第26話①  シチュー作った。

文字数 31,234文字

*整理して再構成してからupしようと思ったが、おもしろいからこのままでいく〜!。www。

緒言としてのお断り(I):

本稿は第13話の詳述として構想されたものです。
いざやってみれば、もう”グダグダ””グツグツ”にしかなりませんでした。

し、



だからもう読まない方がいいです。

ちゃんとお伝えしておきまーす!(崇)


緒言としてのお断り(II):

本稿の目的は整理にある!

いや、単なる暇つぶし。
  とある人物が行なった暇つぶしのために行ったくっちゃべりに如かず。
    この現実はもう言ったからねー…。


緒言としてのお断り(III):

なんかいろいろ放り込んだから、内容がぐちゃんぐちゃんしてるー…。
 それも、よ〜も、まあ〜、こんだけ訳の分からん話しを長々と…。
  引き返すんだったら正に” 今 ”ですよー…。


「さあさあ皆さん、

〜特製、

シチューができましたよ♡」




「さあ、た〜んと召し上がれ」
「もう一滴残さず、ぜ〜んぶ食べ尽くしちゃって下さい!」
 できうるものであるならばだが…。(www)


さて、

便

をもってすれば、語り難きを語ることができる。
先の第13話、その

便

とやらを
改めてコンパクトにして揚げててみよう:

  人間は元来、性善なる存在である。これは確かなことだ。
  これを”仏性”、もしくはヒトの”魂の本来性”と呼んでもいい。
  性善説は魂においては成り立つ。

  しかし人祖たるアダムとイブは誘惑/試みにおいて負けて違反を犯してしまった。
  そんでもって、この事態によって、罪が入ったとされる。
  端的には、

である。
  この状況に至って、初めて性悪説が妥当なるものとして確立されてしまう!。

  獣の皮衣が渡されて、これを着たことによって獣の本能の影響を受けるようになった。
  分別をつけるべくの/御者たるべくの知性がその

になり下がり、忌まわしき
  傾向性に拍車をかけるの展開となった。本質が埋没し、器たるが自己となる。
  こうなった状態が性悪説の根拠である。

  この事態には愉悦が、快楽が伴う。悪しき霊性からの波動との結びつきによって、
  禁断の回路が開かれてしまうのであろう…。

*(天によるヒトの認識は、はっきりと「悪しきもの」との呼びかけに端的に表されている)

この状況の変節についてをハッキリ記述しているのは旧約だけだ…。


さて、もう早速、脱線になるのだが:

  この『善悪を知るものとなった』は「もう子供ではなくなった」と解すべきかな?。
  これって、なんのことかというと、神との関係性が破綻した状態のことを表す。
  その実際は、よくご存知の通り、あれやこれやは、もう自分の理屈で、もう勝手に
  やらしてもらいまっさぁ〜の世界だ。ご自身の反抗期の頃を思い出してね!。

  なんのことはない「よくある話しだったんだー」です。

     脱線においての脱線になるのだが、「類推」

が唯一の方法論になる。
     彼方の話、抽象的な、超越的な話と思われることも、それを


     

の中に類型を見ること。落とし込むこと。

     

にも、血の通った身近な事実事象の中に、
     今まさに、そこで語られていることは、同じく反映していることなのだと気付ける
     こと!。我が内においての話しだったのか〜…と。

     自分の血の通った経験と照らし合わせるアプローチにしか、
      妥当性、確信性、有用性は一切期待できない。違う?。
     
     例を一つ:

       『なんでセイタンは堕天するようなまねをしたのか?』

        これは、心情的には優秀なるナンバーツー(No.2)が、
        やがてには野心を抱くようになるの下克上のドラマの中に、
        ヒント、手がかりを観るアプローチが正しい。

        こうしての了解にしか、正解への道は、術は、ない!。
        あってはならない!。
        空理空論を弄するのがお好きならば、また別だが…。
        
        もっと簡単な話しをするならば…あなたはとても優秀であるが故に、
        目上の管理者たるのポジションを狙うようになった。
        彼が立派な

なぜかそうなってしまう…。

        立派であるということは

であることを意味する。
        真善美の権化であること、愛の化身たるになるしか存在はあり得ない。
        だから、彼は、裏表のない



        だが、これを転覆せんとする相反する逆の立場ともなれば、
        今度は、その為に取れる権謀術策のアプローチの手は、
        

、あり得てしまう。選択可能となる…。

        効果があるんだったらなんだっていいんだ。なんでもありなんだ。

        そして、優秀であればある程に、あなたはそれを試したくなる…。  

        これは自然なこと。

        永遠不変なる一律には、
          能力が高ければ高いほど、飽きが芽生えてきてしまう。

        優秀であるが故に我の自意識はより鮮明により強固になりってゆく。

        そして、その当然の帰結として傲慢が現れてきてしまう。

        侮りが起こった。

        最善なるは、愚かな姿としか、彼の目には映らないのだろう…。
    
 
 閑閑閑話の休〜題! 

 『あなたがたは、あなたがたの神、

』(申命記より)

  この

とは、かってイエスが
  『天国の門を潜るためには幼子のようにならなければならない』
  と語った

と同じなのではないだろうか?。

  とあるステータス。

  では、子供とは何が、どんな状態にあることをいうのだろうか?。
  どうして、大人になること = 善悪を知るものとなるのだろうか?。

  

のは、

となる。
  親子間における信頼関係の証し。なんの理屈も了承/了解も必要とされない。
  不思議と、これに異論は起こらないでしょう?。
  身体感覚としても至極妥当に思える。動物も親に従っているし。

  でもですね〜、あるところからは、ある年齢からは、
  親の言うことは聞かなくなりますよね〜っ!?。

  成長する中、主体性が自律稼働しだす。育つ中で周りから獲得した
 [価値Code]たるものに基づいて、独自の行動に勝手にしだす。
  

社会的な価値体系、世相の潮流に無意識無自覚に染まった上で。

  悪いこっちゃない。至極当然のことがらでしかない。
  しかし、その社会が…。

  何をどうすれば周りから評価されるのか?。そのルールの確認作業かな?。
  

として社会で是認されている内容の体験吟味の過程なのかな?
  
  我が生きるこの時代のこの社会、いや経済圏において、成功とされる行動原理は何か?。
  今の

で認められるための、妥当にして適正な行動様式とは何か?。

  生存戦略を自分で見つけようとしているだけだ。これは当然あるべきの行動…。

  優劣に関わる感情の機微(好/嫌い&快/不快)、この味わいが、学習理解において
  色と綾を無限に添えてくれる。影響を及ぼす。つまりは

とか


  とかがあることが分かる。この感情ドラマあってこそコードの刻印は確かなものになる。

  快/不快の循環は、絶えず、繁盛に、永遠に、死ぬまで我が身に引き起こるものさ。
  どっかで、これは策略として経験されてるってことに気づければいいのだが…。
  [優/劣]自体が所詮はまやかしなんだ。外面における相対的な価値評価でしかない。
  (事実、AIその他の登場によって必要とされるスキルは変わる)

  それら 社会的 Code の有効性は、切実性は、感情面においても経験されて、
  確認されて、そうやって、しっかりと、根深く記憶されて、各個に定着してゆく。
  何より、なんらかのアイデンティティーを持たざるえない為なんだろうけど…。

  Egoの意義は、その役割は、I Maker。

  自他の区分けが意識としても必要なので自然が備えた機能。
  だが、結局、根本的に取り込んだ情報に問題があってえらいことになる。
  人が育つにおける社会環境が、間違ったもので覆い尽くされてしまっているが為に…。

  結果、おかしな…「 I 」が、山ほど、延々に、形成されてしまうようになった。
  動物性に染まったまんまで、更にプロジェクション(投影)の横行/暴走/錯綜状態。

   介入:三つ人間の弱点を強調しておく。忍耐心我慢力のなさ、恥辱に耐え得ないこと。
      そして、

、ただ

ことが耐えれない。
      

致命的なまでに苦痛となってしまうこと!。動物だもんね…。

      最初の二つは、いろんな日常の機会において努力して克服するしかない。
      己が動物性を乗り越えるのと、真の自己を見出す為に、と。

      三つ目の

退

なるに堪えるが特に厄介だ。
      どうやってこの状態を平穏無事に過ごせるかには本人の力量が求められてくる。
      下手すると、発狂して「ラジカルに変革を企てる」の極左に走ってしまうか、
      それとも公然猥褻物陳列罪に走るかになる。
      これは精神異常者となるに等しい。マインドの誤作動。狂気の発現でしかない。
      必要があれば無念無想でときを過ごせるよう修練をしとく必要がある。

  そして、ある年齢に達したならば、鎧に覆われてしまって、もう親の声は届かなくなる。
  聞いてもらえなくなる…。そうでしょう?。そうだったでしょうー?!。
  若い時は情熱からか思い込みが激しいから!。

  もう自分のことしか頭にない。自分の思い欲望に関わることにしか意識は向かない。
  他人は自分を益するものであるならばいいが、そうでないのならもう不在も一緒。

  

完全に

本来性の中にではなく、
  社会Codeに基づいての、価値と思えるものを追求する「人格」へと
  同一化の上で、完全にシフト/移行していってしまう。

  肉体が、自分たるを、私たるを意識する上での絶対強固な基盤となる。
  これが自己たるを確認する上での絶対の砦とされる。
  美男子、美女に生まれたかったな〜。そや整形行こ〜。

