第45話

文字数 2,513文字

 表では警官たちが、そろそろと玄関に寄って行く。それを秋本と江田、そして英里が、張りつめた表情で見守っている。
「本当にここなんでしょうか」
「わからんな」
江田に秋本がそう言った。

「ここよ。彼は人のことがわかるの」
英里は初めて、塔夏の能力を信じたい気持ちになった。

 窓のカーテンの隙間からのぞきこんだひとりの警官が合図した。
「ここだ、飛び込むぞ」
秋本が身を乗り出した。
英里は祈るように、両手を胸の前で組んだ。
「開けるんじゃない!」秋本はその声を聞いた。


 ドアを勢い良く開けた。数人の男たちが土足のまま踏み込んで行った。短い廊下を走り抜けると、男が驚いて振り向いたまま固まっていた。ナビ、四谷伴道だ。まさにパソコンで情報を引き出したところだった。
 平日の午後の、のどかな住宅街では人もあまりいない。女性がよちよち歩きの子どもの手をひいて、のんびり歩いて行く。そんな中にある一軒家で、ナビはハッキングをしかけていたのだ。
 ナビがパトカーに連行されていくときには、あたりの住民たちが驚いたまま、様子をうかがっていた。
「そんなことするような人には見えませんでしたよ」
隣の家の人は、記者にそう答えていた。
 高橋はその家の前、車の中で満足そうに携帯を取り出した。
「もしもし、北佐木さん?高橋です。どうもお久しぶりです。私の担当の件のことで、ええ、松島は休みをとってまして、私が責任者代理なんですが、たったいま…」

           

「開けるんじゃない!」秋本はその声を聞いた。
 警官のひとりが扉のノブに手をかけたその瞬間、ものすごい音とともに爆発した。

秋本らは反射的に身体を伏せたが、わけがわからなかった。顔をあげると、警官らも身体を伏せていた。無事のようだったが、家は爆発で破壊されていた。

英里が悲鳴を上げた。

もうもうと煙が立ちのぼり、辺りは騒然とした雰囲気に包まれている。秋本は失敗したと思った。嫌な思いがよぎる。

そのときだ。「あれ!」と、江田が人さし指を向けた。裏の方から誰かがゆっくり現れたのだ。

 煙の向こうに見えたのは、塔夏と来栖結衣だった。塔夏は画面に見えた裏のドアから、結衣を救出したのだ。
「結衣!」
英里が転がらんばかりに駆け寄って行った。
「ケガは!」
英里は身体を確かめ、無事なのを知ると、安心したように泣きじゃくっている結衣を抱きしめた。英里も泣きながら、塔夏に手を差し出した。

塔夏の怪我に気づく。
「大丈夫?!」と、おろおろしている。
「うん」

「よかった」
英里は思わず塔夏にも抱きついた。
「よかった」
塔夏は彼女たちを抱きしめた。英里が彼の手をぎゅっと握る。彼もまた強く握り返した。

「よかったですね」
江田が安堵した顔で秋本を見た。秋本は塔夏たちを眺めながら、あの小さかった反抗的なまなざしの少年が手を振って遠ざかっていくのを感じた。
 救急車の音が、だんだんと近づいて来ている。
「やっぱりこれはいい」と、秋本はコネクターを外して放り、背を向けた。
「秋本さん」江田は苦笑しつつ、ついていこうとして少し振り返る。

まだ煙が残り漂うなか、塔夏たちはずっとそのままでいた。



その後の話。


 検査のために結衣は病院に搬送された。コネクターがつけられていると思ったが、ついてはいなかった。ナビはそう思わせただけで、最初から塔夏にハッキングさせる気はなかったのだ。勝負どころか、また昔のようにやり方はどうでも、勝つことだけを考えていたのだろう。

 英里と塔夏もいっしょに病院へ行った。塔夏は脇腹の傷を縫い、包帯がまかれている。
「本当にありがとう」
英里はその真新しい包帯を見ながら、塔夏に言った。
「いや、おれが結果的にあんたたちを巻き込んで」

 病院の廊下の長椅子の前を、忙しそうに看護師が通り過ぎる。彼らは結衣を待っていた。待ち合い場所にあるテレビでは、被疑者逮捕と大々的に報道している。四谷伴道という名前と顔写真が映った。それを見ると、塔夏は目を伏せた。

「あなたってブレインハッカーっていうんだ。最初あなた、私に言ったよね。私の考えてることが全部わかるって。あれ、本当だったんだ」
 英里は彼をじっと見つめた。
「ねえ、いま私が考えてることわかる?」
塔夏は笑った。
「無理だな。コネクターがないと」
「いいから、そのハッキングして」
「無理だ」
彼女は塔夏を見つめたままだ。

「あんたは左の薬指に指輪、助手席にはキャラクターのついた赤いポーチと髪留め」
英里は笑った。塔夏もにやりとした。
「スーパーでパートをしていて、中学生の娘がいる。行ってみたいところはコスタ・デル・ソル。意味知ってる?」
「なんて言うの?」
英里がふざけた。

「太陽の海岸。太陽が降り注ぐ、きれいなところだ。その写真を死ぬほど眺めている。いっしょに行こうと誘われたいが、いまどき携帯も持ってない」
「そうね」
「けど、それはたんなる記号だ。写真を眺めて、今ここにいる自分は仮の姿、いつかはそこにいる本当に自分になる、そう思うための装置だった」
「そうね」
英里の笑みが消えた。2人は見つめ合ったままだ。
「それから?」

「それから、本当はありのままの自分でいたい」
「そう、それから?」

「それから」
塔夏は少しためらった。

 これから先、英里とどうなっていくのかわからない。だが、今はただ、自分の気持ちに正直であろうと思った。人との関わりがあれほど苦手だった自分が、今はこうしてつながりあっていたいと心底思っていることに、ためらい、とまどいながらも、彼はおどおどとこう切り出した。

「本当は、塔夏光一のことが、好きだと思ってる」

英里は黙って見つめていたが、やがて微笑んだ。
「さすが、ブレインハッカーだ」

塔夏は彼女に控えめな笑顔を見せた。そこには、安堵があり、照れがあり、喜びがある、ただのどこにでもいる男の素の感情があった。


  おわり


読んでくださりありがとうございました。

次はライトホラー(←あまり怖くはない)、ダークミステリーのようなものをアップしますので、読んでもらえたらうれしいです。






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