第38話  それは1972年のことだった…②

文字数 2,397文字

さて舞台は整った。本論を始めることとしよう…。

あの作品を語ったもので傾聴に値すると思ったのは橋本治氏のものだけだ。うろ覚えだけれど
再現すると「思春期の少年が大人になることにおいての恐怖と葛藤の物語」であると。
幼き子供の目からすれば、大人の世界は何やら暴力的で恐ろしい世界のように映る。
でもこの時期にある子供たちは獣の本能の要請によって、やむにやませぬ衝動に
急き立てられていってしまうは紛れもない真実だ。
自己顕示欲、性衝動、力の誇示、暴力衝動、etc…。
彼の弁はなるほどそんな風にも取れるのかと感心したものだが、
これでも自分的には未だまどろっこしいソフトな総括としか思えない。
自説としてはもっと極端にして

なものになる。
そして確信ともなっている。それを、その思いを、語らせていただきたく思います…。


Re:不動明①



絵柄からは:
  穏やかで心優しい(理性的な)好青年。
  運動会系(人に競り勝つ)は苦手で自由時間は本読むことに費やす。
  子供の頃からの純心そのままの連続性で今にある。
  お育ちがおよろしい限りの甘ちゃん坊やでございますのよー。おほほほ…。

疾風怒濤の季節のその渦中においてでさえ彼はそのままでいれてる人。
ほっといてもその足場はやがてには崩れ去るんだが。
世界がそれを許さない、ほっとくわけがないのだから…。



戦うこと闘争は獣の習性だ。暴力沙汰も場合によってはこなせなきゃいけない。ただ、このことは心優しい明からすれば恐怖と抱かずにはおられない苦手としてしかあり得ない。でも男たれば、自分の家族、彼女、子供を守るためには、つまりは愛するもののためならば、嫌な、
極端な態度決定も実行もせねばならないときがある!。これはこの世界における必定だ。

転載のこの部分は勇気の話しだ。決して喧嘩上等の話しなんかじゃない。状況によっては
従来抑えてきたものを解放することも決して間違いなんかじゃない。
場合によっては火を吹くような思いもて怒ること、渾身の力で相手を殴り倒すこと、
息の根止めたって…構いやしない。

真の怒りは神性に根拠を持つ。(なんかこんなことをGは言ってたな)
キリスト教徒なら彼の御受難における勇気を思い、
目前に差し迫る障害/脅威を突破するべく勇気を奮い立たせたりもする。
Passio Christi, conforta me.(我を強め給へ)はその折にされるべきの祈りだ。

なんでもかんでも乱暴もて暴力的であって良いって話ではない。青年期の課題がだ。必要であるならば、そう言うことでさえも辞さない心構えの獲得が必要なまで。実際修羅場を経ることなくしてその獲得はあり得ないだろうがね。これが本来ならば、明には、その様に至るべくしてのストーリー展開が整うはずだった!。(あの

のようにー)。

*このストーリー展開こそがあり得べきの、
 最善手としての、”唯一”にして無二の、”

”の筋道だ!。

だがここで、要らぬ介入が持ち上がってくる。
そのことによってあり得ない事態/状況が不動明にもたらされてしまう。
それはもう後戻りできなくなるようなもの。
そして、あって然るべきの展開/可能性は、もう

失われてしまったのだー。

そうあの飛鳥了の登場によって…。





この駒(キャラ)が最初からおかしいのだ。
確信犯的に理法を違えて存在しているこいつこそが…。
作者の背後に腰を据えているこの存在を炙り出すことこそが本稿の目的だ。
彼はのちに二転する。ここにあるのは最初のヒトの姿としての誘惑者。

(べ)・リ・ア・ル


③へとつづく。



おまけ:

ラフスケッチ

明は何の表象なんだろうか?

敗戦後、それでも経済発展は異常なスピードで日本は勃興していった。そこにあった真実は
生活感たるものが根差すべきの古き良き日本の喪失だ。欧米世界には類を見ない、あのアインシュタインが来日に際して絶賛した日本人とその文化。GHQかオバQかなんだか知らない
けれど国政を裏で握ったそいつらの所為で精神性〈何でもいいんだけど神性を崇める姿勢〉は
根拠を失い国民性は浅ましい限りへと変わってゆく。食う事こそが最優先事項となっていたのだから、これはしょうがないちゃあしょうがない話しさ…。されど皮肉な話であると同時に
幸いなることは、戦死者の数を埋め合わせるかの如くして湧き起こったべビーブームと、
異常とも呼べる好景気の循環だ。これが本当に長きに渡り続く…。
(これのほぼ始まりであるS37に自分はこの国に生まれ出る)

ここにはバランスの話を何故か見てしまう。片側が沈むことによって、もう片方が上がっていくの展開をだ。これもシナリオだったのだろうか?。(既に念頭にはコントローラーとして

が置かれている。)とあるトレンド(潮流)に向けて日本民族を押し出してゆくべくことは仕組まれていた…。なんと大掛かりなオペレーションであったことか!。ヒトなんかに出来うることではないな…。

繊細にして純朴たる当時の若者たち。後塵として思春期のステージに立っていた彼らには日本が何か間違った方向に向かっているとの印象が持たれてしまう。それも如実に感じられるダイレクトな生活感、肌感覚として。その集合無意識的なる抵抗が全共闘の運動の中に流れ込んで行ってたのもまた事実であったのだと思う。森田童子の歌を聴けば、この手の心情を、思いたるものは如実に確認することができる。あまりに儚く純粋な、うら悲しき情緒であることか…。

明は、彼ら/彼女らを投影すべきなのではないだろうか?。認められない受け入れられない現実が立ちはだかり、大人となるべくの真っ当な一歩をどうしても進むことができなくなってしまってた?。そんなこと/話よりも国の姿勢に対して抵抗を表明し、渾身の力もてNOを叩きつけることの方が先ずは先決で差し迫った課題となっていた?。

そんな魂、そんな状況下であるからこそ標的とされた?…


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