第20話 帰還②

文字数 4,736文字

 午後一◯時三◯分。タイムリミットまで一時間半。
 ミカは自分のチームをドリームダイバーのある地下階に集めた。仲間であるJJが殉職した事実も理由も、彼らには知る権利があると思ったからだ。
 フランク、パトリック、ミカのアパートから戻っていたエリオット。横たわるJJの側で、一様にその姿を呆然と眺めていた。
 同僚が殉職した経験を持つ者もいたが、あまりに唐突で、皆、気持ちが追いついていない。
 パトリックが先頭で横たわるJJに近づく。その間、ミカもドクも無言のままだった。パトリックは二人の顔を見回して説明を求めたが、二人は口を開かなかった。
「おい」パトリックは信じないというようにJJの傍らに立ち、眠りから起こすように肩を揺すった。
 すると、驚いたようにすぐにその手を離し、その恰好のまま固まった。すでにJJの体温は下がり始めていた。その体温が、目の前のJJに生の兆候がないことを伝えていた。
「嘘だ!」
 パトリックは叫んだ。しかし、誰もそれに応えようとはしなかった。パトリック自身も何度も目の当たりにしている現象に抗えるはずもなかった。
 チームは皆、JJを囲み、彼を失ったことを悲しんだ。パトリックとエリオットは声を上げて泣いた。
 その中でフランクは怒りに燃えていた。ミカのようにザックを今すぐにでも殺してやりたい気持ちにもなったが、昏睡してなお、自分を爆弾で殺しかけ、JJを死に至らしめたザックが純粋に恐ろしくて近づけなかった。

