第13話

文字数 4,058文字

 スーパーは人が多かった。タイムサービスのアナウンスが入り、にぎわっている。彼はカゴを持つと、店内をうろうろ探し、カゴを持ってレジに並んだ。その間も、芝西のことが気になって憂鬱なままだった。

対面レジが空いていたためカゴを置く。「お待たせしました。いらっしゃいませ」の声に、財布を出しながら顔を上げると、レジをしていたのは、この間の女性だった。 声には出さないが、互いに目があったときに、「あっ」という顔をした。彼女はこのスーパーで働いていたのだ。

「121円…、2672円…」

彼女は普通にスキャンしていった。かりんに頼まれて買った、杏仁豆腐とゴマプリンのカップも、ひとつずつスキャンした。
「6058円です。スプーンはおいりようですか?」
「あ、いえ」
「ありがとうございました」
彼は何か言おうとしたが、彼女はお釣りを渡すと、もう次のお客にかかっていた。

 塔夏は袋に買物を入れながら、彼女をちらちらと見ていた。 彼女と同じ制服を着た女性が、そのレジにやって来て、お客がレジを過ぎると、レジ止めをした。「交替するわ」と言っている。
「すいません」
彼女は頭を下げていた。
「明日は、私は残業できないから」
不服そうなもうひとりの中年女性に、彼女はまた頭を下げて、遠慮がちにそそくさとレジを離れた。彼女の仕事時間はもう終わりらしかった。

 彼は買物袋を持ったまま、店の外で立っていた。少し薄暗くなっていて、仕事帰りの人も行き交っている。ここで彼女とまた会うとは思っていなかったが、芝西のことで行き詰まっているいま、どうしてももっと情報がほしかった。
 彼女は急ぎ足で出て来た。この間と同じようにシンプルなデニムスタイルで、リュックを背負い、自転車置き場へと歩いていた。塔夏は思い切って声をかけようと、行きかけた。
 そこへ、彼女を後ろから呼び止めた男がいた。「来栖さん」と、男が言うと、彼女は振り向いた。
「ね、明日が最終締め切りなんだけど、本当に試験受けてみませんか?」
男は彼女の上司のようだったが、いくぶん若い。
「来栖さん、仕事ができるんだからもったいなあ。受ければ資格、絶対上がりますよ。明日までに、もう一度考えてみてくださいね」
「はあ」
彼女の返事は鈍かった。店に戻る男に「お疲れさまでした」とお辞儀した。 再び自転車置き場へと向おうとしたとき、塔夏と目が合い、はっとした様子だった。

「ここで、働いていたんですね。このあいだは、どうも」
 彼がそう言うと、彼女は固い表情のまま、少しお辞儀して、通り過ぎようとした。
「あの」と、彼が追いかけるように声をかけると、彼女はまた振り向いた。明らかに不審気だ。
「芝西さんのことで、聞きたいことがあるんです」
彼女は勢い良く彼に近づくと、「私は知りません。芝西さんには本当に、英語を教わっていただけですから。探偵さん」と、皮肉まじりに言い、さっと歩き出した。
「悪かった。仕事柄、つい、詮索してしまうんだ」
塔夏がそう言うと、彼女はいったん止まりかけたが、またどんどん歩いて行った。

 これからどうやって芝西のことを探ればいいのか、途方もない気分だ。彼は手に持つスーパーの袋をかかえ直すと、方向を変えて、ゆっくりと歩き出した。ため息が出る。
 携帯が鳴った。かりんからだった。家に帰ったが彼が来てないことに、不服そうな、だが甘ったれた口調で、早く焼き肉が食べたいと言った。


 来栖英里は帰り道を自転車で急いでいる。自分の勤めているスーパーで買い物するには、一度従業員入口から外に出て、店に入りなおさなければいけないから、帰る途中の別のスーパーに立ち寄ることが多かった。
 いつものように堤防沿いの道を行く。この道は車は通らない。夕方は犬の散歩や歩いたりジョギングしたりする人、彼女のように仕事帰りの自転車の人が行き来している。

 英里がスーパーにパートに出始めて、2年になる。娘の結衣が中学生になったのを機に働き始めた。月にして8万ほどだ。 娘の塾代などの教育費や、車の買い替え、家のローン、携帯やパソコン、通信費、いろいろ出費が多く、夫の給料だけでは大変だが、かといって扶養家族をはずれると、逆に税金が増えてしまうので、控除限度額までしか働けない。
 スーパーは希望時間で勤務できるのだが、希望通りいかないときも時々ある。今日のように忙しくて、急に残業を1時間頼まれたりする。 彼女は結婚するまでは働いていたし、働くことは嫌ではなかった。はりがあっていいくらいに思っている。
 だが、夕食がずれると、娘の塾への迎えやら、家の用事の関係上気ぜわしく、夫は帰宅したときに、彼女がいないと不機嫌なので、夫に迷惑かけても悪いから、彼女はできるだけ断ることにしていた。
 そうなると、同じレジのパートの女性が、「いいのよ」とにっこり言いながら、「来栖さんて、ほんとはっきりしてるよね」と、暗に自分勝手でも平気よねと非難している。
 店ではレジ打ちしていて、価格がわからないものがあるときやレジでのトラブルに、すぐ調べて対応するために、マイクで呼ぶとすぐ来られるフリーの人を置いている。 英里がそれで呼んだとき、その女性がその時間、係になっていて「さっき貼り出してたけど見てないの?」と言った。英里が見たときはもう2時間前だ。貼り出しているわけがない。 女性は調べて来ると英里を無視して、客には「こちらの不備で、お待たせして申し訳ございませんね」と、満面の笑みだった。
 先日、上司に試験のことで声をかけられたとき、後でそれを見ていた同じパートの女性が「主任に気に入られてていいわねえ」と言ったが、その後、あっという間に、彼女が主任とできているという噂がたった。