  そして間違った対象情報において、獣のプログラムが発動を始めてしまう。
  恒久的に。もう死ぬまで…。立派な大人になりましたってかー。

  その状態は、ある見地からすれば、なにか強力な夢見にあるの状態、固有の幻想の場に
  囚われた状態にあるとみなされる。社会コード規範ってのは所詮人工的なもんだから。
  すべては観念、フィーリングに基づく、関わる[ドラマ/物語/ストーリー]でしかない。
  幸せに決まった形なんかあるかい。そうだね、もっとぞんざいに例をあげれば、
  国境とか、いろんな制度を制度たらしめる法律法規、規則とかの決め事。

  ざっとここで表したドラマを客観的にで語るなら:

   あの楽園追放の話になる。
   そして、息子/娘は、アダムとイブは、放蕩に入ったとの表現になってる。
   そして、いろいろあって、有り金使い果たして、親の元へと改心して帰ってくる。
   あの放蕩息子の帰還の話しへとつながってくる。

   これを神は待っている。改心して本道へと還り至らんとすることを。
   大喜びで、親は、可哀な境遇と成り果てた息子や娘を迎え入れる…。


               何の批判もありはしません。
     でも準備期間を経てのその出来上がりがこんな風であってもいいのかと思うまで。




          誰ぞの手配か偶然こんなんも手に入った。
     これ見れば自分は見合いで結婚したらあかんかったのが分かる。
            そりゃ〜立つ背もなくなるわ…。


  問題はだ、

が、またこの夢見を観念構築を

しているのが
  実情であるってことだ。屁理屈/子理屈/詭弁が有効としてまかり通ってしまっている。
  あり得ないと個人的には思うのだが、実際は見かけ上だけかもしれないが成立してる。
  それを

自然の一部として

見事に取り仕切ってくれているってのが実情としか
  思えない…。与えるも取り去るも実際は彼方が執り行っているのだから…。

  裁判とか公判、実際の上司の判断において、無理が道理をひっくり返しているのを見た。
  それも至極いたって真面目な方々がそうしてる。そうせざる理由訳があるからなのだが。
  いろいろと歪みが私の目には留まりだしてきてる。(これも天意なのだろうか?)

  テレビや映画で見かける役者さんたち…もう仕事選んでないね…。
  役が貰えるのなら売国のプロパガンダ、嘘八百の海外の台本であろうがOKなんだ…。
  どんな役でも与えられたならやりきるのがプロとかって、とある日本女優が宣ってた。
  そりゃ違うだろ…。またサラ金のC Mなんか受けちゃいけないって思うんだが…。
  これも身入りだけの問題なんだろうか?。そんなにテレビの仕事ないんかいな…。

  悪意ある超越存在からの作用力の証、斡旋の力の増強してきるとしか思えんのだが…。
  
  他岸の話ということで、無関係ということで、放っといてはくんないのー!。
  

にまで思クソ関与してくれてるヤン…。
  その環境であることを利用して、更に夢見たるを深いものに強固なるものに
  しようと密かに裏でことを促進している?…。それほどヒトは重要なのか?。

  もうこの事態を認めんなら「マーヤー」と、この名で呼んどくべきだろね…。
  いやいや「プラクリティー」?!。www。
  これならば、この世が実は夢幻にしぎないことを身をもって学ばさせるの
  肯定的な意義を与えることは可能だ。痛い目にあって早く気付きなさいって。

  いやいやいやいや、御託に流れずに、本音を言っちまえば、
  この辺の(くだり)は完全に楽園追放のドラマの再現なのだとしか思えない。
  自我の芽生えによって親の求めに従わなくなる。勝手に振る舞うようになった!…。

  しかしだ世界内にあることに変わりはない。たとえ己が王国を築こうとも、
  真の世界秩序からのフィードバックからは逃げられない。
  虎子尾取恵互苦楽斗。

  一段上がったが三段落とされた。
  甘い汁吸わせて引き寄せといて、ふん縛って、もう逃がしやしないよー。
  諸行無常のなんちゃらかんちゃらばっかしが巷に溢れ伝え聞こえくるまで…。

  エデンよりの追放劇の真相とは、
  

がために自動的に淀みとしてしかならない水たまりに移住した。
  嵌まり込んだ。落ち込んだ。その事実の表現に他ならないのではないかな?。
  


  閑話休題、獣としてのプログラムが起動して、思春期ごろからは、思いっきり表に
  現れてきて、支配的になる。本能からの要請という形で自己は駆り立てられてゆく。

  これは自力で糧を得たり、外敵から身を守ったり、繁殖を行うためのもので、
  自然内で調和して生きる動物としては妥当性がある。(ヒトにとっては呪いだけど…)
  その目的に沿った物理的な肉体的な変化が放っといても起こってきてしまう。

  群れの一員として、いかに調和的に働けるか、自分の子を多く種付けできるかとか、
  いかに強い雄と関係を持てるか、生存競争を生き抜く為の技術を磨いてゆく。
  兎に角、独りでも生きられるようになる為の生存自立プログラム。

  このことに、ならんら問題はない。純粋に自然内にて調和した顕れであったならば。
  だが、ヒトの場合はちと事情が違ってくる…。
  ヒトは、対象において、独自の観念に基づいた意味付けを行うが為に。
  知恵の実のお陰だろう…。

  抗うべきに取り込まれて、観念の大伽藍を築き、その世界に皆して生きることとなった。
  肉体物質としての世界、エゴと同一化して、主人の座を明け渡してしまった。
  自己中心的にあれこれ考えたり行うもんだから不必要な価値たるを山ほど生み出した。
  これが暇つぶしとしての娯楽だったんだろうが…。文化?。

  勘違い、思い違いとして成り立つ世界に沿って、
  ヒトの夢見の実情に適応した形で、
  獣のプログラムは、その本来の目的においてを発動する。

  客観的な意味においての対象の妥当性、真実性なんかどうでもいい。
  ヒトが欲しい、気に入った、魅せられた、こんな風に認識された対象において、
  あくまでそれは獲得に向けての推進力になるだけ。「強迫的に」だ。

  だから、この辺からがもうBUGなんだって。誤作動が起こってる。
  絶対にエラーたるは避けられない。これこそ狂気の誕生、その源泉だ…。

  例を挙げるなら、飽くなき国土領地の拡大、軍拡、売上至上主義、高い高い塔とか。
  相性を確かめるべくが、見た目だけ、相手のプロポーション、演出されたイメージだけ。
  夢を投影しといてリアルと誤認してしまったのならもうこれが恋なのかもね。
  ブランド品の愛好なんかが一番いい例かもね。(これだけにしとけば良かった)

  成長期に外界は、世間は、どうなっているのかを、その時の社会を見渡して、
  実際経験してみて学習する。試行錯誤を行いながら取り込む。そんで染まる。

  何ら問題はない。至極当然なことでしかない。
  その社会が健全であってくれさいすれば。
  ただ、その世間たるが、自然と調和した妥当にして健全な世界であれば。
  

《たわごと》に過ぎない言論などに重きをおかない
  社会であってくれたならば…。
    
  そのワンダーランドで、子供はもう大人になってしまった…。

  環境が悪いのだ。ヒトの培ってきた歴史/文化/社会がもうとんでもなく不自然なものに
  なってしまっている。しかし今更このトレンドを成り立ちを質を変えることはできまい。
  だからならのだイエスが送られて来たのは…。
  
  本来、

の役割は、内面と外界(社会)との関わりを細やかに
  親和的に果たす為のもの。本当の重心たるべくの本質と、環境/外界/社会とをつなぐ
  仲介者たるべきもの。そして何よりも、内面本質(良心)のガーディアンたるべきもの。

  人格とか秘書とかOSとかで、それのことを呼んできてる…。
  ジャイアント・ロボとか魔神ガロンの名称さえも使った。
  とても例えとしてはしっくりくる。

  この調整者としてのバランサーが、その本来の役目を果たさなくなったならば、
  己が立場を見失い、No1の地位にあるものと”我”を是認してしまったならば、
  良心における確執葛藤なんてものは、不要なるもの、ただ不快で避けるべきものとなる。
  苦たるは避けるが得策、見て見ぬフリして、知らぬ、存ぜぬ、するのが一番!。
  だってパーティーいかなあかんねんもん…。

  そして、本来の重心たるべきものは廃れて落ちぶれて埋もれゆき、
  失地回復の目処は永遠に失われる。
  実は、お先に失礼とばかりに本質は早々に死んでいってしまう…。

  当然に世の価値観に自己を合わせることが先ずは優先される。
  勝者たらんとするなら、これに早いとこ嵌るに越したことはない。
  繰り返しになるが、これは至極当然な流れでしかない。

  この世がまともであったならば。
  
  無意識、無自覚に、情報の取り込みは起こるので、避けることはできない。
  やがて完全に社会に染まる。この状態が大人になるを表す。

  その結果は、社会的強者、優越者たらんとしての努力が是とされる。
  世渡りの巧拙を、処世術を、切磋琢磨する為の日々となる。
  そして、これが生なのだと勝手に思ひ込んでしまうようになる。

