第38話 それは1972年のことだった…⑧
文字数 3,212文字
Re: 習慣の発生。
何か〈快感〉〈喜び〉〈満足〉として覚えたことをヒトは決して忘れない。
記憶盤にはしっかりと刻印がされてしまう(自動で)。
そして改めて、その思いたるものを、後日に、味わいたくなる。
刻まれてある溝のトレースがなされる。
すると、あの懐かしの、あの歌声が…。
「素肌(肉体)と、こころは、ひとつじゃないのね…♪」(中森明菜/少女A)
「違う!」
背景には感情による「飢え」がやけに関係してきてる。存在している。
これによって、やみくもに、行動へと駆られてしまうこととなる。
「このことは、どうしようもないことなのだ」の感慨もて…。
これも良し悪しなのだ。
合理化/自動性も時には大いに役にたつのだから。
問題とされるべき事態は「独り善がりな目的おいてのみ」の場合だ。
そのことによって周りが被る迷惑なんて「知ったことじゃない」が当人の心境であった場合。
スタートとしてあったのは(獣 としての)本能からの要請。
前にも言ったが、これは強力な支配力として顕現してくる。
でも自然が定めた必要性からなので基本取り立てて問題にすることではない。
問題は、ヒトのマインドこそが/のみが切り開く独自の
過不足なくストンと終わるべきの全工程のすべての節に渡って、思いやら、考察やら、
余計な概念付けやら、独自の観念ってものがやたらめったら発生し、伴ってきてる。
それらは全部、当人にとってのみに有効な、”主観”としてなのだ。
それらを踏まえての過去の記憶のトレース、その行為自体の再チャレンジになる。
内容によっては、この独自の印象としての意味付、内容物は益々複雑になってゆく。
「何事も、シンプルであるのが一番いいと、思うんだけんどねー」w。
それらも逐次、記憶盤に枝葉として刻まれてゆく。
再現においては、考察の/確認の/検証の材料としても使用される。
五蘊ってのをここで使うのが妥当なのかも知れない。
よう使わんけど…。分からんから…w。
当然な話し、自然の要請としての範囲を逸脱した
しまう。これは流石、ヒトのみに可能なことだ。進化の頂点たるものの鑑になる。
でも、その結果における根拠妥当性は、
完全に主観的なものでしか、もうなくなってしまう。
原動力としての発端としてのドライブは生物として基本にして真っ当なものなのだ。
だが、ヒトにおいては、
それが、おかしな現れ方へと進展的に変わってしまう。しまひ得る。
結果、その展開を支援するプログラム自体が巨大にして複雑になり過ぎてしまい、
渦中において、自分でも何をどうしていいものやらが、もはや分からなくなってしまう。
これは必然なことだ。自然世界は、そんな個人的な内容物など相手にはしない。
そんで、自律性たるものを、自主性なるものを、やがてには手放してしまうこととなる。
それも渦中の、まさにことが進行形の渦中において!。
では、その後に、その操縦席に座っている「もの」とは誰なのだろうか?。
何なのだろうか?。
ここは、悩みの起こる原因だとか、認知症の老人の世界とか、
パニックに陥ったヒトの状況だとかを思ってもらえると嬉しいんだけどなー。w。
Re: デーモン タイプA
そのように人類は呼んでいる。
正体の分からないものに、訳の分からん名前を被せたに過ぎない。
デーモン = 代項としてのエックス
それの正体は、獣の本能が、ヒトのマインドにおける記憶(プログラム)との関係性において
落とし所を確定できず、収斂先を見失って、誤作動を起こしてしまってるーの状態。
起こし続けているー。ガチャガチャ意味のないギアの切り替えばかりがなされている。
そうなったなら、ただ闇雲に衝動に煽られたまんまとなるばかり。
それが燻り続けるままとなってしまう。堪らんだろうね。
ストレスばかりが積もってゆくー。
だって終わりの完了たるの信号が何処からもが来ないだもん。
