第4話 発端②

文字数 4,908文字

 様々なテストが繰り返される中、やがて十人の中に不穏な空気な流れだした。学力、体力の試験ははじめの頃にこそあったものの、段々と忠誠心、忍耐力、心理テストなど、精神性を試されることが多くなっていったからだ。日に日に人数は減り、候補生は最終的に半数の五人まで精査された。
 その中の一人が、「最終試験は、殺し合いでもさせられるのかな」と自分たちの置かれた状況がまるでスリラー映画のようだと冗談めかした。事実、二週間近くも軟禁状態で、毎日延々と精神性を試され続けた。詳細は不問とされ、選抜者数は不定、適正者なしの場合もあると告げられていた。そのあとにどのような任務が待ち受けているかもわからない。候補生たちのストレスは限界に近かった。
 そして、ある日、五人は主任試験官より任務の説明を受ける。機械に繋がれ相手の夢に潜入すると。候補生たちは一様に唖然とした。任務は潜入捜査と予想していた者は多かったが、まさか、その潜入先が犯罪者の夢とは。そんな冗談のような任務のためにこれまで己を試され続けていたなんてと、候補生たちはどんなテストよりも、それを聞かされた時の方がこたえていた。

 夢とは本来、眠りの浅いレム睡眠の中、僅かな時間で見る電気信号のようなものだが、それをコントロールするためには、ドリームダイバーで見ることができる夢での体感時間と実時間の差異を把握する必要があった。
 まず、一人で一日五分間試し、夢の中での体感時間は実時間の三倍ということがわかった。これは候補生によって、ただひたすら数を数えるという作業を繰り返し、個人差こそあるものの、平均しておよそ三倍という答えが導きだされた。つまり、十分潜れば、夢の中に三十分滞在するということだった。
 五分潜ってみて、どの候補生にも異常は認められなかった。
 次の日は十分、その次の日は一五分と五分づつ伸ばしていき、二五分の日に一人の候補生が終了と同時に嘔吐した。事情を確認すると、実験開始初日から気が進まなかったが、落第するのが嫌で無理をしていたと答えた。どうやら装置には体質も関係があるようだった。そこで一人脱落した。
 残りの四人は三十分まで到達しても不調を訴えず、精密検査を行うも異常は見られなかった。
 そして、二人一組での実験が始まった。
 スミスも非公式にこの実験を見ていた。スミスたちにとってここからが本題であった。「複数人で長時間の使用」手にしている資料によると、事故が起こるとすればここからだった。それは深い眠り、脳が眠るとされるノンレム睡眠に近づくほど危険であると記されていた。ノンレム睡眠は、レム睡眠の頂上からおよそ四五分でその最深部に到達する。
 時間は十分間。二人一組で行い、毎日相手を変え同じ時間だけ行なった。
 実験結果として、ふたりとも特に異常がない、片方のみ異常を訴える、ふたりとも異常を訴えるの三つに分類された。十分間を全員全組み合せで終えた結果は全組み合せともに、ふたりとも特に異常がない、だった。
 その後、慎重に一分ずつ時間を延長していった。すると、徐々に実験終了後の候補生たちの反応に変化が出始めた。
 ふたりとも楽しそうだったり、ひとりだけ楽しそうだが相手は今ひとつ気分が乗らない状態であったり、ふたりとも疲弊していたり様々だった。候補生はその日の気分、体調、夜間の睡眠時間など細かく報告するように言われていたが、同じ相手でも同じ結果が得られるとは限らなかった。

「うわああああ!」
 一八分の実験を行なった日、ミカと一緒に夢に潜った候補生が錯乱状態になり、実験は終了となった。その候補生は精神異常にこそ陥らなかったが、それからしばらくのあいだ、鬱症状が認められた。その候補生ケヴィン・ノークスは、特にミカと仲良くしていた人物だった。
 ある日、延々と続く実験に鬱屈としたミカの姿を見ていたケヴィンから、ある「いたずら」の提案があった。
 実験は、事前にどのようなストーリーを共有するか試験官に伝えてから望まなければならなかった。例えば「戦場で敵を殺す」、「シリアルキラーを追う」といった予測不能な危険をはらんだストーリーは認められなかった。
 ケヴィンは「ブロードウェイにて、ふたりで観劇したい演目を決め、窓口でチケットを買う」という内容を提出したが、実際は一八分間、ふたりで遊園地を満喫するというストーリーを共有しようとミカを誘っていた。脳波をチェックされて、それがバレたとしても、「ストレスが溜まってたのか、思わぬ夢を見た」と言い訳するつもりだった。まだ選抜試験の最中であり、それが合否を左右するかもしれなかったが、長い試験期間と信頼関係がそれを麻痺させてしまっていた。