  全然、悪いこっちゃないよ…。

  問題は、社会文明文化、ヒトが編み出してきたコードは本源との関わりを欠いた、
  便宜的なるものでしかないこと。

取決めでしかないこと。
  醸造演出されたイメージでしかないこと。

  取決め、法律、規則、ルールは絶対に必要なものではある。
  その

ばかりは永久不変に絶対的動かし難い。

  十戒と、それらを完成させるためにと、
    イエスが開示したこの”戒”のこと。

  "Do not think that I have come to abolish the Law or the Prophets;
   I have not come to abolish them but to

fulfill

them.
  わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。
   廃するためではなく、

ためにきたのである。

     『 隣人を自分のように愛しなさい 』

  ワールドワイドの法曹界って、そのほとんどのメンバーはあの民族の系統が権威で、
  すべてを牛耳ってるらしい…。黒を白に変えるはお手のもんなんだってね。
  とてつもなく皮肉で説得力のある話だ…。


  脱線復旧!、多くの社会的に価値とされているものたち/物事が、
  その根拠たるは、実は、実に、怪しい/疑わしい。(土地神話もそろそろ…)
  エゴにとってのみ大いに欲望が掻き立てられるが実際は幻想でしかない。
  そんなものに満足するってのは虚栄心からでしかない。

  そんで、苦なるはできるだけ避けて、厭いて、恥辱を心から憎む。
  優越感に基づく自己確認のみが快たるを、安心たるを保証する。

    山ちゃんの役は、本音では本人も望んではいないだろね。
    面白さの本質は?と問われれば、そこにあるのは虐めだからと答える。

  決してこれらは間違いではない。極々自然なヒトの性分でしかない。

  しかし、そんなことが恒常的にあり得ようわけがない!。
  ここでも超自然的な介入が間違いなく為されて、
  然るべきのドラマが起こってしまう。
  日々恒例の、悲喜劇取り混ぜての、くだらんドラマが準備される。

  だからこそ、すべては所詮、幻想の大伽藍でしかないと誰かは思ってしまう。
  しかしだ、この幻想の大放映にも、その役割としての目的はちゃんとある。
  夢うつつだからこそ、あれやこれやの悲喜劇は避けられないことになる。

  苦たるが避けられなくって、心底嫌になっちゃって、
  これよりの脱出を試みることに思いは至る。

  そんで、渦中における苦しみの炎ってやつでしか
  ヒトの浄化たるはできないってなお知らせも、ちゃんと届くのよ〜。
  
  ここで一旦打ち切りー!。

  PS:

  パリサイ人、サドカイ人のパン種も、本文脈の中で消化されるべきものなのだが…。

  これらのパン種が膨らむことは誰においても絶対に避けられない!。 
  特に社会的な成功を懸命なる努力において収めてしまったものなれば。 
  真面目に歯食いしばって頑張って、地位を得て、そのことの味をしめたのなら。
  もう絶対に…。

  どうすればいいかって言うと:
  二重化を洗練するしかない。
  上辺と、つまりはこれは役者としてだが、本体としての自分を切り離す。
  習得はとても難しく、なぜなら自己欺瞞が付き纏うからだ、時間がかかる。
    狼の群れの中にあっては狼のように振る舞え。
    されど心は彼らと同じに染まってはならない。
  これが最上のガイドかな?…。

    「ハイハイハイ…」
    「って出来るかぁ〜い!」 (深澤ゆうき)
  


さて、本当の閑話休題!。本旨に戻りまーす。


  本稿執筆中の作者

もう既に色々お(つむ)ん中は分からようになってきている。
おんなじことの繰り返しが多々でてきますからね♡。


そんでー、ともかくー、ヒトは天界の楽園を追ん出された。流刑に処せられたのー。
その出向地たるのが、現在のこの地球という惑星。

生きなさいよとの、神さんからの思召(おぼしめし)(はか)らいであった。でも、これは贖罪罪滅ぼし穢れ払いの必要性があってのこと!。ちゃんと目的理由があった。

ここ地球においての生存ために獣性の『まとい』が必須になった。
動物種の一環として、”無理やり”、組み込まれた。
結果、動物としてのプログラム(本能)に影響され/染め上げられ/支配されてしまう。
これは、避けられることのできない必然である。呪いである。
他方、自然界にとってはいい迷惑でしかなかったかも?。

またちょっと脱線する:

このプログラムは本来は、地球上における(有機生命体の)生存を最適化する為のもの。
また同時に、宇宙的スケールでのあれやこれやの目的に仕えさせる為の制御機能。

宇宙という巨大な機構、構造、仕組みをイメージする必要がある。
すべては鎖の如くに連なっている。関係しあっている。
深宇宙まで伸びる数えきれない無数の鎖で

なのだ!。

この事実/状況を非常に身近なもの、即物的な現実としてどれだけ実感できるか、
またこのシステムがいかに厳密にして絶対的であるかを経験則としてまた観察できるか、
いかに切実なるものであるかを我が身において思い知れるかに全てはかかってくる。

…こんな風にも言える。

これも悪いことばかりじゃないよと。
これのお陰で、進化の真の道筋たる本源への回帰が見出され、
実現可能なものとなるのだよ…と。


閑話休題II。
この「本能に影響される」が人間の性悪説を説く場合での根拠/土俵となる。
これは人間にとっては呪いとしか呼べないものなのだ!。
これに完全に支配されて染まりきったなら、もうヒトとは呼べない。
畜生道に落ちたになる。

状況としては、このプログラムからの要請に、抗うことが、
ヒトを本来性へと浄化して帰還させる為の贖罪の方法になっている。
注)当然に何もかもをでは

が…。

フー、前より(なが)なっとるないかー!。

結構。

今回は(なげ)〜のよ。遠に一万文字越えとるんだわさ〜!。
よくもまあ、こんなつまらんホラ話を長々と延々とグダグダと…。
話はもうとっくに済んでるっつうのに!。

ということで、これから更に、ダラダラとぺちゃくちゃと書いてゆきま〜す♡。

オット、先言うとこ、今、言うとこ…。

一個人による勝手な解釈、仮説、解説だかんねー。
そう、ただの妄想/空想/法螺話の類に過ぎませんから。
よって本内容に関して責任をとることは出来ません。
持つことは一切しません!。

つまりは嘘八百…。そう、ただの方便の、その焼き回し!。

「 You see !?

なんと!…この話者は、
「現代の人口爆発の原因を、野生動物たちの転生が、”人へ”と叶うよう、

が特例的に行われている為」などと口にする輩なのだから…。

根絶絶滅が広範囲で加速しているからだって。
だから二つの脳しか使うことのない底レベルの人間が増えたんだって。

推して測るべしですよねー。知っとくべきことですよねっ♡。
彼曰く、終末に向けての大盤振る舞いなのだそうです。

『イエライ・イエライ・イエライ・イエライ・イエライ・イエライ…』


Re: 祝、やっとこさ本題復帰!。




①ある仮説の再提出。

『主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って彼らに着せられた』[創世記3:21]
『(そして)彼を楽園より追い出し給へり』[創世記3:23]

そんで追放された先ってのがこの地球。
エデン(楽園)が本来は人間が属すべき”世界”だった。
これは以前やったお話し…。

今回はその詳述編。

【とある罪】が入ったことにより、その生存の為の環境が換えられてしまった。
生きるべき世界を地球なる惑星へと移された。
また、その新たな環境に適応できるよう〈獣〉の体に入れられた。
仮にだがこれは[猿]の体であったとしとこう!。
丁度前項では西遊記からネタ取ったところだし…。

 「流石は自然」抜かりなし!。

そして地球上にある日突然、新種の生命が存在することとなった。
だから「人間は猿が進化した」などという単純なものではな〜い。
孫悟空は、ありゃ人間の喩えだ。Supper Monkey にそりゃなるわ…。

興味深いのが、としての猿の肉体が人間の本質たる霊格に適合する形で、
引っ張られた形で、

を引き起こしてたってこと!。
驚異的な析出を発現させて見せてくれてたよ。その魂の霊格に相応しい形で。
あまりに見事でスムーズだったもんで、本能と呼ばれる記録庫には、未来における進化の
設計図までもが、もう何でもかんでもが保存されているんだろうな〜って思ってしまうよ。

でも所詮は、これって”呪い” だったって表現してもいいんじゃないかな〜?
王子は or 姫は、醜い〇〇○に変えられてしまいましたみたいなー!。
本来、高き霊格を備えた命たるが、獣の、猿の体の中に入れられちゃったんだから…。

当然な結果として(この界隈においては規格外とされる生命存在としての)人間は、
獣性に強く影響を受け支配されてしまうようになった。
そこでの有機生命体が果たすべくを強制するプログラムに!。

これは〈本能〉のことです。

この星において命体によって培われきた試行錯誤の精華、その集積。
約25億年に築き上げられてきた[生存/存続/必勝]のノウハウ集。
その精髄たるデータのこと。
取捨選択/選別がなされた根拠/道理/道筋の記録。
これが[本能]の正体。

猿以下の植物のさえも含む《ありとあらゆる》》有機生命の構造/神経、進化の全情報。
それらの記録庫/保管庫。絶滅種のものさえ当然に格納されている。
アーカイブってやつになるのかな?。使う使わないは関係ない。

