第3話 激戦の果てに

文字数 5,855文字

(本当に、ドラゴンがいた……すごい迫力だ)

 俺はその場から動けなかった。
 ただ眠っているだけだというのに、ドラゴンの存在感に気圧されていたのである。
 ファンタジー作品ではお馴染みのモンスターだが、実際に対峙すると恐ろしくて仕方ない。

 逃げ出したい気持ちを気力で捻じ伏せる。
 ここで踵を返すなんてもったいない。
 絶対に能力値を奪ってやるのだ。

 ドラゴンをじっと見つめていると、魔眼の効果でステータスが表示された。
 その数値に驚愕する。

 能力値はどれも軒並み四桁だった。
 人間とは到底比べものにならない強さだ。
 加えていくつかのスキルも有している。
 どうやら数種類の攻撃魔法が使えるようだ。

 俺はごくりと生唾を飲み込む。
 鼓動がうるさいほど恐怖と緊張が高まっているのに、胸の内では期待や希望が同じくらいに膨らんでいた。

 生物の頂点に君臨するドラゴン。
 その力を奪えることに対する歓喜である。

 眠っているのは幸運だった。
 このまま目を覚ます前に根こそぎ能力値を吸い尽くす。
 たとえ途中の時点でバレてしまっても、その頃には力関係が逆転しているはずだ。

 俺はこっそりドラゴンに接近していく。
 決して音を立てないように細心の注意を払う。
 はためく翼の風に懸命に耐えた。
 時折、鞭のように大きく揺れる尻尾にも注意する。
 たぶん直撃すれば死ぬだろう。
 四桁の物理攻撃力の前では半端な防御力など意味を為さず、俺のHPなんて簡単に消し飛ぶ。

(もう、少し……)

 ドラゴンのすぐそばまで移動した俺は限界まで腕を伸ばす。
 そして、指先が鱗に覆われた後脚に、触れ――た。

(よし! やったぞ!)

 湧き上がる興奮を抑え、俺は【数理改竄(ナンバーハック)】で眠るドラゴンと自分の物理攻撃力を入れ替える。
 物理攻撃力8670をゲット。
 これで不意打ちによる即死はなくなった。
 たとえ尻尾で叩かれようとも致命傷にはなり得まい。

 首尾は上々。
 意外とあっさり成功してしまった。
 なんだか拍子抜けしてしまうね。
 そのまま他の項目も奪おうとした俺は、ふと刺々しい視線を感じる。

 視線に従って顔を動かすと、眼前に爬虫類の縦長の瞳があった。
 目を覚ましたドラゴンが、俺を凝視している。

「――――ッ!!」

 次の瞬間、俺の身体を襲ったのはドラゴンの咆哮だった。
 身体ごと吹き飛ばされそうな衝撃。
 俺は咄嗟に屈んで地面の草を掴んで凌ぐ。

 生物としての格の違いを見せつけられた気分だ。
 事実、俺一人がまともに戦って勝てる相手ではない。
 だけどここで怯んだら、殺される。

 直感的に理解した俺は、ネガティブな感情を無視してドラゴンに殴りかかった。
 今の俺はドラゴンの物理攻撃力を得ている。
 数値的には、常人の百倍以上のパワーだ。
 強固な鱗を持つドラゴンにもダメージは通るはずである。

 対するドラゴンの物理攻撃力は【数理改竄(ナンバーハック)】で入れ替えたことによって酒場の酔っぱらったおっさんレベルだ。
 たとえ思い切り殴られても、とても痛い程度で済むだろう。
 気合いでなんとか堪えられるレベルだと思う。

 分かっていることを脳内で再確認して、俺は少しでも自分を奮い立たせた。
 こうでもしないと、脚が震えて動けなくなりそうなのだ。

 一方、ドラゴンは霞むような速度で強襲してくる。
 超常的なスピードを俺が見切れるはずもなく、気付いたら肩口に激痛を覚えていた。
 見れば黒々としたドラゴンの爪が食い込み、血を滲ませている。

 なかなかグロテスクだが、しかし死ぬような怪我ではない。
 多少の痛みはあるものの肩周りも普通に動く。
 やはり物理攻撃力が激減すると、与えるダメージも比例して小さくなるようだ。

 ――これは、勝てる。

 確信した俺は肩を切り付ける爪を掴んで剥がし、指に力を込める。
 ミシミシと軋む音。
 爪に亀裂が走って割れようとしていた。

 思わぬ反撃を目にしたドラゴンは、素早く手を引こうとする。
 どこか慌てた様子だ。
 しかし、ドラゴンはその場から一歩も動けない。

 俺が掴んだままだからである。
 膂力の圧倒的な差によるものだった。
 物理攻撃力のステータスは筋力にも影響するらしい。

(こいつはいいぞ。やりたい放題だ)

 俺が軽く爪を引っ張ると、ドラゴンがたたらを踏んで前のめりになった。
 垂れた長い首に従って、トカゲっぽい頭部も下りてくる。
 そこは、ちょうど俺が殴りやすい位置だった。

