第41話  それは1972年のことだった…⓫

文字数 8,122文字

ゴジラは、東京大空襲の体験と広島/長崎への原爆投下の例え。
ならば、ウルトラマン等における怪獣は?。それらは自然災害。
ならば宇宙人とはとなると?。それらは外国勢力による日本侵略/侵攻の例え。
ではウルトラマン自体の正体は?。日本の鎮護守護庇護の象徴。つまりは阿羅漢たちだ。
*あれの造形と似たものは大陸における仏像遺跡に確認できる。




*もっとズバリなのを見たことがある。

日本国民は災害を被る、もしくは侵略侵攻される側の立場。
そんでもって何故か…無力。お話の展開上は翻弄されるがまんま。

結局、神頼みしかなくなる。そこでヒーローの登場だー!。彼と一緒に日本国民も
戦うってな展開も当然に用意はされている。でも所詮は便宜的な運びでしかない。
とにもかくにも最終的には危機は脱せられ、危機的な状況は平定されて、
敵は完全に追い払われる。もしくは完全に息の根を止めて、
やっつけてもうたったー。

改めて:
国家規模での大事たるものが起こり、それに国民の全てが巻き込まれる。
だが超自然的な何かの介入を得て、無事に平時の状態へと復旧する。
そういう展開。そういった物語さね…。

これは過去「現実にあった」ことの再構成であるが故に確かなインパクトが備わっている。
本当はそうであって欲しかった。また未来においては希望をつなげるべくの示唆として。
ご都合主義的展開でしかないが、大切な物語、その型の提供にはなってくれていた。

信仰者として生きるべくの運命にあった者にとってはねッ!。
そうだ。現実には神しかいない。貴方を私を窮地たるもののドン底から助けられるのは。
だから、よろしく彼の援助庇護救済に恵まれるようなっとくのが一番…。w。

追記:
神話のすべてが単なる夢物語ってわけでもないだろね。何かかって過去に実際起こった驚天動地の出来事その事件を原型に再構成しての物語だ。そこにあった本質を/エッセンスを抽出して、例えとしてまとめたもが神話。それらが反復再現されて我々に提示されるのは何故だ?。視聴率が伴うからってだけの話ではあるまい。事実として、心の深部において共振するものが確かにあるからか?。もしかしたら聖霊が〜?…。

ついでに言っておこう:
後塵の人々、特に若い人たちに、善きこと、良き振る舞い、正しい考えを教えて、それを
強化してゆくことは教育的に、その意義は大層あることだ。だが、その反対を行うことを
当たり前としたり、誘導するような真似をすることは万死に値する。
「あなたはこのことに同意しますか?」
だいたい2000年を境に、後者に関するアニメが激増してゆくのを自分は確認している。
仲間どうしの殺し合い、エロの反乱って言ったらピンときてもらえるかな?。
この潮流は、五十年を越えてますます氾濫したものとなってきており、また同時に、
その陳腐化は時を追うごとに、どん底に向けてのものとなってきている…。
まさしく今はカリユガなのだとの認識が深まるばかりかな。


さて、本当の再開!

Re: バック トゥ ザ デビルマン


この挿絵の作成は生賴範義 氏

…って思わせといてからの~、実はー再度のダンテ!。
*この絵のさ〜額の顔が流す涙は、まさに欺瞞そのもの…

いやさ~、デビルマンの最終部、その流れの細かなことを完全に忘れちゃっててさ~、
ほんでブックオフへ確認しにいってきたのさ。したらば今更もってあの作品を買っちゃった
わけー。それも文庫版のを三冊。4と5とダンテの②も。そんでこれは元をしっかり取り戻さ
ねばならないぞと思いましてーーーからの再度のダンテ。

つらつらと距離を置きつつその内容を確認してみるってへと~…。
やけにあの魔王ダンテばかりが今もって妙にリアルに感じられるんだ。
あの黒い怪物のみがやけに存在感を発している。
異常なる存在感が未だもってそこには確かにあるんだ…。