これがヒトん中にもあって、利用されていない他の情報もそれなりに影響を及ぼしてくる。
いろんな動物の求愛行動/戦略の要素が、ファッションにはかなり取り込まれている。
なぜだ?。その手の情報摂取が、ヒトにとっても

効果があるからだ。
印象として響く。エコーする。気になる…。

ここで更に脱線:
 多分、元々の最初から

、その全部が入ってんじゃないかな〜?。
 必要だったのは

に沿って適合しての順を追っての発現だけ。
 DNAには進化のシナリオが、すべての可能性においてが入っていた。
 だから全体シナリオに”クラック”入れちゃったのも実は人間存在だったりして…。

閑話休題、そもそもはだっ!この辺の事情を人間は忘れてしまったのだー。
実相のことが分かんなくなくなっちゃったー。出自や経緯をすっかり忘れてちゃったー!。
ちゃんと説明も(天使から)受けてたのにー。

  『最初に爺さん婆さんらが忘れ始め、
    やがては家のものみながそのことを忘れてしまった…』(再掲)

そして、獣としての器、それからの作用に盲目的に染まっちゃうようになっちゃいましたー。
器/肉体/外套(ペルソナ)、便宜的なるものを自己だと誤認識するようになりましたー。

  『めでたし〜めでたし…』

これが〈主客の転倒〉と呼ばれる状態。
つまりは、これがNo2に乗っ取られた!だ。
「我、在るが故に我たり」が、「我、我を思うが故に我(に)なり」になった。


[介入]:

ここんとこのイメージをしっかりもってもらうために譬え話をいくつかやります。

A)とあるアジアの昔話をベースにして(オリジナルを読んだことはない)スイフトが
 小説を書いた。タイトルは『奴隷訓』。こいつをアレンジして…。

 ある大きな屋敷があって、主人がいて、そして沢山の奉公人がいる。
 ところが、ひょんなことから主人は記憶を喪失してしまい自分が誰なのか分からなく
 なってしまった。そして沢山いる奉公人たちの一人としての身分に転落してしまう。
 そして、その後に起こったドラマとは?!。
 家の秩序は失われ、気違い染みた狂騒劇の日々が続くようになった。
 主人の立場を巡っての終わりなき権力闘争の毎日となったが為に!...。
 目まぐるしく主人たるものが絶えず変わってゆく…。
 *これは個人の内面の世界においての話なのです。

B)できすぎる専務に、社長の立場は、実質上は乗っ取られてしまっている。
 いつの頃からか、社員は皆、彼の顔色の方を社長の自分より気にするようになった。

C)非常に優秀な秘書がいて、社長に、いつの頃からか彼女が指図を出するようになっていた。
 奥さんに牛耳られるご主人をイメージ。彼女は基本上辺(うわべ)しか分かっていないのに。

上記A)B)C)は分かりやすい。よくある話しだから。
でっ、人間の心の中には、なんか私たらんとする存在がいっぱいいて、
それらによる権力闘争が四六時中、絶えず起こっているのが現実なのだ。
そして本当の主人が、若しくは No1 が、

ような事態も、当然に日常茶飯事であり得てしまう…。

「絶え間ない自己同一化」と表現される事態とは、
あれやこれやの過去の記憶の追体験を求める衝動に動かされてしまっているだけの
自分のことなのだ。パブロフの犬。何にもないのに(頭の中で)ベルが鳴ったから
俄然エンジンが掛かってギア入ってーで結像した自分。

過去の記憶に基づいているから、現実の、真実の今は、実はまったく関係していない。
そして自分も本当にはいない。ただの揺り戻しフラッシュバックに過ぎない連想/衝動に、
(ほだ)されて、突如たち起こった欲望に染まっているだけ。

この自動性偶然性機械性には、まったく自覚は及ばない。
あくまで自分の今の気分なのだと信じて疑わない。
これは純粋な自分の思いなのだとして。

逆に「怒りに我を忘れて…」なんてのもあるか…。
こん場合は、プログラムとしてはエラー(狂気)としての表れでしかない。
対象をご破算にすることによっての緊急脱出しか始末の付けようがなかったかな〜?。

仰山あるあんだわー。快にまつわる欲望欲求関連、所有欲関連も多い。
「安心/安全/平穏」を約束する生活環境を積極的に自ら準備したい。
巣作りに関わる欲求ってのもある。
とにかく記憶に残っている[妥当/有効/成功]事例の
「再帰/再現/再確認」を動機とした衝動。

記録盤に刻まれたレコードの溝がその正体でしかない。

今ある今じゃなくて、実は過去に色づけされた今なんだ。
ねっ!「ひっくり返ってる」「倒錯してる」って表現が採用される理由が
なんとなく分かるでしょ?!。

「過去に体験したあの体験をもう一回、いや何度でも、追体験したい」
心に中には(マインドに)過去の体験が記憶として刻まれて、
疼くようにしてその再現を求めてくるとなると、
 まるで生きているものみたいに思えてくる…。

[介入終]


この倒錯/転倒がで、
人間は更にヒト独自の

さえ生み出していってしまうようになる…。
これがどんなものであれ、いかなる努力の上のものでであったとしても、
その行く末は、顛末は、おかしなものにならざるを得ない。

スタートとしての基盤が間違っているから。主体たるが違っているから。
(だん)ですわ〜」(バッドナイス常田)
自分を、この肉体であると、観念として自己を認識したところからスタートしているので。





知覚は五門を通して入力される情報。
この情報は内側でプログラムに沿った自動処理がなされて印象となる。
それを味わった上で、判断して、行動が現れてくる。

これ、あったり前の話し…。

知恵の実は、ヒトに新機軸をもたらした。それは印象を受け取る際に紐付ける思考内容が、
言葉によって、超絶的に拡大増大するようになってしまったことー。
ただのギターと、アンプによって増幅される電化ギターの表現幅の違いほどに。
後者ははっきり言うと無限だ…。本当に意義があるのかないのかは不明だけど…。

改めてポイントを述べるのなら:
「人間は印象を受けとる際に、あれやこれやの意味づけが行えるようになった」
「そんで言葉によってどうだのこうだの考えるようになった」
「隠されてある真実の抽出が可能になった」

言葉ってのは「魔術」たり得る。
強力な呪力、強制力、抑制力を秘めているからね…。
プロトコルって名前の制御システムを組み立てるにおいては肝だ。





ここで「本能からの主要なる要請、そして重篤なる影響」ってやつをやってしまおう。

この

地球環境において

だ。何としても

だ。
そして、

。実は本旨はこれだけ…。

その為の、ありとあらゆる選択肢は、個体/群体に任されてある。
力の限りを尽くして、権謀術数の限りを尽くして、とにかく生き残って子孫を増やせよと。
全体調整は自然がそれとなくやってくれる。これだけ…。

喰らい合い…。

不思議なのは、ヒトの感性とって獣性はあさましいもの、嫌悪の感情を掻き立てる対象
として表れてくるってことだよね〜。なぜだろう?。かなり根深い否定の感情が起こる。
何故もだが、何が?なのかもしれない。

知性ではないだろう。ならば、良心?、いや一足飛びに魂?…。

ここは伏線としておいておこう。




実際を

あげるなら:

①先ずは、何をさて置いといても飢餓感かな〜。
 体内に材料を大量に取り入れさせる必要があるかだ。
 ヒトのみならず、大変苦労してしか食料は手には入らない。
 そして、これが叶った折には、飢えているから

がなされる。
 これが動物のマナー。喰えるときには思いっきり喰う。
 そこには、大いなる満足感と快感が伴うようにできている。
 最後のは美味なるの「うんめ〜」ってやつ。
 動機を高めて、この行動行為は、鉄壁のルーティン・ワークとさせる。

②闘争本能。脅威を排除/排斥させる為の戦闘プログラム。
 憎悪、ヘイト、嫌うに関わる否定的な感情/衝動の爆発が原動力とされる。
 これによって同時に運動能力と反射神経が高められてきた。殺生の素早さ巧みさも。

③②と対になるかもしれないけど恐怖心。生存を何よりも優先せよとの基本指令。
 核たる意味は「何よりも死を回避せよ畏怖せよ、即座にその窮地たるを脱せよ」かな。

*(ここは機械としての仕組みをイメージして記述してる。)

⓸[雌/雄]間において主体的/自主的/自動的に交合を行わしめる為の性衝動。
 これ超強力。〈性的魅力〉ってやつが関係する。人間だけだよ四六時中可能なのは。
 これも何故?ってことにはなる。

⑤動物の名の通り、活発に「動き/歩き回らせる」為の衝動。その活動範囲は広大とさせる。
 無為に過ごすことをできなくした。原生動物も絶えず運動している。
 やむにやませぬ事情によりてだ。compelled でしかない。この傾向には逆らえな〜い。
 結果、暇が苦痛になる。じっとしてるのがだめ。耐えられな〜い。
「なんかオモロイこと/楽しいこと/新しいこと/刺激的なことはないじゃろか?」。
 これ動物としての”性”よ、呪いよ。
 人間の場合は知性が絡んでくることによって、快の地たるは無限に拡大増幅されてしまう。
 近々、火星に行くんだってねー。

⑥最後は群体としての活動が、意識しないでも統制された形で自然と行われる為の
 ”