 ミカはドリームダイバーを含めたこれまでの経緯をすべてチームの皆に話した。はじめこそ、他人の夢に入るという現実離れした話に、誰もが信じられない様子であったが、自分たちが立っている地下階とJJの死が、これまで感じていた違和感を埋めるのには充分だった。
「警部補……、これからどうするんです」
 すべてを聞き終えて、フランクがゆっくりとミカに尋ねた。爆弾の在り処は、それをまたザックの夢に潜り探す気はあるのか、そう尋ねられた気がしてミカは答えに迷い黙り込んだ。しかし、ふたたび口を開いたフランクからはまったく別の言葉が発せられた。
「もうやめよう、ミカ」
 皆がフランクを驚いたように見たが、誰一人としてその意見を否定しようとはしなかった。
「奴は危険過ぎる、撤退しよう。あとは運を天に任すしかない」
 血眼になって爆弾を探し続けているニューヨーク市警の部隊に期待するしかない。それはミカの敗北を意味していた。
 天は、神は何もしてくれない。「お願い(プリーズ)神様(ロード)」と毎日祈り続けたというのに、神はマイケルを自分の元に返してくれなかったではないか。
「俺も……、俺もそう思います」
 エリオットが恐る恐る口を開いた。
「俺はJJから、警部補を部屋から出さないようにと言われました。◯時が過ぎるまで。JJの命令だったから、何か意味があるはずだと訳もわからず従いましたが、今ならわかる気がします」
 エリオットの言葉にミカは硬く目を閉じた。JJは理解していた。ザックが恐ろしい敵であり、ミカが心身共に限界を迎えていると。ザックは自分たちが思う以上に危険で、今のミカに勝ち目はないのだと。
 それなのに、ミカは執拗にザックの夢に潜り続け、ザックに取り込まれそうになったミカをJJは命を賭して救ってくれた。
 もし、自分が冷静に状況を見極めて深入りしなければ、JJが命を落とすこともなかったのかもしれないというのに。
「ミカー!」
 突然、静まり返っていたフロアに大きな声が響いた。それまでザックの心電図を表していたモニター一面に、明らかな怒りに顔を歪ませたカーター市長が写しだされていた。
 皆、その声に驚き、一斉にモニターを見た。女性スタッフの一人が慌てて市長からの電話を繋いだことを申し訳なさそうに伝えにくる。それを待つことができないほど、市長は怒り狂っていた。
「あなた、一体何をやってるの! いつになったら爆弾を探しだせるというの!」
 市長はヒステリックに喚き散らした。いつ爆弾が爆発するかという緊張下に疲弊しており、もう市長としての顔を取り繕う余裕がなくなっていた。
「そこらじゅうで警官が爆弾を探しているものだから、もうネットでは噂され始めてるわ。市民を抑えておくのも限界よ!」
 市長はミカの応えを待たず一方的に続ける。
「ただでさえボマー騒ぎで観光客の数は、がた落ちだというのに、死んだはずのボマーの爆弾が爆発してみなさい、パニックよ! 爆弾に怯えて誰もニューヨークになど寄り付かず、市民は家から出なくなるのよ。このままじゃあ、ニューヨークは破産よ! それが何を意味するかわかってるの? おしまいよ! あなたもわたしも!」
 市長は目を見開き、ミカを脅すように睨みつけた。
「市長選も近いというのに……」
 市長の口から自然と溢れた。怒りをコントロールするのが難しくなっていた。
「もたもたしてないで早く爆弾を見つけなさい! 多少の犠牲なら構わないわ、なんとしても爆発を止めるのよ!」
 多少の犠牲。その言葉に皆の視線は自然と処置台に横たわるJJに向けられた。
 ミカももう起きることのないJJを見つめた。犠牲ならもうすでに払ってしまった。この上なく大きな犠牲、掛け替えのない仲間、唯一の相棒の命を。
「そうじゃなければ……」
「黙って」
 市長の機関銃のような言葉をミカの声が遮った。市長は顔を強張らせて固まったまま、自分の耳にしたことが信じられないとでも言うようにミカを睨みつけていた。
「あなた、今、なんて?」
 市長は怒りに顔を歪ませた。それはニューヨークを代表する若々しい市長の顔ではなく、年相応の醜悪な老人の顔だった。
「黙りなさい! 今すぐに!」
 ミカはその大きく映しだされた市長の顔を睨みつけ、指を挿して怒鳴った。
「爆弾なら私が見つけだしてみせる。必ずね。でも、あなたのためなんかじゃない! ニューヨークのためよ! ここで暮らす人たち、みんなのためによ! 決してあなたのためなんかじゃないわ! わかったなら、その口を閉じて大人しくそこで待ってなさい!」
 ミカの怒声が止むと、フロアは沈黙に包まれた。市長は怒りに目を真っ赤に見開き、口は反論しようと動いているのに言葉は出ない。数秒、無言のままミカを睨み続けると、逃げるように通話を一方的に切った。
「警部補……」
 まだモニターを睨みつけ、怒りに肩で息をしているミカにパトリックが恐る恐る声をかける。
「あんた、まさか……」
 パトリックの問いにミカはゆっくりと振り返った。
「そう、みたいね」
 ミカは自嘲的に笑いながら言った。そして、それを止めることはもう誰にもできない、皆が理解していた。ミカはチームの全員を見回した。
「もう一度だけ、あいつの夢に潜ろうと思う。危険だけど、あいつの一番深いところまで潜る。そこであいつは私を待っている気がする。そう感じるの。秘密ばかりで、みんなを裏切るような真似をしておいて今さらと思われるかもしれないけど、私のことを信じて、待っていてほしい」
 皆、喜んで見送るという表情ではなかった。行くなと止めたいのに、理由が見つからない。そんな複雑な顔をしていた。
 無言でいるチームの面々を見て、ミカは一人で納得しようとしていた。
「あんたはいつだって滅茶苦茶だが、俺はあんたを疑ったことはない」
 そうして一人で死地へ赴こうとするミカを呼び止めるようにパトリックが口を開いた。
「俺たちはあんたの兵隊だ。あんたの命令なら必ず守る。だから、待ってるよ」
 パトリックは笑顔を作ってミカを安心させてやりたいのに、それができなかった。
「パット、ありがとう」
 ミカにはその不器用な優しさが十分過ぎるほど伝わっていた。正常な思考ではなかったとはいえ、チームの人間を疑ってしまったこともあった。ドリームダイバーに関して秘密がある後ろめたさもあり、チームの中では、どこか身の置き所がなかったが、それはミカの徒労であったと思えた。ようやくチームの中に溶け込めた、そう感じていた。
「ミカ」
 チームの間から、ゆっくりとドクがミカに近づく。その顔はとても悲しく、辛そうだった。
「すまない」
 ドクはそう言うと、目から涙が溢れた。
「君に頼るしかできない、私たちを許してほしい」
 ドクは俯き、悔しそうに泣きだした。