「うおらあああああぁぁッ」

 俺は全身全霊を込めた右ストレートを放つ。
 弾ける鱗の破片。
 拳がドラゴンの頬を抉り、そのまま命中箇所の骨肉を粉砕していった。
 口内の何かを折る感触も伝わる。
 おそらく牙だろう。

 ドラゴンは鼓膜の破れそうな声量で絶叫しながら大きく仰け反った。
 その際、噴き散らされた鮮血の飛沫が俺にかかる。
 汚くて生臭い上に、なぜか浴びた部分が熱くなってきた。
 酸かと思って焦ったが、特に焼けている感じもない。
 害がないなら気にしなくていいか。

 俺は意識と視線をドラゴンに戻した。
 ぶん殴られたドラゴンは、俺が掴んだままだった爪を割って後退する。

 ヤツは二十メートル離れた地点で動きを止めると、口を半開きにしてこちらを見た。
 口内にて神々しい光が集束するのが覗く。

 ――あれヤバい。

 俺は背筋が凍りそうになって歯噛みする。

 おそらくあの光は、物理攻撃力に依存しない攻撃だ。
 関係あるのは魔法攻撃力の方だろう。
 つまり、本来のドラゴンのスペックが遺憾なく発揮されることになる。

 接触して魔法攻撃力を奪うことも考えたが、おそらく間に合わない。
 俺が触れる前に、あの光が発射されてしまうだろう。
 さすがにおっさんのHPと魔法防御力では耐え切れまい。

 猶予がないと悟った俺は、残されたデカい爪を勢いよく投擲する。
 音速をも超える速度で放たれたそれは、狙い通りにドラゴンの顎へと炸裂した。
 衝撃でドラゴンの首が上を向く。

 刹那、レーザー光線のようなものがドラゴンの口から上空に放たれた。
 厚い雲の中心に一筋の穴が貫通する。

 ぶんぶんと首を振るドラゴンを一瞥して、俺は深く息を吐いた。

(今のはさすがに危なかったな……)

 間違いなく即死レベルの威力だった。
 命中したら塵一つ残さずに消滅させられそうだ。
 その事実に冷や汗をかく。

 ホッとしたのもそこそこに、俺は地面を蹴ってドラゴンの懐へ突進した。
 怯えたところで待つのは死のみだ。
 今の俺がドラゴンに有利なのは至近距離での格闘戦。
 覆った物理攻撃力で圧倒するには、ひたすら距離を詰めていく必要があった。
 逃げられない以上、生き残りたければこのドラゴンを倒すしかない。

「――やってやるよ」

 咆哮を飛ばすドラゴンに、俺は真正面から跳びかかった。



 ◆



 夕闇迫る森の更地。

 俺は血まみれになって佇んでいた。
 頭のてっぺんからつま先までぐっしょりとして鉄臭い。
 人生を振り返っても、全身がここまで汚れた経験はないんじゃないだろうか。

 滴る血に眉を寄せつつ、俺はそばに転がる巨大な物体にもたれかかる。

 それは、ドラゴンの死体だった。
 つい数分前に息絶えたものである。
 数時間にも及ぶ壮絶な殺し合いの末、俺がギリギリで競り勝ったのだ。

 勝因としてはまず、ドラゴンが動揺していたのが大きい。
 そりゃ当然だろう。
 起きたら酔っぱらったおっさんの攻撃力になっていたのだから。

 いやはや、飛び立とうとするドラゴンを掴んで地面に引きずり落とすのは大変だった。
 空中に逃がしてしまうと倒す手段がないし、手の届かない位置からレーザー光線みたいなのを連射されたら割と洒落にならない。
 こっちだって死に物狂いだったさ。
 そんな努力の甲斐もあって、なんとか殴り合いに終始することができた。

 そうそう、いつの間にか新しい称号とスキルが増えていた。
 称号は【竜殺し】【下剋上】【異常討滅者】の三種類、スキルは【竜血の洗礼:生命竜】というものである。
 それぞれの説明文を斜め読みした感じだと、ドラゴンを倒したりその生き血を浴びたり口にしたことで取得したもののようだ。
 戦いの最中は必死すぎて血とか気にしていられなかったもんな。
 実際、現在進行形で血まみれだし。

 スキル【竜血の洗礼:生命竜】は、常時発動型で高い再生能力を付与してくれるらしい。
 しかも再生にMPなどの消耗は一切ないとのことだ。

 ドラゴンを殴り合いながらもHPが尽きなかったのは、このスキルのおかげだったのだろう。
 途中から怪我が勝手に治っているから不思議に思っていたんだよね。
 もちろんドラゴン自身もこれに匹敵する生命力や再生能力を持っていたみたいだが、俺の四桁の物理攻撃力の前では回復が追いつかなかったようだ。
 逆にドラゴンに押し付けたおっさんの物理攻撃力では、俺の得た再生能力を突破できなかったらしい。
 不憫すぎて同情しそうになるね。
 まあ、すべて俺がやったことなのだが。

