第41話  それは1972年のことだった…⓬

文字数 10,711文字



まずは開口一番:「お勉強するずらぜよー!」(浪速生まれの浪速育ち)

この年表を

見分することによって、
なぜ日本民族が、かくの程までにも、今日に至るまで、
(あるグループらによって)
毀損すべきの対象とされてきたのか、
また未だそうなっているのかの理由が、
やや程なれども、推察することが叶うのではないだろうか…。

*(こーゆー長ったらしい文章は嫌いです〜)

国体としてのその息の長さは『ザ・

・イン・ザ・

』。
そうであるならば、次はその理由だ!
その理由原因は


海に囲まれて物理的に隔絶された島国としての立地条件とー、
また単一民族としての国家形成が果たされてきたが故にだー!。

『 違うーだろーーーって!!!』(爆)。

確かに、それらも決定的にして重要な要素ではあるがー、
核心としての話をするならば、それは天皇制であったが

だ。
それが、現人神たるものを奉る宗教/信仰に基礎を持つものであったが


向こう側には、その背後には、天照大神、

神々がお控へ給えしておられる…。


だらだら話者たるわてくしが意見を述べる前に皆様の考察を了解を得ておきたく思いますー。
この話者はデビルマンの最終章の解説の前になんでまたこんな難しいことから始めよるねん?
って考えてみて頂きたいのですぅぅぅ〜。

さて、考察の対象とされるべきは、その天皇制の、その精神性の如何についてを考察するに
おける材料とされるべきものはなんとーあのGHQによって封印の憂き目となってしまった
教育勅語なのでありますーーー。

現代語訳を以下にあげます。

読んでみて…。

そんで考えてみて…。

このような教えが国の隅々まで行き渡り、現人神様からのものとして、
全ての民草が真摯にその実行を心掛けていたその民族とは
一体どのような、いかなる人々だったのだろうかと…。


「ガーガッーガー…ピーピーピー…」(電蓄の同調音)

  私の思い起こすことには、
  我が皇室の祖先 たちが、国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、
  そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。

  我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、
  世々にわたってその美をなしていきましたが、
  これこそ我が国体の誉れであり、
  教育の根本もまたその中にあります。

  あなた方臣民よ、
  父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、
  友人は互いに信じ合い、
  慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、
  学問を学び、
  手に職を付け、
  知能を啓発し
  徳と才能を磨き上げ、
  世のため人のため進んで尽くし、
  いつも憲法を重んじ法律に従い、

  もし非常事態となったならば、公のため勇敢に仕え、
  このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。
  これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、
  あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。

  このような道は実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、
  子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、
  国内だけでなく外国においても間違いのない道です。

  私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、
  皆一致してその徳の道を歩んでいくことを希(こいねが)っております。

  明治二十三年(1890)十月三十日

昭和23年(1948)、国会で、この教育勅は、失効および排除と議決される。1945年が玉音放送
があった年。実期間としては58年間。現人神からのご命令という形でそれは影響力を発揮していた。失効との議決を経たとしても多くの国民のマインドには根深く刻まれており、解消しがたい行動指針として残っていた。S37年生まれの自分の生育環境においてもその色は確かに残っていた…。

Re:閑話休題ー!

こっからはかなり雑にして要点のみにてで参ります。文字数減らす為に…。

ことの判断は古事記日本書紀の解読吟味と伊勢神宮へ実際に行くしかない!。
言説の吟味と実地に自己の感性において、各自、皆様

確認するしかない。
何を?。「知らねへ」(黒板長)

言説において、絶対に注目しなければならないポイントは『造化の三神』においてだ。
国造りが具体的な展開をみせる前、国土たるものが現実に、その土俵たるものが形成される
前段階における内容の部分。

特にすべてに先立って、最初の最初にに現れたとされる『天之御中主神』なる神。
この言葉はヒトがのちに勝手に付けた便宜上の呼称でしかない。
問題はそこに込められた

だ。

だって…。

これと同じ意味を持つものとしては:
大日如来ブラフマー太極、そして父なる神しかない。
*Gのベルゼにおける『至聖絶対太陽』も入れるべきですね…。

介入:
全く出自/起源の異なるところからの総括としてのタームなのだが、二人による証言は真実である(ヨ8-17)として

とするしかない。ここでポイントとして意識しなきゃならないのは、中心としての概念と、階層(ハイアラキー)構造といったとらまえ方だ。センターとしての太陽があってこそ地球を含めた太陽系があるって認識と。そしてその宇宙の全て(つまりは大宇宙)を統べる存在として

