第46話  それは1972年のことだった…⓱

文字数 13,289文字







…ヴンゥゥ〜ウンゥゥ〜ンウン(プッ)ヴゥーーーンンンゥン〜ブ〜ゥンーーーンンンゥン〜ヴゥウゥーンーンンゥ〜ンーンンンゥンーゥンーンーンンンゥン〜(プッ)ゥ〜ンー……





           「準備万端整いましたでございますー。博士…。」
           「これで遠隔での会話が叶います。」
           「どうぞ聴取室へとお出ましくださいませ〜…。」

























           ほいでからの〜そんでもっての〜やっとこさの〜…


                   【 到〜着 】


               ムー…フー…フー…ムゥー……


    ふら〜…ふら〜…ふら〜……

「ドン!」「バフー」「ギィー

お待たせした。二時間近くもかかってしまったよ…。
それで…。今日はなんだね?…、何用だね?…。

特別なる用立てがあると…。
誰をさておいても「このわたしをー」とのご指名だそうじゃないか…。

博士ご協力に感謝いたします。

まずは「ヒステリーとは何であるのか?」
これに関してのあなたのお考えをお聞かせ下さい。


「ヒステリー」…。なるほど。それで自分なのか……。
それはやるせのない…やりばのない“怒り”が…どす黒い塊となってどこか奥深いところから突如込み上げてきてしまうものなのだ。自分はその思いたるものに完全に染まってもう完全なる虜となってしまう…。そしてもうすべてのことはどうでもよいことだとの思いになってしまう…。実際自分の場合は、あの行為の最中における本心としての思いは「ただ悲しい」これだけだったのだが…。そのせいでか、とても苦しく、そしていたたまれなかった…。


なるほど…。ご自身としては

そもそもの発端はなんだったのですか?。
実質的なるきっかけは何だったと思われます?。


そのトリガーは…最初失望というか驚きたる思いだった。「まさか?」との思いなのだ…。いや「お前までもが?」がより正確になろう。これに続いて動揺と混乱が、そして惑乱からの激情へと至る。信じて好意を寄せていたものに突如

。こう勝手に早合点をしてしまったが為にだ。故に、まず深い深い悲しみがあって、それに不安に恐怖やらが付け加わる。そして最終的にどす黒い怒りの奔流。これは殺意だ。これ一色のみと成り果ててしまっていた…。

あのとき…あそこにあった瞬間とはまさに奇跡そのものだった。純然たる至福の到来。この地上においての楽園たるものの出現。いや天国たるものの具現化と言うべきか…。まったく見知らぬ者同士において完璧なる調和和合交流たるものがそこには達成されていた…。あけっぴろげで、あからさまなる交流…。そうであってこその、その上でこそ初めて成り立つ信頼と友情の思い。魂と魂のダイレクトな触れ合いがまったく自然なものとして起こってしまっていた。それはまさに…愛たるものの発現…具現化、顕現の瞬間だった…。


だがそれはあくまで偶然によるものであったがためにか、社会的基盤を踏まえたものでなかったがためにか…あそこですべてをとりもっていた環境はあまりにも脆いものでしかなかった…。そうとでしかありえないものだった…。ときの微妙なる変化において瞬く間にバランスは崩壊してしまう…。そこにあった出来事のの本質が、あまりにもデリケートなるものであったがために。

の単独にてに準じての達成であったが故に…。まさにあの場を支配していたものとはヒトが持つ天来性によるものだった。その証としての無垢なる交歓だった…。


それはあくまで偶然が用意したものにすぎないものだった。人間が狭量なる了見で作り出した
社会、世たるものがまったく介在しない世界…『あたなの王国たるを早くこの地上世界へと送り賜れますように』この祈りが真に意味するところのもの。それが表わすところのものの完全なる顕現。それが我等二人間においては適ってしまっていたのだ…。それは、神が勝手に手配して、勝手に送って寄こした奇跡でしかない…。二人共に、お互いに、あまりにも…
準備ができていなさすぎた…。


