第19話 昨今の状況 3

文字数 2,001文字

 働いて5年が過ぎた。わめく人はいるが、皆おとなしくなってきた。さすがに90歳を過ぎると衰えてくる。居眠りが多くなる。95歳の憎まれっ子のホオズキさん。人一倍元気だった。人の粗を探し口に出し、嫌われていた。夜中に40回もナースコールを押し、職員を心身共に疲れさせていた。ホオズキさんのために、移動していった職員もいる。
「金払ってるんだから」が口癖だった。「上に言いつける……」も。

 最近まで朝食は8枚切りのパン1枚半を耳までペロリと平らげていたが、めっきり弱った。食が進まなくなった。尿が出ていない。むくんで、腹水もたまっている。トイレにも座らせられない。足浴していても反応がない。怖くなる。

 もう、無理して食べさせず、好きなものだけを食べていただく。家族にも連絡したようだ。
 今日も、ほとんど手をつけなかった。おなかは空かないのだろうか? 

 もうひとりの憎まれっ子は元気だ。91歳のコデマリさんは今週は入浴は1番目。満足そうだ。ふくよかな3段腹。まだまだ太っていきそうだ。立たせたら、お尻にトイレットペーパーが。気づかれないように流してやる。コデマリさんは、ひとりでトイレに行ける、それが自慢だ。まだまだしっかりしている。ホオズキさんのことを心配している。以前は隣の席でいろいろあったのに。コデマリさんの血圧を上げる原因だった人なのに。揉めるから席を離したのに。
 しかし、余計なことを話すとお咎めが。入居者の状態を話してはいけない。

 そういえば、大昔に聞いた話。女数人で温泉に行った。裸に自信のある女は注目を浴びたくて、わざとあとから入った。注目を浴びた。お尻にトイレットペーパーが……
 大昔に読んだ、姉が持っていた本。結婚準備の本だった。美容や儀式のことが載っていた。終わりのほうに、初めての夜のことが!
……50年前の本の内容。うろ覚えだが(うる(・・)覚えは間違い)

 直前にトイレには行かないように。
 旦那様に任せましょう。(なんて、全然関係ない話)

 今日は隣のユニットの配膳に行った。職員が、忙しいとひとりごとを言う。他所の施設から来たベテランさん。知識が豊富だ。おかずを分けながら、ブツブツ文句を言う。この間、認知症のおかあさんを亡くしたばかり。
 ばあさんのマンションの、隣の認知症の旦那のことを話した。娘さんがひとりで苦労している。夜中に大声でわめいている。まだ自転車に乗れるから、介護度は低いかと思ったら、頭の方が優先だとか。
 ついつい話をしていたら、トネリコさんに怒鳴られた。
「うるさいっ!」
席が変わり(よく変わる)配膳台のすぐそばの席になっていた。
「ごめんなさい。うるさかったですね。勘弁してくださーい」
相変わらず……迫力ある人だ。トネリコさんは入居者が咳をしていても怒る。人と交わらない。どんな生き方をしてきたのか? マンサクさんには気があるようだが。

 リンドウさんも90歳を過ぎた。入ってきた時は杖を付いて歩いていた。しっかりしていた方だったので、配膳のお手伝いをさせた。立っておかずを分けていた。手際がよく助かっていた。しかし転倒して車椅子になりすっかり弱ってしまった。
 以前はカリンさんにもヒイラギさんにもモクレンさんにも、テーブルの上でおかずを分けさせた。時間はかかるが、本来ユニットはそうやって、できる方にはやらせるところだ。忙し過ぎて、職員がやった方が速いからやらなくなってしまったが。

 リンドウさんには心臓の持病がある。毎月70歳を過ぎた娘さんが電車を乗り継ぎ、介護タクシーを使ってかかりつけ医に連れて行く。予約してある大病院なので天気の悪い日でも。
 かかりつけ医のある方、持病のある方はインフルエンザの注射もそっちでやらねばならない。頭痛薬さえ出してもらえない。リンドウさんは嘆く。
 この頃は、血圧計で脈が測れない。120とか出てしまう。入浴させられる数字ではない。不整脈だから指で数えろと言われた。ばあさんはスイミングスクールに通っていた頃は、自分で10秒間脈を数えた。それさえあやふやだったのに。
 30秒数える。速い。速い。そのうち、拾えない……集中する。私は医女チャングム……無理。倍にしたら90くらいかな? たぶん。
 では短浴で……怖いです。

 ストイックなポプラさんはパーキンソン病で、歩行を禁止された。ひとりで手すりに捕まり歩いていたが危険だから、と。歩けなくなることを恐れていた。日に何度も体操していた。
 食事にもスプーンが出される。物が二重に見えて箸では掴めなくなった。よだれも出る……と嘆いていた。
 病気に気づいたのは数年前。信号待ちをしていたらいきなり倒れた。自転車でよく行った公園を真っ直ぐに漕げなくなり、池に突っ込んだ。
 調べたら、真面目で几帳面な方がなりやすい、とか。その通りだ。ポプラさんほど真面目で几帳面で、思いやりのある方は今までいなかった。






 
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登場人物紹介

私。ときどき、自分のことをばあさんと言う。介護施設で短時間働いている。職場で感じる不条理を綴る。決して口には出さないが。

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