第1話 勇者失格

文字数 7,692文字

 俺がホームルーム前の教室に入った時、数人のクラスメートは異能力を用いた対決をしていた。

 歓声を飛ばす野次馬。
 勢いよく飛び交う火炎や重力波や浮遊する机。
 彼らは教室の中央を陣取ってじゃれ合っている。
 教室が破損しないのは、誰かが異能力で保護しているからだろう。

(朝っぱらから迷惑な……)

 俺は僅かに顔を顰める。
 ガヤガヤと非常にうるさい。
 ただ、見慣れた光景なので驚きはなかった。
 この程度で怖がっていては、心臓がいくつあっても足りないよ。

 幸いにも俺の席は、人だかりから離れた位置にあった。
 戦いの余波で迷惑する可能性は低い。
 彼らも度が過ぎれば教師に怒られると分かっているので、適度なところで大人しくなるだろう。
 俺はなるべく目立たないように移動する。

「おっ」

 途中、何かが足に引っかかる感覚がした。
 俺は転びそうになるも、寸前で近くの机に手を突いて耐える。

 まったく、危ないところだった。
 小さく息を吐いた俺は、視線を背後に移す。

 転びかけた場所辺りに、わざとらしく伸びた脚があった。
 歩いている時にはなかったはずだ。
 俺の近付いたのに合わせて、意図的に引っかけてきたらしい。

 なんとも下らないことをするヤツだ。
 俺は顔を上げて脚の主を見る。

「よう、すっ転びそうになってたが大丈夫か? ちゃんと足元には注意した方がいいぜ」

 脚の主――金髪の不良生徒が、意地の悪い表情で肩をすくめた。
 取り巻き連中がゲラゲラとこれ見よがしに笑う。
 俺を馬鹿にするのが心底から楽しいようだ。

(本当、暇なんだろうな。かわいそうに)

 呆れるあまり、俺は怒ることもできない。

 こいつらから低レベルな嫌がらせを受けるのは何度目だろう。
 あまりの頻度にいちいち覚えていられない。
 よくもまあ、飽きもせずに繰り返してくるものだ。

 リーダーの金髪君の名前は……何だったっけ。
 ど忘れしてしまった。
 興味がないのだから仕方ない。

 俺は爽やかな笑顔を浮かべて金髪君に告げる。

「忠告ありがとう。どうやら変なゴミ(・・)が落ちていたみたいだ。これからは気を付けるよ」

「なんだと……?」

 こちらの皮肉に対し、金髪君は顔を真っ赤にする。
 怒りっぽいなぁ。
 煽り耐性がなさすぎるんじゃないか。
 カルシウム不足だと思う。

 今にも立ち上がりそうな金髪君だが、実力行使には至らない。
 さすがにここで手を出すのはダサいと考えたようだ。
 もちろん、彼がそう考えると見越した上で俺も皮肉ったわけだが。

 ただし、金髪君が握り締める拳はバチバチと小さく紫電を瞬かせていた。
 怒りで異能力が発動したらしい。

 彼はいつもそんな調子だ。
 感情でコントロールが緩むタイプなのだろう。
 短気なのは感心しないよね。

 とは言え、金髪君は既に幾度もの校則違反で厳重注意を食らっている。
 そろそろ停学では済まないだろうから、短絡的な行動には出まい。
 この学園の所属である以上、ボーダーラインは弁えているはずだ。

 俺はそれ以上のやり取りはせずに、悠々とした足取りで自分の席に座る。
 金髪君がギラギラとした目つきで睨んでくるけど無視しよう。

(戦闘系の異能力者は血気盛んで困ったもんだ……)

 二十年前、世界各地に落下した隕石群。
 そこに付着した未知のウイルスが蔓延し、遺伝子的に適合した人間が異能力を発現するようになった。
 以降、一部の人類が先天的に異能力を持って生まれるようになったのである。

 当時はかなりの騒ぎになったそうだが、昨今における異能力者はある種の個性という認識だった。
 場所によっては差別されたり、逆に過剰なまでに神聖視されるそうだけど、この国では単に貴重な人的資源といった扱いを受けている。
 その一環として設立されたのが、異能力者しかいないこの学園だ。

 俺は異能力者の末端であり、クラスメートたちもまた異能力者である。
 もっとも、大部分は普通の教育機関とさほど変わらない。
 ちょっとしたイレギュラーに備えたルールや設備が多いくらいだ。

