文字数 1,046文字

 森さんによれば、荘子における「徳」とは、「いっさいの運命をそのままに是認し、すべてを春のような暖かい心で包むことである」。

 まず是認。是認、受け入れることだ。
 が、その是認の前、是認するからには、その前に否定がある。
 受け入れ難い、とするものがある。

 是認は非からうまれる。非なしに、是はない。

 非をなくすことは人為だ。
 だが、否定することは「我」のはじめ、自と他を分ける、あの「我」のめばえ、「私が私である」とするはじまりだ。
 意識── 自己と違う他者を見て、接し、「違う」とするはじまりだ。

 そこにとどまっていては、非は非のままである。
 非を非として臭いものにフタ、見て見ぬふり、ごまかし、欺瞞、それらのことを、無意識のうちにでもして、生活、暮らしはできるだろうが、そこから是がうまれるとは思えない。

 非と是は、双子星のようにも見えるが、一卵性双生児ではない。他を非とすることから自我がはじまり、自我であることから是がはじまるだろうからだ。

「存在と時間」という言葉が、宇宙みたいに頭の向こうをかすめる。
 が、まあ、とにかく、続けよう。

 申徒嘉(しんとか)は、足切りの刑を受けた不具者である。
 そして鄭国(ていこく)の宰相の子産《しさん》とともに伯昏無人(はくこんぶじん)を師としていた。

 子産は刑余の人と同行するのを嫌い、申徒嘉に向かって言った。
「私が先に出た時には、きみはあとに残っていてくれ。きみが先に出た時には、私はあとに残っていよう」

 あくる日、二人はまた同じ堂の上で同席した。子産は、重ねて申徒嘉に告げた。
「私が先に出たら、きみはあとに残ってくれ。きみが先に出たら、私はあとに残ろう。
 今私は外に出ようと思うが、きみはあとに残ってくれるか。どうかね。
 大体きみは一国の執政の私を見ても、敬意を表して避けようとしないが、きみは執政と同等だとでも思っているのかね」

 すると、申徒嘉は答えた。
「いったい、先生の門下で、あなたの言われるような執政などがあるのだろうか。
 あなたは自分が執政であることを鼻にかけて、人を尻目に見ようとなさる。

 だが私の聞いている言葉に、こういうのがある。
『鏡が錆びないで光っていれば、塵埃ちりはつかない。塵埃がつくようでは、その鏡が錆びている証拠である。久しく賢人とともに暮らせば、あやまちをしないようになる』と。

 今、あなたが大道を学び取ろうとしているのは、ほかならなぬ先生からではないか。
 それなのに、このようなことを口にされるのは、賢人を師としているくせに、あやまちをおかすことではないか」
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