設定:
憎しみと戦う意思を持った人間 + 二匹の恐竜(飛翼竜とチラノザウルス)
+ あらゆる兵器をつんだ戦闘機が合わさってできた怪物 = ダンテ
*これは偶然に侵略者たる神からの攻撃のエネルギーを吸収/転換することによってなされる。
*ここの発想だけには1000点あげたい。

そんで、やっぱ、思ったんだ。
このダンテこそが『核』なんだって…。
これこそが

のなのだと。

色々考えて、そんで、もう一度だけ取り上げておかねばと思ったのです。
これの正体を、先ずははっきりさせとかないかんのです〜(広島弁で)。w。
260円分は、しっかりと回収せねばならないのです!。(断)

お話の設定はメチャクチャもいいとこ…。斯く言うハ、本校の話者たる天村が、聖書の世界観にズッポリ浸かって生きている人間であるからでしかない。ついでに言っておくならば永井豪氏はあくまで表層的な理解のみに止まっている。失礼かも知れないが、かの氏の理解はあくまでイメージ的な/感覚的なもの。このことは彼の関係作品やインタビューを読めば知れること。

閑話休題、それら出鱈目だと思う設定についても一応、その様に思う理由も述べておかなねばなるまい。そうすることで、彼方側としての欲求もしくは戦略といったものも自ずと確認できるとは思うので…。

ザクッと最終巻である②から抜粋:

  突如、大怪獣が現れて東京の街を破壊した。あれは悪魔の仕業だ。
  俺はその悪魔だった。僕は人間でなければならない。

  魔王ダンテになったのは僕の意思なんかじゃない。

  あれは、先の街の破壊行為の実態は事故だ。
  偶然によるものでしかない。
  どうしようもない運命の悪戯だったんだ…。

  神!それは深く静かな宇宙に燃えたつ妖火だった!
  毒々しく不気味に燃える

炎の塊だった!

  赤く光り輝く怪物。
  意思と心を持った純粋なる思念エネルギーとしての塊。
  それこそが神だ!。

  神こそが宇宙からの侵略者なのです。
  平和な地球を暴力で地獄と化した
  恐るべき敵 それが神なのです!

  神の能力は度外れた超能力として表される。
  サイコキネシスにテレパシー、洗脳暗示催眠の力。
  この力をもって人類を服従させようとする。

  神の望むもの、それはヒトのからだであると、肉体であると!

  彼自身を収める器として、人類の肉体が欲しい。
  こころの中に、入り込むことを目的とする。

  侵略された側としての主人公の思い:
  侵略者とは戦う。好きな様にはさせない。同胞達の苦しみを忘れるな!。
  俺は、生(命)ある限り、戦い抜いてやる!


こんなところ…。文章はほんの少しだけ改稿しましたが、ほぼ原文のまま。
残りは余り大したことはない。もしご興味がお有りでしたらばブックオフへwww。

取り敢えずご注目を仰いでおきたいのは、なぜそれは『赤』なのか?。
これはレッドドラゴンが正体であるからに過ぎない。

変なところで思っきし正体暴露しとるからなー。自己顕示欲をどうしても抑えきれ
ないんだろね。そして彼の最大の特徴である傲慢さが故の表しでしかないな。


Re: ところで…。

もう忘れているかもしれないが、天村のこのシリーズにおける大前提は:
作者永井豪氏は、ダンテの構想を思い立った時点で、何らかの悪しき霊感に当てられており、
その何かに憑依されてしまう。そんでもって、それから受けるインスピレーションにおいて
作品は描かれていただからね。(その影響は、デビルマン以降も長く長くに続いてゆく…。)

でだ、ことがアノ彼によってであった場合には「すべての価値たるものは逆転せられる」
にて確認できる。逆さま、あべこべ、倒錯がここでもあそこでも見られるに表されてくる。
本来の意味/意義が悉く反転させられて提示されてしまうようになる。

*だからね、彼のとり得る戦略ってのも、実はその選択肢は一つしかないんだ。
 「流れの下流へと、上流にあるもの達皆を引き込む」ってのしかない。
 まあこれは楽チンを嗜好する人達ってのは多いからさー獲物に不足することはないだろね。