バランスは片側へと突如として傾きだして交流は自然と断絶となってしまってた。このことのせいでか、動揺そして恐怖の感情が相手の中では自動的に引き起こりだしてしまう。目の色の変化でこのことはあからさまに見て取れていた。これに、わたしは相手の裏切りを、手のひら返したるを観てしまう…。そして迅速なる怒りが我が胸中においては湧き起こりだす。不覚にも愚かにも他人に気を許してしまったが為だとの自責の念と伴に。私は自分に心底腹をたてていた…。同時に頭の中では、この後これから起こるであろう展開に対しての想像妄想イメージが駆け巡りだす。すべての収束としての予測は我が身に及ぶであろう重篤なる危機として確信されていた。我が身は、我がこころは、この予測イメージに、捩れんばかり、引きちぎられんばかりとなる。わたしこそが今、恐怖に襲われてあるべきの当事者だった…。

まさに絶体絶命のピンチ!。おそらくは村人らによる集団リンチを想定されてしまっておられたわけですな〜?。ならば次点の策は、その危機そのものの発生を避けること!。封じること!。強引に短絡的に行けばの話ですが…。


ちょっとまってくれ…。話を続ける前に、先に、結論めいた話を今ここでしておきたい…。
それはとても大切なことなんだ。抜けると絶対にいけない。ここで先に言わせといてくれ…。

交流や関わりにおいてのバランスや距離感を、自分はもっとちゃんと意識できるようになって
おくべきだったのだ。それらを真に支え持っている世界の恵み、サポートたるものについてを…。そのことにおいての理解を、自覚をもっとしておくべきだった。そのことにおいて自覚的でさえあれれば…。はっきり言えば、第三項たる超越者を、神そのものの存在を、絶えず何処にいても何をしていようとも…。彼をあの場において意識さえできていれさえすれば…。
ことの開始、そしてその別れとしての解除は、もっと洗練されたスムースな幸運なる形としてのものとありえたであろうに…。だが、あの時節の自分には、それはまったく叶わないことだった…。



そう…そうだ…。そのとおり。ことが深刻であればあるほどに、出来事の一切は

との思いが全面的となってしまう。このエゴイスティックな考えにヒトたれば短絡的に憑かれて、その思いに救いを求めて、すがりついてしまうのはしょうがないことだ。事実の隠蔽。嘘偽り。妄言虚言のオンパレード…。これを支えているのが「われのみが良ければ他は全てどうなろうが構いやしない」をモットーとして生きる幼き

としての行動パターンだ。つまりはこれは、純然たる動物次元のことなのだ。

これの面白いところは、ことの自覚の一切は意識下に追いやられてしまい、当人にはことに関しての記憶は一切残らないことにある。実際は彼当人の中のみにおいての思考操作の話でしかないんだがね。忘却の淵に投げ込まれていてて今じゃ〜何も憶えてはいませんだ。欺瞞も欺瞞これ極まれりでしかない。だが本質は何一つ忘れちゃいない。それは大切なことは何一つたりとて取りこぼすことなどありえない。この事態こそ、彼にとっての呪いとなるのだ…。

そうだ。あいつら村人らだ!。あいつらのことを念想してしまっていたが為にだー。*(この辺から混乱あり。)それを思ってしまっていたからこそ…。いつの間にやら自分は突如、窮地に陥ってしまっていた…。そのことをはっきり自覚していた。そして自分にとって世界の現れは、突如見知らぬもの、素知らぬ者へと、冷徹なる糾弾者、排斥者のものへとわり果ててしまっていたのだ…。自分こそが今窮地に立たされてある者だ。追い詰められるべくしての者なのだとの思いで一杯になる。いつの間にか、そうなってしまっている…。この認識がわたしをいたく苦しめていた。

