文字数 714文字

 しかし、目で確かめられないということが、そのものが存在しないという証拠にはならない。
 たとえば人間の身体の諸器官は、それぞれ独立の機能を持つにもかかわらず、真宰とでもいうべきものによって統一されている。

 その真宰は、目に見えないが、それが存在することは厳然たる事実である。
 とするならば、人間を喜び悲しませる主宰者の存在も、やはり疑えない事実であろう。
 それでは、その宇宙の主宰者とは何か。

 ── と、これは訳者の森三樹三郎さんの言である。

「荘子」を続けよう。

 ひとたび人間としての形を受けた以上は、これを滅ぼすことなく、命の果てる日まで待つしかない。

 それにも関わらず、世の人は、あるいは物に逆らいつつ、あるいは物になびき従いつつ、その人生を駆け足のように走り抜け、これをとどめるすべを知らないのは、あわれというほかないではないか。

 その生涯をあくせくと労苦のうちに過ごしながら、しかもその成功をみることもなく、ぼうぜんとして疲れ果て、人生のゆくえも知らずにいるのは、あわれというより愚かではないか。

 このようなありさまで生きているのは、たとえ他人が「お前はまだ死んでいない」と言ってくれたところで、それが何の役に立つだろう。
 その身体が滅びるとともに、その心もまた同時に滅びるほかはない。

 これを大きな悲しみといわずに、いられるだろうか。
 この世に生きる人々は、すべてこのような惑いのうちにあるのだろうか。
 それとも私だけが惑いのうちにあって、世の人のうちには、惑わないものがあるというのだろうか。

 ── まったく、かなしいね。
 生命の、完徹。貫徹?
「待つ」。
 これは生活のうちにたびたび浮かぶ、心に掛かるキーワードだよ。
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