第43話  それは1972年のことだった…⓯

文字数 19,292文字

再始動…。

*自分の言説の

、とある物語に依拠しての、その見地からの、
 さらに事後の地点から全景振り返ってみての、偏執的

でしか
 ありません。このことは、この事実を、重々、お忘れなく…。
*前稿⓮は失敗してます。また

本腰入れてやり直します。めんご。
*とにかく話を先に進めます。

  草々





Re: 飛鳥了

 開口一番、まさに私が述べたくの、総括としての言は!、
「最初から、彼のやりたい放題、好き放題やったやないけー!」

これは最初の登場時における飛鳥了になる。
ここにある彼の不敵にして確信的なる、そして含みある表情を見よ!。
後にこそ分かることなのだが、こいつこそが物語全体における
真のコントローラーだったのだ。ライターとして物語内に参加しながら、
それの脇役として控えながら、実際はすべてが彼の思い描いた通りの、
求めたまんの展開となる。

このキャラは特別だ。漫画史上、唯一無二の特異点となる。
何故なら、確実にして完全に、とあるものの、その実在の、
反映としての人物になるのだから…。

この初回の時点において、なにが彼の内あるのかを言うと…、
彼は、不動明たる存在を、やがてに道化の身へ落とさして、
終局には、ぼてくり回しの状態にして(フルボッコにして)、
確実に殺し尽くすという行為に及べることを、もうワクワクもワクワクの…、
音を立てながら舌なめずりして止まないの状態にあるのだ。
その殺害に至るまでの展開も、簡単にして素っ気ない、ただ単なる乱暴狼藉、
そんな即興即物的な、底の浅い展開などにおいてのものではない。
腕にもよりをかけて、練りにも練ったりの、そんな悪逆非道なる筋書き沿っての、
その果においてのものになる。

この時点では、沈着冷静なる人物として、やけにクールでソフィストケイトされた、
だがどこか空虚なるキャラとしての像が印象として持たれる。
されど、ここには冷徹にして強靭なる意思、そして超絶的なる知性とを兼ね備え持った、
確信犯としての悪しきなにかが潜んでいると見なすべきなのだ。

何故、彼がこのような確信的様子であれるのかと言うと、
この話の筋は、もう最初から決まりきった、完全に確定したるものであったのだから…。

ではその動機は何なのか?
簡単に言えば、神聖なる役目にある存在を、とことん冒涜/破壊/毀損できるから。
涜神衝動ってやつさ…。

ここでは、物語の設定おいて、その舞台たるものが、
誰によって設えられたものであったのか?に関わってくる。
創作者は実際はヒトではなかった。正にあの存在が作者に憑依しての、
その挙げ句のものだったのだ。

そして、不動明の蹂躙をもってに伴って、また違う別の目的が更にあった。
こっちの方が、本来的な目的であったはず。
この漫画の公開によって、然るべくの影響を、すべての読者に残す。
それが誰であろうとも、いかなるものであろうとしても、
その皆において確実にそれは果たされることとなる…。

もう、これを読んだならば、それは消し難き刻印として、
彼らの精神に刻まれることは避けがたい。
それも、歳の端も浅きの、未熟なるものらにおいてとなるならば、
その効果たるや、絶大にして最高のものに…いやさ、
最凶のトラウマとなるは必然なることであろうと…。


それは精神の汚染、破壊のこと。
これの効果は、時を跨いで、長く長く、残り、そして、広く広く、伝播してゆく。
それは、自らを、そのショックそのものを、
改めて再生再誕させるべく務めるような働きをみせることとなるだろう。
これは呪なのだ!。魂、精神への、”我”、自らによる刻印となる。


正に精神の、その魂の深度にまで至り達するまでの、
夥しき毀損が果たされることととなる。
それを求め、狙っての内容なのだ。
これを今から正に始め、
そして間違いなく遂げてやろうとしているものの表情だった…。




そして、かなり早い時点において、それの本性暴露はなされている。
そのあけっぴろげで、恐れを知らぬ、不遜にして大胆不敵であることがー!。

それは、そもそもからして当然な話、そうしたとしてもかまわないだった。

なぜなら、最初から、(読者も含めて)登場人物の全部、その全員が、
籠の中の鳥として、物語世界は構築はされてゆくべくの状態にあったのだから。
作者は既に語ったように、とうに、それに魂を明け渡してしまってるの状態だったのだから。
魔王ダンテの表象にあらわされたる、なにか得体のしれない悪しき存在に。

だから最初から、あっちら側への偏向において、あちら側の思惑の代行者として、
本物語は創作され、そして世に向けて噴出されてしまったものだった。

だから入場してはいけない作品。
公開させては絶対いけない作品だった。
繰り返しとく、片側に振れきった挙げ句

創作が実態だったのだから…。

なぜ不動明はターゲットとされていたのか?。
彼自身にとってのオポーネント(対戦相手)と、
そして供犠そのものの対象とされたのか?。

本来的なイメージは不動明王であることに間違いはない。
大日如来の化身(アバター)であること、またシバ神にその起源を持つともされている。
その本質は、尊き人間の良心を踏みにじる、救いとしての法輪そのものを破る外れる、
救いへと至らんとする、ひとの営為たるものを、毀損するような、邪魔をするような
働きに対しては〈憤怒・憤激〉としての顕しになる。そのような内外敵よりの行為、
作用、運動に向けては、滅尽としての動きとして現れ来たる…。



妙にしっくりくるでしょ?。ここが日本であるがゆえにこう定まった。
これを砕くということは、日本そのものを砕くことをも意味する。
精神世界における支柱、そのものが密かに標的とされていた。


