナーを公募していたのだが経験はなく、大学にも進学していないという。パソコンは使えるということだったが、その実力は果たしてどの程度のものかとオニールは眉を潜めた。しかし、他に応募してくる人材もなく、仕方なくインターンとしてザックを雇うことに決めた。最低限の教育をしたら、とりあえず雑用をやらせ、使えなければすぐにクビを切れば済むと思っていた。
 しかし、ザックはよく働いた。寡黙だが真面目で、なにより賢かった。無茶な仕事量にも関わらず効率的にそれをこなし、ほとんど独学でゲームデザイナーの仕事を覚えていった。勤勉で優秀なザックがなぜ自分の会社を選んだのか、野心とは無縁そうで高望みもしない彼ならもっと安定した業種を選びそうなものだが。オニールは理解に苦しんだ。
 ほどなくして、ザックは正規雇用となりゲーム開発の一端を担うことになった。もちろんアシスタントではあったが、小さい会社だったので、携わる部分も少なくはなかった。
 そして、オニールは賭けにでた。前に働いていた会社の同僚にゴッドスリープ開発の話を聞き、独自にドリームダイバーの開発を進めた。企業スパイに多額の謝礼を払い、ついにそのテクノロジーを手に入れた。
 ドリームダイバーの開発は順調だった。これで一気にセレブの仲間入りだとオニールは浮足だっていた。
 試験段階に入り、ついに事故は起きた。二人の社員を使っての試験だったが、片方の社員が心身喪失を来した。
 しかし、オニールはあとには引けなかった。企業スパイに支払った謝礼は多額の借金として残っている。ドリームダイバーさえ完成すれば、借金返済どころか百万長者にだってなれる。オニールは社員の反対を押し切り開発を進めた。
 そして、また試験中に一人、今度は意識を失い救急搬送された。その後、その社員は数ヶ月昏睡したのち死亡した。

「その事故が起きた時、両方ともザックがプレイしていたんだ。それだけじゃない、あいつとプレイした奴は必ず大なり小なり不調を訴えていた」
 オニールの言葉にJJは息を飲んだ。ザックがドリームダイバーの経験者。それどころか、開発に携わっていたとは。
「すみません。それが、何か?」
 JJにとって想定外に有益な情報ではあったが、ドリームダイバーを捜査に使っていると知られるわけにもいかず、あくまでザックの身元調査という名目で、さらに何か得られないかと思いオニールを煽った。
「一緒に働いてはいたが、正直、あいつのことは何も知らないし、自分のことを話すタイプでもなかった」
 素性の知らない爆弾魔と共に過ごしていたということをオニールは恐ろしく感じていた。
「そうですか」JJはわざと不機嫌そうな態度で適当に相槌を打つ。
「あの……」
 オニールが思い立ったように口を開いた。JJはそれに応えるように目を軽く見開く。
「情報に謝礼とか、でないのかな?」
「やはり、そう来たか」JJは心の中で呟いた。オニールは着飾ってはいるものの、元金持ちといった印象であったし、肌は浅黒く日焼けしていて、ジムでの日焼けマシーンとは違い、現場仕事で乱暴に焼けた肌だった。恐らく会社は倒産していて、借金返済に追われているのだろうと察しがついた。
「これは任意での情報提供ですし、犯人は死亡して、事件は解決していますので、そういったものはご用意しかねますが」
 JJは僅かに微笑みながら、業務的な態度でオニールの要望を突き返す。「そうか……」オニールはあからさまに落胆した。
「でも……」JJが何か閃いたように声を上げる。
「こちらも犯人の身元がよくわからないことで事務処理が難航してまして、より有用な情報なら、いくらかお支払いすることも可能かと」
 オニールはその言葉に顔を上げた。これでオニールはどんな些細なことでも喋るに違いなかった。
「あいつには、兄貴だか、姉貴だかがいるようなことを聞いたことがある。そいつを探せばもっと何かわかるんじゃないか」
 オニールはJJに必死でアピールをした。「それと……」オニールは言い辛そうに一端言葉を止めてから、静かに続けた。
「擁護するわけじゃないが、あいつが爆弾魔なんて今だに信じられないんだ。とてもそんな大それたことをできる奴とは思えないんだ」
 そこで部屋が沈黙した。JJはオニールの言葉を待った。「でも……」とオニールは続ける。