があるってこと。

重心は実は、複数、無限にあって相対的な関係性の元、そのどれもが実は中心だとも言える。
地球が太陽系の中心となる局面があったり、あなたが世界の中心となってしまう時もある。
回転の回転の、またその回転の、全てを含んでのまたまた回転の、回転の回転の……無限。
介入終り:

そして『造化の三神』はみな”独神”で

としての呼称で表現される。
そして三神ともみな不可知不可侵の神だ(表現では「お隠れになった」とあるだけだが)。

これって、新約聖書における三位一体と同じとらまえ方だと…、あと
カバラの、生命の樹(セフィロト)における三柱を連想させるは避け難い。

先人の霊智によるものなのか、それとも輸入、もしくはパクってきたものなのか?…。

根っこはみんな「おんなじよん」で片付ければ、それでただいいだけのことなのかな?…。

だた据えられるってのは、なんかの絶対的な根拠はあったわけだ…。

とにかくー、日本はー、

、正解たるを、その精神性の奥底に、その核心に、

/

なのだ。(だからぼくちんここに生まれてきたのー。)

*可能性の一つとしては、もともと核心しては、真のキリスト教と同じなのかも知れない?。 
 それは言説化を繰り返されてきた、形骸化されてヒトの恣意性まみれになってしまった
 ものとは違う、純粋なるままのものとしての状態を留めたの意味である…。

*既に、パウロの観察においては、キリストの昇天後に、その教えはすぐさまおかしな
 変容を遂げてしまう。体制的な教義に取り込まれて。人為的に。
 これはパウロ本人が語ったことだ。

これにおいてー、隔絶された、四季に恵まれた、美しくまた過酷なる環境にて、
幸運にも、その国に生きる人々の魂は、それなりに

磨かれてきた。

だが、それの特異なる実在性を、広く宣教されてしまうことになる。

マルコポーロ(伊)による東方見聞録によって。(チッ!余計なことを…)

日本は黄金がやったらめったら産出される取れる国だと紹介されてしまう。(チッ!)

有効な情報として西暦1,500年頃ぐらいには、
ヨーロッパ全域にて、その国の所在は認知されてしまう!。

彼らのネットワーク内にて我が国についての実態調査、
場合によっては侵略を、植民地化を、
これに向けての機運が高まっていってしまうのだ…。


Re: ちょっとしたダベリング…。

ルカが記されたイエスの言葉:

’’I saw Satan fall like lightning from heaven’’.

『私は、サタンが稲妻のようにして、天より地に堕ちるのを見た。』

これは一体いつのことだったのだろう?。
イエスご自身は、この地球ができる以前からおられたというのだから、
おいそれとその時を定めることはできない。
それと、この言葉は比喩的なものなのだろうか?
それとも物理的な事象のことを話しているのだろうか?。

まあ、そんなことはどうだっていいことなのだ…。
問題は、その、とある時点より、


この地球上において、強烈になってしまったってことだろう。

罪たるものを簡単に要約するならば:

神が創造され運営されているこの世界から逸脱/分離/離反すること。

原初においては、その世界との一体性/一体感があった。
御心との調和性、それの容認、そして追従。(子どものように素直たるのが一番)
その世界における生存の実態は過酷かもしれないが、
究極の絶対者の腕の内で生きることなので、
ユートピア状態だと、楽園状態なのだと言うことにはなるのだろう。

でだ、サタンはどうして天から落ちたのか?

