第7話 恋と無関心

文字数 1,793文字

 隣のユニットのトネリコさん。5年経っても馴染めない。怖い。孤高の人だ。他と交わらない。コデマリさん達が喋っていれば、
「うるさいッ!」
そのひとことの重み。テレビの前に立てば、
「見えないよッ!」
ひとことの怖いこと。
 おはようございます、と挨拶すれば、
「ごきげん、よう」
 5年経つと、ときどきはニコッとする。その笑顔の素敵なこと。ばあさんは口から出た。
「素敵ですね。トネリコさんの笑顔」
「そんなこと言われたことないよ」
「素敵ですよ。100万ドルの笑顔。もっと笑ってくださいよ」
無言。周りがしらけた。

 トネリコさんに異変が。最近入居して来たマンサクさん、男性、75歳。車椅子だがしっかりしている。髪もまあまあ、品のいいメガネ。まだまだ恋ができそうな……
 マンサクさんが車椅子を自走してくる。離れたテーブルに着くと、トネリコさんは手を振る。
「トネリコよ」
マンサクさんが気が付かないと2回3回。
「トネリコよ〜」
 男性の方は無関心だ。こちらは覇気がない。

「どうでもいいよ、なんでもいいよ、興味ないよ、早く死にたいよ、お迎え待ってるのッ!」

 もったいないと思う。
 振り返してあげて!

 仲良くなられても問題だ。新しく入った男性は杖を付いて歩く。歩けなくなると困るからと、食前食後廊下を散歩していた。ソファーに座り足を上げたりストイックな方だ。部屋でCDを聴く。ムードのあるサックスかなにか。
 カラオケのときにコデマリさんと気が合い、部屋にCDを聞きに来るよう誘った。ホイホイ訪れたが……しっかりした方だ。1度だけで行かなくなった。

 ハイテンションなのは隣のユニットのサカキさん。90歳を過ぎているのにすごい体力だ。車椅子で自走する。嬌声をあげながら。
「はぁーーん、はぁーーん」
4ユニットと廊下を何度も何度も。ドアは開けるが閉めないで行く。疲れると、よそのユニットで居眠りしている。サカキさんの走行距離は相当なものだ。腕の力も並ではない。

 ばあさんはサカキさんを風呂に入れる。気をつけないと……ばあさんが自分のズボンの裾を捲り上げた時に、バシッと腿を叩かれた。腕の力は並ではない。
「なにすんのよっ!」
つい、こちらも大声に。そうすれば、遊んでもらっていると思ってもっと手が出る。腕をつねる。手を口に持っていく。噛まれる前に振り払う。水をかけられる。メガネを壊されそうになる。

 コデマリさんはサカキさんをバカにする。
「困ったバーさんだね。ああはなりたくない」
言われてもサカキさんは耳が遠い。しかし雰囲気でわかるのだろう。よそのユニットに行く。

 うちのユニットのネコヤナギさんとカリンさんも意地悪をする。ネコヤナギさんは通れないように車椅子でふさぐ。
「まいにち、まいにち……なんかいも、なんかいも」
怒っても聞こえない。ときどきは足で蹴ろうとする。カリンさんは、
「あんた、自分とこへ帰んな」
サカキさんは聞こえないからうちのユニットで居眠りをする。
 サカキさんは風呂場も開ける。脱衣中にガラッと。騒ぎはしないが、しょうがないバーさんだね、とコデマリさんは触れ回る。
 この間は大変なことに。廊下の火災報知器を鳴らしてしまったのだ。押さないように椅子を置いて置くのだが、甘かったようだ。消防署に直結だ。アナウンスが流れる。延々と。そして消防車が……
 スタッフは誤報です、と説明してもコデマリさんは納得しない。あのバーさんよ、と数日蒸し返す。

 風呂の嫌いなヒイラギさん。拒否する。入れるのが大変だ。入ってしまえばいいのだが。だからヒイラギさんには、お風呂行きましょう、とは言ってはいけない。動きますよー、と車椅子を押す。
「なに、どこいくの?」
風呂場の暖簾を見て、
「なに? お風呂? いいよ。毎日うちで入ってるんだから」
「ヒイラギさん、腰痛いでしょ? 腰だけ温めましょ。もう用意してあるの。ヒイラギさんのために」
 以前は拒否で入れないことが多かった。最近は素直だ、というより歳をとった。95歳だ。
「ああ、大変だ」
それでも自分で服を脱ぐ。しっかり立ち上がる。この頃は、よく居眠りしている。口癖だ。
「今年ももう終わりだね、お世話なりました」

 トネリコさんが入院した。気にするのはコデマリさんくらいだ。
 マンサクさんに聞いた。
「トネリコさん、いないと寂しいでしょ?」
「……」
「いつも手を振ってくれたでしょ」
「ああ、トネちゃんか」









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登場人物紹介

私。ときどき、自分のことをばあさんと言う。介護施設で短時間働いている。職場で感じる不条理を綴る。決して口には出さないが。

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