「暴走してしまっている」はヒト側からの身勝手な解釈でしかな〜い。
けったいな話しをしておこう…。
ヒトの本質が、この状態を観ると、何か正体不明の妖怪みたいなものが居座っていると
覚える。また違うXを持ち出してきたと思われるかも知れないが、要は、
何やら独自の知性を備えたかのような不可思議なる生命体として認知されてしまう。
居場所が自己の内面なので、それは幽霊のような捉え方となる…。
それらは莫大なる数でいる。自分の中に…。これは実際に確認されたこと。
ここからは推測になるのだけれど、
冒頭の〈快感〉〈喜び〉〈満足〉の記録としての刻みは無数にあることだろう。
それらの、それぞれが、「再現されることを求める」が自動で起こってくるならば…
どうなるだろうか?。
自律性や主体性が、失われたり喪失されたり放棄されたなら、
我が肉体の操縦席に座って、行動を起こすのは、
それらの衝動になるのではないだろうか?。
これらがデーモン。「我らは沢山いる」のレギオン。
Re: デーモン タイプB
こっちはタチが悪い、強大なるデーモンの話しになる。
それらは人格として完全に統合支配されている。
タイプAの微分片みたいなものではもはやない。
かっては、過去の、いつの時代かに、生存していた人間。
修羅や餓鬼としての悍ましい生き様に凝り固まり過ぎて、
けったいなもんのに変わり果ててしまった元人間。
人の世の生存競争に生き甲斐を感じて明け暮れていた。
その分、恐ろしいまでの練りを、その身にその精神に獲得している。
でも良心はまったく持ち合わせてないな…。
そが故の、存在の重さが故に、成仏できないでいる。
未だに人界を彷徨い続けるしかない。
その滅びは気の遠くなる程にゆっくり。
残酷なるまでにスロー。
空きのできたる、格好の、相応しき体があったなら喜び勇んで入り込む。
これがアモンだ。
Re: デーモン タイプC
これはもうまったく出自は人間とは異なる。
〈系〉が、〈類〉が、「立場」が、完全に違う。
ヒトも、その構成としては高次のものになるが、
あくまで、その
非創造物としての立場は免れない。
彼は、むしろ創造の主体たる
そして、この地球とは、まったく関係してなかった…。
サタンがこれ。
主の守りなき人たちであれば、仏の加護に恵まれぬ人々ならば、
直接に相対して抗するのは、ヒトらには不可能かと…。
彼が対象とするスケール、枠は、地球、人類全体としてのもの。
全人類を滅びへの道連れにすべく、地上に生存する個人や組織を裏で操るまで…。
〈続く〉
今回は少なめ…。
付録:
Illumination
Illuminate
Illuminated
天啓と訳されたり、啓蒙となったり、そして悟りを得た人ともなる。
ここで独善的なる整理をさせていただこう!。
背景には何らかの霊性が控えているのは確か。
でも、どっちか一方の陣営に限定されるだろう。
これと人が深く関わった場合には、その当人には異常な体験が伴う。
それは長い体験にはならない。ほん一瞬のこととしかならない。
ヒトの神経では焼き切れてしまう。
即座にブレーカーが作動することとなる。
その束の間のあいだに、当人が、観ること感じることは
日常の普段使いの言葉では、基本、翻訳できないものになる。
要は特殊な訓練を積まないことには戯言のオンパレードとなるばかり。
”電波”って言葉が、ありがたいことにここ日本では定着してくれている。
「しっかりした人のみが恵まれる」ではないってことをここでは言いたいのさ。
薬物も当然にそうした世界を開いて見せてくれはする。
所詮は白昼夢としかならなかったことを、
大層なスローガンだと自認して、
広報している方々も世界にはいるって話しさ。
彼らは、完全に闇の勢力と感応して、
それを天啓だと思いこみ、
支配されてしまっている哀れな人達。
非常に迷惑な人達…。
何か〈快感〉〈喜び〉〈満足〉として覚えたことをヒトは決して忘れない。
