第11話 そういうものに私はなりたい

文字数 1,456文字

 5歳の孫がところどころ暗唱していた。

 雨にも負けず風にも負けず……
 1日に玄米4合と……
 そういうものに私はなりたい

 幼稚園で教えるのだろうか? おもちゃで遊びながらブツブツと。
「そういうものに私はなりたい」

 ポプラさん。男性、86歳。8ヶ月ほど前に入居して来た。杖をついて歩いていた。亡くなったヤドリギさんは女性蔑視の方だった。耳が悪く大声を出さなければ聞こえなかった。補聴器は持っていても意味をなさない。水に漬けた。
 男性の割合は隣のユニットもうちのユニットも2割だ。バカヤローが口癖のネコヤナギさん、元お医者さまの、ほとんど話さないマサキさん。それでもたまに話す時は偉そうだ。見下した話し方をする。それに、ちょっと素敵なマンサクさん。この方でさえ大声で怒ることがある。男性の大声は苦手だ。

 ポプラさんはストイックな方だ。パーキンソン病で、歩けなくなるのを恐れていた。よく体操している。朝7時前に私が行くと、もう廊下を歩いていた。食事も久しぶりの常食の方だ。茶もコーヒーも熱くて大丈夫だ。ごはんに、おかずも刻まずに出せる。麺も食べられる。麺を食べるのは今では10人中ふたりだけだ。ひとりは麺を刻む。
 ポプラさんは楽な方だ。言われなくても食事の時間、お茶の時間にはやってくる。配るのは自分は最後でいいとおっしゃる。隣の席は、
「はやくしてくれよ。バカヤロー」
のネコヤナギさんだ。15も年上のポプラさんは紳士だ。ネコヤナギさんに話しかけては、バカヤローと言われるが懲りない。ユニット10人の名前を覚えている。職員の名も覚えている。

 オムツをするのは寝る時だけだ。入浴も見守りだけだ。手を貸す必要がない。服の用意も自分でされる。身体をゴシゴシ洗っている。すっくと立ち上がり浴槽をまたいで入り「いいお湯だー」といつもおっしゃる。
 以前に話したことを覚えている。
「旦那さん、秋田だったね」
車掌をしていたポプラさんはいろいろ話してくれる。
 部屋に洗濯物を届けたときに、CDを聞かせてくださった。
「次は、あきたー、あきたー」
車掌をやっていたときに聞いていたそうだ。各路線のアナウンスのCD、そんなものがあるんですね。

 家は駅に近い二世帯住宅。今なら相当な価値だろうが、当時は抽選で当たったそうだ。柿の木がある。その柿をお嫁さんがむいてカットして届けてくださる。ポプラさんは自分だけだから気にして部屋で食べたがるが、喉に詰まらせたりしたら怖いので、リビングで食べていただく。隣のネコヤナギさんにも分けてあげたいだろうが、彼は食事制限がある。

 この方の血圧は極端だ。低い。低過ぎてそのままでは入浴はできない。ベッドで寝て足を上げると血圧は上がる。はい、それでOKですか? 入浴タイムの血圧はどうなのだろう?
 高い方は深呼吸させて何度も測る。何度測っても高くて次の日に回す方もいらっしゃる。以前は低いくらいだったのに。
 モクレンさんがそうだった。高くなりだし、ある明け方、脳梗塞で病院に運ばれた。だから、血圧が高いと怖い。入浴中になにかあったら……それでなくとも、90過ぎた方が浴槽で目を閉じられると怖くなる。

 介助しているほうも歳をとる。そろそろ、限界かな? などと考える。5時間立ちっぱなしの休みなし。帰ってから、ごはんを食べるとウトウトしてしまう。以前は仕事の後、歩いて孫の子守りに行けたのに。今は疲れが残る、残ったまま週を越す。
 恐怖も感じる。90半ばのお年寄りを入浴させること。冬場の入浴中の死亡は多いと聞く……

 
 
 
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登場人物紹介

私。ときどき、自分のことをばあさんと言う。介護施設で短時間働いている。職場で感じる不条理を綴る。決して口には出さないが。

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