神の世界から分離/隔絶/離反した形で、自己たるものを確立したからだ。
その彼個人の、主観性の座から、彼以外のすべては対象化され得るようになった。
そんで、彼個人の思い/色に染め上げられたものして一切が把握/認識される。
彼個人の独自の解釈や意味づけ価値づけが、絶対的なものとして屹立されることとなった。

多分ね、代替わりが宿命である人間界であればこれは指したる問題でもなく、
むしろ求め願われた事態だったかも知れない。
でも、神たるものは最初から完全にして不死、永遠なるものなのだ。
そして、一律たることを絶対命題としている…。

問題は彼が不死なる存在であることだった。然るに、


完全自由なる『主観』は、実は神のものからすれば間違いなく劣る。
不完全(この宇宙においてはの条件付きで)。

追記:彼があってこそのー、この宇宙、この世界なのだ。子なる神、聖霊を除いて、
他のすべてはー、この環境においてこそのいてこその存在になる。つまりは準拠しいている。
学びも成長も認識の深まりも、み〜んな一切合切まとめて、その世界があってこそなのだ。
その立場において…。

だから彼は、未完成の、不適格なる、劣等としての神でしかない。しかありえない。
比較対象からすれば。流れ的には、展開的には…。
そんなもんが本家に争えば、成り代わろうつするならば、
そりゃ、断罪の対象になるわ…。
そんで、また敗退を余儀なくされてしまうのは当然至極の話し。

ここで思うのは二つ:
①なんで、彼においては、そのような事態へとことは推移したのだ?
②そして、この事態/事象は彼一人に限ったことではないのではないか?

①に関しては、やはり定説の通り、神がヒトの創造において込めた思いに対しての
 嫉妬の感情しか考えられない。天使らにとって、ヒトの存在、神によるその創造は、
 不明瞭な部分があるのかも知れない。つまりは同体同系の中にヒトはいない。
 よって対象化が止むを得なく起ってきてしまう…。ああだこうだを考えてしまう…。

②は、そうなのだと思う。
 まるで伝染病の如くして、何人もの天使においても同じ事態が発生したはずなのだ!。
 ある意味人間の存在そのものが彼らからしてみれば罪の誘因となってるのかもね。

そんで、神の、彼らに対して下した裁断たるものがまた恐ろしいものだった…。

『我汝の中より汝を焼き尽くすべき火を引き出さん。』

これだ。

なぜにレッドドラゴンなのか?
レッド(赤)は何を意味し表しているのか?
その解答がここにある…。

ああしたこうしたの懲罰としての内容は、すべて、屈辱を与えることによって、
この憤激の感情を引き出さんが為のものでしかない。
死ねない身であって、類稀なる知性、感受性の持ち主たるものにあってならば、
これは永遠の地獄と呼ぶにふさわしい境遇となるのは間違いなかろう。

そんなのが何人も何人もこの地球の底には封じ込められているって寸法さね…。

そして大もいれば小もいるのさ。

サタンもいれば、ルシファー、ベルゼバブ、アザゼルなんて呼ばれるものたちが…。


しかしだ!…ヒト、人間ってのはどういった境遇にいることになるんだろね?。

ある意味、展開としては

まったく一緒だ。
結果論としての、成り行き的な『我』(マインド←I maker)の獲得にはなるが…。
誰があの実を喰わしたんだっけか?。
また彼と決定的に違うのは

にあるってことーーー!。

キリストの贖いに与って、無辜たる存在たるに返り咲いて、
そして永遠の命を得て、天国で生きる。
これが希望としての、救済としての与えられている筋道だ…。

だからだったのかも知れない。
死が自動的に地球での生存において備えられたのは…。

たる限りにおいては、自己を捨てることは選び得ないものなのかも知れない。

やはり選び得る方向性としては二極しかないな。

回心するか、それとも、不完全な偽の神の元へとその招きに応じて下るか。

間違いなく、彼は嘘しかつけない。

虚妄の偽りの世界しか創れない。

ここが、この宇宙が、あの神のもの、その内である限りにおいては…。


追記:

Re: 三位一体。三柱の構成において…。

一律

では自己を対象化できない。自己撞着に傾いたりなんかもしちゃったり、してまうのかもしれない。そこで自己への評価、自己を映し出す対象(鏡)としての世界創造が避けがたくなされることとなる。我があって、他者(世界)が存在してて、自身の思い行動に対しての反応を返してくれるの

構成となるべくの展開があった…。
(創造された世界は、その神の愛の表しに対して応えるしか基本やるべき務めはない。)

