第17話 トラウマ①

文字数 3,854文字

 ミカはどこかの学校、その校舎の廊下に立っていた。放課後なのか陽は沈みかけ、あたりは薄暗く、どこか不気味な雰囲気を演出していた。
「今度は何? ゾンビでも出てくるの」
 校舎の廊下を警戒しながらゆっくりと進む。
 ミカは三度(みたび)ザックの夢へと潜入していた。それもザックがレム睡眠の頂点から三十分経過したタイミングを見計らって潜入した。ゲーム対決中の途中入場のような真似が、はたしてどれほどの危険をはらんでいるか未知数ではあったが、爆弾のタイムリミットが迫っている以上、悠長に始めからやり直すわけにもいかなかった。
 廊下の角に差しかかり、壁に背中を沿わせて、その先を覗き込む。
 すると、その先の廊下の真ん中でたたずむ人影があることに気づく。ミカは見覚えのあるシルエットに警戒を解いて近づく。
 その人影はフォーチュン。いつものような無邪気さはなく、まるでミカを待っているかのようだった。ミカはフォーチュンの前に行くと足を止めた。
「あなた、マイケル……でしょ?」
 フォーチュンは無言のまま応えない。
「マイケルよね?」
 催促するようにミカはフォーチュンに答えを求める。
「……ごめん」
 フォーチュンは目を逸らし言った。
「じゃあ、なぜ、フォーチュンなんて名乗ったの。あんな暗号めいたことまでして。私にマイケルだって気づいてもらいたかったのよね?」
 すがるように問いただすミカの声は震えていた。
「僕をフォーチュンと名づけたのは、君なんだ。僕もどこかで、この暗号が解けなければいいのにと思ったよ」
 フォーチュンは目を伏せ、残念そうに語った。
「そう……、ドクの言ってたことが正しかったわけね」
 ミカは行方不明となったマイケルを探すために警察官になった。警察にいる方がより多くの情報を得られると思い、上に行けば行くほどマイケルに近づくことができると信じていた。
 激務の合間にも警察の情報端末を使い、マイケルを探し続けていた。しかし、マイケルを探せば探すほど、彼がどこにも存在していないということを確かめているようで、さらに遠ざかっていくような感覚がしていた。
 それを心の奥底にしまい探し続けていると、ドリームダイバーのプロジェクトが始まる。ミカは犯罪者の夢の中で、必要とする情報のほか、独自にマイケルの影を追い求めていた。潜入する犯罪者の中に、幼いマイケルを知っている者がいるのではないかと。
 ミカはフォーチュンを見た。彼は、ミカが夢の中でマイケルを追い続けた結果だった。そして、どこかで生きていてほしいというミカの願いが具現化した姿なのだと悟った。
「行こう」
 ミカはフォーチュンに言うと、廊下を進んだ。このやり取りにこれ以上時間を割くことはできない。最深部のノンレム睡眠の領域を睡眠周期四五分の最後五分と仮定して、それまでに潜入できる時間はおよそ十分。夢の中で三◯分しか残されていないことになる。
 ミカはふと、近くの教室を覗き込む。すると不思議なことに、それは想像していたような教室の風景ではなく、どこかの家の一室のようであった。
 そこでは小さな男の子が五つほど年の離れた兄であろう少年とベッドの中で布団を被りタブレットを見ていた。部屋の壁にはコミックのヒーローのポスターが貼ってあり、どうやらそこは兄の部屋であるようだった。
 男の子はライオンに追いかけられたときのセントラル・パークで、近代美術館や地下鉄に現れた男の子だった。彼はやはりザックの少年時代の姿だった。
 その校舎の中は無音であったが、耳ではなく直接、脳に届くように二人のやり取りがわかる。
 弟であるザックがタブレットの中でズル賢いハイエナが足の速い鳥を追ってはドジを踏んでいて、そのアニメを観ておかしそうに笑っている。兄もアニメを楽しみながら、隣で笑っている弟の顔を愛おしそうに眺めていた。
 すると、突然布団が勢いよく剥がされる。それは二人の父親だった。父親は怒りに顔を紅潮させ、兄の腕を乱暴に掴みベッドから引きずりだす。
 父親と一緒に部屋に入ってきた母親は血相を変えて、ザックを兄から引き離すように抱きかかえた。
 父親は兄に近寄り、怯えた顔に大きな手で平手打ちをした。
 ミカは突然の暴力に、驚いて身を竦めた。ザックもミカと同じように驚き目を丸くしていた。
 父親は何も聞かずに反対側の頬をもう一発叩く。父親は殴られて鼻血を流す兄の腕を力一杯掴んだ。
「この子はお前と違って特別なんだ!」
 ミカには父親がそう言っているように感じた。
「馬鹿が」
 父親は部屋をあとにしながらそう呟いた。兄は鼻血を流しながら、泣くことも許されずに立ち尽くしていた。母親に抱かれながら、ザックは横目で兄の姿を確認しながら、幼心に自分の置かれた状況が狂っていると感じていた。
