第17話

文字数 2,201文字

 来栖英里の娘、結衣の通う塾は、大通りに面したマンションの一角にあった。大成ゼミと看板がある。 少し前からずっと、塔夏は通りの反対側で人待ちしているふうに装い、その塾を見ていた。 歩いて来たり、自転車でやって来たり、車で送られて来たり、小、中学生の子供たちが、その建物の中に次々と入って行く。
 写真の女の子が歩いて来た。結衣だ。携帯のメールを打ちながら歩く、制服姿の彼女は、ごく普通の中学生に見えた。が、塾に入らず、そのまま通り過ぎた。
 そして、彼女は繁華街へと向い、知り合いらしい同じ年格好の少女たち4人と待ち合わせていたのか、合流するとゲームセンターに入って行った。
 塔夏はずっと見ていたが、結衣は塾が終わる時間になると戻って来て、塾の前に立ち、やがて、英里が迎えに来た車に、何ら変わりない笑顔で乗り込んだ。

 翌日、塔夏は自転車を押す英里と並んで歩いていた。英里からの電話がかからないので、塔夏は彼女の勤めるスーパーへやって来たのだ。
 川べりの堤防沿いは、格好のウォーキングや犬の散歩コースになっていて、彼らの前後も人が通り過ぎる。堤防の横にある一直線の舗装された歩行者専用のこの道は、途中で大きな橋がかかる道路と交差しながらも、ずっと川に沿って、遠くまで伸びている。 すぐ近くまで建物が密集し、ラッシュ時は車で混雑するあたりだが、堤防沿いだけは、落ち着いた空間だった。川よりかなり高い位置にあるため、見晴らしが良かった。

「じゃあ、結衣はちゃんと塾には行ってたんだ」
「うん」
 塔夏は嘘をついた。
「でも、一度だけではね。もう少し見てみた方がいい」
「そう、そう言うなら」
思ったとおり、彼女は娘のことで納得していない。ここで英里の用が終わってしまっては困るからだ。
 彼にとって、娘のことの報告は正直どうでも良かった。本当の目的は新屋敷歩美の夫の情報が欲しいだけだ。
「急いで帰らないといけないんだろうけど」
「今日は早番だったから」
英里は笑った。たしかにこのあいだより早い時間だ。
「それで、隣の人のことだけど」
「歩美さん?」
「いや、その旦那。家はどこ?」
彼女は足を止めた。
「何も家まで来なくても」
「面と向って聞くわけじゃない。ただ、どんな生活していて、どんなことに興味があって、どんなクセがあって、どんなものを食べてるかとか、調べたいんだ」
「なに、それ。全部じゃない」
彼女は疑わしげに彼を見た。
「いったい、どうしてそんなこと知る必要があるの?」
「あの会社を調べるには、必要なんだ」
「芝西さんのことなのに?わからない。だって、歩美さんのご主人の生活がどうして?会社に調べに行けばいいじゃない」
「おれは警察じゃない。そういう調べ方はできない」
「じゃあどういう調べ方するの」

「“何も家まで来なくても”って、さっき言ったね」
「歩美さんは、いつもいろいろ詮索するから」
「“行かなくても”とは言わなかった。新屋敷歩美の隣が、あんたの家だからだ。あんたは自分の家を知られたくない。自分が英会話習っていたこと、娘の件、おれとの関わりを知られたくないから」
「それは、それがなに?」
「飾り気のない車だったね」
「私の車のこと?」
「あのときに、おれが思ったこと言おうか」
英里はきょとんとしている。

「あんたは左の薬指に指輪、助手席にはキャラクターのついた赤いポーチと髪留め。キーホルダーはごつい革製で、メンズブランドの名前。 あんたは主婦で、ポーチや髪留めから小学か中学生の娘が1人、そして通勤には自家用車以外を使う旦那と、3人家族だろう。親とは住んではいない。家族が多ければ、もう少し大きいワゴン車とか選びそうだ。しかも旦那はキーホルダーまでブランドものを使う、こだわりのためには徹底する性格のようだし、車が自分のものだという愛着があるだろう。 だから旦那が休みの日は、あんたは車が使えないから、英語を習うのは平日。時間を決めているということは、仕事を持っていて忙しいのかもしれない。英語の本が入った厚手の固い生地のトートバッグをみると、仕事のときには持っていかないはずだ。 折りたたんでもかさばってしまうトートバッグは、女性の鞄に入れるには邪魔になるし、ロッカーにも入れにくい。平日のこの時間に英会話だ、仕事をしているなら、パートタイマーの可能性が高い。 外国の行きたかった場所のことは、家族には言ってない。だが、あんたは、そういう思いは完全には隠しきれない。だから家族が気にしない、あまり目につかない、例えば自分のものの引き出しに、あんたは行きたい場所のものを置いているはずだ。昔から、きっとそのままに。それを時々黙って眺めている」

英里は黙ったままだ。
「そんなことだ」 と彼は静かに、だがはっきりと言った。
「何を言ってるわけ?娘のことだって、パートのことも、もう知ってるじゃない。どうとでも言えるし、当たってるとは限らないでしょう」
「違ってた?」
「歩美さんのご主人をそうやって分析して、芝西さんの件に結びつくの?」
それには彼女は答えなかったから、当たっていたのだろうと彼は思った。

「そう」
 塔夏はそれ以上は言わなかった。コネクターを使って、情報を駆使して、イメージで補完しながら、脳をハッキングするなどと言うのは、一般にはバカバカしすぎる話だ。
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