 ちなみにドラゴンの死体は、ステータスがグレー表示に変わっていた。
 この状態だとなぜか数値を弄れない。
 他の能力値もいただきたかったのだが、こればかりはどうしようもない。
 できないものはできないのだ。

 戦闘中のドラゴンは、隙あらばレーザー光線と魔法を使おうとしてくるので【数理改竄(ナンバーハック)】を使う暇がなかった。
 殴って妨害しないとこちらが消し炭にされてしまうからね。
 ドラゴン自身のスピードも尋常じゃないので、触れてもステータスに介入する前に避けられるのも難点だった。
 平常時は支障ないが、こういう戦闘時だと【数理改竄(ナンバーハック)】が発動するまでのタイムラグが致命的だ。
 能力値を奪うことに重点を置く場合、相手の動きを確実に止める手段を考えた方が良さそうだな。

「ふぅ、疲れた……」

 俺はその場に座り込んで脱力する。

 何はともあれ、ドラゴンを倒すことができた。
 正攻法とは程遠いものの、最終的に生き残れたからいいのだ。

 称号やスキルに加えて、ドラゴンから奪った強大な物理攻撃力が収穫である。
 四桁の能力値はすごいぞ。
 町中でも到達した者は一人も見かけなかった。

 さて、ここに長居しても危険しかない。
 別の魔物が襲いかかってくる可能性だって十分にある。

 ドラゴンの爪と牙と鱗の一部と薬草をリュックサックに詰めた俺は、速やかに下山を始めた。
 もうすぐ日が暮れてしまう。
 何の備えもなくここまで来てしまったので野宿になったら最悪だ。
 今から走って帰れば、日没までには町に戻れると思う。

 獣道を滑るようにして下りる途中、俺は視界の端にきらきらと光るものを発見した。
 足を止めて俺は確認する。

「お、これは……」

 森の木々に隠れてひっそりと鎮座していたのは、小さな湖だった。
 透き通った水が綺麗だ。
 底の方まではっきりと見えるほどである。

 せっかくなので、一旦ここで身体を洗うことにした。
 このまま町に戻っても血の臭いで迷惑がられるかもしれない。
 ほんの五分かそこらだ。
 大して時間はかかるまい。
 湖のひんやりとした温度に少し驚きつつ、汚れをすっかり洗い落とす。

 ついでに血まみれの制服を仕舞って、代わりに学園指定のジャージを取り出した。
 動きやすいのでちょうどいい。
 ただ、替えの服はもうないから買わないといけないな。
 生活必需品を揃えるだけで僅かな手持ちがなくなりそうだ。

 汚れを落としてさっぱりした俺は、ふと考え込む。
 手に入れた四桁の能力値は、果たしてどこに割り振るべきなのか。

 どの能力値に使っても有用には違いない。
 HPに入れればタフな肉体になるし、MPなら魔法を使うのに有利だ。
 物理攻撃力や魔法攻撃力も十分にアリだし、物理防御力と魔法防御力も捨てがたい。
 素早さに使って超スピードを得るというのも便利そうだ。

「うーん、難しいな……」

 熟考の末、俺はひとまずHPに割り振っておくことにした。
 まずは死なないことが先決だろう。

 俺は近くに生えていた薬草を採取して、その回復量の項目に8670を入れて、本来の回復量だった30を俺の物理攻撃力に収める。
 【数理改竄(ナンバーハック)】は同じステータス内の数値同士を直接入れ替えることができない。
 こうして別の何かを経由しなければならないのだ。
 やや面倒だが仕方ない。

(……回復量が8670の薬草ってちょっと面白いな)

 たぶん世界一の薬草だろう。
 こいつを食べるだけでどんな怪我だろうが一瞬で治るに違いない。
 見た目は何の変哲もない薬草を掲げてみて、俺はくすりと笑う。

 その時、背後からゴソゴソと物音がした。
 振り返ると同時に、緑色の縄のような物体がぶつかってくる。

「うわっ」

 よろめいた俺は地面に倒れ、ぶつかってきた相手を見る。
 地面を這い進むそれは、体長二メートル半ほどの大蛇だった。
 これだけならまだいい。
 結構なサイズの蛇が現れたというだけで済む。

 肝心な点はそこではなく、蛇がもしゃもしゃと食べているもので――。

「おいおいおいッ!? 出せって! 今すぐ! 吐き出してくれよッ?」

 蛇が咀嚼中なのは、8670の回復量を持つ薬草だった。
 なぜヘビが薬草を食べるのだという疑問が浮かぶも、そんなことはどうでもいいとスルーする。
 純然たる事実として、こいつはドラゴンから得た貴重な高数値を、まるで雑草のように食べ進めていた。

「駄目駄目だ駄目だ!! やめてくれ! それはドラゴンの……ああ、本当にマズいんだって……ッ!」

 俺は大慌てで蛇に挑むも、トリッキーな動きと麻痺毒に翻弄された挙句、目の前で薬草を完食されてしまった。
 優雅に去る蛇の後ろ姿を見送った俺は、泣きながら町へ舞い戻る羽目となる。
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