第14話

文字数 2,038文字

「おい、江田、もう何も出ないぞ」
 秋本柊二は大きくあくびをした。
「もうすこしですから」
 江田真人はずっと本棚の本をめくっている。システムエンジニア、情報通信、ネット、GAI、株取引、ITビジネス、グローバル経済、ビジネス英会話、商業経営、暗号資産、デジタル技術など、本棚にあるものは、どれも実用書ばかりで、小説などの類は一切なかった。

 12畳ほどの1LDKで、こぎれいな部屋だ。秋本の家などの普通の白々しい照明とは違い、おしゃれな照明器具の明かりは柔らかい暖色系で、やや薄暗くしてある落ち着いたものだ。 新築のマンションで駅がすぐのこの立地条件なら、かなり高いだろう。この部屋の主は24歳ながら、ここに住める年収があったのだ。
 伊勢山譲は、コンピュータシステム会社のコムテックという大手企業に勤めていた。いたというのは、彼はもはやこの世にいないからだ。

 もう、1週間前になる。この会社は情報漏洩事件を起こし、マスコミを賑わした。その容疑者のこの伊勢山は、会社のビルから飛び降りて自殺した。
 あくまでも容疑者であり、立件のために証拠を集めようとしたが、結局、どうやって情報が漏れたのか、不明のままである。ただ、発覚直後、伊勢山譲が自殺したため、彼が容疑者扱いされているのである。

 刑事の秋本は同僚の江田と、この件を調べていた。調べ尽くし、この部屋にあったノートパソコンや、仕事関係の書類はすべて証拠物件として押さえた。 だが、再び江田がここを調べなおそうと言ったのだ。秋本はもはや、この部屋を調べても何も出るはずがないと、はなっから思っていた。

「おまえも新婚じゃないか。早く帰ってやれよ」
「何言ってるんです。刑事の仕事に暇なんてありますか。それを言うなら秋本さんだって、たまには早く帰ったら」
「パチンコはおれの唯一の楽しみなんだ。カミサンだって帰ってくるなって言ってるよ」
「そんなことないでしょう」
「そんなもんだよ。仲が悪いわけじゃない。子供でもいれば、進学だとかサッカーとか野球の試合を見に行くだとか、いろいろそんな話もするんだろうけどな。まあ、おれらはもはや、滅多に顔を合わさない同居人ってとこだ。気楽にお互い、好き勝手やっていいのさ」
「やっていいんだ」
江田は大きく口をあげて笑った。柔道黒帯の屈強な身体にごつい顔だが、笑顔を見せると、急にやさしそうな雰囲気になる。

「もう帰ろう」
「もうちょっと」 と江田は熱心だ。
「偉いなあ。刑事の鏡だ。だがなあ、23年やってるとな、情熱だけで、物事は解決しないこともわかってくる。やっても無駄なこととそうでないことは、やる前からわかるもんなんだ」
「秋本さん」
秋本が玄関先でぐだぐだ言っていると、江田が声を張り上げた。

 秋本がまた部屋に戻ると、江田が1枚の紙を手にしていた。側には棚から抜かれた本が積んである。
「見てくださいよ、これ」
くしゃくしゃになった紙を広げて、床に置いた。
「本棚の奥に挟まってたんですよ」

 それは3週間ほど前の日付が入った、その日のネット検閲チェックリストだった。
「会社で押収したものと同じだな。この日のが漏れてたのかね?」
「あれでしょう。彼はネット部門のウエブ検閲、まあ削除依頼や自主規制をチェックしてたんでしょう?監視して、削除したり、警告したりしたものを、こうして毎日どのくらいしたのか、詳細にリストにして報告書作成をしてたんですよね」
「コンピュータ会社でも、おれらといっしょだな」
「パソコンの前から動けないなんてごめんですね。おれたちの方が、あちこち動けるだけマシですよ」
「じゃあ、もういいな。それを持って帰ろうか」
「ちょっと、待ってください」
「まだやるのか」と、行きかけた秋本が振り向くと、江田はその紙をじっと見ていた。

「これ、見てください。ここ、消してますけど」
 秋本に紙を出して、指差した。そこは「伊勢山」とサインされている。彼がこの日のこのリスト分のチェックをしたということだ。だが、その下が修正液が塗られている。秋山はすかしてみたが、黒くしか見えない。
「書き直したんじゃないか」
「一応、持ち帰ったら、調べてみましょう」
「そうだな。帰るぞ」
「秋本さん、早くパチンコしたいから、残業したくないんでしょう」
「よくわかってるな」
「やれやれ」
2人は笑いながら、その部屋を出た。


 翌朝、塔夏は扉を叩く音で、目が覚めた。昨夜はかりんの家で焼き肉を食べ、かなりビールを飲み、自分の家に帰りつくと、そのまま眠ってしまっていた。彼はもうすっかり、芝西の件はあきらめ、調べる気はなくなっていた。
 また、扉を叩く音がする。とりあえず起きると、そのまま床に放っていたパンツをはき、シャツをひっかけると、玄関のドアを開けた。
 昨日の女性が緊張した面持ちで立っていた。来栖という名前だったと、塔夏は思い出した。 
「どうも」
彼女はお辞儀した。
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