第11話 逆転の活路

文字数 2,339文字

 俺は腕の溶ける痛みに顔を顰める。
 異臭を漂わせて肉が垂れ落ちた。
 明らかに腐っている。
 取り落としたサーベルが地面に当たって金属音を立てた。

(おいおい、冗談じゃないぞ……!?)

 骨もボロボロに崩れて形を失っていく。
 すぐに痛みすら感じなくなり、それが徐々に肩口まで上がってきた。
 崩壊を止める術がない。

 俺は後ずさろうとして倒れかける。
 脚腰に力が入らず、足元が覚束ない。
 視界がぐらぐらと揺れだした。

「な、にが……?」

 ステータスを見ればHPとMPが急速に減少しつつあった。
 さらに【状態異常:腐蝕】【状態異常:神経麻痺】【状態異常:猛毒】【状態異常:衰弱】の表記が追加されている。
 靄に触れたことで発現したものだろう。

 あの一瞬でこの惨状とはえげつない。
 詳細な効果を見る余裕はないが、とりあえず重症なのは嫌でも理解できる。
 溶ける腕だけではなく、体内もボロボロのようだ。

 能力値が低いから甘く見えていた。
 蓋を開ければこのザマだ。
 完全に実力を見誤った。
 物理攻撃無効に状態異常のパレードなんて反則じゃないか。

 靄になった魔族は、状態異常の連打で相手を抹殺するタイプらしい。
 奴のMPが減っているので、おそらくは【闇魔法】の仕業だろう。
 当然、魔法を感知する能力なんて持たない俺には、予備動作なんてものは分からなかった。

(畜生、俺程度じゃ歯が立たないってわけか……)

 暗くなる視界。
 足元からぞくりと悪寒が這い上がってきた。
 迫る死の予感に震える。

 そのままHPが尽きてしまうかと思いきや、逆再生のように腕が修復し始めた。
 嘘のようなスピードで骨が正常な形状へと戻り、その上を筋肉と皮膚が綺麗にコーティングしていく。
 再生能力が発揮されたのだ。
 動揺しているうちに腕は元通りになる。

 恐る恐る手を開閉してみたが、まったく支障がない。
 半分ほど溶けたジャージの袖だけが、俺の受けたダメージを物語っていた。
 あれだけ酷かった身体の不調もぴたりと止まっている。

『馬鹿な!? 腐蝕は上級の聖魔法でなければ治癒できないはずなのだ! ましてや瞬時に再生するなど……ッ!』

 靄魔族がぶるぶると蠢いて驚嘆を露わにする。
 よほどありえないことらしい。
 移動すら忘れてこちらに意識を向けていた。

 そのリアクションに、俺はすっかり自信を取り戻す。

(やはりドラゴンから得た再生力は半端ないな)

 調子に乗って死闘を演じた甲斐はあった。
 おかげで無事に生きている。
 再生力がなかったら、あのまま全身が腐るところだった。
 さすがにそんな死に方は遠慮したい。

 とにかく、これなら損傷を気にせずに接近できる。
 俺はサーベルを拾って片手で持った。
 右手は空けたままにしておく。

 触れれば腐る靄にビビってしまったが、回復すると分かればやることは一つ。
 【数理改竄(ナンバーハック)】によるステータス強奪だ。

 俺は地面を蹴って靄魔族との距離を詰める。

 このまま単独で一気に仕留めてやろう。
 勇者たちを呼びに行くと、その間に逃げられそうなんだよね。
 こいつを逃がすと後が面倒だ。
 弱っている今がチャンスだろう。

 物理攻撃が通じないのがネックだが、それは戦いながら打開策を考える。
 苦痛さえ我慢すれば、負けることはないのだから。
 MPや魔法攻撃力があるので、それらを活かせばなんとかできるような気もする。

(漫画やアニメのように、剣に魔力を通すみたいなことはできないかな?)

 土壇場での覚醒なんて物語の主人公くらいにしか許されないだろうが、Fランク異能力者が強大な魔族を相手にこれだけ善戦しているのだ。
 それくらいのラッキーに恵まれたっていいんじゃないだろうか。
 やや楽観的な思考に浸りながらも、俺はひたすら攻めに執心する。

『ぬぐぐ、厄介な奴に目を付けられたものだ……!』

 靄魔族は触手のように伸びて俺に引っ付いてきた。
 瞬く間に全身各所にて激痛が膨れ上がる。
 肉体が溶ける不快な感覚もセットだ。
 ともすれば手放しそうになる意識を、必死になって手繰り寄せる。
 再生力がなかったらアウトだね。

 しかし、これこそが俺の狙いであった。
 俺は右手を靄の触手に突き込む。
 当然、指先から爪が剥がれて、変色した肉が溶けて、骨が崩れ始めた。
 ガチガチと鳴る歯を食い縛って耐える。

(大丈夫だ、どうせすぐに治る……)

 俺は自分に言い聞かせた。
 そうでもしないと耐えられない光景なのだ。
 手が腐りゆくのを眺めながら、俺は【数理改竄(ナンバーハック)】を発動する。

 選択するのは靄魔族のMPと俺の素早さ。
 異能力が無事に発揮されたのを確かめてから、俺はバックステップで距離を取った。
 全身に浸透する絶望的な苦痛に泣きそうになるが、すぐに再生されて傷一つなくなる。

 靄に触れている間、俺のHPは一桁を彷徨っていた。
 竜血の再生能力により、0にはならない仕様なのかもしれない。
 ステータス改竄に夢中で気付かなかったが、肉体は徹底的に溶かされていたようだ。
 虫食い状態で衣服としての機能を失いつつあるジャージを見て、俺は密かに嘆息する。

 無論、それだけの犠牲を払った収穫はあった。
 異変に気付いた靄魔族が激しく揺れる。

『ま、魔力が……ッ!? 貴様ァ、何をしたァッ!』

 発せられたのは激昂を乗せた声。
 放射された殺気がピリピリと肌を刺激する。

 その感覚にある種の心地よさを覚え、俺は悠然と微笑んだ。
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