第33話 映画クラッシュ
文字数 2,149文字
*去年の6月ごろのプログを再掲します。大した内容ではないが時節にはあっている。
ヒトは差別が大好き。いじめが大好き。批判が大好き。
さらには、略奪、奸計、謀略を殊更にに好む。どこの民族においてもだ!。
このことに絶望してはいけない。
大切な確執葛藤を生み出してくれるありがた〜い環境を用意してくれるのだから...。
久方ぶりに2006年公開の映画「クラッシュ」をみた。一場面だけ抜粋する。
検事の妻役のサンドラ・ブロックが電話で夫と話している。
家で雇っている家政婦に関しての愚痴と更には昨日あった出来事にも飛び火して
アレにもコレにも頭にきてたと話している。
『でもみんな…私、思ってたの…』
『朝、目が覚めたら気分は良くなっていると思ってた…』
『でも、聞いてね…私まだ怒っている。』
『それでね、気が付いたのよ。車が盗まれたせいじゃないって…』
『目覚めるときはいつもこんな感じなのよ。毎朝がこうなのよ…』
『私は何故だがいつも怒っているのよ…』
『私は何故なんだかわからないのよ。本当に何故なのかわからないの…。』
ここで旦那さんは急用があって電話は一方的に切られる。
残念ながら最後まで話は聞いてもらえない。
抜粋終わり。
アメリカの話なので、人種差別、黒人への偏見が大きな要素となっている映画。
犯罪と結びつけやすいので使ったまでで、単なる設定とみるべき。
とにかく日常において何がどうなっていってるか皆んな分からない。
些細なことで否定的な感情が爆発する。
怒りの、ストレスの、蓄積が要因なのだろうが、これが何に起因しているのかが問題...。
生活の基盤が何らかの理由で失われたからだ。
そして更年期障害が否定的感情に拍車をかける。(言っておこう皆そうなる)
人との繋がり、信頼関係も失われ、一種の神経症的状況に皆ある。
これを加速推進すべく環境は整っていってる。*スマホ*現在なら…。
メディア(テレビ、新聞、YouTube)は、もう誰ぞかのものになってしまっていてる。
これもロクな影響を及ぼさない。
大勢をよく注意して見ておきましょう。
他人は変えられない。変えようなどと思ってはいけない。
(なんらかの責任ある地位にいないなら批評や発言も絶対にしてはいけない。
立場が違えば、その同じことを、あなたはするかも知れないのだから。)
ならば、利用するしかないのです。
皮肉なことに、これは個人という、小さなユニットにしかできないこと。
誰にも明かさず、示さず、知られずで、許しと愛もて自己のエゴを滅ぼす機会として利用する。
こういう時節であるからこそ、人になんらかの奉仕をする。たわいなくても、少しでもいい。
思いやりを他人に示す。道を譲るでもいいし、放置されたゴミの片付け、カートをレーンに戻すでもいい。
決して悲劇の主人公、ましてや加害者などにはなるまいとして。
方円の器が万事決済してくれる。
真実の意味で、世界そのものがあなたを生かしてくれる。
これホント。
〈終〉
おまけ:
昔TVで見た映画が忘れられない。白黒のやつ…。
売れない画家が生活に困っていた。彼には奥さんと小さな子供がいる。
画家は病気も患っており、もう悲劇的な結末しか考えられない。
本僅かの生活費を工面しようとして街を彷徨い歩く画家。
脇で密かに彼を尾行する男がいる。画商のユダヤ人である。
彼は画家からの金の前借りに渋い対応をとっていた。
夜の街を途方に暮れながらも必死にあてを探して歩き続ける画家…。
やがて苦労が祟ったのか画家は路上で倒れそのまま死んでしまう。
これを独り確認した画商は急ぎ踵を返して彼の本宅を訪ねる。
これは夜も遅くのことなのだ。
そして未だ何も知らない奥さんに彼の絵を全部買い取りますと申し出る。
この深夜の突然の訪問にも関わらず、奥さんは夫がきっと喜びますわと涙を流して喜ぶ。
画商は一枚一枚、これも戴きます。これもです、そしてこれも、これも、これもです!。
すべての作品をこの画商が押さえてゆくシーンでこの映画は終わる…。
*画家の死をもって作品の価値が跳ね上がることを見越してのことだったのだ。
非情にしてえげつない商魂。冷血にして実利に聡いビジネス魂。
物事の成り行きをドラスティックに読み解く先見性と実行力。
*わたしゃ〜ベニスの商人は読んどらんけどね、
かの民族が、金貸ししか許可をもらえる仕事がなかったのがイギリスのはず。
そんである時には、全員おん出される(国外追放)始末なんだかんな〜。
やはり逆境が、生存の地獄が、人間を[鍛える/変える/成熟させる]のは確かなこと。
環境が人間を造る。「結果的に!」。ユダヤの逆境の歴史はウルトラ化された自己意識を
生み出したに違いない。それは聖性を欠いた独りよがりなものだったのではないか?…。