 ドクことクイン・クエイド博士は、このドリームダイバーでの仕事を愛していた。
 クイン・クエイドといえば、医師の世界で救命医として高名であったが、それ故に医療の現場に直接携わることは少なかった。半分引退したような名誉職を歴任するだけの退屈な日々。ニューヨーク市警嘱託医責任者の申し出を受けたのも、そんな現状から遠去かりたい一心だった。
 そこに突然、ドリームダイバーという現実離れしたプロジェクトの話が舞い込んでくる。まるで昔、心をときめかせたスパイ小説やSF映画のような話が。
 そして、そこでミカとJJに出会った。若くて有望、自分などは経験することのなかったスリリングな世界に生きているヒーローたち。自分は差し詰め、それをサポートするサブメンバー。しかし、ドクはそれでよかった。そのポジションがとても気に入っていた。
 そうしてミカやJJと任務をこなしていくうちに、仕事を超えた愛着を二人に抱くようになる。もし、自分が結婚していたのなら、娘と息子でもおかしくない年の二人。
 ドクは若い頃から、性に対し悩みがあった。性の対象がわからずに、魅力的な人物なら男女どちらとも付き合ってみたこともあったが、共通して性的興奮を感じなかった。それどころか、セックスのあとには決まって自分が酷く汚れてしまったような感覚がして、いつからかセックス自体を嫌悪するようになった。ドクは自分が性的欲求を感じない無性愛者、エイセクシャルであると自覚した。
 自然と恋愛を遠ざけるようなり、結婚と子供はとうに諦めていた。そこに現れたミカとJJ。二人の姿にドクは叶わなかった想いを投影させていた。

「許してくれ」
 泣き続けるドクにミカはそっと近づき、優しく抱きしめた。
「いいの、ドク」
 ミカの優しさと体温に、ドクは涙が止まらなくなってしまう。
「君を誇りに思う。ミカ、君を愛している」
「私も愛してるわ」
 ミカとドクは抱き合った。抱き合う二人にフランクは近づき、その上から二人を抱きしめた。パトリック、エリオットもそれに続き、皆でしばし抱き合った。

 ミカは処置服に着替え、処置台に横たわる。身体に電極を取り付けられている間、横を向き、眠り続けるザックを眺めた。ドクが優しい声色でミカに告げる。
「ミカ、これから君は、一気に彼のノンレム睡眠、夢の最深部まで潜ることになる。理解しているね」
「ええ」
 ミカは顔を正面に戻し、目をつむった。
「それでは、始めるよ。準備はいいかい」
 ドクの問いに、ミカは数回呼吸を繰り返してから答えた。
「始めて」
 そう告げた次の瞬間、ミカは頭に刺激を感じ、その身体は暗闇の中にぽっかりと浮いていた。まるで宇宙空間のような暗闇。
 そして、自分の身体が沈んでいくのがわかった。その速度が遅いか速いかはわからない。はじめこそ驚いたが、不思議と恐怖は感じなかった。むしろ心地良いくらいだ。
「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている。だっけ?」
 そんな言葉が頭に浮かんだ。
「あれ? 私なんでこんな言葉知ってるんだろう。ていうか、誰の言葉だっけ?」
 ミカの身体は暗闇の中を沈んでいった。それを示すモニターの曲線が、ザックの曲線に追いつこうとするように一気に下降していった。
 ◯時を目指して減り続ける時計は、いよいよ残り一時間を切る。タイムリミットまで五九分五九秒、五八、五七、五六……。
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