記憶盤にはしっかりと刻印がされてしまう(自動で)。
そして改めて、その思いたるものを、後日に、味わいたくなる。
刻まれてある溝のトレースがなされる。
すると、あの懐かしの、あの歌声が…。
「素肌(肉体)と、こころは、ひとつじゃないのね…♪」(中森明菜/少女A)
「違う!」
背景には感情による「飢え」がやけに関係してきてる。存在している。
これによって、やみくもに、行動へと駆られてしまうこととなる。
「このことは、どうしようもないことなのだ」の感慨もて…。
これも良し悪しなのだ。
合理化/自動性も時には大いに役にたつのだから。
問題とされるべき事態は「独り善がりな目的おいてのみ」の場合だ。
そのことによって周りが被る迷惑なんて「知ったことじゃない」が当人の心境であった場合。
何が起こってどうしてそうなる
?スタートとしてあったのは(
前にも言ったが、これは強力な支配力として顕現してくる。
でも自然が定めた必要性からなので基本取り立てて問題にすることではない。
問題は、ヒトのマインドこそが/のみが切り開く独自の
内的情景
のあらましになる。過不足なくストンと終わるべきの全工程のすべての節に渡って、思いやら、考察やら、
余計な概念付けやら、独自の観念ってものがやたらめったら発生し、伴ってきてる。
それらは全部、当人にとってのみに有効な、”主観”としてなのだ。
それらを踏まえての過去の記憶のトレース、その行為自体の再チャレンジになる。
内容によっては、この独自の印象としての意味付、内容物は益々複雑になってゆく。
「何事も、シンプルであるのが一番いいと、思うんだけんどねー」w。
それらも逐次、記憶盤に枝葉として刻まれてゆく。
再現においては、考察の/確認の/検証の材料としても使用される。
五蘊ってのをここで使うのが妥当なのかも知れない。
よう使わんけど…。分からんから…w。
当然な話し、自然の要請としての範囲を逸脱した
が
、その行為の射程圏となってしまう。これは流石、ヒトのみに可能なことだ。進化の頂点たるものの鑑になる。
でも、その結果における根拠妥当性は、
完全に主観的なものでしか、もうなくなってしまう。
原動力としての発端としてのドライブは生物として基本にして真っ当なものなのだ。
だが、ヒトにおいては、
それが、おかしな現れ方へと進展的に変わってしまう。しまひ得る。
結果、その展開を支援するプログラム自体が巨大にして複雑になり過ぎてしまい、
渦中において、自分でも何をどうしていいものやらが、もはや分からなくなってしまう。
これは必然なことだ。自然世界は、そんな個人的な内容物など相手にはしない。
そんで、自律性たるものを、自主性なるものを、やがてには手放してしまうこととなる。
それも渦中の、まさにことが進行形の渦中において!。
では、その後に、その操縦席に座っている「もの」とは誰なのだろうか?。
何なのだろうか?。
ここは、悩みの起こる原因だとか、認知症の老人の世界とか、
パニックに陥ったヒトの状況だとかを思ってもらえると嬉しいんだけどなー。w。
Re: デーモン タイプA
そのように人類は呼んでいる。
正体の分からないものに、訳の分からん名前を被せたに過ぎない。
デーモン = 代項としてのエックス
それの正体は、獣の本能が、ヒトのマインドにおける記憶(プログラム)との関係性において
落とし所を確定できず、収斂先を見失って、誤作動を起こしてしまってるーの状態。
起こし続けているー。ガチャガチャ意味のないギアの切り替えばかりがなされている。
そうなったなら、ただ闇雲に衝動に煽られたまんまとなるばかり。
それが燻り続けるままとなってしまう。堪らんだろうね。
ストレスばかりが積もってゆくー。
だって終わりの完了たるの信号が何処からもが来ないだもん。
「暴走してしまっている」はヒト側からの身勝手な解釈でしかな〜い。