善き導きの元、あなたが「いかな環境下であろうと」健全に生きれますように。アーメン。
ヒトは差別が大好き。いじめが大好き。批判が大好き。
さらには、略奪、奸計、謀略を殊更にに好む。どこの民族においてもだ!。
このことに絶望してはいけない。
大切な確執葛藤を生み出してくれるありがた〜い環境を用意してくれるのだから...。
久方ぶりに2006年公開の映画「クラッシュ」をみた。一場面だけ抜粋する。
検事の妻役のサンドラ・ブロックが電話で夫と話している。
家で雇っている家政婦に関しての愚痴と更には昨日あった出来事にも飛び火して
アレにもコレにも頭にきてたと話している。
『でもみんな…私、思ってたの…』
『朝、目が覚めたら気分は良くなっていると思ってた…』
『でも、聞いてね…私まだ怒っている。』
『それでね、気が付いたのよ。車が盗まれたせいじゃないって…』
『目覚めるときはいつもこんな感じなのよ。毎朝がこうなのよ…』
『私は何故だがいつも怒っているのよ…』
『私は何故なんだかわからないのよ。本当に何故なのかわからないの…。』
ここで旦那さんは急用があって電話は一方的に切られる。
残念ながら最後まで話は聞いてもらえない。
抜粋終わり。
アメリカの話なので、人種差別、黒人への偏見が大きな要素となっている映画。
犯罪と結びつけやすいので使ったまでで、単なる設定とみるべき。
とにかく日常において何がどうなっていってるか皆んな分からない。
些細なことで否定的な感情が爆発する。
怒りの、ストレスの、蓄積が要因なのだろうが、これが何に起因しているのかが問題...。
生活の基盤が何らかの理由で失われたからだ。
そして更年期障害が否定的感情に拍車をかける。(言っておこう皆そうなる)
人との繋がり、信頼関係も失われ、一種の神経症的状況に皆ある。
これを加速推進すべく環境は整っていってる。*スマホ*現在なら…。
メディア(テレビ、新聞、YouTube)は、もう誰ぞかのものになってしまっていてる。
これもロクな影響を及ぼさない。
大勢をよく注意して見ておきましょう。
他人は変えられない。変えようなどと思ってはいけない。
(なんらかの責任ある地位にいないなら批評や発言も絶対にしてはいけない。
立場が違えば、その同じことを、あなたはするかも知れないのだから。)
ならば、利用するしかないのです。
皮肉なことに、これは個人という、小さなユニットにしかできないこと。
誰にも明かさず、示さず、知られずで、許しと愛もて自己のエゴを滅ぼす機会として利用する。
こういう時節であるからこそ、人になんらかの奉仕をする。たわいなくても、少しでもいい。
思いやりを他人に示す。道を譲るでもいいし、放置されたゴミの片付け、カートをレーンに戻すでもいい。
決して悲劇の主人公、ましてや加害者などにはなるまいとして。
方円の器が万事決済してくれる。
真実の意味で、世界そのものがあなたを生かしてくれる。
これホント。
〈終〉
おまけ:
昔TVで見た映画が忘れられない。白黒のやつ…。
売れない画家が生活に困っていた。彼には奥さんと小さな子供がいる。
画家は病気も患っており、もう悲劇的な結末しか考えられない。
本僅かの生活費を工面しようとして街を彷徨い歩く画家。
脇で密かに彼を尾行する男がいる。画商のユダヤ人である。
彼は画家からの金の前借りに渋い対応をとっていた。
夜の街を途方に暮れながらも必死にあてを探して歩き続ける画家…。
やがて苦労が祟ったのか画家は路上で倒れそのまま死んでしまう。
これを独り確認した画商は急ぎ踵を返して彼の本宅を訪ねる。
これは夜も遅くのことなのだ。
そして未だ何も知らない奥さんに彼の絵を全部買い取りますと申し出る。
この深夜の突然の訪問にも関わらず、奥さんは夫がきっと喜びますわと涙を流して喜ぶ。
画商は一枚一枚、これも戴きます。これもです、そしてこれも、これも、これもです!。
すべての作品をこの画商が押さえてゆくシーンでこの映画は終わる…。
*画家の死をもって作品の価値が跳ね上がることを見越してのことだったのだ。
非情にしてえげつない商魂。冷血にして実利に聡いビジネス魂。
物事の成り行きをドラスティックに読み解く先見性と実行力。
*わたしゃ〜ベニスの商人は読んどらんけどね、
かの民族が、金貸ししか許可をもらえる仕事がなかったのがイギリスのはず。
そんである時には、全員おん出される(国外追放)始末なんだかんな〜。
やはり逆境が、生存の地獄が、人間を[鍛える/変える/成熟させる]のは確かなこと。
環境が人間を造る。「結果的に!」。ユダヤの逆境の歴史はウルトラ化された自己意識を
生み出したに違いない。それは聖性を欠いた独りよがりなものだったのではないか?…。
善き導きの元、あなたが「いかな環境下であろうと」健全に生きれますように。アーメン。