第12話 音の風景

文字数 1,525文字

 週に1度夕飯時2時間働いている。他のパートさんの都合の悪い夜に。2ユニットの配膳、片付け、見守り、掃除をする。
 午前中とは違う。パートがひとりしかいない。職員は遅番がひとりで10人の世話をする。
 夕方になると帰宅願望が出るオリーブさん。朝はおとなしかったのに、車椅子なのに立ち上がる。止めるのは難しい。オリーブさんのために雑誌が置いてある。誤魔化しながら、それも耳が遠いので大声を張り上げる。テレビも大音量。

 ショートステイの風さんが頻繁にやって来た。廊下を何分で自走して来るのやら。神出鬼没。出て行ったと思ったらもうそこに。ショートステイは比較的しっかりした方が入っている。風さんには居心地が悪いのか? この方は見かけは品がよく言葉も丁寧だが……
「私、泥棒なんかしません」

 風さんはゲッケイジュさんのカーディガンのボタンをはめたり、タオルをたたみ直したり世話を焼く。焼かれている方の反応はない。車椅子自走仲間のサカキさんとは頓珍漢な会話を。そこにトネリコさんが「うるさいね」とひとこと。
 遅番の女性職員は黙っていない。
「ここは喋っていいところなんです。みんなの場所なんです。そういうことは言わないでください」 
孤高のトネリコさんより怖い。さすがのトネリコさんも言い返さない。この職員には言い返さない。敵う相手ではないとわかっているのだ。  

 隣のユニットから、アズサさんのわめき声が。
「あああぁあああぁー」
テーブルを叩く音が。
 100歳のカリンさんの声がする。
「だれかー、たすけてー」
ここは介護施設なのか? と思う。

 ようやく食べ終わると、遅番がひとりずつ排泄をさせ寝かせていく。順番があるのだが待てない。95歳を過ぎているのに元気だ。待てないで騒ぐ。ご馳走様、ご馳走様、と何度も言う。何度言われても、95歳でも元気なあなたの順番はまだなんですが。部屋に戻ればナースコール何十回も鳴らすでしょ?
 サカキさんも、早く車椅子に移って自走したいのだ。
「おねえさん、なんとかしてー」
なんとかして欲しいのはこっちの方だ。オリーブさんがついに立ち上がり1歩出た。そういう時は手を取って歩かせてあげましょう、とユニット会議で決まっていた。歩かせて疲れさせる……はい、職員さんといってらっしゃい。残された方達はそのままね。
 
 イチイさんが時間をずらしてリビングに現れる。他人との交わりを嫌う。職員からも敬遠されてしまう。いつもなら人の少ない時間なのに、オリーブさんを歩かせたために大幅に遅れた。おまけにショートステイの風さんと自走仲間のサカキさんがうるさい。向かい合って手を取り合っている。

 イチイさんの食事はレンジで温める。文句を言いたそうだ。ごはんの柔らかさ、野菜の柔らかさ、茶のおいしくないこと……時間に来てくれたなら、一応ごはんは炊きたてなのだけれどもね。
 不味そうに食べる。ひとりだけのテーブル。大音量のテレビ。隣のユニットからわめき声が聞こえる。
「あああああああああぁ」
またまたカリンさんの声が、
「だれかぁー」

 コデマリさんが、眠れないからカロナールが欲しいと言う。カロナールは眠れない時の薬ではありません、と職員に言われて頭痛を訴える。コデマリさんはかつて、薬を出してもらえないと騒いだ。職員は体を心配し出さなかったのだが、上を巻き込んでの大騒ぎ。職員は辞める辞めないの大騒ぎ。結局謝った。
 コデマリさんは自慢した。謝ってくれたのよ、と自慢した。それ以来、偽薬が出される。中身はラムネだ。

 謝った職員はしばらくして辞めた。引っ越していったのだが。職員が辞めても入居者には言わない。入居者が亡くなっても不穏になるので伝えない。そして大勢いなくなった。









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登場人物紹介

私。ときどき、自分のことをばあさんと言う。介護施設で短時間働いている。職場で感じる不条理を綴る。決して口には出さないが。

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