この世界創造がなされる前の時点で、子なる神と聖霊は既に存在してる。この三者は、
神としてイコール()でつながれはするが、独立したものともされている。「?」。



独断で語るなら、たぶん「子なる神」は、控えして父なる神のなされることをただ見守る、
その偉大さを確認する、そして後に「証する」が勤めの人格神。聖霊は、すべてに浸透し、
すべてに気付かれず悟られずして活動する純粋に霊的なる抽象的な存在としてのペルソナ。

一律のみにてはやっぱ何らかの問題が、些少の不都合問題あるので、自己を三位として分断し、

としての自己と規定された。ここに、トリアマジカムノ、もしくとトリグナの起源を、それらの原初における刻印を青写真を思うべきなのかもしれない。逆に、それらの現実
日常生活の中における機能発現の観察理解をもって、三位についての特徴や役割を推測するしか術はないのかも知れない…。

閑話休題、脱線過多に傾いている。ここでは一律だけではだめで、ならば次には二律目を立てた

にての場合を考えてみよう。二律となったなれば、そうなったなりに、また今度は、
その二者においてはどちらが『主』なるか『従』なるかの問題が起こってくる。関係性において、この問題は必然のもの。避けがたき障害/難問がそこには起こってくる現れてくる。ここんところの実際なんかは、気遣いも遠に失せ果てた夫婦間で、もしくは慣れ親しみも極限までいったカップル間での

たるものに関してをしっかりと念頭におく必要がある。つまりは

の取り合い。奪い合い。これは避け難い問題、確執なのではないでしょうか!?。

「違う?」

そこに、第三の、これまた独立した存在が、中和の為には必要だと、状況的な要請として求められた。夫婦間においては、それは子と、子等となって現れた。もしくは、子供を含めての、
「家族みんなでの幸せ」という意識こそがその役目を果たすようされた。父なる男がすべきこと、そして母なる女がなすべきこととの分業が

備わってきた、自覚されてきた…。

これら三項をもって、初めて、すべては、然るべく安定するを迎へれた。
ここに、聖なる三位一体は必然であること、絶対条件であることの理由原因が、
なんとな〜く〜わかる〜。「???」(読者)。*無理して述べてみただけー。



Re: また違ったダベリング



ルネッサンスは1400〜1600年におけるイタリアを起点とした何やら得体の知れない
芸術の/表現の/表出のムーブメント。原因は不明だが、ひとの心において奇怪なる
情動のなうねりが引き起っていた。その正体/本質を見定めるには、その結実たるの
作品そのものを鑑賞することにおいてでしかない。

その為に、上にボッティチェリの作品を用意してみた。
彼は典型的なその現象の体現者だと思う…。
皆さんは彼の作品にどのような印象を持たれるだろうか?。

*(絵が小さい。可能な限り拡大してじっくり鑑賞賞味評価してみてください。)

個人的には、夢見心地的、純粋すぎるまでの美的なるものへの耽溺と思える。
細部に至ってまでの装飾性へのこだわり。華美にして可憐、華麗なるへの志向。
余りに、現実的なるものからの遊離感がハンパないなーって覚えてしまう。
そして…これって観念的に過ぎるのではないかとの思いを持ってしまう…。

観念的あることが悪いってわけじゃない。古代エジプトの美術品なんか正に観念的である
との感想を持つ。だがあちらには確かな聖性たるものが否応なく確認されてしまう。
だがルネッサンス期の多くの作品にはこれが完全に欠落してしまっているのだ。

核心としての

を欠いた、聖なるもののイメージに過ぎない。

何やら妙に少女マンガの絵みたいなだけではないか!?って。(品性/品格の拘りのみの)
実際、女性でファンの方々は多い…。

自分はね…これはよくない波動の影響の元で描かれたものだと(勝手に)思ってる。
ルシフェル的なるものの影響下においてのものだと…。
なに自分は。悪しきものの胎動(それは時たま高まりを見せる)その典型的な時期として
ルネッサンスたるものを観てるのさ…。

Highly sensitive and also too purely emotional.
That attaching inspiration just came for hyper sophisticated and vulnerable souls only.