そうなれば、先ずはさておき、この自分たるものこそを救うことこそが先決だ。世界を先ずは
復旧せねばならない。

相手たるのを完全に、この世界から取り除くしかもうそうできる術は、道はなかった…。自分の思いつく取れる方策は、それ以外なにも残されていなかった。

この考えのままに、その胸に焦がれたるその思いままに、焼け付く程のこの苦しみに責め苛まれて、急き立てられてのその衝動のまま、迅速に的確に確実に、相手に一言の有無も言わせず聞こえ得ず、否応など一切関係もなく、込み上げるその衝動欲求のまま、既に体が勝手に行動を起こしていた…。ことの結果は、どす黒き込み上げてくるその怒りそのもの…その激情に翻弄されるがまま…制裁たるものを行ってしまっていたのだ…。罰たるものを与えて、思い知らせてやらねばならないとの思いを自分は決心として確かに持っていた。お前は私の信頼を裏切ったのだからと…。このことを自分はこの相手に骨身に染み入るまでに教えてやらねばならないのだと…。


自分はただ好意として愛として感じたものに準じて、それに沿って、自然と喚起されて沸き起こってくる思い、そのささやかな欲求が叶えられるものだとばかりに思って、お前に好意をよせていたのだから…。


既に、最初の最初から、出会ったそのときから、
わたしはお前を愛してしまっていたのだから…。


博士ー、あなたはなんと崇高にして気高い魂に、恵まれたお人であることかー!。
そのことが返ってあなたを不幸な目に合わせていたのかも知れませんぞ〜。
いやきっとそうなんでしょう!


    ………


ここで振り返りとして、改めて、最初と同じ様な質問させていただきます。
その怒りの原因とは?。あなたの総括としてのお言葉をお聞きしたくに存じます。


自分の思いどおりに、

、ことが運ばなかったから…。
それだけのことだだ。その機会の到来を、平素から絶えず魂が焦がれる思いもて意識下では願い求め続けていたのだ。それは今となればこそ分かること…。他者との出会い、そして関係を深めたところにおいての交歓交流。それこそが、この世に生を受けたるものたれば誰もが持つことになる求めの精髄、本質なのだ。そうであることに、それがあることに、なんとこんな自分であってでさえ…、罪人どものあれらなんの知性も教養もない、品性下劣極まりない、社会における最下層のゴロツキどもの死体の継ぎ接ぎに過ぎないこの自分であってでさえ!内においては、その期待が、その願いこそが息づいていた…。


これは異なことをおっしゃる。その源泉は肉体からの要請に基づくものではなかったと?。


まったく違う。それは

でしかない。これぞまさしく天来、
そこ由来のものなのだ。おそらくは天に起源を持つ精妙なるなにか…。それこそが感情フィールドたるものに舞い降りたるの天使なのだ…。これこそが真に主としての覚醒をもたらす核たるもの…。良心に真に力与える鍵なのだ。そうして、あってこそ、特別なる価値ものを、こころに、意識に自覚させるに至り得る…。その状態にあってこそ、願うとことのものはすべて願う叶う…。そもそもの最初から、それにおいては、神との同調、そのことによっての神能の発現、顕現、神からのサポートは当然至極なものでしかないと確信されてしまっている…。


天使?。いまのところを、もう少し詳しくおきかせいただけませんでしょうか!。


それはヒトの誕生に際してのすべての人間に訪れたるの天界から使者なのだ。そして、それは、ことの最初に、もっとも繊細精妙にしてなる、かつ激しく変動変化する生体電磁フールドたるものに、その宿主たるその人間の存在の実態ものの中に、歓喜をもってそれは身を投じるのだ。その大海に身を投げて溶け込む…。分散化し果てて、しつくして、それは自分の本来の姿を完全に失ってしまうのだ。それが持つ神性の力と伴に…。いつか、その宿主に、自分の所在が気付かれることを、察せられることを、然して尊ばれして自覚されて再び完全体として呼び覚まされることを期待してのことなのだ!。信じて、祈って、その事態に至ることを宿主たる当人自身に託して、一度は霧散して果てたるの、死を選んだるの