それらは絶対に固定的な観念を相対化して見せることによって、そこに本来ある意味を改めて
裏から照射して浮かび上がらせてみたーなんて高尚な操作ではまったくな~いー。あの『妖星伝』ならば、その向きにおける意義も確かに作品としてはあったと認めざる得ないが。
実際、成功していた。自分にはショックだった。それもかな有効なものだった…。

永井氏の作品に認められるのは完全なる悪意によるものでしかない。
それもかなりタチのわるいやつになる。100%彼だ。

完全に何かに操られて、あくまで自己の選択においてであると覚えつつも、
意味としての配置が単純に逆転せられる。垂直移行での転換でしかない分、
だからやっぱりその筋のもの関与だってことはすぐわかってしまうんだ。

例えば、ソドムとゴモラの壊滅の話し。これは、ヒトの堕落の吹き溜まりと化した街を、
神が断罪したことの記録だ。悪しきが悉くに極まったことを理由に、そこに生きる全ての
人々を街ごと天から降り注ぐの硫黄と火によって滅ぼされた。
後世への見せしめの意味もそこにはあったことだろう。

この件は、侵略者たる宇宙より突如飛来してきた巨大な精神生命体によって、地球は
侵略を受け、その当時の現地に生きる人々の全てが、瞬く間に滅ぼされ街は壊滅して
しまったとされる。無辜の人々が豊かに平和に暮らす世界が無惨にも破壊される。
人々の多くは殺され、また多くがその侵略者の奴隷となった。奴隷としたものたちに
刻印を押すべく、彼らの体内へと、その侵略者たる神と名乗った存在は分散して入る。
そしてそこに住むこととなった…。

真に救済をもたらす神たるものに、
その逆の、禍々しい加害者としてのイメージが被せられる。

片や、破滅自滅でしかならないこの神と名乗る専制者への反逆反対行為こそが、
正義たるものに価値をおくならば、それを勇猛果敢に証しせん、果たさんとするならば、
己が命を捨ててでも行うべきことなのだと、物語としては鼓舞をもって説いている。

ここには、ある種の二重化が認められる。全共闘運動における体制批判の投影と、
それに被せて、神についての誤ったイメージを、否、神への冒涜そのものを行っている。
それらのことにおけるワクワク x ワクワクが創作を牽引している。
奇妙な力の流入が認められる。つまりは何か別の強力な存在と共振している…。
両面をつなげることを可能にしているのは若さゆえの激情か?!。
はたまた作者本人の感性、もう霊感レベルと言えるそれの鋭さが故か!?。

本来の(ケダモノ)としての性分に完全に染まりきって、
それこそ価値として、思いっきり、思う存分開放して、
破壊暴虐略奪侵略のあらん限りをつくしたいとする衝動の肯定、投影。

創作世界内においては、これを自由だと呼んで恥じない。
だが擬似体験においては、そうなるべく、そうあるべくの誘導をそれとなく行っているんだ。
その創作の主体の背後にあって、彼に霊感を吹き込んでいる存在はだ…。


Re: 反転/逆転/倒錯/置換。

こりゃ〜、ヒトに備わる困った習性だ。別なる表現では「天邪鬼」となる。
相手/向こうの求めを察知しては、その反対を敢えて行うことを選ぶ。
その

をしてしまう…。
猫なんかは如実にこれをしたりなんかもする。犬は素直にして只管にストレート。

、逆を、何故か表明してしまう、行ってしまう、
なんてのもこれに入る。

荒ぶるところの、どこかの誰かさんの娘さんは、現在、その行為のフラッシャーと
化しており、その特質特性を完全に存分に開花、顕在化しまくっている…。
(すまぬ。未来の彼女の旦那さん…。)

これは人類において、致命的な欠陥、誤作動たるものに過ぎない。
なぜ、この本能的なパターンがヒトに、特に女性に根付いているのかを
考察することにはとてつもない意味がある。
*Gが提供してくれた「クンダバッファー」の概念の力を借りて。
ここじゃ〜やらないが、その起源は古くまた根深いものなのだ。
全力をあげて、人生の全期間において、それの発現の根絶を目指さなければならない。
般若心経の中でもこのことは出てきてるでしょう?。



