第25話 昨今の状況 5

文字数 2,145文字

 今月から勤務時間を減らした。6年前に入った時と同じ、朝7時から10時までの3時間を週に3日。
 
 隣のユニットに新しい入居者が入った。カイドウさん。92歳の女性。杖をついているが、ほとんど自分でできる。上品そうな方だ。スカートを穿いている。バッグを持ち、ネックレスをしてリビングに出てくる。
 亡くなったホオズキさんが、ナースコールを何度も鳴らす方だったので、手がかからなく楽だという。ご自分の湯呑み茶碗、箸をお持ちだ。箸の向きを間違えた職員は注意された。

 隣のユニットはしょっちゅう席が変わる。原因はコデマリさんだ。彼女が人の悪口を言えないようにする。悪口を言う相手と離す。今度の席はテレビが見えない、と怒っていた。足浴のときに鬱憤をぶちまけられた。
 コデマリさんはA職員とよく衝突する。コデマリさんは悪口が好きだから叱られる。悪口は、やめてください、と。叱られても治らない。新しく入ったカイドウさんとは同じ年だ。最初は褒めていたがやはり悪口を……

 イチイさんみたいにきらわれて、リビングに出てこなくなったりしないように。

 今日はマンサクさんの入浴介助があった。本来なら日曜日は入浴しない日なのに、午後も予定が入っていた。6年前よりパートは3人増えたのに、なぜ回らない? 
 前のリーダーのときは3時間勤務で入浴があると、恐縮してお願いされたものだが、今は当たり前のようだ。2ユニットの配膳、洗い物、片付け、シーツ交換、足浴、入浴。その後は浴室の掃除、片付け、記録…… できるならやってみろ。
 次亜塩素酸のスプレーは無視する。30分後に洗い流せないから。

 今朝はマンサクさんがA職員と揉めていた。携帯電話が見当たらず機嫌が悪かった。マンサクさんはことあるごとに娘に電話をし、愚痴を言う。こんなところにいたくない、と。
 薬を飲みたくないと言ったことから小競り合いに。Aさんも、もう少し柔らかくなればいいのに、どんどん事を大きくする。
「お医者さんに飲ませるように言われてるんです。飲んでもらわないと困るんです」
 あーあ。まるで北風さん。仕事はできる人なのに。マンサクさんの機嫌はますます悪くなる。バイタルを測りに行くと、
「なにもしたくない。オレはもう死んでるんだ……」
「お風呂ですよ」
「いやだ、なにもしない」
 早く入ってくれないと、もたもたしている時間はないのだ。あやしおだてる。媚びへつらう。
「パーマかけたの。かわいいでしょ?」

 なんとか誤魔化し風呂に入れる。「あーあ」と大きなため息を何度つくだろう? 鬱なのか? そういう薬を与えられないのか?
「死にたいの? 死ぬの怖くないの?」
怖くないそうだ。まだ80歳前なのに。
 それでも、湯に浸かれば気持ちよさそうだ。長湯だ。血圧は正常なのでゆっくり浸らせる。他所から来た職員は言う。入浴は流れ作業だと。

 新しいパートが休みがちだ。保育園児の子供がいるから大変なのだ。ばあさんも孫が1歳前から保育園に入っていたので、よく子守にいった。熱が37、5度以上あれば帰される。よく迎えに行った。タクシーを呼び保育園に行き、孫を乗せて家まで。タクシー代は嫁の稼ぎの半分弱に。帰りは1時間を歩いた。引っ越したのでふたり目の孫はどうしているか? 今月から保育園に通っているはず。

 だから、大変なのがわかるので休まれても文句は言えない。入浴も任されず、来たらラッキー、というシフトの組み方。でも資格があるからばあさんより時給がいいのだ。ボーナスも出るのだ。
 じいさんに愚痴れば、歳なのに雇ってもらえるのだからありがたく思えと……
 施設で働く最年長者は81歳の方だ。洗い物のみ2時間。入居者の食事形態など、覚えられないので洗い物だけ。それでも人手不足なので助かるのだ。ばあさんも頑張ろう。

 ここ数年、新人は大学、専門学校を卒業した方が多い。若い人はしっかりしている。条件もいい。家賃の補助がほぼ全額。
 きちんと貯金をしている人が多い。結婚しない人が多い。こんな日本で子供を育てる自信がない……と。
 嫁のことを話すと辛辣だ。1歳前で保育園。2度流産してようやく生まれたのよ……と話せば、
「それで、よく生みましたね」
「子供、好きじゃないですから」
 ああ、そうですか? ばあさんだって怖い。100年後の地球がどうなっているか。
 老後は今のように手厚くは扱われないだろう。成人させた子供にそれ以上の長い老後の面倒を見させるようになるのか?

 多いのは50代の独身女性。歳を取ると家も借りられなくなるからと、既にマンションを購入済み。身体に無理が効かなくなる。夜勤がきつい。体力に自信がなくなる。でも、ローンが……

 うちのユニットは……ネコヤナギさんが……お茶は熱いのを欲しがる。ばあさんは、レンジで温めて出す。
「熱いですよ」
「あ・つ・く・な・い」
いつもの会話だが、他の職員はぬるいまま出す。
「火傷されたらこっちの責任になるんです」
 ネコヤナギさんが、わめくアズサさんの方へ行く。見ているとティッシュを渡しに行く。ふたりで手を伸ばしアズサさんは礼を言う。微笑ましいと思うのだが、
「そっち、行かないでください」
と禁止される。ネコヤナギさんはセクハラ疑惑があるそうだ。監視されている。


 
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登場人物紹介

私。ときどき、自分のことをばあさんと言う。介護施設で短時間働いている。職場で感じる不条理を綴る。決して口には出さないが。

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