”w。共有感覚?。テレパシー?。これなくして、魚群の動きとか鳥の編隊
 とかはあり得ないでしょう。
 
ヒトも群れとして成り立つ存在なので当然にこれに基づいて行動をしている。
個人的には情報の伝達共有がどの道筋を通ってか?っとことに興味がある。
物理的に近いこと。目視が叶う距離までが可能となる条件であろう。
だからかなり離れていても伝達は起こる。
そんで道筋(メディア)は二つあるだろうなと思う。
大気と正体不明の次元空間経由の二種。

最初の大気は、皆が発する放射の交わりがもたらすもの。
後者は、そこがどこなのかは分からない。
だが、目視が、そこを経由しての情報伝達、情報共有を叶えてくれる。
それも瞬時に。

どう言う仕組みかはまったく分からないが経験則としてそう思う。
実地に会って、皆が揃って、初めて、何か目に見えない共有理解の場が現れる。
詳細はやらないが、実際に会うことがいかに大事なことであるかってことだけは
心に留めておいてもらいたい。

だからテレワークなんでものはまやかしなのだ。効率がえらく悪くなるんだ。
枝葉のことしかこなせなくって、大切な集団的合意の形成プロセスが抜け落ちてしまう。
士気も張り合いもやりがいも上げることが不可能になってしまう

結果は、ヒトのロボット化、些末なことしかしない、できない、
生命たるの本質機能までもが阻害された、欠落した、剥奪された、生でしかない…。
 

 脱線:
 とあるアジアの片隅にのとあった村での話し。
 かなり前の時代だ、第二次世界大戦の前ぐらいかな…。
 その頃のその地域の人間についてを語るのに採用された話し。
 どんな世界に我々は侵攻しようとしているのかを説明しようとしていた。
 そこでは、夜中に若い衆がスイカ泥棒をすれば、その畑の持ち主はことを夢に観てしまう。
 こんな生活環境にある集落に我々は併合を目的に侵攻を果たそうとしているのですよ!と。

 難しい話は置いといて:
 それとは知らず、皆の共生感によって成り立っている社会。
 個々の分離は未だかなり曖昧で、部族としての歴史がアイデンティティーのすべて。
 古く懐かしく、また現代人の感性からすれば遅れた厭わしい以外の何者でもなかろう。
 前世紀の、東南アジアにおける後進国はみんなこんなんだった…。

まあ、こんなもんかな?。
どれも

衝動に突き動かされて本能の命じるままにことを行っているだけ。

そこにある意義を考えれば、どれも、何の問題もない。
ヒトの内にこれらが起こるのも当然。同じ必要性が生き物としてはあるんだから。

問題が起こったのは、対象を

把握するようになったが為だ。
ここで先の新機軸が関係してくる。

人間だけがこの地上において獲得している観念化の能力。
自然現象の中から精髄たる真理を(断片でしかないが)、これを抽出できる能力。
誰にでも再現可能な科学的操作ってのも数式等の言語によってまとめられうる。

賢い使い方だけしてたらいいんだけど、
悪い使い方(誤用)が蔓延して、それによる影響が暴威を振るうようになった。』


追記:
一つだけ具体的な実例を追加したい、とある蛇の話。
強力な致死性を持つ毒蛇が誕生した。
その体表における色柄のデザインも度外れてて痛く眼目をひくオリジナルなものとなった。
するとだ..なんと!この見掛けだけをコピーした蛇が現れてきたのだ!。

強者の見掛けを偽装して、その脅威を利用するの手管は、ヒトの世にも溢れてますよね。
馬子にも衣装が表現か?…。

他には托卵がある。同じ狡智としての戦略がヒトにおいても活かされているだけ。

自然界の動物界の、そこで確認される戦略的行動は見事にヒトの世界でも反映がなされている。
同じプログラムに沿って、支配されて、活動していることの証となるのではないだろうか?。

これは背景としてのプログラム。これに基本的には罪はない。
だがヒトのマインドの力がそれの上に乗っかって発動したならば…。
何の自覚も躊躇も制止もないままで!…。

これは罪たるの上書きにしかならない。





『飢え』は、エネルギーとマテリアルを補給させる為の契機でしかない。
この苦しみから逃れんとして食に励むまで。

動物なら飢えは喰ったれば満たされて治まる。
胃袋が物理的な限度となり、自然とそれは止む。

だが、対象が”お金”に代わったならどうか?。ヒトだけが持つ価値概念、約束ごとだ。
これもエネルギーとマテリアルと同義たりうる。よって

に際しては、
同じプログラムが背後では働いてしまう…。

これには限界がこない。数字の羅列には物理的な限界がこないのだから。
よって飢えは、いつになっても、やまない、止まらない。
取り敢えずの取り決めとしての価値だから、観念としての価値でしかないから。

それで、なにやら実感が薄くて、増えれば喜ぶし安心もするのだが、それも一時のこと。
一時だけのこと。じき、その状態は平準化されて、当たり前になってしまう。なにやらよりより多くを求めての欲望がみるみる膨らんでいってしまう。老後のことを考えれば不安な気持ちにもなってしまう。この辺ことに自覚がもてないのなら、健全なる心のコントロールがなされないのなら、間違いなく貪欲へと至る。いつの間にやら「他人のものを奪って貪り喰らう」ことがその目的へと転換されてしまう。これはもう餓鬼地獄に堕ちた人間の状態でしかない。
金融業界にはスタッフ含め、この手の人間が

誕生している。
あの地獄は動物には一切縁のないものであろうね…。



「見わた〜して〜ごらん〜世間の〜様〜子を〜」♫(九ちゃん)。
ヒトの社会にも生存競争があるのは当然の話し。だからそれはそれでいいのだと思う。
でも人口が増え過ぎたから、だから選別して消えてもらうべきには強制的に消えてもらいましょうなんてのは、こりゃあかんわ…。レミングの方策のならばまだ納得はできるのだが…。

人類の平和と自由の為にとか、
聖書の預言を我が手においてなさんとか、
我ら搾取されし労働者の手によって革命がうんちやらなんちゃら…。

よく分かりませんね。何を聴いてもまったくサウンドしません。
だから夢見としての大伽藍なのだと申し上げているのです。

話は飛ぶが、エレンの選択は完全に間違い。その結果、その後の展開に説得力はすべて失われてしまった。引き算しても、すべてはパラディ島内にて再現されるだけ。業を滅ぼして天界に回帰するしか納得のゆく選択肢はない。これはあくまでボク個人の現在の感想です。謝。 
 



かなりの高齢者で、死をまじかに控えた人であっても、緊急救命処置を遺言として伝え残してしまうのです。一文無しで家族もいない身の上なのに…。動物ならば老衰としての死ならば、
厳然と起こる死ならば、否応はなかろうに。自分が死ぬことへの恐怖が四六時中付きまとって
離れない。こだから要らぬ観念を考えを紡がせてしまうのだ。愕然としたな…。


⓸はもうがどれだけ影響力/支配力があるものであるかはお分かりですよね。
「勝てねえ」(岡井ちゃん)。問題なのは動物次元としての発動なので受胎に至るまでしか
面倒見てくんないこと!。

⑤これを如何に(しのぶ)熟す(こな)かが各個人の重要な課題である。
土いじりが一番時間潰すのにはいいんだけんどねー。今日日流行らんかならな〜。
もしくはなんらかの創作活動よ〜!w。

⑥も強力な影響力を備えているんだろうね。現在も社会において市井において
よく機能している。女性集団に特に顕著に顕れるような…。
「空位読めよ!」の声かけなんかはこれに関係してる。
 読むの生来的にできね〜し。我にハンデあり。

もうヤンピ。あくまでイメージもってもらう為のものでした。


ここで、今に至って、モーゼの十戒を確認しておこう…。



 第1戒 わたしをおいて、ほかに神があってはならない。
 第2戒 偶像を造ってはならない。
     それらを拝んではならない。それらに仕えてもならない。
     あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。
     上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、
      どんな形をも造ってはならない。
     それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。
     あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるのだから。
 第3戒 主の御名を、みだりに口にしてはならない。
     おろそかに唱えてはならない。(畏るるべき方としての自覚を忘れずに)
 第4戒 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
 第5戒 あなたの父と母を敬え。
 第6戒 殺してはならない。
 第7戒 姦淫してはならない。
 第8戒 盗んではならない。
 第9戒 隣人に関しての偽りの証言をしてはならない。
第10戒 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
    彼の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど所有物も同じく。

ちょっと整理をしてみる!

