文字数 1,063文字

 孔子の言葉は続く。
「それに、こういうこともある。昔、()桀王(けつおう)は忠臣の関龍逢(かんりゅうほう)を殺し、(いん)紂王(ちゅうおう)は忠臣の王子比干(ひかん)を殺した。

 この二人の忠臣は、いずれもその身の徳を修め、臣下の身分でありながら他人のもちものである民を(いつく)しみ、臣下の身分でありながら上にある君主の心に逆らったものである。

 だから君主は、この二人の臣下の徳行が修まっていればこそ、これを陥れて殺したのだ。
 徳を修めるのは名を求めるためだから、この二人は名声を好んで身を滅ぼしたものである。

 また昔、堯帝(ぎょうてい)は、(そう)()胥敖(しょごう)の三国を攻め、禹王(うおう)有扈(ゆうこ)の国を攻めたが、そのためにこれらの諸国は廃墟となり、その君主は死刑の憂き目にあった。

 それというのも、これらの国の君主が兵を用いてやめず、実利を求めてやまなかったからである。
 これらはいずれも名声と実利を求めたものの例である。

 お前も聞いたことがあるだろう。名声と実利の誘惑には、聖人さえも勝つことはできないのだ。
 ましてお前などは、なおさらだよ。(えい)の国へ行けば、きっと名利のとりこになるだろう」

 ── 孔子による「徳」とは、すなわち名声を求めることだった。そのために徳を修めた二人の臣下は、殺されてしまったという。

 それまでの「荘子」では、徳はそのように描かれていなかったはずだが、この語り部は孔子を登場させ、徳とは名誉欲を働かすものとしている。

 こういうことはある! 徳を修めれば、何か自分は特別な存在になった気になる── まわりの人間が卑しく見え、自分が何か「優」に立った気分になる。「比べる」ことで、自意識をすることで。

 比べることも意識もしない人間であれば、鼻高々にそんな得意にもならない。そんな人間は、これまで「荘子」に描かれた「枯れ木のような・心が灰になったような」姿だろう。「知らないよ。私は何も知らないよ」と繰り返した人間の無知の姿だろう。

 この二人の臣下は、人間に生来備わった性質、虚栄の欲、「他人より秀でたい」とする欲をそのままに「徳」としてしまった。
 徳も人間本来に備わった「もちまえ」であるなら、それもやむないことだと思う。

 すると、一体どうすればいいのだろう。営利、実利を求め兵を用いるのも徳であり、そうでないとするのも徳であることになる。
 二つの徳、自己のうちにあるこれを、結局取捨選別することを真のはたらき、徳とするべきか。
 それでは、対立するものからの「真」となり、それは真ではないものになる。

 とにかくこの「荘子」の語り部は、自らの身をあやうくするような所へ行くな、と孔子の口に言わせている。
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