第2話 覚醒②

文字数 3,489文字

 ニューヨーク。アメリカ合衆国が世界に誇るトップクラスの都市、通称『ビッグアップル』。
 一九九◯年代、麻薬クラックの流行により犯罪は増加傾向にあったが、九四年にルドルフ・ジュリアーニが市長に就任し、安全対策を改革。それが劇的に治安改善をもたらした。そして、近年、犯罪数はさらに減少傾向にあった。
 市街地の防犯カメラは増設され、その映像を解析する画期的な顔認証アルゴリズムが開発された。顔、服装から一度特定の人物を認証すると、すぐにデータベースと照合し身元を特定。身長、歩幅までを瞬時に分析し、死角においても解析された歩幅、歩行速度から行動を予測、乗り換えた可能性のある車両の追尾まで、自動でその人物を追跡できるシステムが構築された。完全ではなかったが、精度は極めて高かった。そのシステムは、悪魔を追いつめる悪魔、『ルシファー』と名づけられた。
 それに伴い、容易に酒場強盗や車泥棒はできなくなり、それを強行したとしても、多くの犯罪者はそれをもとにすぐ検挙された。目に見える形で軽犯罪は激減した。
 しかし、その影に隠れて重犯罪はより特殊化していった。連続殺人鬼・シリアルキラーたちはインターネット上でコミュニティを築き、情報を交換し、それを駆使して巧妙に監視の目をかいくぐり人を殺めていった。その異常性はベテラン刑事でさえ息を飲むほどの凄惨さであった。
 シリアルキラーたちはその特殊さゆえに、一部のネットサーファーたちから神格化され、支持される。
「警察は違反切符でも切り、芸術の邪魔をするな」ある人気ミュージシャンのシリアルキラーを擁護した発言が物議を醸したこともあった。そういった声の後押しもあり、信奉者たちは悪意をインターネットで世界中に拡散し、警察を攻撃した。
 警察は治安維持のために発達したはずの監視システムにより、自分たちの行動をも制限されることになる。またSNSの普及により常に監視、抑圧され、満足な捜査も取り調べも行えなくなっていた。それを逆手に取る狡猾なシリアルキラーたちに警察は嘲られ、捜査はいつも後手に回り、国や地域に勤める公安職員の命は軽んじられる暗黒の時代が訪れた。

 ある日、事件が起きる。
 ニューヨーク市警に、ようやく先輩たちから『ルーキー』とからかわれることから卒業できた巡査がいた。彼は若く、熱意に燃えていた。
 彼には大学時代から付き合っていた恋人がおり、彼女の妊娠を機に、数ヵ月後、結婚式を挙げる予定だった。誰もが羨む順風満帆な人生。

 巡査がパトカーで夜間の巡回をしている最中、突然の腹痛に駆られた相棒の先輩警官がトイレを探しに席を立った時だった。
 高架橋の下で赤い尾灯を灯し停車していた車に目が止まった。
 不審に思い、職務質問の必要があると感じたが、相棒が戻ってくる気配はない。巡査は苛立ちながらその赤い光を眺めていた。
 巡査は思い切ってパトカーのドアを開いた。この職業が危険と隣合わせであることは理解している。それでも、麻薬のディーラーなどを検挙できたなら、生まれてくる子供が誇らしく思える父親になれるだろうと。
 巡査は停車した車に近づき、窓をノックした。ゆっくりと下がる窓から、クラシック音楽が漏れてきた。モーツァルトの『レクイエム』、それとともに彫りの深いスキンヘッドの男の顔が現れた。
 巡査はこれまで幾度も職務質問の経験があった。制服姿の彼を見ると大抵の人間がまず驚き、警戒するか、焦りを見せるはずだったが、男はそのどれでもなかった。男は慈しむような瞳で巡査を見ると、優しく微笑む。
 巡査は瞬時にノックしたことを後悔した。これまで感じたことのないような恐怖に支配され、パトカーに目をやり相棒に助けを求めようとしたが、そこに相棒の姿はなく、叫ぼうにも、なぜか声が出なかった。
 同時に首元に鋭い痛みを感じていたが、それはすぐに治まった。巡査の首には注射器が刺さっていて、そのシリンジの中身はすでに押し込まれてしまっている。
 舌は自分の物ではないかのようにもつれ、両足は骨がそっくり抜き取られてしまったかのようにぐにゃりと曲がり、そのままアスファルトに背中を着いた。
 車内から流れるモーツァルトを背景に、男が車から降りて巡査を見下ろしていた。自由の効かない身体に反してはっきりとした視界の中、男は悪魔のように笑っていた。
 男は問題行動により免許を剥奪された元外科医だった。

