第2話 スカトロジー

文字数 2,438文字

 スカトロってなに?
 20代か30代、結婚して子供もいたけど無知な私。パソコンはなかった。
 40代、ブティックで一緒に働いていた女性から漂ってきたにおいが、父のにおいに似ていた。まさか? 介護している父のにおいが鼻についているせいだ。
 帰ってから調べた。パソコンは恥ずかしいことでも調べられる。
 同様の意見はあった。香水なのか? 香水には○○○に含まれる成分のスカトールが使用されている。香水には○○○の成分を微量入れるんだ。嘘嘘。


 入ったばかりの、専門の学校を出た女性が、においに耐えられず1日で辞めたそうだ。
 隣のユニットの若いお嬢さんは慌てて洗面台に走った。
「アーン、唾が付いた」
 このお嬢さんも辞めていった。
 
 ばあさんは最初、周辺業務で入った。朝、7時から10時までの3時間。それを週3日。配膳、片付け、洗濯、掃除、シーツ交換。フロアの見守り。
 朝食のあと、順番に排泄介助をする。早番の職員さんがひとりで10人を。私はその間見守る。なにもできないが。
「おねえさん、うん○」
男性は叫んだ。私には無理だ。
 職員はひとりの部屋に入ったきりだ。この間も、別の女性に
「おねえさん、オシッコ」
と言われ、伝えにいったが、
「次の次の次です」
と言われ無視した。車椅子の女性をどうすることもできなかった。今回の男性は歩ける。支えれば。
「おねえさん。もっちゃう」

 この方が豹変した。こんなばあさんを手招きした。そばへ行くと卑猥な言葉。手を取り持っていこうとする。若いお嬢さんは、いやだろうな。
 入浴介助していた女性はキッパリ言った。
「そういう仕事ではありません」
 この方には、お嬢さんと親戚が4人でよく面会にいらした。私は茶を出した。言わなくていいことは言わない。知らされたら辛いだろう。長寿は残酷だ。

 クスノキさんがトイレを汚した。杖をついて自分でトイレへ行けるが、90歳を過ぎている。この方は食事を摂らない。食べるのは息子さんが買ってくるコーヒー牛乳と甘い煎餅。食べたい時間に部屋から出てきて杖で床を叩く。
 私はコーヒー牛乳と煎餅を2枚出す。食べると杖をついて部屋に戻りベッドに横になる。朝食のパンはジャムをたくさん塗ると、ほんの少し召しあがるときもあった。おかずと味噌汁は手をつけない。それでいて悪いところはなかった。
 入居者はほとんど便秘だ。2日、3日、4日、はい、薬をなん滴。はい、浣腸……。
 そのときのトイレはホラー映画のようだった。職員はクスノキさんの着替えを。私はトイレ掃除を頼まれた。床と壁の3面に散らばっている……。どうすればこんな惨状になるのだ? ホラー映画のようなトイレの汚れは恐ろしい血ではないが。
 時間をかけて掃除をした。最低賃金より少しばかり高い時給。この労働の対価は?

 介護現場は過酷だ。じきに私は勤務時間を増やした。施設では資格がなくても身体介護ができる。私は周辺業務から介護職になった。
 当時私が排泄介助、入浴介助していたのは立位が取れる人たちだった。その方たちもやがて進行しリフト浴に。亡くなった方も少なくない。
 明るくて褒め上手な方がいた。仕事なのに、その方の介助は楽しかった。私のことを褒めた。
「ピンクが似合うね」
「足がきれいだね」
 入浴の時は短パンにTシャツ。そんなばあさんを褒めてくれる。
「若い、若い」
(あなたに比べればね)
 ここに勤めて最初に教わったサイボーズの見方、iPadの記録の仕方。教えてくれた40代の男性は私の方を1度も見なかった。一緒に教わった若い女性の方ばかり見ていた。ばあさんは空気か? ばあさんは怒りはしない。そんなものだと思っていたが……。
 夫には言った。そういうときは、ばあさんの方も向いて話さなきゃダメだよ、と。ばあさんはおだてればいくらでも働く。
 入居者は私のことを『おねえさん』と呼ぶ。ときには『お嬢さん』

 70歳前で半身不随のネコヤナギさん。言葉は不明瞭だが明るい。朝食後のトイレが間に合わなかった。わからなかった私は普段通り下着を下ろした。まだ、教わったばかり、不慣れな私のズボンに大きなそれが転がり、靴の上に落下した。
 前述の若い娘とは違う。ばあさんは平静を装い、靴の上のそれを始末した。
「ごめんね、慣れてなくて。すぐきれいにするからね」
 本来は敬語を使わなければならないのだが、ばあさんはつい出てしまうのだ。
「しょうもねえ」
そんな言葉をネコヤナギさんは言った。この方の言葉で理解できるのは、『バカヤロー、どいつもこいつも、そんなもんだ』
 長い時間をかけきれいにし、着替えをさせ、ようやく私は自分のズボンと靴を履き替えた。次回からは要領よくやらなければ。

 ヒイラギさんのシーツ交換に入ったとき、においがした。窓を全開して作業したが、数十分後まだ臭気が。ヒイラギさんはタンスの中に使用済みのパットを入れる。探したが見当たらなかった。私は布の袋を確認した。この方はいつも帰り支度をしている。袋の中には何着かの服、靴下、その下にビニール袋が。開けて、それを広げて私は廊下に走った。マスクをしていたが、なお時間の経ったその臭気はすさまじかった。
「どうしたんですか?」
O君が聞いた。

 入浴介助のときに、湯船の中で出してしまう方もいる。私は一般浴担当なので滅多にない。1度だけあった。湯船の中で2回、3回。本人は気持ちよさそうだが、その方は浴槽から出るのが大変なのだ。私が湯船の中に片足を入れないと支えられないときも……。
 隣のリフト浴ではよくあることだ。臭気が漂ってくる。そのたびに浴槽を洗い湯を入れ替える。大変だと思う。隣の担当もパート職員。資格はあるが時給はたいして変わらない。

 そんな話をすると娘は怒る。
「おかあさん、その話ばかりだよ」
 この娘は、将来介助してくれるだろうか? 飼っている犬や孫の排泄のあとは神経質なくらいきれいにしているが、果たしてやってくれるだろうか? いや、そうなる前には逝きたいものだ。
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登場人物紹介

私。ときどき、自分のことをばあさんと言う。介護施設で短時間働いている。職場で感じる不条理を綴る。決して口には出さないが。

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