    ここにあるイメージ変換には、たしかに悪意があると感じません?。
    誰も分からんところで、多くは気づかないとこで、冒涜蹂躙挑戦が行われてたんだ。

 その反動から、修正の作用力として、こちらが表出してくる。
 でもこれも、結局は、あちらのストーリー(デビルマン)に吸収されてしまよう
 されるんだけどね。負け戦。哀れでしょうがない。不動をも宿していながら…。


補足:

美樹ちゃんは所詮は脇役。
明の怒りが最大限に着火されるべくしての契機としてのキャラ。
そしてまた、作者の良心が、その魂そのものが、根本から、根底から、
自ら損なわれるようする/なるための…。

作者にとって

、彼にとって

に、
彼女は生贄としての、真に意義ある存在だった。
それを同体験させられたこっちの身としては恨み骨髄さね。
このことも悪い影響をヒトに与えてしまう…。


〈暗転〉



Re: こっから本体。

出だしはですね〜、単行本化においては削除されてしまった部分からにしよう。
デーモンによる大規模な、特攻自爆攻撃、その開始前夜のはなし。
多分、見返して、作者もなんでここ描いたのが分かんなくなってたのでしょう…。

了が単独で活動している。



デーモンが密かに人間に成りすましているものらをあぶり出すべく
「ハンター」と称して単独で活動している。
かれらを狩ることを楽しんでいる。


*センスが完全に失われてる。加筆修正した絵なんかもね。

ある日の、その狩りでの最中、突如鼓動が激しく高鳴っったかと思うと、
なぜか了の意識は飛んでしまう。そして再び自分を取り戻した時、
そこには正体を現したであろうデーモンの焼け跡だけが、ただ残ってた…。



いったい自分は何をしたのか、あのときにいったい何がおこったのか、
それにまつわる記憶の一切が彼にはなかった…。

なんかおかしな展開なんです。不自然といえば不自然。
特に単独行動ってところがね…。

この場面がなんだったのかって〜とー、狂言回しとしての、作品内の配役としての飛鳥了は、
この時点においてまたもや一旦死んだ。これはそのケジメとしての、その暗示の為のエピソード。次から登場してくる了は、もうまさしくのー、

となっている。でも、そうで
あるのも、ほんいっときのみの話しさ…。やがて、すぐに、それもいなくなる。その入れ替わりは、あの「登る朝日に向かって歩み去る」のシーンになる。*(よりにもよっての演出だった)。閉じた世界内であればこそ。”向かう”は挑むでもあるのだろう。)そのあとは作者の
作ったお人形さんがすべての帳尻合わせをすべく活動するまで…。それも”嘘”も嘘の満載で。
おためごかしばかりの”語り部”ばかりとなって。読者らを煙に巻くべくして…。



Re: 今回は、大回りしてアプローチかけるぜーーー!!!。

そこまでしないと、あの漫画の最終章はやりきれないんだー。
こちらの神経がもたないんだー。
お付き合いいただける方のみにてで結構なんだー。

〈暗転〉

Re: 創世記における”

において、改めて。


ポイントのみ抜粋…

順序的には干からびた大地が先ずあってー、次点において、泉が湧き出してきて、
それを潤したそうな。そんで「土やら塵」たるものは、”粘土”と化した状態になる。
この”粘土”をもってヒトは形造られた。続いて、神が、その顔に気息を吹き入れられる。
このことをもって、遂に、ヒトは生きるものとしての、その創造は完了となった…。

元々の構想は『我らの姿の如く、我らに型どりて、我ら人間を造らん』だった。
ここは

であるところが注目点ですね。でもしばらくはこれ触れません。

”は、見た目の話ではないのかもね…。これの意味は、基本的には、
三つ以上の、独立した命ある中枢が、調和的かつ協調的に関係しあって、
その結果として初めて、自己としての全体性が顕現されるってものらしい。
三位一体こそが神の特質特性なのだから…。それらは、ヒトにおいては、知性や感情、
そして本能とか性とかの名称で呼ばれるものになる。あれらの、それぞれが独自に主体と
なって、活動することこそが相応しい状況ってのがあることは、もう分かってますよね?。
まあTPOをよくわきまえて、然るべくの態度表明が/選択が/自己制御が、いろんな状況下
では必要となってくるまでの話し…。大人になればこれができるはずって。

閑話休題。

粘土の状態になった。
これって、何のこと?。物質循環が叶う環境となったの意味だと思う。
体液とか血液、脳漿の果たす役割を思うべきかな?。媒体としての液体や気体だ。

そんで、最後の仕上げとして、人体たるものに、神々は、気息を吹き込んだとさ。
これは呼吸の開始のことでしょう。気体として存在する物質の取り込みと排気の開始のこと。
*もう一段、そのことにおいて、裏の意味を考えるならば、
 ここに、分け御霊が行われた事態となる。ヒトに魂が現れた…与えられた…。

これらの仕組みに関して、構築も、その始動も、全く自力では

ので、
とにかく何か外部要因を考えざる得ないのは当然。あまりにもシステマティックなので、
単に自然で片付けるのは逃げであり怠慢に過ぎない…。

心臓に関して触れてないのは、体液循環の背景として割愛が叶うと
思ったからなのかな?。それともハートに関しては、愛や信仰に係る枢要になるので、
ここでは敢えて触れなかったのかも。ブレちゃうからね…。

そんでー、ええっと、…、エデンの園、楽園。

神の懐深く、その腕の中、その恩寵に、満ち満ちたるの環境下で、ヒトは生存していた。
神の庇護に十全に恵まれていたからこそ、楽園として、そこは表現されている。
耕して』『守って』が仕事であったみたい。
農耕してた。そこの管理みたいなことをしてたになるんだろね。
枯れてたら引っこ抜くとかかな?。増えすぎた生き物がいたら駆除してた?
楽園には『観るに麗しく、食らうに善きもろもろの樹』が生えていた。
また『生命の樹』および『善悪を知のる樹』が生えていた。
誰によって?。当然に神によって。
その位置がエデンの中心ってことにはなんらかの意味がある!…。