「事故があってから段々と様子がおかしくなってきて、妙にそわそわして、やけに神経質というか」
 JJは心臓の鼓動が早くなるのを感じていたが、それを悟られないようにクエイドの話に傾倒するフリをした。
「仕事にも変にこだわりだして、これはリアルじゃない。これはリアルじゃないって口癖のようにブツブツ言ったりしていた」
 JJは全身が総毛立った。「これはリアルじゃない」。それは「写実的ではない」という意味ではなく、「現実ではない」と言っているように感じ取れたからだ。ザックの精神はドリームダイバーにより壊れていった。現実と夢の境目が曖昧になり、悪を悪とも思わない狂人になってしまったのだと想像させた。
「だから、これは俺の推理なんだけど……」
 オニールは続ける。
「あいつ、きっとティーチャーと出会ってしまったんじゃないかな」
 真剣な顔をしたオニールにJJは軽く微笑み「そうですか」と頷いた。
「もうお帰りいただいて結構ですよ」
 JJは立ち上がるとオニールをドアの方へと促し、すかさずパトリックがドアを開ける。「謝礼は……」と食い下がるオニールに「外の警官が対応しますので」と適当に答え、追い立てるようにオニールを部屋から出した。
「ふう」とJJは大きく溜め息をついた。その様子を険しい顔をしたパトリックが見ている。JJもそれに気づいた。
「なんなんだ、あいつは」
 JJはオニールを馬鹿にするように笑う。それでもパトリックの顔は険しいままだった。
「さっきの、ドリームダイバーっていうのは、もしかして」
 パトリックの言葉にJJは笑いを収めた。パトリックは明らかに苛立っていた。皆が爆弾を探して駆けずり回っているというのに、ミカのチームだけが署に待機している。ということは、ミカはすでに捜査を開始しているということだからだ。
「何か知ってるんだろう?」
 パトリックはJJを問いただす。ドリームダイバーという装置と、それを聞いた時のJJの微かな動揺。他人の夢に入るだなんて、とてもまともな発想ではないが、もしそれが可能なら、これまでのミカの神がかった捜査も頷ける。そして、心身喪失を伴う危険な捜査にも関わらず、チームの自分たちには何も知らされない。これまで我慢していたパトリックもそれがおさえらなくなっていた。これはチーム全員の代弁でもあった。
 JJは問いに答えず、パトリックに背を向けた。
「パット、このことは他言無用だ」
「しかし……」
 パトリックはなおもJJに食い下がる。
「いいな?」
 JJは僅かに首を後ろへ逸らし高圧的に言った。現場の猛者であるパトリックも思わず気圧される。相手の顔が見えないことが、逆に圧力を加えてくる。それでも腑に落ちないパトリックが口を開く前に、JJは振り返って言った。
「警部補のためだ」
 JJは眉を下げ、懇願するように言った。パトリックは口を真一文字に結び、顔を赤くした。しかし、すぐにそれを収めるように眼を閉じて鼻から大きく息を吐いた。
「本当に警部補のためなんだな」
「ああ」JJはパトリックの眼をじっと見据えて言った。パトリックは自分自信を納得させるように細かく頷くとドアを開け、部屋をあとにする。
「クソッ!」
 部屋の外ではパトリックの怒号と苛立ちをぶつけられたゴミ箱が蹴り飛ばされる音が響いた。
 JJは確実にパトリックが部屋から遠ざかるのを待ってから、スーツの内ポケットから携帯電話を取り出してダイヤルする。
「もしもし、はい……、それが、ドリームダイバーを知ってる男がいまして……、はい……、そうでしたか。はい……、そちらはお任せします。はい……、はい……、了解しました」
 JJは通話を切ると、携帯電話をしまいながら、今一度ドアの方を見た。

「なんということだ……」
 ドリームダイバーの作戦室、JJがオニールから聴取した情報を聞いて、ドクは頭を抱えた。ミカも考え込むように眉間に皺を寄せている。
「そんなにマズいことなのか?」
 JJがミカとドクの顔を交互に見る。
 根拠はなかったが、潜入される対象者は、ミカに潜入されたと認識した時点で途端に防衛機能が働くと、ミカとドクは考えていた。対象者の夢が悪夢となって襲いかかってくるのだ。リベラは分身してミカに襲いかかり、ギャレットの時は延々と続く螺旋階段が現れた。ドクには言っていなかったが、ケヴィンとの遊園地の夢での顛末もそれに近かったのではないかとミカは考えていた。だから、対象者の夢に潜入するのは原則一回のみ、それ以上は予測不可能な危険が伴うという結論に至った。