1戒と2戒:

別の角度からも伝えてくれているだけ。
偶像は自己意識、自我、何らかの共同観念、独善的なイメージの投影対象。
これへの信仰はダメよと…。『逸脱すなっ!』って…。

でもヒトの性としては、何らかの(イメージを投げかけれる)

対象が欲しく
なる。でも問題は、主観的で、手前勝手な、独善的で、空想的な、イメージでしかないこと。
『(実際に、現実に、)在りて在る、神たる我だけを崇め、そして仕えなさい』。
この存在は、マインドでは絶対に掌握できない。思い至れない。直接に感知できない。
あくまで

…状況の変化の中に、帰納的に察することしかできない。
それとはなしに迫って、寄って、
あなたは、なにかの不可知たる存在を、突如、身近に感じることもあるかも知れない…。

ヒトは実在するものから逸脱をせぬように気をつけよとの訓示。
このリスクは知恵の実を喰べたヒトだけのもの。
動植物は無自覚/無意識ながらも自然の圏内にあって神の庇護から外れることは絶対にない。

現実には「何らかの営利的目的である組織の一員として忠誠を誓って働く」が
偶像崇拝のあり姿。組織は、ヒトの数だけある偶像(エゴ)を連結して統制できる。
そして理念/方針やら、社内(

)規程が、絶対なるものとして共有される。

あくまで上辺の言葉としてだけ。プロトコル(手順)としてだけ。
意義やら意味は、本質的なことはもうどうでもいい。
海外出張で何ら成果あげることがなくても、出張手当てだけはしっかり申請する。
むしろ給与を出来高を増やすために海外主張が重ねらてしまうのががいい例…。

ヒトは皆、現在、偶像崇拝に凝り固まってしまっている。
「寄らば大樹の陰」のトレンドは遠に完成してもた〜。
左であろうが右であろうが、そのことにおいては本質的にはなんら違いはない。

成果は上位に吸い上げられて、下位への分配は恣意的にしかなされない。
客観的な意味においての公平性は、まったく見受けられない不完全なシステム。
(所詮、ヒトが平等たりえるのは、ヒトが完全たるのはできない相談であろう)

制度だ、法律だ、規則だ、ルールだ、規定だ。(これらは言葉によってなる)
組織のトップ連が掲げるのは、なにやら理想主義の綺麗事だけ。
それを呪いの呪文の如くにして繰り返すだけ…。

入りを太くするべく励ませて、出るを削って絞らせる。
これでも内部留保は高まるが、それは本一時だけのこと…。
だから、まったく小ざかしい限りでしかない。
そんならことより、もっと〈入り〉を莫大にし長期で増やす術はある。
天からの課題たるを、個人として/組織として果たせればいいだけ!。


補足として二件:

その1)

『在る』としか、表せないものとして、
このことの本質をよっく理解した上で、
ボクはイエスのイコンを自室にお飾りして礼拝している。
また仏壇の両脇には大黒様と恵比寿様の二体が安置されている。
毎朝、お水を差し上げて、礼拝(感謝)もさせていただいている。
大黒様は暗がりでお一人なので、そばに、うなずきんちゃんにいてもらっている。
またまた、仏壇は三本柱で構成されていて、最奥の一柱は、大日如来の写真である。
これは、お札にて覆いが掛けられている。すべて自然と揃いこういう形となった。

まあ、言ってしまえば、これも偶像崇拝の要素があるのかもしれない。
自分の中での了解としては、ペルソナの一片であり、経路でしかないと思っている。
傘の骨のどれもが、石突きと呼ばれる先端へと収斂してゆくように…。


その2)

ある訪問介護で問題となった話を一つ。ボクが引き起こした。
パーキンソン病ってのがあって、これにかかると体を動かすことができなくなる。
それが為にサービスを利用している七十後半の利用者さんがいた。
広く立派なお屋敷で、頑張って一人暮しをされている…。

それは雨の日の、夕方のことでした。
あらかたやるべきことは済ませた後。お風呂入れて、夕食の準備した。
ではそろそろお暇乞をと思っていると、この利用者さん、歯医者に連れて行けって言い出した。
それはできないお話よって断ると、であれば、自分一人でも

傘さして行くって…。
歯が痛くてしょうがないんだと…。彼は父と同年齢(狂気の九年)。強引さでは誰にも引けをとらない…。

次のサーヴィスまでに時間があったので、ボクは車で彼を近所の医者へと連れていってあげた。

滑りやすい雨の中をパーキンソンの人間を歩かせられるか?
通院は計画にはないので、これに関係することは禁止であることはわかっていた。
その日は管理者も担当者も不在だった。携帯もつながらなかった…。
しかしだ、誰かが、確信犯たることが十八番の人間であることは、
読者のみなさんならばご存知のはず…。

それがさ〜、ボクもバカ正直で、この件のことを担当者には話しちゃったんだ…。
そしたら彼女、即、上司に報告をしてくれる。
「ご中進、ご中進、ご中進でござるーーー!」って。

そんで、会社をあげての

に曝されても〜た〜。
みんな日常がつまらなくって、仕事に甲斐がなくって、退屈で、あきあきしてるからさ〜、
こういった残酷劇に飢えてるんだろうな〜…。

更に!、事細かな報告書に、始末書に、反省文。
散々な目にあわされたー…。

会社上層部では、本件は馬鹿みたいな大騒ぎとなってたみたい。
事業所の管理者はもとより、地域の総括管理者、
更には、遠い東京から取締役までもが出張ってきたのさ〜。
説教だー教育だー指導だーが三度までも重ねられたわけ。

みんな若かったな〜。この業界しか知らないんのだろな〜。
いや、介護の現場もそれほど長く経験はしてないんだろ〜。
スーツが立派すぎた…。

まあ、保険業だからね。

嫌でも責任が押し付けられてくるのだから。
でもさ〜、「バカバカしい」と言うのがボクの率直な本音としての感想さ!。
決して自分が正しいことをしたなんて思っちゃいないよ。そんなことはどうでもいいこと。

相手の難儀を救い、また身の安全も確実に守るが唯一の

だと思うんだけどねーーー!。

なんでこの話し追加したのかかお分かり?。


閑話休題。

(とど)めは、通過発行権。要はお金を刷って供給できる権威としての存在…。
中央銀行のことね。観念としての貨幣はヒト自身がいくらでも自由に増やすことができる。
これの管理下に沢山のグループがあるだけとなった。大昔に。

どんなスケール単位のグループにおいても同形のパターン/硬直が確認される。
我が身が一番大事だから…。地位を立場を守る。より権威ある身分を掴む。
より多くのお金を握ることが信仰にも等しきこと柄ともなった。
みんな真面目だから、生きるのに必死だから…。
みんな出鱈目、幻想としての観念の虜になってしまっているから…。

現在は、まこと奉ずるべきを見失い、偶像たるを奉じて恥なき時代となったのだ。

だから〜一番重要だから心配だったから、最初に述べ伝へおいたのにーーー!って。


3戒:言葉の多くなることへの牽制。
理屈はいらない。それを捏ねるな。つまらん話をするな。ぶつくさ不平を言うな!。
(おごそか)かなる想いまでにてで留めよ。

まったくできてません! ごめんなさーいーーー!!!」(崇)

4戒:七節の最後には働くな。一巡を果たし終えての明くる日は…。
神は、自然は、働いている。
そして、

においては絶対的な

が定められている。
同じく、神の宇宙の自然の目的に沿って/摂理に基づいて働くならば、
この休止を尊び、聖なるもののとしての自覚を持て。
ガツガツ、ゴリゴリ延々と働くな。商売熱心もいい加減にしろ!。w。

5戒:父母を尊べ。
これは動物にはないだろうな。彼らは独り立ちの時点で記憶はなくなる。そして思慕も
なかろう。覚えちゃいない。ヒトは記憶を保持できる。最終、総合的に、自分の来歴はあるが
当たり前ではなかったってことがやっと理解されるようになる。来し方を観て、本源となって
くれていた存在、サポートしてくれていた存在に感謝と尊びのこころを忘れるなって。
神と、神の代理、その代行者としか思うことのできない今は亡き親たちをね。

6戒:殺してはならない。
実際は殺しまくってるやんは置いといて、これは同じ共同体内だけに限っての話とせずば
なるまい。同じ神を信仰するなら、それらはもう既にファミリーとなる。ファミリー間に
おいての殺人は絶対に許されない。キリスト教ならば、イエスが神の子であることを信じた
ならば、みなはもう家族にも等しくなる。一切、剣をお互いで抜くようなことがあっては
ならない。バカって罵ってもならない。何故ならば、隣人は、実は、汝、自身にも等しい
ものなのだから…。同じ樹に連なる枝なのだから…。

生き物である以上、生存競争は絶対に避けられない。
民族、国家間における戦争はなくならない。永遠に…。

動物/植物の世界においては殺し合うこと、共食いさえも、条件が揃いさえすれば、
日常茶飯事の、ごく当たり前のできごこでしかない…。

  念のために:
  キリスト教国家なんてものは現実的にはあり得ない。
  また、個人としての思いだが、キリスト者のグループさえもまた…。
  どれもこれも、それのイメージだけ、雰囲気だけを奉じているに過ぎない。
    よって、戦争/殺人の事実をもって、
    キリスト教を”矛盾”と決めつけるのはやめてもらいたい。
  矛盾まみれの、汚穢まみれの世間の中で、
  たま〜に(ちらほら)見受けられる存在でしかない。
  世がそうであってくれてこそ、信仰者へとなり得るのだ。


7戒:姦淫してはならない。
血統を守ることが大事なんだろうね…。家として背負うべきミッションがある?
姦淫は誰かの奥さんと睦み合うこと。
だから、当然仔が結ばれちゃったならややこしいことになる。
獣方面からのアプローチでは、これは第10戒と関わりがある。

10戒:あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
   彼の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど所有物も同じく。