ここで一旦話は飛んで、エデンを本源として、後に分岐して流れる四つの大河についての
話しへと切り替わる。ピソン、ギホン、ヒデケル、ユフラテと呼び、これらが全世界を養う
べくの主流なる大河であると。それらの源泉として、この《エデンの地》はあるのだと…。

最初にヒトが置かれた、エデンは、世界たるものの原点。始まりの地。超越的なる地平。
今となっては、越境的にでしか垣間見ることのできない上位世界。
ヒトが、命たるもののすべてが、やがてに還り至るべくの、辿り着くべくしての地点。
理想郷としての楽園。その示唆としての意味伝達なんかもねー?。

ちょっと脱線する…、一つの夢想として、一つの方便としてのとらまえ方。エデンは、
それはIAMが管轄する特別なる次元。宇宙の根源としての地平線。肉体として死んだあと、
すべての、然るべく権利を持つ

は、ここへと移行してくる。そして別の惑星への転生が、
これも然るべくして定められるようされる。そこは地球と比べれば、間違いなく、優れた
環境になる。少しだけなのか、もう信じられないほど格段のものになるのかはあなた次第!。

閑話休題。話の続きは、また突如戻って!、神は以下のように言われたとな…。

  (その)(すべ)ての()()(なんじ)(こころ)のままに()らことを()。』
  ()れども善悪の()(なんじ)その()()らうべからず、
   (なんじ)(これ)()らう日には必ず()ぬべければなり。』

善悪を識り分ける/それらに関しての判断がつくようになる…すると、
あなたは

と…。

ここに関しての解釈を、以前、どっかで表現したことがある。
でも「

、改めて、ここで吟味してみようー!。


〈休憩のため中断〉

〈再開〉

先に重要と思われる他のポイントを挙げてしまおう。

アダムとイブは蛇にそそのかされて、神の定めた禁を犯してしまう。

そのときに蛇が行った説得の内容は:

蛇) :神は、どの樹のものであったとしても、その実をは食べるなと言ったのですか?

イヴ):この園に生えるどの樹のものであっても、私達は食べていいと仰ったのですが、
    あの樹の実は、食べてはいけないと…触れてもいけないと命じられたのです。
    これは私達が死ぬことのないようにとのことでした。  

蛇) :たとえ、そうしたとしても、あなた達が死ぬことにはならないさ。
    でも、そんなことされちゃうと、あなた達が開眼して、神様たちみたいに、
    善悪の識別ができてしまうようになっちゃう。 
    このことが分かっているから、あゝ言って、あなた達を押し留めておいたのさ。
  
蛇の説得には嘘と真実がある。
 食べたら死ぬは、即座に死ぬとかの意味ではなかった。
 寿命という期限付きで、死去が避けがたくなる。
 神々の如くに善悪の判断が付くようになる。これは本当。
 神がこの判断力をにヒトがもつことを、なぜ厭うたのかは謎。
  推測としてしか成り立たない。
 禁じた理由の根本は、その事によって、ヒトには間違いなく死が入ってしまう。
 その事態を、もったいない、可愛そう、憐れだと思ったから。

追記:神の世界内においては、魂は不死たりえる。
   だが一旦、その庇護としての(かいな)、世界内からこぼれ落ちてしまったならば、
   肉体の死を原因として、その事態を追うそのときの少なくして、神より賜った魂も、
   やがてに消滅せざるを得ないんだ。本来ならば、然るべくの移行がありえたものを…。
   こうなってしまうこと自体を、憐れと思って、畏れて、神はことを禁じたのだ。終。


イヴの反応は、”Curiosity killed the cat”. のまんま。
 俄然、あの禁断の樹の実が気になってくる。
 そして目をやると、その樹の実は


 めちゃくちゃ魅力的で、それを食べたいという思いの虜になってしまってた。
 ここでは、分からないことが理解(わか)るよになるってのが、好奇心を満たすってのが、
 如何にヒトにとってアトラクティブなものであるかの理解がいる。
 これを押し留めうるのは、それをしたらあなたは死ぬよの神からの禁止だけ。
 「そうはなりはしないよ」の蛇の甘言をそのままにイヴは受入れてしまってた。
 これは不完全な真実だが、説得力は間違いなくあったと自分なんかは思う。
 もうことは止めれない…。
 これが男のアダムの場合であったなら、また話は違っていたのかな?。
 いや、そんなことよりも、男は女の求めにおいて従順であるが故に、
 女の言には、男は耳を傾けるに疑いなしの実際において、
 こと優先順位については決まってたと見るべきなかも知れない。

さて、このコト事態は、避けがたいものであったと、自分なんかは思うのさ。
これは然るべくの、なるべくしてなった展開でしかないと。
書かれてはいないが、神の思惑としては、
最初から、このなることへの構想が持たれていたのではないかと…。

その目的は進化の為にだ。放蕩息子/娘らが、やがてに父のもとへと、
改心において帰還する。このプロセスの必要性だ。それがあってこそ、生命の実を食するに
値する存在となれる。痛い目しないと分からないことがある…。

言葉の意味において、表と裏の、二重性もって語られていると聖書は察すべきなのだ…。
*つまりは、あなたが人生で培ってきた、地に足のついたところでの常識がいる。

閑話休題。あと二つ挙げとかなければならない…。

善悪の識別能力が獲得されうことによって得たる具体的な反映、その事例として:
 アダムとイヴは「眼開きて、自分たちが裸であることを覚った」とある。
 裸で神の前に立つことなどできないとの思いが持たれ、
 無花果の葉っぱを編んで、それで腰部を覆った。