 英里は帰り道のスーパーに急いで入った。チラシでは、今日はほうれん草が100円で、ヨーグルトはいつもより12円安いはずだ。
 今日も上司に試験のことを言われた。彼女は受けてみたいと思った。受かればその分、責任や労働時間で大変になるが、ボーナスもつくし、厚生年金に加入して保険料が安くなる。だが、扶養家族からははずれることになる。
 荷物を持ち、自転車に戻る。店の前はすぐ歩道で、たくさんの自転車、バイクが止まっていて歩道にはみだしている。英里の自転車も歩道に少しかかっていた。 若い母親と、手をひかれた子供が横を斜めに通って行くのに気付いたとき、若い母親は「もう、なんでこんな邪魔なとこに止めてるの」と、言いながら通り過ぎた。 英里の顔を見るわけでもなく、まるで独り言のように、だが聞こえるようにはっきりと言って、振り返りもせずに歩いていく。英里は少しむっとして、その姿を見送った。

 彼女の家は住宅地にある。築6年の一軒家で、毎月2万円、ボーナス時には10万円のローンを返済している。
 夫の喬一は県庁の企画振興部に勤務していて、たいてい6時までには家に戻る。 喬一はもう戻っていて、ノートパソコンで、デジタルビデオカメラで撮って編集したDVDの表紙をつくっていた。
 英里は急いで台所で買ったものを分け、冷蔵庫に入れると、風呂場へ行き、洗濯機に洗濯物を放り込んだ。
 台所へ戻り、食事作りにかかった。鍋に水を入れ、お湯を湧かし、買って来たほうれん草を洗う。フライパンには油を引き、買って来たギョーザを焼き始めた。その合間にゴマをすって納豆とまぜる。 それから約20分あまりで、料理をテーブルにかまえ終わった。彼女は結衣を塾へ迎えに行き、帰ってから食べることにしている。

「今日、試験受けないかって」
 喬一のグラスにビールを注ぐ。
「受かれば、保険やボーナスもつくの」
「どうせ時給でいうと、50円ぐらい上がるだけなんだろう?」
「結衣の塾とか、いろいろあるし。ほら、今度掃除機も買い替えないと」
「ね、パートなんだし、残業とかがないラクなところにした方がいいんじゃないの?」
喬一はリモコンでチャンネルを熱心に変えている。
「残業は断るつもりだから」
急に笑い声が聞こえた。お笑いの番組をやっている。
「お、これ、うまい」
喬一はテレビに笑いながら、ギョーザをふたつぱくぱくっと食べた。
 おそらく今度のボーナスでは、喬一は4Kワイドテレビを買うだろう。掃除機の買い替えなど後回しだ。

 それから結衣を迎えに行った。塾前には子どもを迎えに来たたくさんの車が、エンジンをかけたまま停車している。 彼女の娘の結衣も、いつも塾から出て待っている。今日も車をつけると、すぐ乗りこんできた。
「おまたせ」
「いつもスイマセンねえー」
そう言って娘はにっこりすると、助手席に乗り込み、荷物を後部座席へ放ろうとした。
「あ、ポーチ!」結衣は後ろから、キャラクターのついた赤いポーチを手にとった。
「ああそれ、あなた忘れてたでしょ」
「なんで、後ろに放ってるんだよー」
「ごめんごめん」
彼女がそう言うと、結衣は別に気にするでもなく、笑った。
「塾の方はどう?」
「…まあ、ぼちぼち」
「ぼちぼちって」
「やってるやってる、がんばってます、みたいな」
「ほんとに?」と、英里は大げさにおどけたが、結衣はメールを打ち出した。
「ねえ、結衣」
「んー?」結衣は顔もあげない。手先を器用に動かし続けている。英里は何かを言いかけたが黙った。車内は車の音がするだけで、静かになった。

 家に戻ったのは10時前だった。娘は塾で食べてきているから、自分の部屋へ行く。喬一はとうに部屋にこもり、おそらくネットでオークションをチェックしているだろう。
 彼女はひとり、すっかり冷えた食事を温める気分にもならず、そのまま食べる。 テレビでは楽しそうにバラエティ番組をやっていた。芸能人が一般人とはケタが違う、自分の買い物の金額を言って笑っている。客もおもしろそうに笑っている。彼女はテレビをぼんやり見ながら、冷えたギョーザを口に入れた。

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