第37話  前哨戦。

文字数 8,302文字















Re:  荒野のいざない


さて、イエスは聖霊の働きによって荒野(あらの)へと導かれていた。

サタンからの、直接の(いざな)いを、経る必要があった。

(おおや)に、()に出て、宣教活動を始める

には…。


イエスには、何らかの過酷な試練が待ち構えていることが、

これから始まることが、自ずと知れていた…。


そして、先ずは四十日四十夜を、独りっきりで、

荒野にて、断食をもって過ごすこととなった。

なにも食べ物を持ってゆくことは許されていなかった。

最終の明けの日には、飢えによる体の衰弱は、もう極限状態となっていた…












すると、誘惑するものが彼の元へとやってきた。

そして、それは言ったのだ…。




「お前が神の子であると言うなら、
 そこいらに転がっている石に向かって『パンになれ』と
 命じてみてはいかがかね?…」。

The tempter came to him and said, "If you are the Son of God,
tell these stones to become bread."


イエスは答えられた。

『書かれてある通りだ…』

『ヒトは、ただパンだけに、生きるにはあらず』

『神の口より語られる、一つ一つの言葉、そのすべてをもって生くるのだ』


Jesus answered, "It is written: `Man does not live on bread alone,
but on every word that comes from the mouth of God.' "


「ならば」ということで、悪魔はイエスを今度は聖都へと連れ行く。
神殿の屋根の最端部に彼を立たせた。
そうしてこう言った。



「ここが如何なる場所であるかは分かっているな…」

「お前が(まこと)に神の子であるならば、
 自らの身体(からだ)を宙へと投じてみせてみよ」

「こいつも書いてある通り

、あれらが(まこと)の言


 彼は、お前の身のことを案じて、 ”ちゃんと” 彼の天使たちに助けるよう
 命じてくれるはず…」

「彼らは、お前の手をしっかり掴んで吊り上げてくれる…」

「ならばだ、たとえお前が落っこちても、そして石床にぶちあたったとしても、
 無様に(つぶ)れたトマトみたいになるなんてことは“きっと”ないだろうさ…」。

Then the devil took him to the holy city and had him stand on the highest point of the temple.
"If you are the Son of God," he said, "throw yourself down.
For it is written: "`He will command his angels concerning you,
and they will lift you up in their hands, so that you will not strike your foot against a stone.' "


イエスは彼のこの誘いに応えて言われた。

『主なる、あなたの神を、試してはならない』ともまた書かれている…。

Jesus answered him, "It is also written: `Do not put the Lord your God to the test.' "






再び悪魔は、イエスを、今度は非常に高い山へと連れて行った。

Again, the devil took him to a very high mountain and
showed him all the kingdoms of the world and their splendor.





そして、この世にて存在する、すべての国々と、

それらの(きら)びやかにして壮麗なる様を見せつけた。





「これら、すべてを

与へよう…」

 彼は言ったのだ。

「もし我を(おが)み、(あが)めるのならば!」と…。

"All this I will give you,"
he said,
"if you will bow down and worship me."


これに答えて、イエスは言い放つ。

『退け、サタン! 我よりは!

 これもまた、汝の主である神を拝し彼のみに仕えよ”

  この教へのままにだ!。』

Jesus said to him, "Away from me, Satan! For it is written:
`Worship the Lord your God, and serve him only.' "




そこで悪魔は、イエスの(そば)から離れ去った…。

そして、まるで入れ替わるかのようにして、

何処からともなく天使たちが現れて、彼を介抱するべく(つか)へていた…。

Then the devil left him, and angels came and attended him.












         〈了〉





Re: ここよりは、あとがきで、かつ蛇足。

あの話は創作なのか?、それとも実際の記録なのか?。
これへの答えを検証すべく自ら翻訳するをもって吟味してみた。

感触としては[本当にあったこと]と〈創作部〉が混ざりあってるなになった。使徒らがイエスと共に過ごした日々においての試練として備えられた経験がベースになってる。後に、あれやこれやの核心としてそれらの中にあった枢要となり得るものをまとめるに際して、そのすべてをイエスの経たる試練という形で統合したのだ。ことのエッセンスを総括するべく、この話にて表してみた。