「ゲームデザイナーという仕事が、まるでゲームのような悪夢を生んだんだろう」
 ドクはそう推察したが、ミカは的確ではないと感じていた。何かが引っかかっていた。
「じゃあ、潜ったところで、すぐに追い返されちまうってことか」
 JJがドクに言うのを聞きながら、ミカはザックの夢の中でのことを思い返していた。
 沿道の人々が作る決められたコース、次々現れる野性動物、少年が渡してきたバスケットボール。
「グッドラック!」
 ミカは咄嗟にザックが横たわる処置台の方を見た。
「あいつ、私と夢の中で勝負したいんじゃないかしら」
「なんだって? ゲーム対決ってことか」
 JJがミカに訊き直す。
「だってそうでしょ? 設定があまりに都合良すぎる。ランオンって時速何マイルで走るの? 本当だったらとっくに追いつかれていたはずよ」
「お前と同じスピードでしか走れないようにプログラミングされているということか」
 JJが口にした「プログラミング」という言葉がミカの違和感に合致した。
「わからないんだが、それなら奴はドリームダイバーでの対決を望んで、犯行を繰り返していたのか」
 JJの疑問にミカ自身も答えられずにいる。その代わりにドクがそれについて言及した。
「それはないだろう。ドリームダイバーは非公式だ。我々がそれを利用しているだなんて、彼が知るはずもない」
 ドクは頭の中で考えを整理するように眉を潜めると、続けた。
「ここからは……、無論、想像の域を出ないが、彼は現実世界でミカとの対決を望んでいたとして、ミカが他人の夢に潜れるということを彼は知らない。ドリームダイバーの扱いに長けている彼は無意識下でミカに潜られたことに気づき、こういう結果を生みだしたんじゃないだろうか」
 ドクはミカを見つめてさらに続けた。
「彼のパソコンに君の写真があったが、もしかしたら、彼は君を異性としてではなく、好敵手として見ていたのかもしれない」
悪役(ヴィラン)主役(ヒーロー)にするようにか。イカれてやがるぜ。でも、なんでゲームなんだ? ミカはゲームなんて柄じゃないだろう」
 ドクの見解にJJが質問を返す。
「あくまで、主導権は彼にあるということだろう」
 ドクはそこまで言うと沈黙した。ドクとJJはミカの様子を伺った。ミカは眉間に皺を寄せて何かを考えるような仕草を見せると口を開いた。
「まったく。よっぽど女の誘い方を知らないのね。ゲームならクリアできるってことよね。私が勝負に勝てば爆弾の在り処がわかるってこと?」
 ミカはドクに訊いた。ドクは言い辛そうに口に開いた。
「確証はないが」
 ドクの言葉にミカは目を細めて、そのまま何かを考えるようにそうしていると、決意を固めたように瞼を大きく開いた。
「受けてやろうじゃない」
 その目は闘志に輝いていた。その顔を見てドクが言った。
「ミカ、一つ約束してほしい」
 ミカは無言でドクにその目を向けた。
「少しでも危険を感じたら戻ってくるんだ。いいね?」
 ドクはまるで子供に言い聞かせるようにミカを諭そうとする。
「了解」とミカはその口ぶりが可笑しくて、僅かに口の端を緩める。
「市内の地図を」
 ミカの指示にJJが素早く地図をミカの前に広げる。ミカは赤いペンで地図の要所要所に印を書き記す。
「スタートがここだったから……」
 ミカはセントラルパークの西側の入園口に円を描く。そして、ペンの先を地図の北方向へと動かす。
「ゴールはおそらく、ここ」
 ミカはニューヨークの名所、ブロードウェイ、タイムズ・スクエアに大きく円を描いた。

 ミカはふたたびセントラルパークへと降り立った。タンクトップタイプのランニングシャツとランニングパンツ、ロングタイツにランニングシューズ姿で、額にはバスケットボール選手だった頃と同様にヘアバンドを着け、髪はうしろにひとつに束ねていた。どれもが青とオレンジの配色で、これは地元ニューヨークのバスケットボールチーム、ニューヨーク・ニックスのチームカラーであった。準備は整っていた。
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