 男は拉致した巡査の姿をリアルタイムでインターネットに配信するという暴挙にでた。なぜそうしたのかは一切語らないまま。
 そして男は、医療機具と麻酔を用いて生きたまま巡査を解体しだした。その一部始終が配信された四八分間、ニューヨーク市警は全署員体制で巡査の行方を捜索した。
 高架橋は防犯カメラの死角で、停車時間の長さから自動追尾することができない。頼みのルシファーの大きな弱点が露呈された瞬間だった。
 結局、犯人確保に至らず、興味本位で映像を見た人間が体調不良を訴えて救急搬送される騒ぎが世界中で起きた。
 巡査の妊娠中の妻は映像こそ見なかったが、暴露され続ける情報に遂には卒倒してしまう。お腹の子は無事だった。
 ニューヨーク市警が犯行現場に辿りついた時、すでに巡査の姿はなく、おびただしい量の血液と五○センチ四方の冷蔵に用いられる発泡スチロール製の箱が置かれているのみだった。その箱の蓋にはマジックで大きく「ぼくを食べて(イート・ミー)!」と書かれていた。

 後日、その元外科医はルシファーとニューヨーク市警の執念の地取り捜査により、ヨーロッパへ逃亡しようとしたところをケネディ国際空港で捕えられた。
 男は警察の取り調べで、他にも多くの殺人に関わっていることを示唆したが、証拠は見つからないまま投獄された。その被害者すべてが行方不明であった。男は遺棄されたままの被害者の所在を小出しに自供し、裁判を繰り返すことで、死刑の執行を永続的に引き伸ばそうとしていた。
 この一連の事件とニューヨーク市警の失態に激怒したニューヨーク市の女性市長、クリステン・カーターは市警本部長に対し、重犯罪の速やかな撲滅を強く求めた。記録にはないが、その犯人が著しく疑わしい場合は、秘密漏洩防止のため、報告は割愛してよいとの旨を伝えていた。暗に「正しければ、何をしても構わない」という命令であった。
 自己顕示欲の強いシリアルキラーには、尋問はあまり効果がなかった。高圧的に尋問すればするほど、シリアルキラーの承認欲求を満たすばかりだったからだ。とはいえ、拷問というような時代錯誤で非人道的な方法を取ることもできず、革新的な解決策が必要であった。
 市警本部長は隷下の幹部職員に「可及的速やかに(A.S.A.P.)」と添えて下命した。幹部たちが一様に頭を抱える中、凶悪犯罪やテロを管轄する広域対応局長から市警本部長のもとに、一本の電話が鳴った。
「雲を掴むような話かもしれませんが、非公表の『ドリームダイバー』というものが使えるかもしれません」
「ドリーム……? なんだ、それは?」
「容疑者の夢に潜入して、情報を奪取するのです。夢の中のことですので、記録は残りません」

「人質救出! 生存しています!」
 スタッフの一人が受話器を片手に叫んだ。その知らせにフロアは一気に歓喜の声で埋め尽くされる。ミカも両手で拳を握った。そこにいるスタッフ全員が立ち上がりミカに拍手を送る。ミカはドクに手を差し出し、ドクも笑顔でその手を握った。

 ニューヨーク市マンハッタンにあるカーネギーホール。かつてはニューヨーク・フィルハーモニックの本拠地であった音楽の殿堂は、ニューヨーク市警の制服を着た職員たちによる祝福の拍手に溢れていた。
 ミカとJJも同じように制服に身を包み、二人並んで直立している。職員たちは二人をその拍手で出迎えていた。
「お前を勝ち馬に選んで正解だったぜ」
 JJはまるで腹話術のようにミカにだけ聞こえる声でつぶやいた。ミカもつい顔を緩めてしまう。
「フンッ。まだまだ」
 ミカの言葉にJJは目を丸くし、吹きだすのをこらえる。
「ミカ・マイヤーズ警部補!」
 ミカは名前を呼ばれると颯爽と足を進めた。壇上に立つ市警本部長の目の前に立つ。
「貴官に、警察栄誉賞を授ける」
 濃紺のケースに入った銀色に輝く勲章、ニューヨーク市警最高位の勲章であった。それを市警本部長の手より受け取る。
「ありがとうございます! サー!」
 ミカはふたたび大きな拍手に包まれた。市警本部長と並んだ姿を目もくらむ無数のフラッシュが照らした。ミカは広報用の笑顔で顔を固め、白い景色を真っ直ぐ見据えた。
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