第14話  火を地上に投じる。

文字数 1,842文字

  ルカ 12:49-53

  わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。

  火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか。

  しかし、わたしには受けねばならないバプテスマがある。

  そして、それを受けてしまうまでは、
  わたしはどんなにか苦しい思いをすることであろう。

  あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか?。

  そうではない。むしろ”分裂”である。

  今から後は、

  一家の内で五人が相分れて、三人はふたりに、ふたりは三人に対立し、

  また父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、

  しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう』。

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さて質問です。

地上に火を投じるの意味は?

火がすでに燃えていたならとイエスは語りますが、ここでの火とは?

イエスが受けるバプテスマとは具体的に何のことか?

分裂が起こる原因は?

ここではなぜ家が舞台とされるのか?

ナンセンスでないとするならば、ここには大いなる意味がある。

先にご考察されることをお願いします。

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補完: マタイ10:21 より

兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し(*)、
子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。

*ここでの死は現実的なもののみではなく、地位の剥奪、財産の収奪、
 つまりは社会的な抹消の意味も含まれるのだと思います。



Re: 公述編

地上に火を投じるの意味は?

   諍い/紛争/戦争のことだろうな...と思う。

火がすでに燃えていたならとイエスは語りますが、ここでの火とは?

  これは「葛藤」「克己」「奮闘する」のファイトの火。
  魂と肉体的欲望との間で起こる摩擦の炎。

イエスが受けるバプテスマとは具体的に何のことか?

  [無辜/無垢/聖]なるものが人身に宿る。
   罪深き性向を何故か生まれながらに背負わされている『人類』を救うが為に。
   先ずは、この人類によって彼は「否定/蹂躙/陵辱」され、
   最後に磔刑に処せられて、屠られる。
   人類の背負う罪、その贖いとして。
   そしてその後、復活して、天に上り、神の右に座した。

  *結果、彼は、地上において絶対的なの影響力/支配力を及ぼし続けることとなった。
  *途方もない[術式/魔術]が成し遂げられたのだ!。
  *その権能において、すべては、彼の意のままにただ起こる...。

分裂が起こる原因は?

  エゴだ。

  全体からの分離、自分からの分断、至上権の欲求が我を支配する。
  *これって...かって明けの明星と称された星が堕ちた原因と相似じゃん。

ここではなぜ家が舞台とされるのか?

  最小の社会性が保たれる単位だから。
  血の繋がり、家系の意識は、
  曖昧朦朧とした無意識的な、機械的なものでしかないが、
  愛が育まれ得る軌道は備えている。

  だが、ここでも、封建的な家父長制の意識、
 [俺が/私が]一番[偉い/正しい]が支配的になりやすい/なっている。

  イエスは形式的なだけの、中身のないアリ姿は許せない。
  なので彼は、[軋轢/歪/確執]がハッキリと表で顕在化するように


  されている...。



*相似的に、あらゆるグループ単位においても、
 同じくイザコザが起こるようになっている。

*要は諍いは仕組まれたものであり、
 大切なのは渦中においてどういった選択をするか。
 何を第一義として活かすべく[苦慮/苦悩/奮闘]するか。

*彼からの洗礼(バプテスマ)は火。
 この火は自分のエゴを焼き滅ぼす為だけに使うべきのもの。

*間違っても、ただ単に怒りで相手を懲らしめる、
 怒りをぶちまける機会とするべきではない。



(*)の” 父は子を死に渡し”において:

ここだけは違う話なのだ。イエスは、自身の”定め”を念頭に置かれている。

  神ご自身が、自身の独り子を死に渡されてしまう。

  人類の罪を背負わせて。

  その殺され方は酷いものになる。

これを

とばかりに成し遂げる当事者が語っているのだ。






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