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文字数 1,298文字
「くれぐれもよろしくお願いします」
クレートの中のチワワは眠っているのか大人しかった。
女性は、私の手に渡ったクレートに顔を寄せて囁くように言った。
「お幸せに……」
1階にハイヤーを待たせてある。ここに来た時には、周辺に異常は感じられなかった。アキラくんは白Tシャツにデニムのワイドパンツ、黒ウサギ耳パーカーと相変わらずの自由なコーディネート。私は仕事に着ていくいつものソフトなパンツスーツにスニーカー。……走るかもしれないから。
1階へ下りるエレベーターの籠の中、点滅する階層表示を見ながらアキラくんが唐突に口を開いた。
「オレの格好、律子さんの趣味ですから」
「え?」
「いつも、チェックしてるでしょ」
あら、バレていたのか。アキラくんは両手をパーカーのポケットに突っ込んで、半分心ここにあらずな顔をしていた。緊張……してるのかな。私も、実はそうなんだけど。
でも、あれ? アキラくん、なんかいつもと纏っている香りが違う?
私の思考を遮るように突然携帯の着信音が響いた。アキラくんが、ポケットの中で握っていたらしいスマホを取り出す。画面を見て一瞬眉間に皺を寄せた。
「はい。アキラです」
相手の声を聞いているアキラくんの顔がだんだん真剣味を帯びて険しくなってくる。誰と話しているのかしら。アキラくんの顔を見つめていると、アキラくんの黒目がちの目がキョロッとこちらを向いた。
「ありがとうございます。ご連絡感謝します」
通話を切ったアキラくんは、口端を曲げて溜息を付いた。
「今の電話、柴田さんから。どういう経緯か知らないけど……ウララさん」
「はい……?」
エレベーターは1階に到着し、扉が開いた。虹彩認証が必要な自動ドアの向こうの、正面玄関の二枚の自動ドアを透かしてチラチラと外の光が点滅して……いる?
「相手にバレたっぽいです」
「え?」
私は改めてマンションの正面玄関を見た。外の光が点滅しているように見えたのは、大量のカラスが自動ドアの外を舞っていたからだった。慌ててポケットから無線機を取り出すと、アキラくんが首を振った。
「ワイヤレスは傍受されます」
え? じゃぁどうしたら……。私が唇を噛むと、アキラくんが訊いてきた。
「ハイヤーは?」
「マンション周囲をグルグルと走っているはずです」
「裏に回りましょう。地下駐車場の出口付近でハイヤーが巡回してくるのを待ちます」
アキラくんについていくと、何回かパッシブキーを使いながら地下駐車場に下りた。ここにはまだカラスが来ていないみたい。アキラくんはスマホが入っていたのとは反対側のポケットから手の平サイズのデバイスを取り出した。昔、親が使っていたのを見たことがあるPDA(Personal Digital Assistant )みたいな……。
アキラくんはしゃがみこんでそれを器用に膝の上に載せると、目にも止まらないキータッチで入力を始めた。
「攻撃は出来ませんが、バリアくらいにはなってくれるはずです」
「え?」
「ハトを、残りのハトを呼びます」