なんのこっちゃって思いになりません?。

理屈的にはアプローチが利きませんので、日常的な常識としての話として考えてみる。
身体感覚においての確信から離れてはいけない。理屈を頭の中からひねり出すような
まねをしては絶対いけない…。

ここにあるのは、幼児と大人の差だ。分別のあるなしってことにはなるんだけれど、
ではその分別って何に基づくの?。社会常識ってことになるんだろうけど、
じゃあその社会常識ってなに?。公序良俗に反してはいけないってこーとー!。
まあ、これじゃあ、きりがないんだけれどね…。

とにかく大人になると、頭の中には、いろんな取り決めが、山程詰め込まれてきちゃうんだ。
して良いこと&悪いこと。すべきこと&すべきでないこと。そんで、ゆくゆくにはもう頭の
固いこと固いこと…。男もだが女も頭ン中、がっちがち。そんだけみんな真面目なんだ。
社会的に守られる為に。認められる為に、依拠するために。もうこの事態のことだけで
いいなって、自分なんかはしちゃうのさ。そう、すべての発端は、
この善悪の識別能力の獲得にあったのかと…。

追記:

禁断の樹の実を食したことのその結果として、一件、特に注目を集めておきたいことがある。
トラウマなる呼称で呼ばれる事態のことである。これが一体本当のところ、なんで
あるのかは次回のテーマになるのだけれど、これは無垢なるものにおいては起こり得ない!。
そういったものであろのは間違いのことであろうと自分は考えている。
それがキャパを越えてのものであろうがなかろうが、一旦ことがあったならば、その展開は
もうそうであることでしかないのだ…。かれは映画アニメを楽しむことも先ず不可能である
ことも、今ここで、合わせて言っておく…。



最後の一つ:
 『アダムは善悪を識り分けて、我等の一の如くなれり
 『されば今また手を伸ばし生命の樹のみをも取りて食らい永遠に生き永らえやすらん』
  こう思われて、エデンの楽園からアダムを追い出したと…。

ここは放逐された理由に関わるんだけれど、先ず気になるのは、
あくまでアダムが対象にして語られているってところ。
「アダムとその妻のイヴは」とか「彼らを」とはなっていない。これってなんで?。
陰陽和合にて一と考え、それの呼び名がアダムとされるまで。

次に興味深いのは、神々は善悪を識別しうる存在だって情報。
でも、人間のそれとは違うだろうなってまず思う。かってに想像するのは、
それは厳正にして客観的なる根拠に基づいたものであろうこと。
ご自身における真善美、そしてその愛を、至上の絶対価値として定められている。

ここでの『我等の如く』において、また別の解釈をするならば、この善悪の識別能力たる
ものは、内において、自己を構成する各センター間において、相互に係争が可能になったの
話なのかも知れない。センター各位におけるその各内容の照会において、批判や否定または
合意が可能になったの事態のことなのかも知れない。このことは大きい。外界における対象に
対しての判断が、総合的になり、より詳細に深いものになる可能性がでてくるのだから。
でも、これはこれで、全部が、全員が、協調的に調和してその作業を行うといった課題が
あるにはあるのだけれど…。まあ、それは、それこそが、今のアダムでは難しい課題だった
のかも知れない。

神のお考えでは、この識別の能力にプラスして、更に不死までも獲得することは
許されなかった。そんな事態だけは、絶対に善しとはされなかった。
このことの理由も不明と言っちゃ〜不明だ。謎のまんま…。何が生まれてしまうのか?。
*ここはあれさ『真に目覚めをもって死ぬことがなければ、不死たる”物”が…』。p.338
とにかくー、この可能性をアダムから完全に断つべくして、夫婦ともども、
楽園エデンからは追い出されましたとさ…。


Re: 違うアプローチからも、この知恵の実に関してみておこう!。
   わたしは粘チャッキーだかんねー。

先云うておこう。今回は文字数が多いことからも、この節含めてあと二個で締めます。
そうなると、私の本稿における勤めは、知恵の実をキーワードとしての情報提供って、
ことになるのかな?。それがデ●●マンの最終章と、どう関係してくるのかっていうと、
人類の、その救い難き有様の理由に関して、裏付になる情報提供ができればいいなーと。
そして翻って、したらば、「この自分はどうなのか?」って思い巡らせていただければ、
もう本望なんです…。サンキュー。

閑話休題。知恵の実にかんしての英文での表記を見てみよう。

Tree of Conscience   ←  意識の樹
Tree of Knowledge (KJ) ←  知識の樹

The fruit will make you aware of right and wrong, good and bad.
この果実は、あなたを、

悟る/察する/知るものとしてしまう。
*神と同じくして…。

If you eat its fruit, you will doomed die.
(For in the day that) you eat thereof you shall surely die.(KJ)
もしあなたが、その果実を食べるのなら、あなたには、死が運命づけられる。
その日の内に、あなたがそれを食べれば、あなたは間違いなく死ぬこととなる。

やっぱり日本語の翻訳文とはちと違う。あの”識別”なんかはどっからきたんかね?。
まあいいけど…。分別知って言葉もあるにはあるんだけどねー。まあいいけど…。

ここでは、何が、何をもって正とされ、誤りとは実際如何なる事態のことをいうのか?。
善とはなにか?、悪とはなにか?についての考察が必要になってくるー。
『皆さんの、お考えにおける回答を、是非にお寄せくださいませーー!』って、
ちがうだろーーー!!!」って。

重要なポイントは、

ってこと。

ってこと。
これって、もしかしたら二元論?」って考えるのは中学生までにしといて下さい。
もしや、このことは、01のデジタル言語のことでは?」は高校生まで。

アプローチの方法は、あくまで日常生活において培われてきてるはずの
至極一般的な、身体感覚における知恵たるものに基づくべきだ。
ならば何が見える?。

なんらかの目的に仕える、秩序を特徴とするシステム(機構)}が、
唯一具体的なものとしてイメージされるはずだ。
これは身近な例をあげるならば、この生身としての体と言うことになる。
そしてこれを取り巻く生態系と、それを育んでくれた地球環境。つまりは自然。
そして終局、有限なるを特徴とする”命”ってものに舞い戻ってくることになる…。