ここには、ヒトが現世を生きるにおいて、その彼を完璧に

に足りる
ものごと、そのすべてが俎上(そじょう)に挙げられている。これらがポイント。

では如何にそれらを信徒としては乗り越えることができるのか?、どうやってそれらに対しては対処をすることが可能なのか?。このことにおいての核心となるべく方針に対しての理解を得させるべくして試練たるものが彼等においては備えられていた。*後人としての我ら信徒らの為にもねっ。

ことにおける聖霊による関与、それによる介入があってこその前提も、彼等においてはもう完璧に確信的なることだったのだろう。もう絶対としての了解ごとでしかなかった。使徒たちにとってその存在は、既に疑うことの許されない程までの身近なるものとなっていた。生活の中に溶け込んでしまってある現実でしかなかったのであろう…。

この話が編まれて聖書に組み込まれたこと自体、聖霊による働きかけがあったが為の展開でしかない。変な話にはなるがこれは最終、

と、せざる得なくなる(たぐい)のお話しになるのだ。

”Meta”Non-FIction が、もしかしたら使えるのかも知れない?…。


折角だから、各項、簡単にみていこう…。

▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱

腹へって、飢えて、ひもじくて、ピ〜ンチ!。こりゃ誰だって弱いわな…。誰も勝てない。
イエスであってさえ、ギリギリの状態で、餓死寸前のところ。
なら喰えばいいじゃんってことで、その奇跡の力をふるって石からパン出しゃ〜いいだけ。

でも、これは、彼の場合は、そりゃ〜そうすることは可能なんだけど、出来ない…。

なぜかっていうと〜、彼のこの世における事業は、ヒトと同じ制約下で為されなければ
ならないから。後に続く信徒たちの良きお手本としてあらねばならないから。
じゃないと、あとがついて来ない。来れない。

そのまま餓死に至ることも止むを得なしの覚悟で、あそこ、あの言葉は語られていた…。

追記:

必需としての、絶対に必要とされる、求められることは、ものは、自動的に叶う、揃う。
ことの実際においては、もし切実なる飢えが、それを満たしたいとしての祈念が、
そこにあったなら、不思議とことは、叶えられて、しまって、いる。しまうんだ。
主が、状況たるものを、コントロールして、くださている。
それも見事なほどに、パンクチュアルに、迅速かつ適切に……。

  自分においてはこころが決定的なダメージを受けるその寸前に、その事態を回避させる
  べく、状況において参入してくださっている。このことは何度も経験をしてる。
  ここにおいての危機たるものは、感情においてのそのナイーブさ故の、動揺、変動の
  ことになるのだが……。ことの実際の内容をここに表すのは大変難しい。兎にも角にも、
  事態において、ことが決定となるレッドラインのその寸前で、そうに至らならないよう、
  ことの調整を行って、くださる。ことの成り行き、行く末を、察して、察知して、自己の
  内より発せられてある、悲鳴に、反応してくださっているように感じる。発信源は自己に
  おいての本質、情緒を、愛を、糧としている部分。これはこれでそれとしての表しを
  行っているのだが、そとからの反応においては、その自分たる存在に対しての外部周辺に
  おけるあしらいにおいては、いたく非道なる場合もあるわけさ。別段そこに悪意がある
  わけではない。ただ、皮肉な顛末ってのもある。稀にある。こういったときに、あわや
  というその場面において、ことを免れるってことが、割と多いのだ。
  自分は勘が鋭いので、背景にて干渉しているものの存在を識ることになってしまう。
  察知してしまう。そこに確信を持っている。

そして、片や、もしそれが為されない、為されていないならば、そこに苦しむことこそが、
主のお求めになる。自分では分からないが、そのことにはきっと意味がある。
例えば、主の助けを祈り求むるとしてのその思いを、より強める為にだとか…。
主を意識することがより深くなるようにだとか…。だって、他に頼るものはなにもないので。
そして、なによりも、その飢えが、完全に他力において満たされたとき、つまりは、まったく
自分の裁量や努力によってのものでなかったなら、神への感謝はもう決定的なるものになる。
決定的なる刻印になるのだ。これはもういかなときを経ようとも消えない、消せない。
そして思うのだ、その切実なる生活においての苦しみを与えてくださったことが、
なによりも大きな恩寵であったと……。

プラクリティーとしての考えを何処まで拡大する、できるのかにもよるのだが、
彼は、それの、それらのすべてを、もう完全に支配、操作されている。
彼のお求めのままに、すべては、