 ミカとケヴィンは遊園地の入り口で待ち合わせると、走って目の前のローラーコースターに飛び乗った。他の客や従業員もいたが、ふたりは同じ目的を共有していたので、待つという行為を省略できた。乗り物に乗ればすぐにそれは可動し、ピークを迎えたら違和感なく終了できた。ひとつの乗り物に対し一分ほどしか乗っていないにも関わらず充分に満足できた。乗り終えたら走って移動し、ふたりが想像する乗り物や出し物のほとんどを満喫した。
 ふたりは残りの時間をベンチに座り、ドリンクを飲んで過ごすと決めた。さっきまで忙しなく動き回っていたせいか、時間がとてもゆっくりに感じる。
「ミカ」
 ケヴィンが隣に座るミカに声をかけた。ミカはドリンクのストローから口を離し振り向く。
「友情の証に、キス……、しないか?」
 ケヴィンが照れ臭そうに訊いた。ミカはその表情が可愛くて「いいよ」とそれを受け入れた。
 ふたりは唇を重ねた。久しぶりの感触をふたりは楽しむ。顔を離すとお互い気恥ずかしくてはにかんだ。
 すると、ほぼふたり同時に違和感に気づいた。すべての乗り物が止まっている。客も従業員も忽然と姿を消し、今し方、雲一つない快晴だった空は厚い雲に覆われていた。すぐに雨が降りだし、その雨足の強さにふたりはたまらず目を細めた。
 すると、足元の排水溝から赤い液体が勢いよく溢れだし、ふたりのもとへと徐々に近づいてくる。
「一体、何が……」ケヴィンの声にミカが顔を上げると、衝撃に息が詰まった。
 ケヴィンの顔が血まみれになっている。ケヴィンも同様にミカを見ていた。手を広げると次々と血の雨が降り注ぎ、手の平が真っ赤に染まっていく。
「早く出よう!」
 顔を見合わせミカが言う。その頃には巨大な観覧車が大きな車輪のように、音もなくふたりに迫っていた。ふたりは同時にその方を向く。気づいた時には、観覧車はもう目の前まで迫っていた。
「まずい……」

 実験後に聴取を受け、ミカはそう説明した。ミカが咄嗟にケヴィンの手を掴み「ウィー、アウト」と脱出の合図を唱えたため二人は無事だった。ドリームダイバーを終了させるには、個人なら「アイム、アウト」、複数人ならばプレイヤー同士が手を繋ぎ「ウィー、アウト」と唱える必要があった。
 この事故に対してミカはかなり高圧的に事情聴取を受けることになる。事故の原因は異常のなかったミカにあると推測されたからだ。ミカ自身はケヴィンを傷つける気も、傷つけたという自覚もまったくなかった。
 事情聴取後、ミカはそれ以上責められることはなかった。無理な実験を強いていたのはニューヨーク市警であったし、夢はその程度の微小な要因で複雑に変化してしまう不安定なものだという結論が出てしまったからだ。
 この報告を受けたスミスは計画の中止を考えた。当初この計画を立案したのは、自分よりも序列が上の局長たちを出し抜くチャンスだと思えたからだ。しかし、このままでは自分の輝かしいキャリアを棒に振ってしまう。スミスはこの計画と心中するわけにはいかなかった。
 スミスはその旨をブラウン本部長に伝えるつもりだった。しかし、その前に実験が行われていた施設に、ブラウンとともにニューヨーク市長のクリステン・カーターが自ら訪れた。
 カーター市長はブラウン本部長から実験のすべての報告を受けていた。そして、その中で一番成果が期待できるのは女性職員のミカであるとも聞いていた。事実ミカが一番体調の変動が少なく、精神のタフさや、女性であるということも関係がありそうだったが、明確な結論など何ひとつない。しかし、カーター市長はその報告を受け、ミカに会うことを強く望んだ。