 退屈な授業や面倒な課題だって毎日ある。
 そして、今日も変わり映えのしない日常が始まる――はずだった。

 異変はホームルーム直前に起きる。
 突如、教室の床いっぱいに紫色の魔法陣が出現した。
 仄かに発光するそれは、見知らぬ記号や文字のようなもので構成されている。

「おい、なんだよこれ!」

「全然壊れない……どうして?」

「ったく、誰のイタズラだ」

 何人かが破壊や脱出を試みるも、魔法陣の外には出られない。
 金髪君も特大の電撃を放っていたが、見えない壁に阻まれて魔法陣には何の影響もなかった。
 さらには空間作用系の異能力で抜け出そうとする者の姿もあったが、それすらも弾かれているようである。

(誰かの異能力か? 妙に頑丈だけども)

 傍観する俺は首を傾げる。

 あの魔法陣は、見覚えがない現象だ。
 このクラスの異能力者が砕けないとは、よほど強力な使い手に違いない。
 学園にそんなヤツがいれば、すぐに思い当たるはずなのだが……。

 俺は頬杖を突いてぼんやりと事態の推移を眺める。
 周りに倣ってリアクションの一つでも取るべきなのかもしれないが、生憎とそんな気も起きない。
 俺がどう足掻いたって何もできないのは自明の理なのだ。
 優秀な異能力者であるクラスメートが無理なら、わざわざ手出しする意味はない。
 それなら少しでも冷静さを保った方がマシだった。

(どうせ放っておけば誰かが解決するでしょ……)

 みっともなく動転するのも恥ずかしい。
 異能力のトラブルだって学園では日常茶飯事である。
 今更、気にすることでもあるまい。

 開き直って今日の時間割をチェックしながら、俺はリュックサックの中身を漁る。

「ふむ、昼前に歴史か……ん?」

 クラスメートの騒然とする声が大きくなる。
 見れば魔法陣の光が当初の何倍にも強まっていた。
 もはや目を細めなければ眩しいレベルに達している。

 俺は思わず準備の手を止めた。
 冷や汗が背中を伝う。

(あれ、これはもしかしてヤバい感じかな……?)

 そう考えた直後、視界が真っ白に染まって意識が遠のいた。



 ◆



 目が覚めた時、最初に知覚したのは絨毯の柔らかな感触だった。
 俺は身体を起こして周りを見回す。

 クラスメートたちが一様にして倒れていた。
 死んでいるとかそういう感じではない。
 ただ気を失っているだけのようだ。

 眺めているうちに彼らは次々と目覚め始める。
 そうして動揺した様子で近くのクラスメートを揺すって起こした。

(さっきの魔法陣は一体何だったんだろう……)

 足元に俺のリュックサックが転がっていたので、とりあえず手元に引き寄せた。
 そして、視線をクラスメートのその先に移す。

 俺たちを包囲する形で、西洋鎧を着た騎士のような人たちが立っていた。
 どいつも鎧越しでも分かるほどに屈強な体格をしている。
 彼らは槍を構えて油断なくこちらを警戒していた。
 その鋭い雰囲気から、ただのコスプレ集団ではないと直感で悟る。

 俺たちがいるのは、大理石で造られた白が基調の広々とした空間だった。
 赤い絨毯は室内を縦断しており、その端には出入り口らしき扉がある。

 もう一方の端には、玉座とそこに座る壮齢の男がいた。
 宝石のはめ込まれた立派な王冠に、ブロンドの立派なカイゼル髭。
 サファイア色の瞳と鷲鼻が、男の荘厳な印象を強めている。
 たぶん国王だろう。

(まるでゲームなんかの謁見の間だな……)

 非現実的な光景に苦笑していると、騎士の後ろにいた細身の男が歩み寄ってきた。
 男は立派な刺繍の模様が施されたローブを身に纏っている。
 手には水晶の付いた杖を持っていた。
 まさに魔法使いといった感じの風貌である。

 俺たちの数メートル手前で足を止めた細身の男は、慇懃な態度で頭を下げた。

「勇者様。ようこそおいで下さいました。私、宮廷魔法使いのヴェニアスと申します――」

 そこから宮廷魔法使いヴェニアスによる長々とした説明が始まった。

 彼の話を要約すると、俺たちは勇者として次元の異なるこの世界に召喚されたらしい。

 その目的は、侵略戦争を行う帝国や荒野の魔族への対抗及びそれら勢力の討伐。
 世界悪を滅するために、この王国所属の勇者になってほしいのだという。
 ちなみに現状では元の世界へ戻る方法はないそうで、帝国の技術があれば可能となるそうだ。

(ほとんど脅しだよな……こんなの断れるわけがないし)

 懇願の体で説明するヴェニアスを見て、俺は思わず呆れてしまう。
 いきなり別の世界に拉致された挙句、協力しなければ帰る手段はないと言われているのだ。
 クラスメートたちもそれを分かっているためか、表立って反論する者はいない。
 一人くらい感情的になって文句でもぶつかるかと思ったのだが。
 うちのクラスは根は意外と理性的なのかな。

