第44話 ネコヤナギさん

文字数 1,976文字

 付けた仮名はネコヤナギさん。男性。
 7年前、施設がオープンし、ユニットに配属された時からいた方だ。まだ60代だった。30代で脳梗塞になり右半身麻痺。
 体格は良く、言葉は不明瞭だが乱暴で怖かった。10人の入居者の中で男性はふたり。ネコヤナギさんが1番若く元気でうるさかった。
 左手でスプーンで、ごはんに刻み食。食べるのが速かった。歯がほとんどない。ほとんど丸呑み。飲み物も今では水分制限されているが、コーヒー等、相当量飲んでいた。
「コオヒイ」
「おちゃくれっ」と叫ぶ。
 しかし、糖尿の数値が上がり、今では1日千ミリリットルに。状態によっては1回百ミリリットルに減らされる。
 熱い茶を欲しがった。
「あつくしてくれえ」
と念を押す。ほとんど無視されるが。
 私は電子レンジで温めていたが……
 最近はこぼすのでやけどするから温めない。

 少し前までは丈夫だった.風邪を引いた時に、
「よかったね、バカじゃなくて」
 なんて、冗談を言えたくらい。
 7年の付き合いだ。短時間パートとはいえ情が湧く。ネコヤナギさんも私がいるときはわがままになるらしい。
 それがいけないのだ。最近では、甘やかすから職員が大変になる……
 そんな雰囲気。

 ネコヤナギさんも人を見る。厳しい職員にはおとなしい。以前はずっとリビングでテレビを見て我が物顔に振る舞っていたが、
「あなただけのテレビじゃないんです。自室で見てください」
と言われ、食事以外は自室に篭る。

 かなり弱った。私が腰痛で休んでいる間に2回誤嚥性肺炎で入院した。戻るたびに痩せて弱り、食事形態がソフト食に変わり、食べるのが遅くなった。
 ソフト食はツルツルしてスプーンから落ちやすい。1番に食べ終わっていた方が、最後になった。
 食べ終わったあとはエプロンや床にこぼれている。無視できないくらいの量だ。

 モクレンさん(女性)は、ソフト食を半分と高栄養の飲み物を左手で食べさせる。脳梗塞になり、ほとんど喋らない。
 もう、食欲などないのか、スプーンを持たせてもひとくちで、手は膝の上に。その手に、またスプーンを持たせる。その繰り返し。
 時間はかかるし、半分はこぼれているのでは? 
 そのまま片付けたら栄養不足では? 
 エプロンを洗うと残菜がたくさん。

 厳しい職員がリーダーに話していた。介助すれば、職員が大変になるんです……
 1対10なのだ。夜勤は1対20。夜中救急搬送などがあれば、ひとりはついていくので、1対40。
 この職員は30分以上前に出勤している。終わらないからと。仕事は速いが雑で、怖い人、冷たい人、と思っていたのだ。

 が、不思議なことに、この職員だと、モクレンさんはずっとスプーンを持って食べているのだ。手を引っ込めない。意思の疎通などできないと思っていたが。
 
 ネコヤナギさんは以前は車椅子で自走していた。太り、糖尿の数値も良くないので、コーヒーに砂糖は禁止。パルスイートも禁止。
 運動のため廊下にも出て日に何度も往復していた。そのたびに頑張れ! と声かけしていたが、今ではリビングのテーブルと自室はすぐ後ろだから、わずか4、5メートルしか動かない。居眠りが多くなった。ヨダレが……
 話し相手はいない。

 ポプラさんは男性で85歳を過ぎているが、相手に気を使う方だ。入居してきたときはネコヤナギさんの隣の席で、いろいろ話しかけたりしていた。ネコヤナギさんは、バカヤローが口癖で横柄に返していた。
 私が2ヶ月ぶりに仕事に戻ると、ふたりの席は別々でネコヤナギさんは大きなテーブルにひとりで座らされていた。
 ポプラさんは新しく入居した女性の隣。おふたりともきちんとしている。
 ポプラさんは相変わらずストイックで、廊下で体操している。これは転ばれたら怖いのでやめてほしいのだが。

 ネコヤナギさんは本当は優しいのだ。このばあさんとは長い付き合い。
 以前はよくティッシュをくれた。ご自分のものはティッシュとインスタントコーヒーくらい。
 私が、誕生日なのよ、と言うと、差し入れのインスタントコーヒーをくれたことがある。もらえはしなかったが。
 ティッシュを気に入った入居者にも配ってきた。車椅子で自走し、ほらっ、と差し出す。受け取る方も手を伸ばす。
 そんなことも、コロナ禍で禁止された。
「感染症が流行っているんです。あげないでください!」と。

 面会も月に1度は数人で訪れていた。垢抜けた妹さんとおにいさんたち。
 ショートステイの人と、オセロをしたり、ボランティアの人が将棋を教えにくると楽しんでいた。それが、この3年は皆無だ。入居者にとっては長くひどい年月だ。
 介護現場では、まだまだマスクははずせない。それも不織布でなければならない。通勤時も。
 飲み会、旅行も……どうなのだろう?

 実際、コロナで入院した数人は戻らなかった。詳細はわからないが。
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登場人物紹介

私。ときどき、自分のことをばあさんと言う。介護施設で短時間働いている。職場で感じる不条理を綴る。決して口には出さないが。

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