Re:さて、またもや、閑話休題。

話は今回の核心たるものへと入るぜー。
今までんところは、すべて前振りでしたーってことにしておいてー。

ゴジラも怪獣も宇宙人も、外部にあって脅威とされるものの〈例え〉だ。イメージ。
オブジェクティブ・マター。「対外的・対象物」としてのとらまえになる。

*ここで、あの必殺の、逆転/置換の奥義が発動せられたのが、「魔王ダンテ」。

もし、自分が、あれら脅威、つまりゴジラとして、主体としてありえたならば?。
もし…超強大なる力を、それもあの破壊者としての力を、無限に手に入れたならばーーー???。

そんな発想が最初には持たれたのだと思う。
そんで一瞬でその虜になってしまってた…。



もうこれはサブジェクティブ・マターとなってしまっているー!。
ダンテはゴジラとは全く違うコードになってしまっているー!。

これが不思議と言えば不思議な移行なんだ。

まずこのイメージは普通の感覚としては、絶対落ち着くはずないんだ。
自分が、ビルより、高いデカいがしっくりくることなんかあるえるだろうか?。
何やら身にはそぐわない、なんか馴染まない、一過性のみにてもしかしたら有効な?、
そんな奇天烈な、不自然な感じしか持てない。

唯一、それがしっくりくるとするならば、自己にとって戦うべくの、そうすることが避け難い脅威たるものがとてつもなく

である限りにおいてだ。つまりは振り出したるゴジラや怪獣になるんだけど、本件においては、自分がそれらの立場になるって訳だから、何らかの戦うべくの他の、別の対象を立てる必要が出てきてしまう。

ここに、戦うべくの敵たるもののイメージは

ことになる。

が創造されて浮上してしまうことされる。同じヒト相手、

となってしまう…。

追記:
どうしても自分が都市のビルディング群の中に

立っているってってのが分からないんだ。
引っかかると痛いでしょう?。踏んでも叩いてもあれらの剛性からすればどうにもならない。
ならばだ、回答は一つだ。あれらはあくまでもイメージにおいての世界、自分の内面にて結ばれてある現実の投影でしかないのだ。個人的な内面世界においての、夢想の、想像の都市、東京。
嫌なんだ、嫌いなんだ。どうしても徹底的に否定、破壊してしまいたかったんだ。現実を!。
ここには基本、なんの深みも知性も哲学もない。あくまでも子供じみたヒステリー、疳の虫においてそれが騒いでしまってたまで。小児的な破壊衝動としてのものでしかないわ。砂場で盛った山を崩すとしての行為。やっぱ、この人というか、日本人は、総じて、

、そして脆い……。いつのまにか、大人がいなくなってしまっちゃたのかな?。いや、社会から健全性が、即物的な実行性が、失われてしまった、いるのだ……。

15年の新幹線内、19年京アニスタジオ内、21年大阪北新地精神内科病院内にてガソリンを使っての自殺テロが行われている。ことを行うにおいてのその実際は簡単至極だからね。原因はあくまでも怒り。これもまた、ことの結果、その反映。




  これ言ってるの誰ー?

第二次世界大戦のやり直しを夢想してたのかな?。完全に違う。w。
それとも、当時(70年代)の、今自分の目の前で進行している
日本の、世界の、軍事情勢を力づくで止めたいって欲望があったのかな?。
兎に角、大きなスケールで、今ある間違った現実を破壊し、向かってくるものたち、
全て皆全員悉くを蹂躙破壊制圧したかった?…。これだろね。w。

ここには、当然な話し、

による干渉が作用していたのだと思う。

何か大きな権力を突然に手に入れたと読み替えることもできるんだ。
現実においては、これはどういった事態となるのだろうか?。
何らかの組織の、そこの長たる身分に納まった、就任したの意味となろう。