けったいな話しをしておこう…。
ヒトの本質が、この状態を観ると、何か正体不明の妖怪みたいなものが居座っていると
覚える。また違うXを持ち出してきたと思われるかも知れないが、要は、
何やら独自の知性を備えたかのような不可思議なる生命体として認知されてしまう。
居場所が自己の内面なので、それは幽霊のような捉え方となる…。
それらは莫大なる数でいる。自分の中に…。これは実際に確認されたこと。
ここからは推測になるのだけれど、
冒頭の〈快感〉〈喜び〉〈満足〉の記録としての刻みは無数にあることだろう。
それらの、それぞれが、「再現されることを求める」が自動で起こってくるならば…
どうなるだろうか?。
自律性や主体性が、失われたり喪失されたり放棄されたなら、
我が肉体の操縦席に座って、行動を起こすのは、
それらの衝動になるのではないだろうか?。
これらがデーモン。「我らは沢山いる」のレギオン。
Re: デーモン タイプB
こっちはタチが悪い、強大なるデーモンの話しになる。
それらは人格として完全に統合支配されている。
タイプAの微分片みたいなものではもはやない。
かっては、過去の、いつの時代かに、生存していた人間。
修羅や餓鬼としての悍ましい生き様に凝り固まり過ぎて、
けったいなもんのに変わり果ててしまった元人間。
人の世の生存競争に生き甲斐を感じて明け暮れていた。
その分、恐ろしいまでの練りを、その身にその精神に獲得している。
でも良心はまったく持ち合わせてないな…。
そが故の、存在の重さが故に、成仏できないでいる。
未だに人界を彷徨い続けるしかない。
その滅びは気の遠くなる程にゆっくり。
残酷なるまでにスロー。
空きのできたる、格好の、相応しき体があったなら喜び勇んで入り込む。
これがアモンだ。
Re: デーモン タイプC
これはもうまったく出自は人間とは異なる。
〈系〉が、〈類〉が、「立場」が、完全に違う。
ヒトも、その構成としては高次のものになるが、
あくまで、その
高次のものの
転写・コピー。非創造物としての立場は免れない。
彼は、むしろ創造の主体たる
側に
所属している。いた。そして、この地球とは、まったく関係してなかった…。
サタンがこれ。
主の守りなき人たちであれば、仏の加護に恵まれぬ人々ならば、
直接に相対して抗するのは、ヒトらには不可能かと…。
彼が対象とするスケール、枠は、地球、人類全体としてのもの。
全人類を滅びへの道連れにすべく、地上に生存する個人や組織を裏で操るまで…。
〈続く〉
今回は少なめ…。
付録:
Illumination
Illuminate
Illuminated
天啓と訳されたり、啓蒙となったり、そして悟りを得た人ともなる。
ここで独善的なる整理をさせていただこう!。
背景には何らかの霊性が控えているのは確か。
でも、どっちか一方の陣営に限定されるだろう。
これと人が深く関わった場合には、その当人には異常な体験が伴う。
それは長い体験にはならない。ほん一瞬のこととしかならない。
ヒトの神経では焼き切れてしまう。
即座にブレーカーが作動することとなる。
その束の間のあいだに、当人が、観ること感じることは
日常の普段使いの言葉では、基本、翻訳できないものになる。
要は特殊な訓練を積まないことには戯言のオンパレードとなるばかり。
”電波”って言葉が、ありがたいことにここ日本では定着してくれている。
「しっかりした人のみが恵まれる」ではないってことをここでは言いたいのさ。
薬物も当然にそうした世界を開いて見せてくれはする。
恐怖ってやつを梃子にして
その世界に到達するってことも可能。所詮は白昼夢としかならなかったことを、
大層なスローガンだと自認して、
広報している方々も世界にはいるって話しさ。
彼らは、完全に闇の勢力と感応して、
それを天啓だと思いこみ、
支配されてしまっている哀れな人達。
非常に迷惑な人達…。