浅ましいから、他人の所有物にも関心が向くのさ。
飢えが収まらないので。

横取りの方が優先されるよう本能的になっている?。
その為に自分の持分より、より魅力的に映るように働くようになっている。
敢えて純正なるを毀損して、穢れへと押しやる力が働いているのかも。
エントロピー崩壊現象のあくまで反映?。

これにヒトの観念操作が関わると

が起こってくるのかもね。
一応行動マナーってのがあって、動きようにも動けないので、副次的におかしな感情反応が
起こる。隣国、いや東南アジアの後進国にとって、先進国になれた日本はかって羨望の的だった。今や、この負の感情を経済競争における原動力として利用してる。

記憶/記録もヒト独自のもの。過去への拘りの根拠。
しかし、人格としての記憶はいい加減なものさ。すぐ忘れてしまう。
簡単に考え/方針でさえ変わってしまう。
だから自分勝手な物語の土俵でしかない。

だが、本質は大切なことは一切忘れることはない。

短期記憶と長期記憶のその担当部署の違いがあって、何がどれを管轄しているかって話し。

ここでも人格と本質の、その関係性が議題に上がってきてしまう。問題となる。
断絶してるから、余計悪い方へ悪い方へと行ってしまうのだ。
正確な客観的な歴史は、どうして埋もれて行ってしまうのか…?。
自分に訊いてみれば良いって?。ハイ、そうですね。


8戒:盗んではならない。
これこそ獣たるの本領/本分、その証し。
他人が獲った、押さえた、獲物であろうが関係ない。
自分が生きてゆく為なら、それを横取りすることは当然の行動たりうるのでしょう。


9戒:隣人に関しての偽りの証言をしてはならない。
これは訴訟においての告白の話し。

偽りは、自分を守りたいが為。
その為に、他人がどうなろうが知ったこっちゃない。
単純な自己防衛だけに染まって、凝り固まっているので、
動物次元と一緒と言えなくもない。

最近は、誰もかもが、どの国々も、嘘ばっか言ってる…。

もう誰も、恥じることも、畏れることも、何もしやない…。


以上で十個。

ついでに、イエスのもたらした特別戒も見ておこう:

『 隣人を自分のように愛しなさい 』

隣人は、近くであなたが実際/直接、接するヒトビトのことだけでいい。
彼方の、他国の方々、伝聞でしか知り得ない方々の話しは置いといて。
彼らを

思って接しなさいって。
大切に思い遣って遇しなさいって。

でも、まずは、自分の本質を解放できてないと話は始まらない。

だから、かなり高度な指導なのだ。
動物次元からはあまりに隔たった境地でのこととなる。
はっきり言って自我を落とせてないと無理。

確かに、終局点の、究極の教えとして、相応しい。
これに基づいて、すべての戒律/決め事/ルールは、読み直す必要がある。
ほとんど形は変わらないだろう。変える必要はない。
だが、そのすべての文言の背後に、控えてある核心たるを再確認する必要はあるだろう。


以上』


で結構なんだが、動物性としてのプログラム(本能)にある程度争うこと、
脱することが、十戒の意味には含まれているんかもねっと思って貰えたらいいかな〜…。
戒律は言葉として伝えるしか方法がなかった。

知恵を獲得したヒトには、奥義の一つをもって、その行くべき道を指し示すしかなかった。
エッセンスの十項目を永世に終わらぬ変わらぬ

として与えとく必要があった。

この奥義たるのの側面を理解して、更にヒトは自己のものとして再利用してゆくのだ。
人々を支配する目的において…。『法律』のことだ…。
プロトコル。規定。マニュアル。コンピューターにおけるプログラムのことだ。
言葉、観念の仲立ちとして機能する”呪”をもって…。



ついでに、ここでヒンドスタンの文化にて、ヒトが今生において
克服すべき課題としてまとめられている内容も吟味しておこう。
つまりは煩悩においてだ。


老化もあってかなりお頭の具合が怪しい

煩悩には、無明、我想、貪愛、憎悪、生命欲などがある。[ヨーガスートラ2-3]
108つと考えられている内の、この5個を、特にクローズアップしている。
他の表現としては。無知、自我意識、欲望(執着)、嫌悪、死への恐怖となる。

これらってどれも動物としは至極当たり前の特徴ではないでしょうか?
本能としてプログラムされたまんまの状態。
ヒトにとって最も悪害を及ぼす顕れは: 貪 瞋 痴



それの象徴として動物の絵が採用されていることからも、
 あながち無茶なこじ付けをやっているわけではないことが
  分かってもらえると思う。

無知は、「なにが分かっていないか?」に関わる。
肉体としての我と、本質(核)としての我とは違うだということ。
実際には生活においてどのように関係していて、そこで引き起こる問題は何であるか、
ではどうやって改善を果たすかが分からない状態のこと。

実情を知る為の、有智へと移行する為の方法が自己観察。
動中のものと静中のものが共に必要。
ただ静かに座って、その間に湧き起こってくる雑念なるものを観察する、鎮める。
これに関して自分がまったくの無力であることが分かれば、まずは十分…。
自分に関して理解すべきであることが自覚されたなら無知は脱することになる。

だが、そのことに関しての知は、他の人たちにとっては何の意味も価値もない…。
関心も持たせない方がいい。伝わらないから。
どだい、直知ってのは、言語に起こすことこそ無理がある。

それは、あなただけにとっての、あなただけのガイドにしかならない。
これって自分に言ってるの…。


動物性について、この文化は、
如何にそれが祟ってくるかについて
多くの言説を残してくれてます。
でもこれは省略します。

ともかく人生の目的とは、
動物性からの影響から脱して、
本来性としての

を取り戻すことだとされています。
その為に考案された技法がヨガ。だからパタンジャリだって言っといたの!。
これは先人による実行において獲得された試行錯誤のエッセンス、そのまとめです。



Re: さて、そろそろまとめに入ろう。

というか言い残したこと、改めて語っておきたいことだけをやってしまう。
要は

だ。ここからも更に長い…。w。
繰り返しに過ぎないことも多いから、読まなくったって〜結構です。



要旨を改めて:

状況としては、押しつけらた、この不如意なる獣のプログラムからの要請に、抗うことが、
ヒトの汚れを浄化して、魂の本来性へと引き戻す為の行程とされているのだ〜。
つまりは、エデン(天)へと帰還させるための贖罪の方法になっている…。

このことの根拠として、少し無理やりだったが、十戒を取り上げてみた。

動物性云々よりも、
この身に備わった本能なるプログラムと、

創造してしまった/夢想してしまった対象との
結びつきにこそ問題はあるのだろうな〜と思う。

対象を増幅/拡大/複雑化できるようになってしまった。
自然を細分化して関係性を洗って抽出して、再現性の叶う法則を導き出せるようになった。
知覚の、知識の拡大。アンプリファイド…。
これぞ正しく知恵の実による成果であり結果である。

観念は概念は言葉は、自然界の動物には見当たらない。
まったくヒト独自の特徴、能力になる。
当然に悪いことばかりではなく、大変に意義深いことでもあった。

でも今回は

拡大する。
間違ったシステム利用、プログラム展開だけの話とする。

具体的にはエゴの変質のことだ。それも、その本来性を外れ、歪で、偏った、
グロテスクな形態となりはてた…。勘違い、あべこべ、倒錯的なものの見方が常態となった。
そうなるのが必然であったのだろう。よって驕り/たかぶり/慢心の源泉となった。
虚栄心/自尊心/プライドなるものが当初の最初から憑物の如く備わってしまっている。


多分ね…浮かばれない思念体ってのが大気中はたくさん彷徨(さまよ)っているのさ。
その数とんでもないスケールで。何せこれまで生きた人間は数限りないだろうし。
どれも間違った努力に/方向で励んでしまったヒト。信じられないぐらいに懸命に頑張った魂。
でも死んだ後で、これら思念が逝ける処ってないんだ。納まるべきのお墓もないんだろう。
だからそれらは基本、放散して散るしかないんだ。
でも彼らは恐ろしい意思力、また不幸なことに人格の硬さってのをもっていて、
そう簡単に”自分”を手放せないんだ。
しようとさえ思っても無には還せないんだ。
それでどうするかって言うと…。生きてる人間に入って延命を図るんだ。
同じ間違った方向に/努力に励んでいるものの中に入って、同化して寄生するまで。
やれありがたや〜って。
何ら良いことない。多分、更に悪い方向へと引っ張っていかれるのだと思うよ。
悪しき不健全な傾向がエスカレートさせられる。

これが”彼”だ…。

だからヒトの有り様にもよるのだろうけど、
今日のヒトのエゴってのは、複合的な構成体なのだとも言えるかも。
単に、より悪質で、質の悪い、手強い相手になったてだけの話しさ…。

すべては

をっ忘れて去ってしまったが為。
分からんようになってしまったが為。

そんで根本的なことにおいて、
[認識間違い/誤認識/誤解]が恒久的に恒常的に根付いてしまった。
   結果、自分とはこの肉体であるとの認識が社会一般の常識/普通となった。

そんでもって、この間違った認識基盤の上でいろいろやっちゃうので、
それ以降のすべての考え/論議は、正道を逸脱した


なっちゃいまーしーた!とさっ。

倒錯した理屈、単なる屁理屈が横行するようになっちゃた。
当然に、正しいと思ったことでさえ実行後の、その結果は的を外してしまわざる得ない。
結果、迷路としての世界観が ”普通” となってしまった!。