、整っている。
このことと実際に、如実に識るをもって、神のその偉大さ、奥深さを、
初めて理解できるようになるであろう……。」

▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱

さあ、今、ここで、飛んでみせい!は、信仰を試されていた。
まさに神の在わすとされる神殿を舞台として。
そこを舞台にすることによって効果は最高のものとなる。

受け身としての自然死(餓死)ではなく、
その

勇気をもって証しせんが為には、
能動的に死地へと渡る行動の選択こそが必要とされていた…。

これは際どかったんじゃないかな〜?。

飛ばない」イコール「

」のジレンマに
突き落とされてしまってた。彼ならば、飛んでみせたかっただろうにさ。
そのとき、誰ぞかの助けもあってか、あの一節が意識に浮かんでくる。
そして、これこそが、今の、この条件、この機会においては、正に妥当であると
確信される。ここで飛ばないことこそが、正しい信仰の証しであると自覚されていた…。

は、また、

本番のときにっと…。

▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱

この世での立身出世、栄華、栄達、大成功…
その思いの、その願い丈の、

、際限なしで、叶えてやろうぞ!。
ただし、「我を」拝み、崇めるならば…。

、この申し出に逆らえるものはいない!。ただの一人もいない!。

イエスも、このヒトであることに変わりなし。
だがっ!彼には拝み崇めるべき存在が、既に、最初から、
この世に

いるのだ。いたのだ。

この一事によって

、不可能は可能とされる。

ところで、この”彼”たるものにおいて、別の表現を上げてみるならば:
「この世の君」「この世の神」「暗きの権威」「この世の暗きをつかさどる者」
「空中にある権をつかさどる者」(ヨハ、Ⅱコリ、エペ、コロ等)なんかがある。

これら表現には、既に、ドえらいことが語られてしまっているよネ!?。
「…へえ~…そうなんだ…」でしかない。何故かしっくりきてしまう自分が悲しい。
最後の「空中にある権を司る」は、「五蘊の要諦のすべてを司る」で、
いってみよーカー!(新おにい)。

(あるじ)としてありえるものは、

” 二つ ”

ない…。

二者択一。

中途半端はなしねって!。

▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱▱

総じて、すべて、聖書にある言葉が、問答においてクローズアップされる。
あれらは、要は、神からの、ヒトに向けての訓示。指示書。
これに従うを旨とするか、それとも、反抗して逆の立場の側に付くか…

ただそれだけの話し。

この後の本戦において、イエスは、

と対決する。
共に、ヒトにおいては、勝つことの

相手である…。
要諦は、彼は、それらを丸ごとにして勝利するのだ。



補足:

 四十日四十夜、つまりは40日間のすべては、なんらかの神によって定められた
 ”満了”を意味する単位、その一つだと思われる。
 おそらくは生命を支えるに足りる物質性においての限界リミット。

 聖書の中では、重要とされる期間においてよくこの尺度が使われている:
  大洪水を引き起こした雨降りの期間、この大水が引きはじめるのに要した期間、
  モーゼ単独でのシナイ山滞在期間(最後に石版を入手))、エリヤがとった逃避行で
  費やした期間、イエスが死よりの復活して後に、関係者たちの前に現れていた期間。


 最初のエピソードで、イエスが念頭に置かれていたのは申命記8:3。
 その引用をもって返答に代えている:

 2:あなたの神、主が、この四十年の間、
  荒野であなたを導かれたそのすべての道をあなた方は覚えていなければならない。
 3:それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたが
  その命令を守るかどうかを知るためであった。それで主は、あなたを苦しめ、
  あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、
  あなたを養われた。
  


  ことをあなたに知らせるためであった。


  二番目のでは、今度は悪魔が、詩篇よりの引用をもって
  イエスに飛ぶことを誘ってる。

  「信じているんならできるだろう?」って、「むしろやんなきゃ…」って。

   9 あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、
  10 災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
  11 これは主があなたのために天使たちに命じて、
    あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。
  12 彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。   


申命記: 訳すれば、神がヒトに申し伝えた『命令』。その記録。

少し、ご参考までに:

13 あなたの神、主を恐れてこれに仕え、その名をさして誓わなければならない。
14 あなたがたは他の神々すなわち周囲の民の神々に従ってはならない。
15 あなたのうちにおられるあなたの神、主はねたむ神であるから、おそらく、
 あなたに向かって怒りを発し、地のおもてからあなたを滅ぼし去られるであろう。
16 あなたがたがマッサでしたように、あなたがたの神、主を試みてはならない。
17 あなたがたの神、主があなたがたに命じられた命令と、あかしと、定めとを、
 努めて守らなければならない。
18 あなたは主が見て正しいとし、良いとされることを行わなければならない。
 そうすれば、あなたはさいわいを得、かつ主があなたの先祖に誓われた、
 あの良い地にはいって、自分のものとすることができるであろう。
19 また主が仰せられたように、あなたの敵を皆あなたの前から追い払われるであろう。


悪もだが、善もまた、

で、
いるのかいないのか、あるのかないのか、
分からない、知り得ない限りのもの。

でもなんとなしに気配としては感じられるでしょう?。

おはり



追記:

ヒトたるものを屈服させるものにおいて、最大、最凶のものが欠けていた。

それは ”  ” だ。

もし拳銃をこめかみに突きつけられたならば、
ヒトは容易くその相手の言いなりとなることであろう。

これは100人中100人がそうなる。間違いなくそうなる。

そして、その卑怯なる相手がこういったならばどうなるだろうか?

もしお前が生き残りたいと願うならば、
お前にとっての親兄弟、そして仲間たる同僚を前部全員殺せ!。
この言葉の通りにしてしまうのが、人においては、いたく自然な行いともなろう…。

 *ここでの”殺”の意味は、社会的な経済的なのものであったって構わない。

斯様なまでに、ヒトたるものは、命あるものたるものたちは、死たる事態を恐れるのだ。

 *金銭に乏しきのその限りに陥ることを、
 *その社会において確立した立場たるを、失うことを恐れるのだ。

このことにおいて、この一点において、「イエスの蘇り」が劇的なる意味を持つこととなる。

もうそのことは、歴史上、唯一無二の、決定的なる事件、奇跡であったことになる!。

そして、忘れてはならないのは、そのことの原因には、神たる存在が、積極的に、
関わりあってこそのことだったのだ。

ならばだ、彼の教えに従わおうとするものにとっては、この事実は、この事態は、
絶対に、決して忘れてはならないことになる。

これをもって人類を屈服させているそのすべてが、イエスによって克服されたこととなる。

彼は手本たるものを実際に実行して見せてくださった、残してくださった。

Input なきところに Output は絶対にありえない。起こり得ないのだから。

かの十字架の道とは、各々が、真に自由になるために備えられたるの道として出現してくる。

メッセージとしては、私と同じく命を得るべくして、あれらからの暴威にも屈することなく、
生涯を「神の御下にあることを意識して歩み通せ」となる。

このことの理解をなさしむるべくして、この「荒野のいざない」は、

教父たちによって書き残されたのだと思う…。


2021.09.11



追記2:ヒトを屈服させるものにおいてもう一つ明確なるものがあった。

それは世間の声や風だ。

ヒトは所属するその社会において疎まれたなら否定されたならば、もう生きてはいけない。

イエスはこれを波風たてるようなこと敢えておこなったのだ。

それで、ことの顛末として、磔刑にされてしまったのだとも言える。

ここに何故ヒトが世間によって屈服されてしまうのかの核心的な理由がある。

強制的なる死をもって、摘除されることを、実は恐れているのだ。

よって、死からの蘇りをもって、イエスは、世間にも打ち勝ったことになる。


史上唯一無二の、人間であったことは忘れてはならない。

語られたるのその言葉は、上位界における権威に基づいての真正なるもので、

人の世における一般常識を完全に超えていた。

論理的にもまごうことなき正論で、言論的には彼は既に世間には勝っていた。

そうであったにも関わらず、いやむしろ、そうであったからこそ、

彼は世間の総意において殺されたのだった。


2021.10.01



信仰に入るにおいてここが剣ヶ岳だ。

「死者からの蘇り」を信ずることができるかどうか…

常識的には無理だ。

徹底した現実主義者であることを自分は皆さんにお勧めする。

ならばだ…

可能性としてにはなるのだが、

転生、もしくは、魂が流転しているっていう事態は確信することは間違いなくできる。

「子」を持てばいい。

そして、彼の彼女の成長を、”よっく”観察するのだ。

彼ら彼女らには、間違いなく前世があったことだけは、

あなたは確信することができる...。


2021.10.07



















ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み