命には、間違いなくなんらかの役割がある。それの奉仕先は、当人にはまったく
預かり知れない、無関係も無関係の、彼方も彼方の、未知なる存在になるのかもしれない。
だから視点は高く広く深く、無個人性をもってでなければならない。
すると、やはり、これこそ、尊ぶべき現実の姿だって思いにも到れるわけさ。

システム的存在ってのは、そこいらじゅう、アチコチに、数えきらないほどにある。
そして、すべてはお互いに、連結性、関連性をもって存在してるのが実際だ。
全部まとめて、自然って、大宇宙って、呼ぶことになるんだけどね…。

人間の観念化能力において、抽出されたるの最良/最善/最高の価値たるものは、
真実、善、美}であるとされた。総合的に、全体的に、またかつ、
一切の思考操作を経ることも、必要とすることすらもなく、”ストン”と、
斯く意識されて、定まることとなった。*なってるでしょう?。

真実、善、美}こそが、ヒトにおいては、真実に尊ぶべきもの。
このことは本能としてのプログラムにおいての、また先験的なる思いとしての感慨。
そうであることに、ヒトの小賢しい理屈などはまったく必要とはされない。
またそれらが、逆に、ヒトを選ぶこともない…。

正しきことってのはー、これら{真実、善、美}を尊ぶ姿勢にあること。
誤ちは、これらから外れること、その価値を見失うこと、覆い隠してしまうこと。

は、ある意味上記のような仕組みにおいて、
自覚的に援助する協力する、一翼を担うべく主体的に参加するってことになる。

また

は、これを損なうこと、邪魔をすること、その成果を台無しにするって
ことになる。他人の幸せを邪魔する。自分がそれに預かれないから。正当なるを妬む。
そして憎む。自分はその世界の枠外にあるから。欄外に堕ちたるが、故に…。


ちょいと休憩。

この間に、皆さんからのお便りをお待ちしております。
反論、批判、否定のご意見をよろしくご準備しておいて下さい。
「誤字脱字、わけの分からん文章多いぞー!」わら〜



Re: こらむ。 箸休め

まあアダムから始まって今は7,500年ぐらいじゃないかの〜?
自分が生まれてからは58年…。まあ

あったわけさ〜。

ここん地球環境における獣の体の中に、ヒトの魂は入れられちまった訳でー、
その上での課題ってのがまたえろう厳しくまた難しくってさー、ゆっくりだったんやけんど、
どんどん代さ重ねるに従い、ヒトはひどいありさまになっていったんべやさー。

上で言うたる、「誤」やら「悪」に対しては、もう全くの無自覚になってもうたるさー。
こんこつは、やっぱ、人類は悪だ。悪そのものだってことにされてしまいようなるわいて。
そったらもんだから大洪水できれいさっぱりと、地表は一回リセットがなさてしもうたんや。
んで、残された、つまりは洪水から守られていた人類がおりよって、そいから改めて増えて
ゆくって展開になったんだべ。

そいで、今度、次はどうなったかっていうとー、またおんなじことだったんね…。
でも、もう前みたいなリセット方法は、とられるちゅうことはなかったんよ〜。
あいでは、効果がねがったちゅうことでな…。

ほんで、まったく違う、抜本的な浄化の方法を、神さんは構想されることにしたっとよ。
御ん独り子を、地上に人の子として送り込みして、彼が、すべてのヒトの罪を背負って、
殺されて、贖罪ちゅうんを果たすんよ。そん彼と、関係を選択的に、霊的に結ばせてー、
そいをば持続させる。つまりは、天上から浄化に向けて、そいを伝って導くって寸法さね。
かなりに限定されることにはなるではあらっしゃろが、彼らを選別さして、選り分けて
別個さにして守るってをのがなされいて、最後の最後には物理的に空間的に次元的に、
まったくのゼロから、すんべてを作り直すようされるおつもりでおらっしゃれるんよ…。

すごい大変革が惑星規模で果たされるようなるんやから…。
この変動から逃げのびるって〜こった、誰もできりゃ〜せんて。
星々を越えて、渡ってしてでさえも、そんこた〜完璧に徒労におわる。
本陣から離れいして、生きるなんてこつ、ぜって〜に、でけりゃ〜せんわけよ…。


   [天村タネ]

宝具!アッ・マ〜ンズ・フ〜ラフーラニン・シテモータルガーナー!!!…

それ…もっ…いらんて…。 (読者)

それは既に、遠に、執行され、開始されて、しまって…いたーーー!…。(崇)



*ここ、最後に、ヒンドスタンの精華である識別知(ヴィヴェーカ)に関しての
情報提供を行って本稿は締められます。

先に、この特別なる仕組によって成り立つ世界が、誰によって運営されているのか?と、何故?に関してを言っておきます。それを先人はトリグナを特質とするプラクリティーと呼び、ヒトのプルシャ(魂)が意識の座の中心に、すわるよう導く為になのだそうです。
*(この解釈もかなり楽観的で身勝手なような…。そう利用することもできるが正かな?)
ここでプラクリティーに関してもう少し言っておきますと、これは魔術による世界顕現とでも
呼べるものかと思います。ヒトが思いなす、夢や幻想が、あるレベルからは、その念の練に
基づく強さにって、実現化していってしまうといった面白い事態が観測されるのです。
なので、辻褄があっているようでいて、実は、現実の一切合切は夢幻に過ぎないってのも、
また真実だとも言えるのです。イエライ・イエライ・イエライ…