…。あとは仄かな存在の気配としてでしかヒトには自覚されやしない。ただ悪戯に、気まぐれななるままに変動する強靭なる霊子/量子場たる網の中に囚われたままとなる…。そして、やがてに、宿主の寿命と伴に、本当に霧散し果てて、大気中へと放出されてしまうこととなる。そして完全に消滅してしまうのだ…。これが一般的なそれの生涯だ。とにかくそれは堅牢にしてなる牢獄に幽閉されたるの、いつか勇気ある騎士によって救い出されることを願い信じて待つ姫様状態にあるも同じなのだ…。

だが、いざそれの萌芽において、期待や機会が裏切られたときの反応は、激越なる変動となって現れてくる。即座に事後の支配権は汚らわしき肉体へと有無を云わせず、強制的に移されてしまうのだから。それにとっては崖から蹴落とされてしまったにも等しい事態になる。その原因が、己が意思の弱さ、理性の拙さ、知性の精神の薄弱さ、自覚の準備のなさにあったとしてもだ。それはあまりに儚い…。ここ地上においての、それの顕在化、覚醒としての立ち位置たるものは…。


でもそんな事態にはならないよう、基本、理性たるものが、

を制止するものだと思うのですが?。筋の通った職務たるものに実直なる私設警官たるものが!。それは少々のことではまず影響など受けるはずがありません!?。


理性たるものは、ヒトの

基づく。

と同じくして

での、

での展開なのだ…。その理解たるものは経験の積み重ね、試行錯誤の結果としてのアーカイブだ。知りたることの積み重ね…つまりはその個人においての知識全般のことになる。見たり聞いたり読んだり体験したこと。それらの質と量においての総括、洗練、抽出、その積み重ね…。その度合いは人それぞれに異なる。このことは意外と、あまり共通認識とはなっていない。見た目は同じでも、みんなてんでばらばら…。それらデータの蓄積が、理性たるものが活躍する舞台たるを構成する…。

経験則たるものに基づく如かず…。そのレンジ内にてで制限される。あくまで留まるものでしかない。ゆえに、その個人の理解を越えた範疇のもの、つまりは経験則が通じない事柄などに接した際には…、理性は機能しえない。まったく…。したくとも

。それが実際でしかないのだ…。

片や…たしかにっ!魂は生まれ落ちての元々から知っている。〈真〉〈善〉〈美〉を!。それも完璧に…。なぜか生来的に、これらに価値あることを理解している。これのみを価値として生きている。だが

はヒトの一生を通じて虚弱なるもののままなのだ…。獣としての熱く激しいダイナミックな生存競争が社会生活においても優先されるがゆえに。一般的に、日常の意識において、これが行動を制御している事態、率先指揮する機会など先ずありえない…。*(悟性としてとらえられる謎の資質がヒトにはある。これは何故か獣性としての現れに目を背ける、厭う。つまりは否定的な反応を示す。対立的な立場。)

ここで、理性のできる最善と言えば冷静に事を観察することだけになる。新たなる情報の吸収
処理の過程に入るまでのこと…。そういうときの心構えは絶対に動いてはいけないだ。こころ
落ち着かせたままに事態の成り行きをただただ見守る…。世界に預けるべきことは預けてしまう。落ち着いてことの成り行き収まりを待っていればいい…。ことはなるようにしかならないのだから。これこそ理性たるたるヒトの取るべき態度と言える。だがこれでさえ出来得るヒトはとても少ない。闇雲なる反応系の奴隷であるとしか、大方の個人に行動の選択肢はない…。

もしくはこうも言えることだろう…。今まさに、そこに沸き起こってある感情を抑えるべくしてなにか頭で考えるならば、その理屈にもし本人が納得できないのであれば、二律背反を背負うことは避けがたくとなると…。例外的なる事態が、まったくもって予想外の出来事が、その初めての経験となる事態そのものが、理性の働きを著しくちっぽけなものに、無力なるものに変えてしまうのだ。そんなところに生半可な…中途半端でとってつけたような理屈などの介入の余地がありえるはずがない。いままさに立ち起こってそこにあるものを、生々しいまでの恐怖や怒りの激情を制御することなどできようはずがないのだ。