」なる言葉がオタク用語にはある。まさに



索敵においては、その領域はまさに彼のテリトリーそのものとなる…。

それはバロック期にも、それに続くアール・ヌーヴォーにおいても観られた。

そして日本においてはアニメの隆盛の頃、その表現においても。

*ダ・ビンチは例外。彼は全歴史を貫いての例外中の例外。


Re:今回においての構成について…。

ざっくりまとめると、出だしの部分は日本民族の特異性たるものについて。
結論としては人類を代表する

の一つとして宿命づけられている。
その在り方如何(いかん)がー、地球規模で後に転写されることとなる。
猶太が表で日本は裏。この二つが代表として走らされている。これが最初んところでー、

次は〈彼〉について、その存在の発生と特徴に関して。言葉足らずもいい所。
ここはつまりは何でそれが、日本民族を執拗にターゲットとして堕落させようと、
最悪の形で滅ぼしたがっているのかについて。裏方の本丸としての霊的存在に関して。

三番目が世界史を見渡して、具体的に彼の事業の展開のあらましについてをやるはず
だったのだが…。アホほど長大になるので、もうやめとく。さっさと挫折しとく。

でもガンぱって、ヒントまでを、少しだけ…。

有史以前の話は割愛。でもそのステージにおいて注意を引いておきたいことはー、猶太やシュメール以前…、元来、地球の、太陽系の誕生時には、

その神は存在しているーってこと。イエスもだね…。だからだよ…。物語のー、それよりのー、支配頸木を断ち切って行かなきゃなんないってのは…。その宗教の名は何だったんろうね〜?。巡り巡ってキリスト教と

ってことになっちゃうんだろうがね…。

*(ヴェーダがもしかしたら最古の教えへと至る手がかりとなるかもしれない。
  長らく口伝のみにて伝えられてきており、その真実の起源はとてつもなく古い。
  リグ・ヴェーダは必読です。)

閑話休題!。有史以降で最初の体制を乗っ取っての蠢動は蛮行はバビロニア。バビロン捕囚が有名。その次に異常なまでの彼の影響力の高まりが確認されるのがルネッサンス期。イタリア。
でも芸術は表層の一部の話しでしかない。体制において大きな変化変革が起こっている。
そんでユダヤ人やらドイツ人の血統やらをキーワードとしての裏の組織の活動だ…。
大航海時代。ロシア革命。フランス革命。第一次/二次世界大戦。国連(UN)の設立。
端折り過ぎだけどしょうがない。

他人事として、史実事実だけを見ての感想だけど、余りに異常な行動事態ばかりだと思う。
人類は何か大きな、目に見えない力に操られているのだとしか思えない。
それも限りなく良くない力にだ。

日本は、欧米の全地球規模で爆進する植民地化の展開に対して、やむなく大東亜共栄圏構想
をもって自国をアジアの諸国を束ね守ろうとする。タイミング、情勢からすれば、日本しか
いなかった。でも第二次でアメリカの作戦に嵌められて、compelled で参戦して、ほんで
敗戦の憂き目を迎えることとなる。GHQの支配下におかれもう好き放題されてしまう。

そんで向こうも、骨抜きにしたったとばかりに呑気してたら、今度は戦後の復興において、
ことこれにおいてさえも日本はその潜在能力を発揮して異常な経済発展を成さしめてしまう。
達成してしまう。そんで、その事実たることをその成果たるものを世界中に向けて製品として
情報として披露発信してしてしまう。

もうこの事態において、もう絶対的に、完全完璧に、完膚なきまでに、駄目にしてしまわんとあかんなとの思いを、彼方の組織、その代表メンバーらの胸には抱かせてしまったのだろうと思う…。

オポネントとしてはは中共が構想された(1980年ぐらいにかな?)。世界規模でのコモディティーの生産拠点として圧倒的な財源力を持たせ、それをもって軍拡へと走らせる。
日本への侵攻は基本ソフトパワーにて。金とハニートラップと脅迫。最終的にはチベット方式となるが、それまでに拠点の設営と大規模人数での移民を推進。梃子は侵略行為の事実…。