「ギフテッド」
 ミカが呟いた。ザックの母親の口にした言葉。ザックは生まれながらに高い知能を持った天才児「ギフテッド」だった。他の天才児たちとギフテッドクラスで共に学び、ザックもそれを自然と受け入れていた。両親の愛情はザックにのみ注がれ、いつも兄はないがしろにされていた。ザックはそのことをこの時、強烈に思い知らされた。
「ノア、あなたはネイサンや他の子とは違うのよ」
 ザックの兄の名前はネイサン。そして、ザックの本当の名前はノア、ノア・ナザラス。母親の言葉を介してミカの脳に直接伝わってくる。
 世界的に高い知能を持ち、それ故に迫害された歴史を持つユダヤ系民族。ノアの両親は自分に流れるユダヤの血に誇りを持っていた。本来、世界を統率するべきなのは我らがユダヤ人なのだと。その両親にとって、ノアは宝だった。なぜなら、ノアの誕生によって、凡庸だと思えた自分たちの人生に特別な意味が持てたからだ。自分たちはノアを産むために、そして、ノアの才能を世界に送りだすために存在した、そう思うことができた。
 自分は特別である。そう母親に説かれてもノアの中でネイサンに対する尊敬は揺るがなかった。ネイサンはアニメやゲームに詳しく、ノアが真に欲している情報をくれる、まるで賢者のようだった。いっそのこと、こんな特別な才能なんてなければ良かったのに。そうすれば、ネイサンや同世代の友達と外で思い切り遊ぶことができる。そんな風にさえ思っていた。
「そうでもないみたいよ」
 フォーチュンがミカに言った。フォーチュンは先に進み、一つ隣のクラスを覗き見ていた。フォーチュンの感じ取った感覚がミカにもなんとなく伝わってくる。ミカは不安を感じながら、フォーチュンの横に並び、教室の中を覗きこんだ。
 ノアがいくつか歳を重ねたある日のこと、両親が不在なのをいいことに、ノアはネイサンの部屋を訪れた。この頃はネイサンの部屋に入ることすら悪影響だと両親から禁止されていた。止められるほどそれを破ることに魅力を感じる年頃のノアはネイサンの部屋に行くことが楽しみになっていた。
 軽くドアをノックしながら部屋に入る。ネイサンは勉強机に向かって懸命に手を動かしていた。気づかれていないことがわかり、ノアの悪戯心は刺激された。きっと裸の女の人の絵でも描いてるに違いない。そっと近づいて大きな声で驚かしてやろうと。
 ノアはネイサンに近づき、いよいよ脅かそうと思った時、机の上の光景に息を呑んだ。
 ネイサンの教科書に、彼に対する誹謗中傷が所狭しと書き連ねてあったからだ。ネイサンはそれを消しゴムで消そうともがいていた。
「うっ」とノアの喉から勝手に音が漏れた。それに気づき、ネイサンは咄嗟に振り返る。その目は泣き腫らしたのか、燃えるように真っ赤で、秘密を知ったノアを呪うような目つきであった。
「何してるんだよ!」
 直接聞こえるわけでもないのに、ミカはそのヒステリックな叫び声に耳を塞ぎたくなった。
 ネイサンは立ち上がると、咄嗟に逃げようと背中を向けたノアの腕掴むと、拳を思い切り背中に振り下ろした。
「ぐうっ!」ノアは痛みに声を上げた。すると、息が吸えずにその場に倒れ込んでしまう。ネイサンは床に倒れ込むノアを踏んづけるように何度も蹴った。
「苦しい、やめて」ノアはそう言いたいのに、息が詰まって言葉が出ない。
「お前のせいだ!」
 ネイサンはそれでも執拗にノアを蹴り続けた。
 ノアにはギフテッドと呼ばれる高い知能があったが、皮肉にも、ネイサンには軽度の学習障害があった。読み書きや計算が他の生徒のようにうまくできず、段々と授業から遅れるようになってしまう。
 十代の少年少女たちは純粋で、その分、残酷でもあった。自分たちと明らかに違うものを攻撃対象にし、容赦なく悪意をぶつけていった。有名な天才の弟がいるのに、なぜお前は馬鹿なのか。きっと母親の腹の中で、すべての才能をあとに生まれてくる弟のために取り上げられた残りカスなのだと。
 ノアは堪らず這うようにネイサンの部屋から出ると、ネイサンは力任せにドアを閉めた。
「二度と入ってくるな!」
 ドアを隔ててくぐもって聞こえたが、その言葉ははっきりと聞こえた。
 どんなに親に手を上げられても、それまでネイサンはノアを責めなかったし、そのストレスでノアに手を上げたりすることもなかった。この時までは。
 ノアは自分の殺風景な部屋に戻るとベッドに倒れ込み、ショックに泣き続けた。この日を境に、ノアはネイサンと接することをやめた。ネイサンの部屋に訪れることもなくなった。
 ミカはそれを見て心をえぐられるような気持ちになった。嗚咽しそうになりながら、堪らず目を逸らした。
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