権力の獲得。自分の指示采配において下員の皆全てが動く。自分は権力者となった。

こう言ったポジションにつくことは、一般的には生中には叶わない。

ごく少数の、ほんの一握りの人々においてのみの話でしかないだろう。

そうなった途端、自分はもう勝手の、ただの一個人、一社員ではなくなる。

なにか、自分が大きくなった様に感じる。巨大な権力や権限を掴んだことになるのだから。

皆を、国民を、企業会社を動かすことができるのだから…。

そして何よりも堪らんのは金の使い道の決定権だ。
なにやら使いとうて使いとうて堪らんようになってきた。
絶対に個人では扱うことなどあり得ない巨額の資金!。

まずいんだ。このことにおけるヒトの心の変化たるものは…。

人間的な修行(つまりは本当の苦労)ができていなければ、
まず自動的に舞い上がってしまうこととなる。
増長することは避けられない。
慢心することになるのはもう請け合い。


正に彼が付けいるにおいては格好最適なヒトの状態となる。

これも「卵が先だったのか鶏が先だったのか」は分からない。

長くなりました。

今一、とりまとめが不徹底ですが、これにて今回は終了いたします。

どうもありがとうございました。

追加:

悪魔たるものの定義が抜けていた。

要は、精神エネルギー体としての神との戦いにおいて、多くの人類は、
ただその弱きの脆弱なるが故にただ滅ぼされてしまうが、
一部において、その侵略者に向けての怒り、戦う意思、強い精神力があったものたち
においては、逆に神のエネルギーを吸いとって不死身の怪物へと変化した。
それらを神は悪魔と名づけた。

民族としての尊厳を掲げ、その生き死にを、存続をかけて、自主的に戦いに望むなら、
その過酷にして逆境たる環境そのものが、特段に異常なるがまでの存在を自ら産み出す。
破壊の撃滅の圧倒的

ものたちを…。

この設定は、

にデビルマンに持ち越されている。

そのイメージとして表されたものは…
繰り返しとく。

獣を越えて、その遥か起源とさえ呼べる恐竜。
それも翼竜プテラノドンと、最凶の肉食巨龍たるチラノレックスの二頭。
  +
最先端の科学技術の結晶としての戦闘機
  +
その憤激に燃えたつ、死さえもその精神力によって超越せんとするヒトの魂

  =(イコール)

 魔王ダンテ


ケダモノとしての最大最凶の増幅をイメージしての体
他者と、戦うこと征服すること支配することに特化した知性
永遠の憤激に苛まれ続けるを宿命とされた魂


〈続く〉




つぶやき:

生徒会長、部長、室長、所長、家長、etc … 、
なんだっていいんだ。”長”たるものが付くならば。

だからヨブにおける試練みたいなものがひとには必要なんだ。
この世に見捨てられる、そして世を嘆く恨む憎む、そうせざる得ない状況ってのは、
ある意味、救済としての期間だと見做すこと、認めることもできる。
だって

によってたらし込まれるたり染まりきっているわけではないのだから。
この期間は、試みの時節に過ぎない。
あなたが、自身の存在に、楔として、神たるものの実在を、いかなる言葉観念イメージを超えて、打ち込むための実用的な期間なのだから。以降には、状況が改まった後には、一生、
何がどうなろうとも、たとえ王様になったとしても、あなたが彼の存在を忘れることは
なくなる。つまらない奴婢たる思いもてで、十分満ち足りることができるようになる…。
状況は間違いなく変化する。悪いばかりがいつまでも続くこともあり得ない。
(その善きものにより頼むならば、認めて寄りすがるならば、)
長くとも六年ぐらいかな?でいてください…。

1972年そのものにさしたる意味はないな。
先行する準備が整い、まさに、いまがそのときと判断されたまで。

アナウンスの舞台として使われたのが、これがまた少年マガジン。
思えば妙に腑に落ちるものがある。その当時、物語のロマン性を求めるならば
マガジンだったもんな…。

連載を打ち切りとさせるべくの働きもあったようだが、
そのことが返って裏目に出て、作品にビビッドさと緊迫感を与えてしまった…。

今回、ジニーはお休み。有給です。







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