〈暗転〉


Re: マーヤー

さて、どう表現したらいいもんか?…。
理屈を言いだしゃ~止めどもなくまた切もない。
ちょいと工夫してみた:

あなたは風呂ん中に浸かってるんだ。「あゝいい湯だな~」だ。
そこで意識してもらいたいのが、あなたの体を取り囲み、また包んでいるその湯だ。
それはあなたの体の動きにともない、その状態を変化させる。

その触れ具合。その感触。その滑らかなる動きの加減。
こういったものを意識してもらいたいのさ。

体をほんの少し動かしただけで、そこには流動もしくは対流が引き起こされてしまう。
湯と接している体のすべてが作用する面となって、動けばその反映として流動がおこる。
その変動は、湯船の中、隅々まで、完全に、全体において、伝播してゆく。

*少しここで、入浴中に、肌に感じる/覚える湯の様子を思い起こす。
*それは最初、抵抗感として感じられ、
 次にまとわりつくようにして表面を流れてゆくといった感じか?。
*このへんのことを改めて身体感覚において今晩確認しといていただきたい。

水は、性質上、空隙を保てない。なので、体を動かせば、即座にそれにつれて湯は、
押し寄せてくる。隙間を埋めるべくして。入浴中、体は湯と一体としてある。
なので、これは当然のはなし。絶えず、そこのあなたの体の動きに合わせて、
即時即応の構えで、然るべくの

…。

このことは…もう完璧…。

ここで、湯の関してのイメージをちょっと違うものへ変換していただく。
それを一旦マイクロビーズのような粒子のようなものと置き換えていただきたい。
湯の挙動とそんなに大きくは変わらないであろう。粒子にしたのは、それらの接点におおて
「情報のやりとがなされる」と想像していただく為だ。目には分からんのだが、それら粒子の
連結によって、「流動する情報ネット」が、形成されているんだ!。

なんにおける情報のやり取りの為でしょうか?

それは、湯船の中における、

だ。
物理的様子、その変化に関してのモニター。

レーザーを利用したモーションキャプチャーをここで比較として想っていただくのがいいな。
それと比べれば、こっちは更に動きを正確に完璧にモニターできることになるだろうね。
ただし、「湯船の中での」に限定されてしまうことにはなるだろうがねー。w。

ご心配なく。これは例えだ。完璧に、もう完全に、あなたはモニターされてて、
即時即応で、然るべくの反映が返されている。この状況に関してのイメージを、
もってもらうためだけに登場させたまで。

これが現実なのだ…。

末端というか、もう湯としての全体が、解析と対処の能力を兼ね備えている。
完璧にあなたの有り様は、その態度は把握されてしまっている。
それと同時に、即時即応で、あなたを取り巻く環境は然るべくの反映として構築される。
もうこれは裏表一体の事態でしかない。

そこにはある意味、基本的に、

なんてものはまったくありはしない。
そんな、ヒューマニスティックで思いやり的な、配慮ってのは介在ないんだ。
こちらの有り様、存在のレベル、生存における心がけってやつに、

をもって追従してる

のもんなんだから…。

これが現実なんだ…。

そこには、なんらかの目的があるっていや〜あるんだけれど、
人間の為、人間中心ものではないな…。
多分、主たる目的は、太陽系における地球の果たすべき役割、
そのサポートとしての機能なんだと思う。

その為に、ヒトの、それも個々人、別々において、
生存における環境調整ってやつを執り行っているんだ。
もうほんとに驚異的な計算能力ってやつだよ。

クドいけどもう一回言う。
全体グループのみならず、ひとりひとりの個人において、
その作用は個別において、調整の上、準備され、果たされていんるだ!。

それは選択的かつ選別的にってことにはなるんだが…ある種の個人においては、
これの働きを、彼を中心としてのものとすることが可能は可能だ。
正確にいや〜、こっちが勝手に利用する分には、それはなんの文句も言わない。
まったく、かまいやしなってことだけなんだけど…。
そんなことする奴ぁ~例外も例外。極少数でしかなく、
大勢に影響なんてもんは皆無に等しい。
ならば無視してもかまわんだろうって…。
要は大目にみてもらえるってわけ~。

*それの働きは《苦》を与えることが目的。ある意味、その手は


 それらのすべてを、喜びというか感謝もて受入れる。そんで笑い微笑みもてで治める。
 要は、時々訪ねてくる、

の、

みたいにしてしまうんだ…。
*思い通りにいかないことに対して、怒りやヒステリーを起こしてはいけない。絶対に!。
*それこそが、まさに相手にとっての思うつぼ。目的なんだから…。
*踏みとどまれないと、極限までエスカレートしてゆくよ。そんで”事件”が終着点となる。
*なにがしらか、信仰をもって、庇護に与っとくのがいい。(老婆心)

それとの関わりにありおいて、このヒトに対しての独特の働きを「マーヤー」って
ヒンドスタン系は呼んでる。これは一種の魔法の力だと認識していい。
ヒトが投影する思いとしてのイメージが、実際に、現実として認識が叶うよう整っている。
そうされている。そうなっている。それはまったくもってそのとおりなんだ…。

*一般的な説明と自分のものは違ってる。
*日々に暮らす現実そのものが、既にまるごと、この魔法によるものだって言ってる。
*物理法則等の決め事、制約を備えたものとして。

実は、現実って〜のは、ヒトには遠いんだ。正体不明なるが真実。
ヒトが日常見ている感じているもんは、みんな幻想。
実体は不在たるのコード群。その織り、彩。
でもある種のものは自然がマーヤーの力をもって「在る」って見せてくれている。
すごいのは人間の五つの感覚器すべてに対して帳尻合わせをしてくれてるんだ。
だから触れば、それは間違いなく”在る”ってことにはなるんだけれどね…。