なにか事例となるべきものをいただけませんでしょうか!。


例えばとある女性が性交渉を、それのみをだ!つまりは性衝動の満足のみを目的として、積極的に行動を執る事態とかがそうだな…。だが彼女が所属している社会においては、こうした動機、行動、風潮は、不道徳なることとみなされてしまっており、基本的には許されないものであるとしよう。自身の肉体の只中に立ち起こってきたるの性衝動。これは我知らず我関知せずの内に発生した自然な欲求。その個人においてはまさしくリアルなるものだ。片や倫理としての「駄目よ/それははしたないことよ」は社会的秩序への配慮に基づくもの。これは完全に頭における人格たるものが行動において沿うべくの規範コードだ。理性的にはどちらも正解であると彼女は分ってる。だが基本、自然的な欲求は止むことはない。満たされるまでのあいだは…。なので彼女は、もうジレンマに陥るしかなくなる。そして自己をコントロールすべくの握るべきの、確かに有効となる手綱を持ち得ないので、元々から社会制裁に対する恐怖しか持ち合わせていないので持ち合わせていないので、馬はあるとき暴走を勝手に始めてしまう…。つまりは、何やら突如突然に、何を誰をはばかることもなく、(わめ)(ほえ)えまくり()めまくり始めるの事態のことをいっているのだが…。騎手として馬に乗っていながらも、彼女にはこのことをどうすることもできない。ずばり“Out of Control (ルアウトオブコントロール)”たるの事態となる…。


確かに性における要請と、死を回避すべきの要請は、ときに圧倒的な力を振るってきますからな…。きれいに片付けて、整理してあるテーブの上の一切をヒックリ返してしまう…。最高順位に連なる生存プログラムなんでしょう〜。


このことは性欲においての話だけではないのだ。ヒトのあらゆる欲望において同じことがおこり得る。対処においてのポイントを教えといてあげよう…。さっきもう言ったにも等しいのだが、個人の持つ理解たるものには個人差がある。浅いのや、狭いの、軽いの、そして深いのやら重いのがいるわけだ。ことがその個人の理解の範疇に収まらないものであったならば、理性たるものの自制としての価値はもうないも同然だ。そこでだ…理性が役に立たなくなってしまっている大衆に対して、体制側がとるべくの手段ってのがなんであるかは分っているかね?。つまりは自制することがもうできなくなってるやつらにおいて…。

暴力!。恐怖をもって制御するしかもう方法はないんだ。


感情の暴走を同じ感情においての、より優先度の高い恐怖をもって止めてやるのさー。本能中枢にまで至り届き、響くほどのもので!。根源的な恐怖ってものを、掻き立ててやりゃ〜いいんだ。そうすりゃ〜そいつのヒステリーなんてもんは…「一発で」「一瞬で」吹っ飛んで、消し飛んでしまうようなる…。後は借りてきた猫みたいなもんさ…。たおやかで、穏やかにして、従順この上ない人間となる…。


場合によってはそういったことも対処としてはあり得るのかも知れませんが、なにか根本的な
解決には至ってはいないような…。むしろ問題は埋もれたまま、置いてきぼりの状態ですよね?。ちょっと確認なんですが、そこまでの激情ってのが、どうしてあり得るのですか?。
誰においてであったとしても、ヒトの持つ理性ってものには信頼をおきたいのですが…。


たぶん、君の思っている、その理性とは、良心のことなんだろうなと思う。
……そうだね。良心たるものが顔をだしてくれるのなら大層なことにはならない…。
絶対にそんなことにはならない……。


でも実際…基本手綱を握っているのは頭なのだ。ここが理性とか知性とかを司るのが本領の部位になる。ここが良心の言うことに反応を、第一義と認めてしてくれてる分にはことがどうなったとしてもさしておかしなことにはならない…。初めての経験であったとしてもだ…。でも平常、頭は外を向いている。注意や配慮の殆どは自分の外っ側に向けてのものになる。