 それにしても色々と酷いよね。
 昨今の創作物にて散見する設定だが、いざ自分がその身に置かれると理不尽さを痛感する。
 すべてがあちらの事情と身勝手によるものだ。
 別世界の人間を巻き込まないでほしい。

 俺たちが黙っている間にも、ヴェニアスは気にせず話を進めていく。

「では、まず皆様のステータスを確認させていただきます。世界を渡った際に得ているはずです。意識を額に集中させるとステータスが表示されますのでご覧ください」

 言われた通りにやってみると、視界に半透明のウィンドウ画面が現れた。
 そこには俺の名前から始まって様々な情報が記載されている。

(設定だけじゃなくて、世界の仕様までゲームなのか……)

 感心する俺は、ステータスとやらを順番に確かめていく。

 能力値は七項目あり、それぞれ「HP」「MP」「物理攻撃力」「物理防御力」「魔法攻撃力」「魔法防御力」「素早さ」というラインナップだ。
 肝心の数値はだいたい40前後が多い。
 ちなみに最高値は物理攻撃力の63で、最低値はMPの2だ。
 ゲーム知識で考えるとMPは魔法行使に使うエネルギーのはずなので、俺は魔法使い向きではないのだろう。

 能力値の下には「称号」と「スキル」の欄があった。
 前者には【仮初の勇者】、後者には【翻訳】【鑑定の魔眼】【数理改竄(ナンバーハック)】と記載されている。

 スキル欄の【翻訳】が機能しているから、会話に不自由が起きないようだ。
 他のクラスメートも問題なくヴェニアスの言葉を理解しているみたいなので、デフォルトで取得する能力なのかもしれない。

 俺が自分のステータスを確かめている横で、片眼鏡をかけたヴェニアスがクラスの人間を一人ずつ呼んで凝視し始めた。
 そのたびに何事かを叫んで驚いたり喜んでいる。

「おぉ! 初期能力値が常人の五倍! おまけに【詠唱破棄】までお持ちとは! 貴方様は素晴らしい勇者ですね」

「なんと……【聖刃】を取得されましたか。この後、ただちに宝物庫の聖剣をご用意いたします!」

「素晴らしい! 【状態異常完全無効】は非常に稀少なスキルですぞ! 不死者の王クラスでないと持っていないと言われるほどです」

 どうやら俺たちのステータスを確認して、勇者としての素質を見極めているようだ。
 ヴェニアスの言葉に合わせて、騎士たちもコロコロと表情を変える。
 なかなか忙しい人たちだ。
 おかげで知識ゼロの俺にも、勇者の能力が如何に非常識であるかがよく伝わってくる。

 そうこうしているうちに俺の番が来た。
 いつの間にかクラスメートの大半のチェックが終わっている。
 立ち上がった俺はヴェニアスと相対した。

(俺はどんな風に褒められるのかな……)

 魔眼という厨二病の代表格みたいなスキルもあるし、大袈裟に驚かれるかもしれない。
 ちょっとだけドキドキしながら、ヴェニアスを見やる。

「トウヤ・スドウ、殿ですか。では拝見させていただきます……」

 一礼したヴェニアスは俺のステータスを確認し始めた。
 期待と興奮の入り混じった沈黙が場に漂う。
 注目されるせいで、なんとなく居心地が悪い。
 俺はそんな気持ちを我慢して、告げられるであろう結果を待つ。

 少しして、彼はカッと目を見開いた。

「こ、これは――ッ!」

 ざわつく室内。
 ヴェニアスはこれまでで一番の驚きを見せていた。

 次の瞬間、彼は大きく息を吸い込むと――心底から吐き捨てるように叫ぶ。

「なんだこの雑魚は!? ステータスが一般人以下だと? おまけに【鑑定の魔眼】なんて代用可能なスキルッ! 自分以外のステータスを視認できるのは便利だが、所詮はその程度。強者が持って初めて価値が出るものだ!」

「えっ……?」

 予想外の言葉を受けて、俺は思考停止する。
 一体どういうことだ。
 さっきまでのリアクションと全然違うじゃないか。
 よく分からないが、俺はとんだ期待外れなステータスだったらしい。

 こちらを睨むヴェニアスの視線には、もはや侮蔑の情のみが込められていた。
 態度を一変させた彼は、苦々しい表情で尋ねてくる。

「見慣れないスキルが一つだけあるな……【数理改竄(ナンバーハック)】だと? どういった能力か説明しろ」

 冷え冷えとした命令口調。
 拒否しても意味がないと思い、俺は正直に話すことにした。

「えっと、【数理改竄(ナンバーハック)】は触れた数字を物理的に入れ替えることができます。たとえば……こんな感じですね」

 俺はリュックに入っていたノートを開き、そこに書かれた数字を動かすことで実演する。

 この【数理改竄(ナンバーハック)】は、元の世界にいた時から使える俺の異能力だ。
 自分で言うのも情けないが、本当に使い道がない。
 プリントの数字のミスを修正したい時に楽をできるくらいだろうか。
 別の紙に正しい数字を書いて入れ替えると、わざわざ印刷し直す手間が省けた。

