第3話 お迎え

文字数 1,714文字

 少女マンガの素敵なセリフ。 
「私だけを一生涯愛しぬくと誓うか?」
「千の誓いがいるのか? 万の誓いがほしいのか?」

 (一生涯が長すぎて…………)

 男性職員泣かせのカリンさん。慣れてくれるまでに時間がかかる。スキンヘッドのMさんはかわいそうだった。トイレで怒鳴られ靴を振り上げられた。それでも慣れてもらわなければ困る。高校を卒業してバイトで入ったO君はカリンさんの洗礼を受けずに済んだ。まだ少年だった。ピュアだった。できるのか? この子が? 仕事はさておき、O君は入居者にかわいがられた。偏屈なミモザさんまで、自分の甥と思い込み、坊や、坊や、と呼んだ。90歳過ぎた女性蔑視の男性には、若旦那と呼ばれた。
 仕事は……、徐々に覚えていけばいい。が、遅刻はダメだ。ダメな遅刻をひと月に3回した。夜更かしに慣れている若い子が、朝7時前に来ていなければならない。皆、この子は続かないだろうと思った。教えていた若いリーダーはイライラしていたが、
「育てなきゃ、ね」
ばあさんの言葉をどう受け取っただろうか? そのリーダーは今はいない。

 見込み違い、嬉しい見込み違い。正社員になり、半年するとO君は独り立ちした。他の人より少し時間がかかったが、見事にばあさんの期待を裏切ってくれた。ばあさんは、O君が声を荒げるのを聞いたことがない。O君はユニットに馴染んでいた。
 高校を卒業したばかりの男子が高齢とはいえ、女性の排泄介助をするのだ。陰部洗浄もするのだ。逆もあるが。うら若き乙女が……。便秘が続けばマッサージをして出してあげる。恐れ入る。

 カリンさんのご主人が亡くなった。コロナ禍で面会もできなかった。それまでは毎日会いに来ていた。ご主人も相当なお年だろう。カリンさんの車椅子を補助車にして歩いてきた。寒い日も酷暑の日でも。歩いてたどり着けば疲れて奥様のベッドで横になる。奥様より先には逝けない、とおっしゃっていたのに。
 カリンさんはもはや旦那様だとは思っていない。
「かわいそうなおじいさんに部屋を貸してるの」
 長寿は残酷だ。共に生きた連れ合いを看取ることもできず、知らされもせず。なお生きる。妄想が悩ます。泥棒が全部持っていった。焼夷弾が足に刺さった。頭に塩酸をかけられた……。
 同じユニットの男性を旦那様と思い込み怒られる。部屋に入ろうとして怒鳴られる。バカヤロー、と。
 負けてはいない。100歳近いが口は達者だ。
「バカって言ったほうがバカなんだ」
おっしゃるとおり。
 この方は適当に誤魔化せない。じっと目を覗き込んでくる。話を聞くと泣く。
「世話になるばかりで何もできない」
声を出して泣く。感情失禁。寝ない。寝てくれない。廊下のずっと向こうに踏ん張り、てこでも動かない。死んでもいいの! と叫ぶ。
 カリンさん次第だ。その日の仕事がたいへんかどうかは。朝、出勤すると廊下に出ている。
「警察署、行かなきゃ」
「学校、行かなきゃ」
「おかあさんが、死にそうなの」
 四六時中トイレへ行く。忙しい時にトイレに行く。出やしないのに。お年なのに自分で車椅子から移動しようとする。何度も尻餅をついている。だからトイレは苦心して工夫して、ナースコールが鳴るようにしてある。が、それをはずしてしまう。
 パートが休みの日、職員は10人をひとりでみているのだ。夜勤は20人を。なにかあっても、時の不運……、では済まないが。

 時々、『保護されるべきものではない』と思ってしまう。不謹慎だが、口には出さないが。
「カリンさん、どうしましたか?」
O君は優しい。なぜ、いやな顔をしない? O君がここに来てから2年、担当だったリーダーは辞めた。助言してくれていたMさんも、次のリーダーも辞めていった。Uさんも今月いっぱい。
 残ったのはこのばあさんだけだ。このばあさんは疑問に思う。
 カリンさんたちに、年間どれほどの介護保険が使われるのだろう? ばあさんのパートの収入よりもはるかに多い。O君の年収よりもね。莫大な金額が使われていく。それを何年? すでに5年。さらに……
「お迎えが来ない」
と嘆く。私も共に祈ろう。はやく迎えに来てあげて、と。決して口には出さないが。

 一生涯が長すぎて……。
 
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登場人物紹介

私。ときどき、自分のことをばあさんと言う。介護施設で短時間働いている。職場で感じる不条理を綴る。決して口には出さないが。

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