求めの向け先ってのも、外側にいる誰それとか、外側にあるなんたらとの関係においてなのだ。通常個人の行っているすべての思考は、自分の求めるところ、期待することろを、外部外界において、如何に達成することができるか、どうやったら叶うことになるかでしかない。

そのことの本質は獣に備えられたる生存プログラムの発動でしかない。これにヒトのみが備え持つ観念化の能力が関わることによって、対象においての過剰な意味付与が果たされてしまっているまで…。分かるだろうか?。ことの本質は、わけのわからない夢見妄想によって我々は翻弄されているだけなのだ。自動的にしてかつ強制的なる、システムの作動要請において…。

元たるプログラムからの要請は生存においての必要不可欠に基づいてのものではないですか!。対象把握が豊かにより細やかになること自体は良いことだと思うのですが…。

その目的は、本来的に、真に我々のことを慮ってのものなんかではないんだ。物質的自然たるものの恒久維持の為でしかない。ここに、我々の良心、魂たるものへの考慮や配慮は基本存在しない…。それら、本質としての感性からすれば、何故か、要請されてある内容は、悍ましい、あさましい、醜い行為としか映らない。なにか粗雑で荒々しく、即物的でガサツのままでしかない。よって決して満ち足りること満足することはないのだ。魂の満ちたりからはあくまで遠く隔たった世界でしかない。ここに暴走への、マインドの誤作動たるものに至るべくの、敢えてでもそうせざるにはいられなかった暴挙たるものへの起縁があるのだ。

だから余計、良心の声ってのはあまり聞けてないんだ。聞こえてやこないんだ…。それに重きもあまりおいてない。それがあることさえ遠に忘れ果ててしまっている。あくまで外部に焦点はあてられたままなのだ。それとの関わりにおいてなされる投影…つまりは自分の願望やら希望やら妄想を叶えること具現化すること…いや考えてあること自体か…これが絶えず、いつもいつも優先事項になってしまっている…。なり果ててしまっている…。

動物ならば、まずあそこまでいくようなことはなかったであろうに…。ヒト存在であればこそ。思いが昂じるってな事態にもなってしまうわけさ。想念をグルングルンぶん回しての空回り。脳内サーキットを思考が延々走り続けている…。この手応えなしの、出口なしってのがまた事態をよけいに拗らせることになってしまうんだ。イライラが累積していくばかりとなる…。そんである日、あるとき、ある限界を迎えて越えての大噴火ってことになる。もしくはだ、悲しみの方に振れて、涙臭くも打ちひしがれて、そんでうつ病こじらせ、消沈消耗していくばかりのやつかな?。これは個人のタイプにもよるのだろう…。


理屈においては立ち位置が二重化してしまっている。個人としての自分と、社会的秩序に収まっての自分だ。両方ともに上手くやっていきたいってのがヒトの本音さ。辛うじての矛盾の解消策。だからバランスぐらいだろうねことを取り敢えずで上手く治めるのであれば。金で解決しとくのが無難だろう。でもちょっと難しいか…。誰にでもってわけにもいかないだろうし…。


ちょっとお茶をもらってもいいかな?。喉も乾いてきたことだし。
おおアルションか…。ぼくはここのアップルティーが大好きなんだ。
ケーキ作りではここは日本一だろうね。かってはだが…。

ゴクリ」。


ところで私を創造した

…あいつは悪いやつだったな〜。自分自身が抱える、
その度し難き己が気性性分たるのを、それを表現するのに、私みたいな怪物を創造しおった
のだから。カモフラージュ…。私にとってはいたく迷惑なはなしでしかなかったのだが…。


我が創造主たるの女…。ほんとにあいつは気まぐれで大嘘つきの業深き女だ…。大嘘つきの淫乱ペテン師野郎!。そんでもって死体なんぞから俺を造りよってからに…。碌でもないやつだよ。女としての思慮配慮の(あさまし)さのまさに権化、その奔放にして無軌道なる性格のままに!。

