第22話

文字数 1,968文字

 塔夏が警察から出たとき、高橋が外で待っていた。それで、警察からさっさと帰れた理由がわかった。
「あのビルに何の用だった?コムテックだろ?」
「見てたのなら自分で調べろ」
「おまえはおれが嫌いなようだが、おれもおまえが嫌いだ。そういう言い方をするところがな」
高橋は彼にぐいと顔を近づけた。塔夏は通り過ぎようとした。
「じゃあ、交換条件を出してやろう。おまえの情報に金を払ってやる。20万だ。事件が解決すればもう20万、どうだ?」
「安いな」
「経費でおとせるのはそれぐらいだ」
「仕方ないな」 まず普段なら受けない。だがこれは金の問題じゃない。
「そう言うと思ったよ。おまえは自分のことしか考えない」
誰だってそうじゃないかと塔夏は思った。人の考えることは、結局は何でも自分の都合のいいようにできている。たとえどんな自分勝手なことをしても、都合よく解釈して、自分の脳をごまかし、正当化して納得させているのだ。

「さっき、おれは何者かに殺されかけた」
さきほどのことだ。
「手段は、携帯とコネクターで接続していたことが、関係しているとしか思えない」
高橋は冷笑を見せた。あきらかに信じていない。
「だったら、よく考えてみろ。おれは接続すれば、ターゲットの脳をハッキングできるんだ。脳をコントロールできるやつがいても不思議じゃないだろ」
「脳をコントロール…」
高橋の笑みが消えた。

「コムテックの社員は自殺じゃない。殺されたんだ。爆破事件とコムテックの情報漏洩事件には、たぶんつながりがある。そこを調べるといい」
塔夏はそう言うと、高橋の横を通り過ぎて行った。手にはさきほ秋本にもらった封筒を握りしめているままだ。


 『あの小さな犬の人形持ってた…』

 秋本のその言葉が何度も頭の中で繰り返される。はるか遠い過去が、急速に彼に寄り添ってくるようだった。

 雨に打たれながら突っ立ったままだった。雨で見えない道路の先に向って、「お父さん!お父さん!お父さん!お父さん!」と、何度も叫んだが、激しい雨の音にかき消されるばかりだった。頬を流れるのが涙なのか雨なのか、区別がつかないまま、彼はそこに立ち尽くしていた。

 思い出さずにはいられない。

 塔夏は引き出しの中から、小さな薄汚れた犬の人形を出した。何となく捨てられずに、ずっと置いてあった。一度も洗ったこともなく、汚れたままで、しっぽがとれかかっている。大人になって、こうしてじっと見るのは初めてだが、今もモッチは昔のままの変わらない微笑みを投げかけているようだった。
 彼の唯一の親友だった。今では片手に収まってしまう。こんなに小さかったのだろうかと思った。父親は彼の小さな荷物を児童施設に置いて行った。衣類や文房具に挟まれてモッチもあった。

 今でも夢に見る父親の後ろ姿。捨てられたと思った。罪滅ぼしのために、あんなに遊園地に付き合ったのだ。モッチを見ると、あのときの苦い思いが溢れてくる。

 それから数年は、父親は時おり施設と連絡をとり、光一にクリスマスや誕生日にプレゼントを送ってきたが、いつまでも彼が10歳のときのままに、ぬいぐるみとかおもちゃだったりした。彼が14歳のときに、プレゼントは来なくなり、連絡が途絶えた。

 秋本がくれた封筒の中の紙切れは黄ばんでいた。手書きで住所が書かれている。秋本はこれをずっと持っていたのだ。しだいに思い出す。秋本と出会ったのは、彼が10歳で補導されたときだった。そのときもモッチといっしょだった。 行くあてもないのだが、親を捜したいという気持ちが強かったのだ。

 それからも、彼はよく施設をぬけては警察の世話になった。秋本はまだ刑事ではなく、制服姿だった。それから時々、彼のことを気にして施設に立ち寄った。

 14歳のとき、彼は万引きで補導された。そのとき、刑事になっていた秋本は、彼にきっと親を探してやると言った。

 まさか本当にとは思っていなかった。彼はもうモッチを持ち歩くこともなく、親を捜してまわることもなくなっていた。大人に対して不信感を募らせ、反発する気持ちしかなかったのだ。
 そして15のときに施設を飛び出して、二度と帰らなかった。

 紙切れに書かれた住所、もうそこにはいないかもしれない。だが、当時確かに母親が住んでいたのだ。
 部屋の隅のテーブルに置かれた、家族が住んでいた家を再現しようとしている 作りかけのミニチュアハウスを見る。

 今となっては、塔夏は母親をたずねていくのもためらいがあった。とうに会うことをあきらめていたし、母親と離れたのがどういう事情かわからない。今はもう別の家庭を持っているかもしれない。
 もはや、彼の人生に親は関係ないものだった。彼は紙切れを封筒に戻すと、モッチといっしょにまた引き出しに入れた。
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