第18話  世界の現れ方、その意義 。

文字数 3,031文字

さて、いろいろと「アルアル」「知ってる知ってる」と笑って読んで下さったと思う。
遠に、世に広く知られた本なのだから。
皆が持ち寄った宇宙法則に関してのアルアル集...。

描かれている内容の傾向性は何だろうか?
誰もが身に覚えのある、あれら世界の現れは、極論としては何と言えるだろうか?。

『この世は〈苦〉に満ち溢れるようできている』ではないだろうか?。

皆に共有されていることから、正体不明の同じシステムの内に、それの支配下にて、
全人類は生存しているとは言えないだろうか?。

恐らく、該当する、そのものの名は『自然』となる。

では、この自然なるものは、偶発的なものなのだろうか?
それとも、誰かの創造物なのだろうか?
もうしそうならば、その目的は?

そんな大した話ではなかろうに...と思われる方がいるならば、考えてほしい。
あれらが整うのには、全宇宙の協力なくしては、絶対にあり得ないという事実を。
そのタイミングで、ことが整うことは、偶然だけでは絶対に不可能だ。

ヒトの主観たる意識、その時のマインドの働きに対して、
それの反映として、介入が起こっているのではないだろうか?。

即席の結果は怒りだ。
もう少しソフトには Embarrassment。つまりは 恥 辱め。
これを誘発させるべく状況は創造されてる。

そして、怒りは、
広く、世間に向けて、
副次的に、
伝播されていってしまうものなのだ...。

ここに、選択がありうる。
怒りを堪える。辱めを忍ぶ。怒らないでいれるよう努力する。
もしくは、作用のままに、素直に反応としての怒りに身をまかせる。

ある意味、前者は「反自然」な行いと言うこともできる。
作為的で、かなり場数を踏まないことには、そうはできない。
そして何より大いなる

がそこには伴う。

自制力は、最初は、ほんと、微弱で貧弱なものでしかあり得ない...。

しかしだ、考えてもみたまえ、
システムにもて遊ばれること自体、「屈辱的」と思えるのではないだろうか?。

を持つことをお勧めする。

それの目的の

のだ。
とりあえず、

に相成ったなら、
とりあえず、『

』。

これは、かなり簡単。これで怒りに染まることからはかなり回避できる。
中をリセットすることができる。
はたから見れば、アホみたい、バカみたいになるんだけれど...。

そして、ゆくゆくは、まったく何の


淡々と、状況そのものに相応しい現実的な対応をすればいいだけ。
当然に、「ぶちのめす」が適格と、良心が告げるなら、そうすればいい...。
個人的な憎しみ、怒りの感情からではなくがその目安になる。

この反自然的な態度を、あえて選択することを、強く勧める人たちがいる。
彼らは愛もて、それを説くのだ。


追記 1:

せっかく拭いて綺麗にした床が、また猫の足跡だらけになっている...。
少し微笑み、もしくはアハハと笑って、改めて、また綺麗にするだけw。
後には何も残らない。猫は屋根裏でぐっすり眠ってる。

やがては、アハハもない。流れる河の如くがあるだけ...。


追記 2:

笑いってなに?
現象的に、なにがどうなって笑いというものは起こるのだろうか?
あのフラグメンツを読んだ方ならご存知のことですね。

消費できない、使い道のないエネルギーを廃棄するがこれ。
快/不快、正/誤、等の判断をセンターは行う。
これが一つの事象に対して、同時に起こると、その後の処理ができなくなる。
これにより一種の痙攣が引き起こされ、エネルギを笑いという形で捨てはじめる。

別の例では、何かを、”過剰”との、印象が持たれる場合。
こっちは「ワロテまうわ〜」かな...。
ありふれた事柄でも、強調されたりすると、肯定/否定が同時に起こってきてしまう。
そして、同じく行き場のないエネルギーは捨てられる。
基本的に本能センターと運動センターの機能においてこれは起こること。

話しで笑うのは、そこに相反する判断、イエスとノーが自分の中に
同時に起こっているを表している。

解毒として笑いは有用だが、廃棄ばかり行っているとなると....
エネルギーは有用に、実利的に使わなければならない。
高次の存在らには笑いはないらしい。



その二)

さてっと、引き寄せの話をすましてしまおう。
これも自然との関わり合いにおけるノウハウと言える。
物欲ベースだけどね。

まず、この表現は既にリスキー。
Law of Attraction との捉え方はよくありません。
Law of Projection が正解だと思います。

*最終的に、それの呼び名は、Law of Casting とする。(20.10.21 )

前提として『世界は、祈りあらば、その実現に応える』は、
まごうことなき”真実”であると声明しておこう(この”崇”が保証いたします!)。
これも自然の不思議な働き。

基本、いかなる願いにおいても世界は応えてくれる。
ただし実際の行為によって、目的達成の”念”を練ることが必要とされる。
結果に見合うだけの長期持続による練りこみが(御百度参りがいいモデル)。
だからある意味、物理法則にも等しいと覚える。

(その実際については、以前に祈りについてでやっている。)

でもね、その結果が物質的なものであった場合、社会的な地位でもいいんだけど、
嬉しい、喜ばしいと思えるのは

の話...。
その嬉しの状態が、普通に、当たり前に、時置けばなってしまう。
達成された、その瞬間から

なのかも知れない。

(以前に、平準化、標準化、の話しは済ませてある。)

また、タチの悪い法則の発動もある。バランス化現象。
一つ得られたなら、想定もしていなかった

が失われてしまうことになる。
もしくは、新たな、未知なる[苦]が、その達成が故に現れてきてしまうようになる...。

(○○部部長に昇進した。
 おっそろしい責任を言い渡されてしまった。同時進行でリストラせよだと〜。)

この問題に関しては、ことが完遂されるまでは、怒らないこと、
怒りを外に向けて発さないことが重要なノウハウであることはもう知ってるよね。

*(夜の図書館1F 参照)

ハイ、もうまとめ。

求めるものがあるならば、神に、天に、願えばいい。
小賢しい、作為的なノウハウなんかに頼ってはいけない。

相手が相手なんで、真に、理解のある方ならば、下手なことは絶対にお願いしないだろう。
できない。でも、この方は、心の底からの、真実の望みなら、間違いなく叶えてくださる。
このことの世界の反映の様子をみることには、大きく勇気付けられることとなろう。

彼は、良心の叫び、その感嘆、その刹那を、決して見逃されることはない。
純情ゆえに傷つきそうな兆しあれば、回避させるべく即座に動かれる。

でも、甘えは絶対に許さないんだけどネー。


〈終〉



お金があっても愛してくれる人がいないなら、なんになろう?。
また、愛は、お金以前に優先させるべきものだと自分は信じる。
金を取って、結果、愛を失った人をボクは知ってます。

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