だからって、なんでもかんでも、想像したものが現実になるってるわけではない。
一種、人らにおいて「スタンダード的なものに限っては」になるのかな…?。
ヒトが日常、絶えず行っている投影そのものが、また自動的っていうか、
無自覚/無意識的ななものでしかないんだから…。

だから自分こそが、その状況を創り出してるって自覚/認識にはなかなか至れない。
かってに、それは自分を越えて、最初から、あるもんなんだと思いこんでいる。
マーヤーにされるがままに操られて、そう思い込まされてしまっているだけー…。

あの湯で例えた媒体は、あなたの内、こころや精神の中にまで浸透している。
最初から、あちら側の装備、所有物にすぎない。だから、もうなんでもかんでも
あちらは、お見通し…。

これが現実なんだ…。


即時相応のフィードバックが、この世界の、

によってなされている。
これはすごいことだよ…。

ここだけは自分が感じるままを、正確に述べておこう。

まず最初にはっきり言っておかなきゃなんないのは、
それはヒトのみに奉じるものでは全くないってこと。

基本、大宇宙の仕組みそのもの、その目的に、仕えるものであるってこと。
だから微小片としてのただの点としての一個人にとってのものではありえない。

*面たるものは、その極微としての一点が、無数に寄り集まって全体は
 初めて完成され得るものなので、点であってもおろそかには出来ない。
 これも紛うことなき真実。その一点が全体に影響を及ぼすことも可能。


認識された内容に関しちゃ、あれやこれやの考えが、
副次的に付け加えられたものにどうしてもなっちゃう。
そうした、そうなっちゃた、ものでしかありえない。
少し例として…:

 白百合は清く清廉なる面もちがあるな。
 これには、うら若き、男を未だ知らない乙女の風情を見るのが相応しい。
 線香を焚いて拝んでいたら、隙間風が恐ろしく吹き込んできて、
 仏壇の前が灰だらけになった。ご先祖様がなにかお怒りなのか?!。
 金曜日のテニス教室はいつも雨で流れる。誰か雨男がいる!。なんのことはない。
 それのコーチが腫瘍の摘出で入院する事態となる流れだったからだー。


以下は架空のお話しとして!。

ヒトたるものの構成について:

肉体は有機組成の機構。つまりはシステムとしてのワンユニット。
この機械を、本来の目的において然るべく作動させているのがプログラム。
ここ地球に生存する獣にとっての規律たるべくの本能。

そんで、ヒトの魂たるものが、肉体とは全く起源が異なるものが、
この器(機構)には収まってしまっている。
“Ghost in the machine”ってのがカッコいいレトリック。
でも、そのGhostってのは本当のところは”堕天使”だって
明かしするのが適切だと思うのだが…。

この魂は、認知機能における、かっての原初におけるダイレクト性を既に失っている。
認知は補助翻訳機能たるマインドを仲介としてのものとなる。
意識としてのスクリーン上に、対象に関しての解釈やら希望やらを、
マインドが然るべく合成して整理して投影することによって認知が為される。
これは超高性能な情報処理たる「フィルター掛け」において、外界を認識するに等しい。
色眼鏡を通して。このことには、いい面と悪い面がある。

いい面は客観的に冷徹な眼差しで、自己から切り離された状態で、
対象たるものを分析理解確認できる。その可能性。
本当の意味で厳密にして客観的で正確であれば、それはまさに神の視点と言えるものになる。
まあ、ヒトにおいてはこれは未だ出来ない、適わない事態なんだけどね…。まだ未熟でバカ。

悪い面は、独自の彩色、個人的な見解付与を、無限に拡張できてしまうこと。
無制限に展開できてしまう。ここがバカの要諦。
自分の観たいがままに、思いたいがままに(こだわ)りがなされてしまう。

これは意識的ににおいて、対象としたものに関して、
禁じられていたエデンの実を摂取したことによってこの認識の領域の獲得は叶った。
完全に現実から隔絶されたものとして、内的世界を各個人の我の意識、
その世界として創造することができるようになった。

*元々、神が食することを禁じた善悪を知り分ける能力を身に着けた時点から、
もう完璧にして完全なる現実の認識はできなくなってるんだけど…。

ここからは一つ大法螺を吹くことにしよう…。
ヒトが認識するこの現実ってのは、実はすべて、
ヒトが思っているようなものではまったくないんだ。
ある必要性において、ヒトの思い、その実情状況状態を考慮しながら、
逐次絶え間なく創造されていってるだけの状況、または環境なんだ。

そこにある本質的な機能/役割についてを話すなら、
それは沢山のミッションにおいて働いていて、このことだけではないのだけれど、
基本の骨子としては、失望辱め等を、辛い思いを、
ヒトが、いやヒトの現在のマインドを通しての世界認識において、味わらせる。
そのために、いろんな場面調整を

あつらえてくれている…。

要はだね〜、絶望しか、所詮はないんだ。
この世界に生きるってことにおいては。
その最たる事態ってのが老化の流れとその終結としての死だ。

この世は地獄ってのがある意味正しいものの見方。
でもだこの働き、演出において、それらを利用するって可能性があるんだ。
この救いのない環境であるからこそ、なし得る、果しうる、
手に入れることが可能になることが!。

一に忍耐。二に忍耐。三四がなくて五に大蒜。…違う忍辱!。

この苦しみの過程において、次のことが副次的に修められるべきなのだ。
世界に関しての、ヒトに関しての理解、その向上。真に価値のある客観的な知の獲得。
*これが識別知としてのヴィヴェーカになる。
自己を捨てる、捨て去る、一切をもう諦めることのできる勇気。
愛しか、本質的なものはないのだなの感慨。

