第49話 痩せていく

文字数 2,079文字

 先日、アズサさんがベットから転落した。着替える時に座らせて、服が届かず、ちょっと離れた隙に、顔面から床に落ちた……

 私は直後は会っていなかった。 
 娘が2度目のコロナに罹り、接触していた私は休んでいた。
 久しぶりにユニットに行ったら……

 アズサさんの顔が……痛々しい、というより、怖い。
 痩せて肉の落ちた顔。眉の上は、紅く太いアイブローを塗ったよう。その上にクロのブロー。
 目の周りは赤い太い輪。特に左目の周りが凄まじい。
 それでも少しは引いたという。

 これは、家族に電話しただろう。家族はどうしただろう? 心配して見に来ないか?
 もう亡くなったけど、ツルマサキさんだったら大変だ。息子に何を言われるか……
 オープン当初、ツルマサキさんはよく立ち上がって、私がシーツ交換で部屋に入ったら、トイレで尻餅をついていた。
 リーダーに知らせたら、
「ああ、終わった」
と、思ったそうだ。
 だからといって、拘束するわけにはいかない。だいたい施設の車椅子にはベルトがついていない。

 以前、あの、うるさいコデマリさんは家族が美容院に連れて行った。歩道を車椅子を押していく。段差が多い。
 勢い余って、コデマリさんは車椅子から落っこちた……

 あれ、職員がやらかしていたら大変だっただろう。家族だから、コデマリさんもなにも言えない。

 注意しないと!
 注意しないと!
 注意しないと!

 8年前、入って4ヶ月経ったころ、パートは皆辞めてしまい私だけが残った。
 あの頃は今より人手がなかった。職員が、合間を見てシーツ交換もしていた。
 資格のない私は、最初は周辺業務。
 早番の職員は離床させていく。
 今は、職員が早く来て動いているが、当初は時間になるまで始めなかった。だから、配膳、食事はずっと遅くなった。
 その頃、副菜はまな板と包丁で丁寧に刻んでいた。今は器の中でハサミで刻んでいる。見た目が良くないのだが、速いのだ。
 キッチンから、入居者全員は見渡せない。私が刻んでいると、ネコヤナギさんが大声を出した。
「アブナイヨ」
 見ると車椅子の女性が立ち上がって、壁に突進して後ろに倒れた。止める間もない。
 慌てて職員を呼んだ。

 この方が立ち上がるなんて思いもしなかった。
「おねえさん、おしっこ」
 以外の言葉は聞いたこともない。
 
 そういえば、その朝は出勤した時からハイテンションだった。薬の処方を変えたばかりだったようだ。精神薬は難しい。
 その方は骨折し入院した。


 隣のユニットに新しい方が入ってきた。男性だ。車椅子を自走する。
 今では自分で移動できる方が少なくなってしまった。
 男性は馴染まない方が多い。マンサクさんは、リビングに出てこなくなってしまった。
 部屋に食事を持って行くと元気そうだ。このばあさんとは冗談を言うのに。
 以前、私が入浴させたことなど、忘れているのだろうか?
 脚本家になりたいと言っていた方だ。石川達三の本を娘に捨てられた、と怒っていたが、そんなことも忘れてしまったか?
「元気ですか? マンサクさん……元気じゃないよ」
 と、私が答えてやる。
「みんなが、マンサクさんの顔、見たがってますよ」
「誰が? だよ」
 まだ70歳半ばのはず。離婚してお子さんふたりを育ててきた。子どもたちは、かあちゃんについて行かなかったらしい。
 入浴介助をしていたときにいろいろ話してくれた。
 実は、この方の話をヒントにして『幻の私』を書きましたの。

 新しく入居した男性ノバラさんは、見た目はしっかりしているが、嚥下が難しい。食事形態も、粥にとろみをつける。
 粥にとろみをつける方は初めてだ。副菜はソフト食。ゼリーのようなもの。水分もゼリー。
 気難しそうな雰囲気。食事が終わり薬を飲むとすぐに自走して自室に戻る。
 私はこの方のシーツ交換担当になっていた。仕事は7時から9時まで。2ユニットの配膳が終わったらすぐにシーツ交換に入らなければ、ノバラさんは食事を終わって戻ってきてしまう。待たせてしまう。待たせるけど。
 なぜ、イメージして担当を決めてくれないのか?

 隣のユニットは10人のうち、4人がソフト食になってしまった。ほとんど寝ている人を起こして座らせ食べさせる。薬も飲ませなければならない。介助者は大抵ひとりだ。

 今日はゲッケイジュさんが熱発し、居室対応。介助には時間がかかる。ひとりの早番でどうしろと?

 うちのユニットは、なるべく自分で食べさせる。職員が大変にならないように。
 しかし、アズサさんは口まで届かないことが多くなった。スプーンを持つが、ほとんどがビニールのエプロンに落ちている。エプロンの上で大洪水。麦茶と粥と副菜が入り混じる。
 最後はそれをこぼさないようにシンクまで持ってきて洗う。
 栄養は取れているのか? 足りているのか?
 ネムノキさんも、そんなだから体重が落ち、粥の量を増やされた。

 
 父が入っていた施設では、大きなドーナッツ型のテーブルの中に数人介助者が座り、周りに大勢の入居者が座っていた。そのときは、機械的でいい感じはしなかったが、介護する側にすれば合理的なのだろう。
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登場人物紹介

私。ときどき、自分のことをばあさんと言う。介護施設で短時間働いている。職場で感じる不条理を綴る。決して口には出さないが。

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