 悲しいことに悪用もできない。
 通帳の数値を弄っても見かけが変わるだけで、実際の貯金額は変動しない。
 パソコンの画面に表示される数字も異能力の対象だが、だからと言って何ができるというわけでもない。
 この異能力はあくまでも見かけ上の数字を入れ替えるだけなのだ。
 システム中枢の数字なんかを弄れたらまた違うのだろうが、サイバー犯罪への対策が強化された現代で一介の学生がハッキングなんて不可能である。

 無論、テストの点数を変えても意味はない。
 赤ペンで記された×印は消えないのだ。

 俺が披露した【数理改竄(ナンバーハック)】の効果に、クラスメートの一部が失笑する。
 彼らはこの異能力の役立たずぶりを知っているからね。
 さぞ滑稽に見えたことだろう。
 この異能力のおかげで、俺はFランク異能力者という不名誉な認定をされている。

 当初は俺の挙動を警戒していた周りの騎士も、こちらを見下したような表情で槍を下ろす始末だった。
 脅威ゼロの雑魚と認知されたようである。

「その者はいい。気を取り直して次の勇者様に参りましょう。ふむ、この膨大な魔力量はまさか……」

 俺から完全に興味を失ったヴェニアスは、何事もなかったかのように残りの勇者チェックに戻っている。
 玉座からこちらを眺める国王も、こちらへの関心は微塵もないみたいだ。

(こっちの世界でも、無能のままなのか……)

 誰からも見向きもされない中、俺はため息と共に肩を落とす。

 その後の展開は実にシンプルなものだった。
 召喚された勇者のうち、俺だけが城を追い出されたのである。
 うっすらと予想はしていたけれど、用済みと判断されたらしい。

 勝手に召喚しておきながら弱いと分かれば捨てるなんて、非道にもほどがある。
 抗議の一つでもしてやりたいが、暴力を以て黙らされるのが目に見えていた。
 殺されなかっただけマシだと思っておこう。

「あーあ、どうするかなぁ」

 いきなり異世界に放り出されても困る。
 雑魚ステータスらしいから、迂闊な真似もできない。
 他のクラスメートみたいに力があれば、自由に行動できそうなのだが……。
 早くも元の世界に帰りたいよ。

 城門を背にふらふら歩いていると、校内用シューズのつま先が小石を蹴った。
 ころころと転がった小石は一メートルほど進んでから止まる。

(確か、自分以外のステータスが見えると言ってたけど……)

 俺は勇者の力として手に入れたらしい【鑑定の魔眼】を意識しながら、小石に視線を合わせる。
 すると、やはりステータス画面が視界に展開された。
 俺のものとは項目が違うようだけど、これもステータスには違いない。

 確かにこのスキル単体で持っていても利用価値は低そうだな。
 派手さで比べたら俺の【数理改竄(ナンバーハック)】といい勝負かもしれない。
 あって損する能力ではないが、異世界で生きて行くには心許ないよね。

 新たな能力の確認を終えた俺は、そのまま小石を跨ごうとして――中断する。

「……いや、待てよ?」

 俺は小石のステータスを表示させながら、同時に俺自身のステータスを出す。
 閃きに従って注目するのは、双方の能力値。
 項目名は不一致ではあるものの、そこには数値が設定されていた。

 ――そう、数値だ。

 俺は条件反射に近い速度で【数理改竄(ナンバーハック)】を起動させる。
 その状態で小石を拾った。
 意識を二つのステータス上の数値に集中させる。
 望む結果のままに、俺は異能力を行使した。

「……できた」

 異能力を解除した俺はステータスを確認する。

 俺の素早さが34から52に上がっていた。
 代わりに小石のステータスの耐久値が52から34に下がっている。
 【数理改竄(ナンバーハック)】による入れ替えが成功したのだ。
 静かな興奮を覚えながら、俺は震える声で呟く。

「……ひょっとして、この世界なら最強になれるんじゃないか?」

 ずっと意味不明で役立たずな異能力だと思っていたが、まさかこのような形で価値を知るとは思わなかった。
 自分以外のステータスを表示する【鑑定の魔眼】と、それらと自分のステータスを入れ替えられる【数理改竄(ナンバーハック)】。
 この二つのスキルがあれば、大逆転の未来を切り開けるかもしれない。

 そっと顔を覗かせる確かな希望に、俺は堪らず微笑んだ。
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