ちょっと行きすぎてる。

時は1972年に戻さなければならない。
そのタイミングで、とある書籍が出版されている。
それはある政治家のマニフェストしての広報だった。

彼は、その時の自民党の総裁となり、そして総理大臣となった。
1972年は、やはり何らかの必然としてのタイミングであったのかもしれない…。
日本列島改造論。

追加:
ローマクラブって知ってる?
その第一回報告書の発表が1972年のこと。
その『成長の限界』についての内容は、
今改めて確認しとくべきです。

物語の中だけではなかったのだ。
その宣戦布告の公示たるのは…。


Re: 最後のダベリング!。

いや、なにねー、思うのさ…。
そのオペレーションがあまりに長いと。遠大なものにすぎるーっと。
超長期にわたってことは進められてきている。
とんでもないスケールで、ことは進展させられきてるーって!。

それは本質としては地球全体規模に渡ってのものだ。
だから日本だけが唯一の焦点になっている訳でわない…。

物品と証券を中立としての、お金の流通/還流の経済システムの発展/構築/増強、
そして、それの支配こそが主なる戦略だった。権威者しての地位/立場の獲得。
法の立案、整備。その作成における指南役としての立場。裏方での指南は
富を強奪集積するための仕組みたるものの構築。

爆発的な計算力を発揮するコンピューターと、それらを繋ぐネットの登場がすべてを変えた。
全ては、一枚岩の土俵上に持ち込まれることによって、【ルール・メイカー】らによって
裏から完全に支配されてしまうようになった。国際会計基準なんかのことを言っている。

でだ、海の向こうはロシアとイランとトルコを除いて、だいたい地固めは済んできてる。
なので日本への執拗さが否応なしに増してきている。手を換え品を替えての攻勢だ。
それはホント執念深くってさー、デリケートな領域(天皇制)においてでさえ
しっかり押さえ込もうと、ズバリ毀損しようとしてきている。

百年を軽く越えてきているので、もう完全にヒト個人の思惑などで行い得るものではない。
国家単位、いやグループ単位での意思とすればあり得るか?…。否、何か超自然的なるもの
の意思としてでしかあり得ないだろなと、記憶力の悪い自分なんかは確信してしまう。w。

敗戦においてその精神的支柱をへし折る。
3S政策も持ってアメリカの薄っぺらな文化を広報して、それに染まらせろ。
新たなる法整備によって衆愚たらしむべくの風俗産業を拡大拡充させよ。
喰うこと、金を掴むことこそが、労働の対価であると思い込ませろ。
何よりも道徳を価値とするその体質そのものを破壊せねばならない。

未だね、日本人は所詮は日本人だったのさ。
戦後においてでさえ。
流石は二千年を軽く越えてその魂を磨いてきた日本人である。

だが大地との関わりを疎かにするようになって、
また国力としての経済成長の上にあぐらをかいてしまって、
本当は根拠がなかったバブルにおいてボケにボケ倒して、
何ら価値あること賢いこともできない/しないまんまで強制終了されて、
残ったのは巨額の負債と贅沢への未練羨望と意味のないプライドの高さのみ。

そして気づいてみれば大手はどこもみな海外に生産拠点を移してしまったではないか。
地に足のついた、生活の基盤たるものが段々と失われてゆくべくの流れが準備されていた。



〈続く…〉






突如、何かの内容の割愛したる部分をブッ込みます。
今回はこれでほんとに終わりと致します。
イエライ・イエライ…





そこで使われた説得のための、懐柔のための手段たるものがっ!、
日本を人民民草のことを思うこころの、正義の志。
それの、魂の権化と化しての迫真の対面談義!。

『違うだろーーー!!!』

それは正しくハー、「札束広げてパン!パン!パン!」

(m.c.A.T Gold Chocolate.より)
https://www.youtube.com/watch?v=a28bVdu1Dys

金とポストを梃子にしてのものだった。
これが切っ掛けだったのだと思う。
日本の政治が、金まみれの汚職まみれになってしまったのはーーー…。


悪貨は良貨を駆逐する。

Bad money drives out good.

悪がはびこると善が滅びる。

これは物理法則だ。これが変わるにはメタからの介入以外にない…。

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