そして、そこで、不死鳥の如く、内にて呼び覚まされたる、吹上来る、
爆発的なる思いってのがあればいいな…。

『我が内にてあるものよ、汝の気の赴くままに、自由に、思う存分、振る舞えよ!』
『我は全力を上げて、汝のサポートを果たさん…。』

これはあなた自身の思いなのだ。
あなた自身こそが、のみが、紡ぎ果たせるもの。
ジョージは真のテッカマンになって、それには無敵のペガスが付き従う。
もうすべてに仕切りはなく一体として彼らはある…。


〈暗転〉


地球上における、このけったいなフォーメーションの環境において、
ヒトは、その限定された生存期間中に、
達成すべき課題ってのが定められてる。もう宿命として…。

誰もまともに教えてくれる者はいないのでここでそれをやっといたまで。

この課題における生存(事業)が、そのまま贖罪の役割を担ってて、
その達成によって(死後に)全体性への復帰が為される。
このことは、「天界に戻る」ってことばで表現されている。
つまりは神の腕の内において、再び全体的調和の内におて、
その生存を回復することが叶うこと。

その実際は、地球とは全く異なる、より絶対的な大宇宙の中心に近い惑星環境においてに
なるだろう。新たに、現在の地球におけるものとは格段に違う肉体組成が付与されて。
そこを天国だと呼んでも差し支えなかろう…。

これは本質としての魂そのものが、体験において学習して成長して、
全権を握るってことだって言える。でもこのことは簡単じゃない。
大変な難行苦行たる旅をへることによってになるんだから。

簡単に、ぞんざいに言っちまえば、それは勢力闘争ってもんに勝ち抜くことでしかない。
でもこのことは、自分のたるものの、内における構成要素間における権力闘争ってやつに
おいての話なんだぜー!。


まとめ:

人間中心、自分中心としての世界観がありますよね。
この意味は、一切は、自分の為に配置されているとして一切を解釈すること。
幼年期の精神世界。
自分の為に、世界は用意されているって自然と思い込んでいる。
これは、簡単に間違いだってことにもできないんだ。



天動説から始まり、一旦それの否定をもって地動説に立場を代える、
*(これは不自然でしかなくて、よって混乱期ってことになる)
そして一切が、同時に重心たるのが適っているの境地に達して、
あらたなる天動説へと還りいたる。←(この観は体験をもってでしか手に入らない)

/

として成り立っているのが宇宙の真実だとして。
ここにおいて天動説は正しいものとなる。←(この宇宙の真の凄さが分かる)



天上天下唯我独尊。
これであらねばならない。
この境地をもって残りの人生を突破せねばならない。←(残り少ないことの自覚を忘れずに)

相対性の、その熱き渦中において、
真に自己たるものを(魂こそを)、改めて、

として確立する。
(だからあなた次第なんだから…しっかりその存在を世に向けて顕せよって)

補足:
自分と

たる他者との関わりは、日常において然るべく準備されてくる。
そこでは、その嬉しさがあまりの、あなたの愛を、おじけることなく十全に表わす。
なににおじけることもなく。これが最後に残される課題だ。
その

になる場面において

だけの話しなのだ。
その機会

でいいんだ…。
それは貴重な、恵まれものとして、ほんとに稀なるもんなんだ。
彼方の、情報でしかない他人においては、あくまで平静で、かつ静観の構えで足りる。


追記: 上の二枚の絵において、どっちが実感としてはリアルに感じるだろうか?。
    実際の生活を鑑みてね。でもこれはまだ、”一重心”としてのモデルに過ぎない。
    これが無限の重心おいて折り重なったならば、そこにある相互の影響に関しても、
    考慮して、モデル化を行わなければならない。*この時点では直感力が頼り。
    それをもってでしか捉えられない。それでじゃないと統合は行い得ない。
    その最終帰結モデルたるものが、えらくまたシンプルなものとして、
    自分においては浮かび上がってくるのです。線の多くは相殺されて見えなくなる。
    そして、それこそが正であると、動かしがたいものであると、思えてくるのです。




締め:

善悪を知り分ける能力を手に入れて、地上へと追いやられたヒト。
その後の変遷はあまり良いものにはできなかった。
余計ややこしい事態の到来を果したまで。

そこで、ヴィヴェーカ(識別)なる直接的な知の形態があるってことが流布されてくる。
これはヒトたるものの核としての、魂そのものから、自己の内外の状況/実相を、ただ見識に
おいて、察知において、情報を蓄積し、その上で、分析理解することによって得られる知識の
総体ということなる。

要は本質的なものと、便宜的なものに過ぎないもの、余分余計なもの、人工的なるものの
区分けがつく。本当の自分に関わるものがなんなのかが客観的に分かる。
よって、些末なる、副次的なる要素の切り捨てがこの知見においてできるようになる。
結果、我欲たるものの無関係なることが、くだらないことがしっかり自覚されてしまい、
もう勝手のようにには戻れなくなる…。

この知識の獲得は伝聞では、その効力は勝ち得ない。
あくまで各個人が然るべくの修行を経るをもってでしか手に入れることはありえない。
この知識の積み重ねこそが、やがてに神刃としての武具となる。
自分を覆う、繭そのものを切り裂き、
外に、改めて、生まれ出流(いずる)ために使われる。

これをもってでしか、やっつけられないものが、内にも外にも沢山ある…。



長くなりました。
これにて⓯はやっと終了。
お付き合いどうもありがとうございましたー。






〈つづく〉




付録:

弓矢や武器、さらに風や火によっても、
また無数とも言える行為によっても、この束縛はたてないだろう…

それを可能とするのは、識別によって生まれた『真の理解』という、
偉大な剣のみなのだ。

しかも主の慈悲にて研ぎ澄まされ、光り輝かされた剣のみが、
それを可能とするだろう…


シャンカラ著、『識別の宝玉』より





「 あんた本人が、ナッテ・モートル・ガーーーナーーー!」(読者)


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