試しに災害対策としてあなたが大事と思うことを考えてみるのがいい。
こないだテレビで討論聞いてて、こりゃあかんわ〜と思った。
なぜかって言うと公平性とか弱者(高齢者)への配慮が大切だと声高に語られていたので。
正直ボクはそれは無理だと思う。
そして、弱者たるは、残念だが切り捨てられるのも

だと思う。
 例外を標準に組み込んではいけない。
 全体の効率が極端に失われてしまう。
そんな無理事の前に語られるべきは、やるべきはあるだろうと…。

もう川沿い、沿岸近くには住めない。移住の開始を斡旋しなければならないだろう。
富士山の噴火も前提にすべきである。早い目に…。

少し話を戻して:

魂が己が内に働く獣性と戦い、これに打ち勝つことが贖いの工程とされていた/いる。
良心を価値として生きれば自然とそうなる。[相克/確執/葛藤]は避けられないが。
また[良心/魂]は出自であるエデンへと還ることを宿願するようになる。
*死後にではあるが。

これが天が敷いた贖罪の為のレール。十字架の道と呼ばれるもの。

荊とアザミ(障害/苦難/試練/トラブル)が薬草(ハーブ)として用意された/る。

『Thorns also and thistles shall it bring forth to thee;
You shall eat the herb of the field 』

また労苦して働くことによってやっと生活の糧を得れるようにされた/ている。

『In the sweat of your face shall you eat bread』
これは忍耐力/克己心を養う為にと、ここでの現実に心底絶望させる為でしょね。

[Genesis 3-18 / King James Ver]


しかしだ…最初は兎も角も、長の時の流れ(トレンド)で考えるなら
この本質が見失われるのもまた自然な話であったであろう。

ましてや聖性そのものとの

関わりが失われてしまったのなら…。

やがて肉の備えるプログラムが優勢に支配的になってゆく。

器(エゴ)を主体としてこれを洗練/強化/発達させる。

死後に天に還る、死んでからの不確かな話なんかよりも、
今の現実に、地上に、楽園を/王国を築くを実現する方がずっと魅力的なものになってゆく。
我らは目の前の

愛するのだーーーって。

水は低きに流れ、人は易きに流れる。そして自由は放埓へと傾く…。

これも…悪くはないんだけれど…一つだけ問題がある、あった。

その問題とは、ある逃避が、欺瞞が、このことからは避けられないってこと。

生は有限である。

死からは誰も免れられない。

やがて自分はこの世からいなくなる。

この事実から生存中は目を背けることによってこそ、初めてこの”夢”は成立する。

この事実からは、生きている間は、健康であり続ける間には、完全に目を塞いでいる。
この事実は簡単に確認できるからやってみるのがいい。
あまりこのことを意識してはいないでしょう?。ただ単に嫌な話でしょう?

絶えず「自分がいつ死ぬかもしれない」この事実を意識する。
これは重要なワークとされている。
その効果は余計な夢見は無効になるし、ことを先送りすることもなくなる。
そして日常の出来事は大概は些事末事としか思われなくなる。
いらぬ諍い、いらぬ騒動は、避けるようになる。

ルカ12-16に、この修練に関係するであろうイエスの喩え話がある。
要約:
ある金持ちが、持ち蔵が一杯なのを見て、あたらにデカイ蔵を作る。
そこを作物やら財産やらで一杯にすべく大いに励む。
そして自分にこう言い聞かせた「さあ、もう大丈夫だ。安心せよ。」
「これから後は働かず、飲み食いだけして、楽しく暮らそう!」と。

すると神は、『愚かな者よ、

、お前の命は取り上げられる』と宣った。
そして『お前が集めた蔵の中のものは、いったいだれのものになるであろうか?』と…。

誰が知り得ようか?、その時の到来の

を。

②天より閃く稲妻のごとくサタンが落ちしを見たり。

概要としては:

神性をまとう超越存在が地に落とされた。
三層のうちの最下層である地下に[封印/幽閉]された。
しかし彼はやがて封印が解かれ地上で


預言では最終的には完全に滅ぼされる…。

活動するってところは、
彼は観えない形で何らかの影響を人類に及ぼしているとも考えられる。

*少し話は変わって個人的な思い出話しを…。
*ここは重要なんだけどいろいろ考慮して迂回して語るしかないんだ。

昔いた会社では昼食を社外のお弁当屋さんからとっていた。
内容的にはぜんぜん大したことはない。申し込みは前日までだ。
ところがある日、ボクは「今日の弁当は

」と驚きつつ食っていた。
何か怪訝に感じながらも、とても美味しくて喜んでガツガツ食べていた…。

実はその日の分の昼食をボクは頼んでいなかった。
だから”誰か”の弁当をボクは知らずに平らげていたのだ。



だったのだ…。

可哀想にその日、ちゃんと前日に申し込んでいたにも関わらず昼食が当たらなかったのは、
もう既に一部のマニアの方々のみにて知れ渡ってしまっているであろう
あのムーミン大口さんでした!ってなお話し。

「なんのこっちゃ?」っと思いつつ、何やら怒りが込み上げきているあなたは、
もう一度以前書いた「自然に関して」を読み直して、その怒りを鎮めてやって下さい。

『関係ないことないわい!』


もう一つ違うエピソードを…。

昔東京に出張した時のこと。
神田で一泊二千円のビジネスに泊まっていた。
ここは地下階に大きな共用風呂がある。
貧乏性の私はいたくここが気に入っていた。
その晩はくたびれ果てて部屋に戻って来ていた。
そうだ風呂入りに行こうして照明を消そうとする。
この時に思考がまわり電気代は宿泊代に含まれれいて、
細かな気遣いは意味がないことに気づいてしまった。
まさにスイッチを押さんとしていた状況だったのだが、
急に力が抜けてしまい動きが止んでしまったのだ。
それはそれで、やはり切ろうとしたのだが体がゆうことをきかなっていた。
その余りに脱力感が急で、大きかったんで印象に強く残った。
思考が及ぼした自分の内部の変化に驚いたのだ。
いや、ショックだった…。了。

「なんのこっちゃ?」っと思いつつ、何やら無駄させられたようなとの
怒りが込み上げきている皆さん!、これはみなさんは正しい。
主題からすると全く外れた話しである!。
少し入れたく

ので入れちゃいました♡。ゴメン。



実相としては何故かエゴの活動には快楽原理が働いている。
快感が、快楽が、とても魅力的な経験が引き起こるのだ。
これが機構が/仕組みが、肉体の中に/精神の中には、潜んでいる/築かれているって
ことが問題にして、最大の懸念ごとである。

何故この悦楽/快感たるが、この身に、心には引き起こってしまうのだろうか?。
これからの影響がなかったなら、傾きはそんなにひどいものにはならないはずなのだ。
何らかのプログラムの性なのだろうが、本稿においては問いを残すまでとしておこう…。

*本当に本質的に、重要な解かれるべき内容である。


閑話休題、神は贖いの道筋を備えられた。
これはこれで〈システム〉といえるもの。
うまくやれれば[喜び/平安/天上の味わい]が生前に先に贈与もされる。

*これは本当/真実/確か。

そして死後には…。

ポイントは現世に死ねるか?っと言える。
この逆を、現世に執着して生きるが、ヒトにとっては罪となる。
夢幻想でしかないものに執着して無駄に過ごすに等しいから。

自然、つまりはプラクリィティーの機能には人間に幻覚作用をもたらすこともある。
マーヤーってインド人は呼んでいるね。興奮させ、惑乱し、魅了して取り込む。
そして最後に失望させる/絶望を味あわせる。

うまく、正しく消化できれば、この世の夢が儚いものとして放棄されることとなる。
あとは何の執着/求めもなく自由闊達に生きれるようになる。
白痴あつかいの憂き目に会うかも知れないが…。

これがシステム。変性工程。錬金術。

金の精錬は熱をもって不純物を取り除くに要約できる。
この金とされているものが分け御霊。
これは

エネルギーを受け取る。
それはいくら汲んでも尽きない井戸と表現される。
奇跡があるならばそれの前提となる話し。
世の為、不特定多数の人の為に…人を見ず、あくまで仕事として、無償で働く。
これはやがてには真我へと至らせるんだって。マハラジ言ってた。

これはこれで言葉で観念をもって語られた一つの道筋に過ぎない。
一つのファンタジー。これも一つの架空のお話しでしかないもの。
だから、もう何にも考えずに動物のように生きるのも正解。
神はこれらさえも祝福してくださる…。


そして違う道筋がもう一つあるよね。
現実的なお話し。まったくリアルとしかない話しが。

金の毀損/劣化、核分裂の工程に例えられるの流れ。

道徳は忘れ去られ、違反こそが我が喜びの源泉となってゆく。

みるみる天上の光輝は失われてしまう。

統合性を手放す代わりに、莫大な(生臭き)活力を手に入れることにはなるが。


しかし最後には…。


〈断〉








あとがき:

整理がいりますね〜。

長期で、たま〜に、気が向いたらで、作ってたものなのでまとまりがない。

いつか、これも気が向いたらやります。でも、もう文字数が多過ぎてー!。

読んでくださった皆様には、お詫びと感謝の意をお伝えしておきます。

本当にありがとうございました。


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