第4話 発端①

文字数 2,220文字

 ドリームダイバー。それはとある新進のゲームメーカーが手がけた装置の名前だった。
 もとは健康器具を扱うメーカーが、九〇パーセント以上の安眠が期待できるという装置を開発したことが始まりだった。その装置は使用者の睡眠周期を脳波から解析し、規則性に伴い睡眠を導入する微弱な電気を放出、起床もそれに習った行程で行われ、利用者に快適で質の良い睡眠を提供するというものだった。
 その電気は実験により、脳にまったく悪影響がないと証明され、社運をかけた装置は、いよいよ公の場で披露されるはずだった。しかし、その直前、ノウハウの一切は企業スパイにより盗みだされてしまった。
 それを企業スパイから入手したゲームメーカーは、そのノウハウを夢のコントロールに応用しようとした。ソフト不要で望んだ夢を好きなだけ見られる。場合によっては誰かとふたりで。
 映画やアニメーションの世界に入って冒険したり、綺麗な海に浮かぶ孤島を島ごと貸し切りバケーション。その気になれば、有名なハリウッド女優やパリのショーに出るスーパーモデルとの熱い一夜をすごせる。まさしく夢の機械だった。
 しかし、このゲームメーカーのトップには別の到達点があった。その莫大な利益を資本に高度なAIを開発。そのテクノロジーを活かした兵器を開発し、軍需産業への参入を目論んでいた。
 会社の運営や企業スパイへの報酬、ゲームメーカーのトップが抱える負債も少なくはない。彼は装置をいち早く市場に出す必要があった。その姿勢が問題を生むこととなる。

 まず、夢の依存を防止するために可動時間に制限を設けた。また、キーワードを設けることで、プレイヤーからも外部からも安全に強制終了することができた。理論上では確実に製品化は達成できるはずだった。
 しかし、最終実験段階で事故は起きた。わずか三十分足らずの使用で、精神異常を来たす者、昏睡に至る者が続発した。そして、遂にその昏睡患者のひとりが死亡した。
 広域対応局長スティーブ・スミスが親しくしていたある有力者の娘婿がその健康器具メーカーの幹部で、企業スパイに情報を盗まれた件でその有力者から内々に相談を受けていた。スミスが決め手となる証拠もなく攻めあぐねているところに、たまたまゲームメーカー側からの内部告発があった。死亡事故の発生により、身の危険を感じた社員によるものだった。
 ゲームメーカーへの捜査が始まると、スミスはコネを使い、間接的に主導権を取った。情報は秘密裏にスミスのもとへ取り返され、有力者の娘婿が勤める会社へ無事に戻った。「ゴッドスリープ」発売して間もなくベストセラー商品となる。
 死亡した社員とドリームダイバーとの因果関係は不明のまま病死と判定されたのだが、スミスは健康器具メーカーとの権利トラブルを懸念し、ゲームメーカーを若干脅した。自分があたかもそう落ち着けたという風に思わせ、その見返りに一方的な権利の放棄、会社の廃業、ドリームダイバーに関する資料の一切を提出するように約束させた。
 スミスは妻にだけ「マフィアのような仕事をしてしまった」とぼやいていた。回収した資料に目を通してみても何がなんだかさっぱりわからない。この記憶と資料はいずれ暖炉にくべられて燃えカスとなるはずだった。しかし、スミス本人もしばらくそのことを忘れてしまうくらい、急に周囲が騒がしくなった。
 警察官殺害映像配信事件。現場の警官たちの犯罪者に対する怒りは臨界点を超えた。軽犯罪者に対するリンチ事件という不祥事が続発し、その映像がSNSで世界に拡散され、警察は糾弾された。全世界の警察はこれまでにない緊張状態に立たされていた。

「馬鹿な!」
 ニューヨーク市警本部長ウィリアム・ブラウン。彼はアフリカ系アメリカ人でありながら、並々ならぬ努力でニューヨーク市警のトップに就任した不屈の男だった。
 スミスからはじめてドリームダイバーについて報告を受けた際、彼はまず一笑に付した。しかし、すぐに笑いを収めた。
「可能なのか?」
「専門家の話によれば、潜入するところまでは可能とのことです」
 ブラウンはそのまま無言で一分間考えた。
 病を科学で克服すると、新しい病が誕生する。まるで人知を超えた存在が人間を間引いているかのようだ。たとえば神。これは試練だ。このままでは警察というシステムが崩壊してしまう。そうなれば、残忍なシリアルキラーから女子供のように、か弱い者を誰が守るというのか。稀代の名将か、最悪の愚将か、どちらにしても歴史に名は残る。それなら構わないじゃないかとブラウンは小さく笑った。
 ブラウンはスミスに一言、「ゴーだ」と告げた。

 ニューヨーク市警ウィリアム・ブラウン本部長にドリームダイバーの全権を任されたスミスは速やかに、且つ慎重に人員を募った。
 凶悪犯罪を取り締まる新部署を設立する、選抜されたものはそのチームを率いる。また、昇進も望まれると一文を添えた。
 スミスが望んだ人材は、まず口が固いこと。これから人体実験にも似たテストを行わなければならないのだから、それが漏洩したら大スキャンダルとなりニューヨーク市警を骨幹から揺るがすことになりかねない。新部署を設立する予定はなかったが、この募集要項に率先して手を挙げるような野心のためなら口を塞ぐ者、ついでに優秀ならば有難いという程度のものだった。
 書類選考、面接を経て十人の候補生が残された。ミカはその中で唯一の女性職員であった。
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