自身のそのどうしようもない身勝手さを業腹ぶりたるをこの私に投影しよったなー。その愛しいとまで思うほどの己が気まぐれぶりたるのをー!。このムッツリ助平のヒステリー女め!。なぜ男の肉体にしようなどと思った?!。逃げたな〜。隠したな〜。ごまかしたな〜。

おい!こらー!この嘘つきのインチキ女めっ!。こっち向いて返事をせんかー!!! 。


博士ー!博士ー!、アルションのアップルティーのおかわりはいかがですかー!?。


喜んでいただこう。熱いのを頼む…。それと煙草を吸わせてもらうよ。かまわんだろ?。



ヴゥーンンンゥン〜ブ〜ゥンーーンゥンヴゥーンンンゥン〜ブ〜ゥンーーーンンンゥン〜…


それにしましても博士!、あなたはなんてざっくばらんで正直なヒトなんだー。
これほどまでに事細かにご自身の内面たるのを語れる方は先ずいません!。
いかにあなたが純真無垢かつ誠実このうえない方であるかが分かります。


その実際の事情たるのはえらく違う…。わたしは切り継ぎ、継ぎ接ぎで出来ているから、各領域間の齟齬が悪いんだ。連携や調和が著しく阻害されてしまっている。だからこそ、いつも余計な配慮注意、自覚的な制御が必要になってきてしまう…。無軌道にデタラメに動く機械の中にいるもんだから…、だからこそ、かえって気づくこと、自覚できるってこともあるわけさ…。


それはご不便この上なしってなことになるんでしょ〜な〜?。
ほんとにほんとにもう〜「オーマイグッネス」ってなことなんですな⤴!?。
博士、続けて下さい。もっと聞かせて下さい。もっともっとをー!。


了解した。今日は思うところのできる限りを語らせてもらおう…。
先にリクエストをしておこう…。シャンパンが飲みたい。そして後で散髪をお願いしたい。
そして会話の途中に気晴らしで好きなことをさせてもらう。


すべて了解いたしました!。


もうどうなっても知らんからな…。


ここからはこの後の会話においての重要事項のみをとりあげる。日常の我々の意識は基本、安楽安定安心を絶対なる価値として希求する。そして飢えを避けるべく定形のルーチンとしての仕事を求める。ベースとしては動物の獣たちが被る悲惨さから自らは逃れたかった。これを原動力として社会文明なるものは築かれた。とある民族の上級ハイソ・インテリゲンチャルらにおいて、そこに厳然としてある運動は、ゴイムッタラレバヤッパリソウナンカイナ〜ルールルニアル・トレンドと呼ばれているもの。そんで数千年におよぶ努力奮闘のお陰で、できあがっているのが国民皆総夢見とでも言うべくの現代社会におけるまさしく実態なのだ。その日常たるものは、誰もが皆、社会規範常識なるものを、なにやら絶対的に根拠のあるものと信じ込み、共同幻想にしかない価値コードにどっぷり浸かって染まっていながらも、そのことになんら自覚のないままに流されて生きていることを意味する。春夏秋冬、同じセッションが繰り返されて然りと思い込んでいらっしゃる。その乗り物としての器が「家」であり「会社」であり「国家」なのだ。繰り返しておくと、