 スミスにうながされ、ミカは施設内にある会議室の席に着いた。室内にはカーター市長、ブラウン本部長、スミス局長、ミカの四人のみだった。
 まずスミスは事故のことを市長と本部長に簡潔に説明した。
 故意ではないにしろ、仲間を傷つけてしまい明らかに落ち込んだ様子のミカを市長はじっと見つめた。市長は六十歳を迎えようというのに、とても若々しく精力的だった。とても初老の女性とは思えないほど力強い瞳に、ミカは気圧されていた。
「あなた、ミス・ミカ・マイヤーズね」
「はい、マム」
 まさかテレビで見る有名なニューヨーク市長の口から自身の名前を聞くことになろうとは思いもよらなかった。
「マムなんていいわ。クリスと呼んで」
 市長は柔らかい微笑みをミカに向ける。ミカにしてみればあまりに恐れ多くて、市長をそんな風に呼べるわけもなかった。特に市警本部長と広域対策局長の前では。
「あなたはコロンビア大学を卒業後に入庁。アカデミーを首席で卒業してるそうね。大変素晴らしいわ。そして、刑事には一選抜で選ばれているわね?」
 手元に資料などはなく、ミカを見つめたまま市長が訊ねる。スミスは横目でそれを見ながら、「さすがだな」と感心した。
「はい」
 そんなはずもないのに、まるで市長が以前から自分を気にかけているように錯覚する。ミカはそれが恐ろしく、同時に嬉しかった。
「そして、今回のプロジェクトもチャンスと思って参加したのね?」
「はい」
 スミスは市長に「この計画は中止になりました」と伝えようかと迷ったが、それを飲み込み、もう少し状況を伺うことにした。
「わかるわ、わたしたちのような女が、男社会で存在を示していくには、わずかなチャンスも逃せないもの。あなたの経歴と今ここにいることが何を意味しているかわかる?」
「いいえ、わかりません」
 その答えを欲していたかのように、市長は口元に笑みを浮かべた。
「ミカ、あなたは飛び切り優秀ということよ。あなたはリーダーになるべき逸材なの」
 相手は政治家だ、何を言われても間に受けないようにしなければと思っているのに、ミカは高揚している自分に気づいた。「そして……」と一拍置いて市長は続けた。
「これは最大のチャンスよ。わたしが保証する。このふたりもよ」
 ミカはスミスの顔を見た。わずかに頷いているようにも見える。
「やれる?」
 カーター市長は、わざとパブリックイメージ通りの強いリーダーを演じてみせ、直球でミカを攻める。市長は動きを止めてミカの瞳をじっと見据えた。
「やれます!」
 もう引くことはできないとミカは思った。たまらなく恐ろしかったが、市長の言うとおり千載一遇のチャンスだった。そもそも、それを期待して試験に望んでいたのだから、ここで引いたらこれまでのすべてが無駄になってしまう。
「そう、さすがね。女性本部長も夢じゃなさそうだわ」
 カーター市長は満足そうに笑うと、何かの合図のようにブラウン本部長を見た。
「では、マイヤーズ巡査部長には最終試験に望んでもらう」
 スミスには寝耳に水の話だったが。これまでの会話の流れで、なんとなくそういう方向に進むだろうとは予測していた。
「最終試験とは?」
 この状況に翻弄されているミカの代わりにスミスが訊ねる。
「実戦投入する。明日」
「明日ですか? 相手は?」
 性急な展開に流石のスミスも動揺する。
「相手は、ギルバート・ギャレット」
 その名前を聞いた瞬間、部屋の温度が下がったような感覚をミカは覚えた。「狂った医者(マッドドクター)」ことギルバート・ギャレット。警察官殺害映像配信事件の犯人で元外科医の男。
 会議室の中で、カーター市長の瞳だけが変わらずに力強い輝きを放っていた。
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