、自然界における動物たちが被るその悲劇、悲惨、苦しみから逃れんとしての考案でしかなかったのだ。だがこれは砂上の楼閣でしかない。そうとしてでしかありえない。これは少し考えれば誰でも誰にでも分かること…。分かるはずのこと…。よってこの事態あるものに自覚的でなかった人々は、いざ大いなる災いを引き連れての変動期が訪れたならば自制がことごとく効かなくなる。もう理性的ではいられない。そして行動を率先してある考えは無情にして非情なるあさましき限りでの自己保身。それを特徴としての態度決定のみ!。ところで、動物獣らが被るその悲惨さにヒトはただ甘んじてりゃあいいってわけではないんだ。なぜかくなる状況にヒトが至ったのか?、置かれているのか?、この原因/理由たるものにおいての自覚を分析を理解を徹底し、その上で、なすべきことたる課題を意識して、そのことだけで、ただ邁進してさえいればいいだけの話しだったのだ。その自覚認識理解の上においてならば、家も会社も国家も十分に価値ある考案たりうる。でもそもそもの、本来の課題をそれも苦しいからと言っておざなりにしてきたこと、そいで自分勝手な抜け道を設けて、肝心な課題を誤魔化そうとしたことに、はっきり言えば、ズルに走ったことにこそ、今日における最大の根本的なる問題がある。なによりも個人は、自分の人生においての責任を、他人や社会、外部に一切預けることなく、自分の内にのみにすべてあると意識しておかなくちゃならない。でもこれは一人では持たないので、第三項たる庇護者を(つまりはSとOを上位から総括できるを)、信仰の対象として持つことがどうしても必須とならざるを得ない。ヒトの一生は過酷でしかなく、かつとても長く、独りだけではあまりに弱いものだから…。







     「博士!。本日は貴重なお話をどうもありがとうございましたー。」
     「あなたのしでかしたことは神はきっと大目に見てくださることでしょう。」
     「自室へお帰りの際には、是非

…お戻り下さいませー。」













        使われた脳は知識教養たるものが欠けているのでお勉強に余念がない。
        このことは現在、博士の生きがい、大いなる楽しみとなっている。
        愛読書は『新約聖書』と『アンネの日記』だそうだ…。



                    〈了〉













あとがき:

思ったよりもずっとずっとはるかに時間がかかってしまった。なんでなんだろ?。メチャクチャやりずらいことこの上なしの回だった。写真のいじくりや構成も手間取ったのだが、それのせいではないな…。まったく違う話が念頭においては混ざり込んできてもしまっていたし…。誰かのなんらかの妨害が働いていたとしか思えん。結局、中途で、構想半分で、言葉足らずのまま、放り出したに等しい…。ごめんなさいー!。

ところで、この稿を制作した人間ってのは、実はその映画も見てないし原作も呼んでないんだ。大方伝聞で聞きかじったことでしかないんだ…。つまりはあらかた想像でやりましたーってことになるんだ。だから内容的にはすっごくいい加減で、デタラメ、そして嘘ばっかりなんだ。だから〜、原作原本に当たられるのがー、大事だって前から常々予予言ってるでしょー!。


気力が尽きてしまって、割愛したパートがある。これはインビュアーが語る彼の幼き頃のエピソードだ。“彼は子供の頃、実家で子犬を飼っていた。彼はその犬をとても愛して大切にかわいがっていた。だがあるとき、家の前の道路にそれと一緒にいた時に、車がかなりのスピードでやってきた。慌ててその子犬を守ろうとして声を上げて彼の名を呼んだ。ところがだ…その子犬は何を考えたのか車に向かって勇んで駆けていくではないか!。彼は、このことの事後の予想において、胸が引き裂かれそうになってしまう。幸い子犬は無事に済んだのだが、彼は子犬が自分の思いをまったく汲まず、更には自分の愛情を無碍にしたことにいたく腹立ちを覚えていた。そんで子犬は、そのことの直後、彼の折檻に会う羽目になった。そんで足蹴にされがことが原因で死んでしまう。そこことがあってから彼は、いかな怒り、癇癪をかこったとしても、その原因となった誰かを攻撃することの一切が、癇癪を起こす事自体が、もうできなくなってしまっていた…”これをいつか、上手に組み込みましょう。





                    付録!















            「土曜の夜はディスコにて出没されている。」






      おそらくだが、これはインスパイアーされての映画だったのでは?
      要は別バージョンとしての双子的作品であるとみなしていい?。
      救済中和として構想されたるのお話し?。



        https://www.youtube.com/watch?v=0wg7QjQztlk&t=1193s



     アホほど写真集めちゃったから再登場あるわ…。

     

ところで…。


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