第34話
文字数 1,657文字
そのとき、「光一?」と声がした。振り向くと、ミニスカートの奈川かりんが、ぼんやりと彼らを見ていた。携帯でメールをしながら、そのままの態勢で顔を上げている。バッグを持ってるのを見ると、今日は早番の上がりのようだった。
「かりん…」
塔夏の心の内に、急速に罪悪感が湧きあがってきた。
英里が強引に彼に封筒を握らせた。
「受け取って」
そう言うと、振り返りもせず急ぎ足で去って行った。
「誰?」
かりんがいぶかしげに、英里を見送っている。
「仕事の関係だ」
塔夏は封筒をポケットに突っ込んだ。
かりんがホットプレートに肉を置いた。じゅーっと音がすると、8畳ほどのキッチン兼リビングは、あっという間においしそうな匂いが充満した。塔夏はビールを飲みながらそれを見ていたが、リモコンでテレビをつけた。テレビにはゲーム機が相変わらず接続されたままで、ゲーム本が散乱している。
「ほら、光一、それ入れる」
かりんに言われ、目の前にあった野菜を、ホットプレートに広げた。
塔夏はまた会いたいと言ったときの、英里の驚いた顔を思い出していた。ハッキングで人を知ることができる彼だが、その表情から気持ちを読み取ることはできなかった。
だが、彼は確実に彼女に惹かれている。彼女が話した青い首輪の犬、それはまるで自分自身に思えた。彼女がいなければ両親のことを知ることはなかった。彼女は何も言わなかったが、自分とただ共有してくれた。彼女が青い首輪の彼を引っ張り上げて助けてくれたように思えるのだ。
もう会うことはないだろう。だが、彼女はどう思っていたのだろうか、今、どうしているだろうか。
「焼けたよ、早く取らないと」
かりんが焼けた肉を彼の皿に放り入れた。
かりんはいつものように、仕事のことやゲームのことあれこれ話しながら、おいしそうに食べている。その様子がいつもかわいいと思う。彼はこうしていつものようにふるまいながら、英里のことを考えてしまっているのが、ひどくかりんに悪いことをしているように思った。
彼もかりんの皿に肉や野菜を入れ、またプレートに新しい野菜や肉をのせた。
「お、気がきくじゃん」
かりんは屈託なく笑った。
テレビではニュースをやっていた。あの爆破事件の犯人が逮捕されたというものだ。通り過ぎる車に乗った無表情な岩戸星哉が、たかれたフラッシュに見えて、アップになって止まっていた。
特殊危機管理対策局では、松島が疲れた面持ちで部屋に入って来た。
「どうでしたか?」
居残り待機の責任者だった高橋が、せっつくように聞く。
「いやあ、大変だったなあ」
さきほどまで爆破事件の記者発表に追われていたのだ。
「昼の休憩も、弁当かき込んで終わりだったし」
松島の他の部下は、まだマスコミ対応をしているはずだった。
この男はどう見ても、“危機”という言葉が似合わない。なぜ彼がこの職にいるのだろうと、高橋はいつも不思議に思った。普通にお役所仕事していればいいタイプだった。
「あれじゃあ、岩戸星哉が単独犯みたいじゃないですか。それに伊勢山の件には全く触れてない」
「それは、またおいおいやっていく。岩戸と組んだのはハッカーだ。同じハッカーに調べさせるさ」
「またあいつにですか」
「いや、ひとりにやらせるのは能率が悪いからねえ」
「じゃあ、複数リストアップしましょう」
「私がやるよ。きみは別の件を担当してもらうことになるからねえ。ほら、あの空港特別警戒訓練」
「空訓ですか…」
毎年やっているテロ対策の空港職員あげての訓練だ。対策局はアドバイス役で、たいして仕事はない。高橋は不満だったが、仕方なかった。
「やれやれ、やっと帰れるなあ。きみも帰れよ」
「木元たちはまだでしょう?」
高橋は他の同僚のことを言った。
「彼らはそのまま帰ると思うよ。あ、そうだ。高橋くん、これまでの芝西啓次の調査の件、まとめたら木元がいい。引き継がせるから」
松島は鞄を持つと、さっさと部屋を出た。高橋は見送ると、小さく舌打ちした。
「かりん…」
塔夏の心の内に、急速に罪悪感が湧きあがってきた。
英里が強引に彼に封筒を握らせた。
「受け取って」
そう言うと、振り返りもせず急ぎ足で去って行った。
「誰?」
かりんがいぶかしげに、英里を見送っている。
「仕事の関係だ」
塔夏は封筒をポケットに突っ込んだ。
かりんがホットプレートに肉を置いた。じゅーっと音がすると、8畳ほどのキッチン兼リビングは、あっという間においしそうな匂いが充満した。塔夏はビールを飲みながらそれを見ていたが、リモコンでテレビをつけた。テレビにはゲーム機が相変わらず接続されたままで、ゲーム本が散乱している。
「ほら、光一、それ入れる」
かりんに言われ、目の前にあった野菜を、ホットプレートに広げた。
塔夏はまた会いたいと言ったときの、英里の驚いた顔を思い出していた。ハッキングで人を知ることができる彼だが、その表情から気持ちを読み取ることはできなかった。
だが、彼は確実に彼女に惹かれている。彼女が話した青い首輪の犬、それはまるで自分自身に思えた。彼女がいなければ両親のことを知ることはなかった。彼女は何も言わなかったが、自分とただ共有してくれた。彼女が青い首輪の彼を引っ張り上げて助けてくれたように思えるのだ。
もう会うことはないだろう。だが、彼女はどう思っていたのだろうか、今、どうしているだろうか。
「焼けたよ、早く取らないと」
かりんが焼けた肉を彼の皿に放り入れた。
かりんはいつものように、仕事のことやゲームのことあれこれ話しながら、おいしそうに食べている。その様子がいつもかわいいと思う。彼はこうしていつものようにふるまいながら、英里のことを考えてしまっているのが、ひどくかりんに悪いことをしているように思った。
彼もかりんの皿に肉や野菜を入れ、またプレートに新しい野菜や肉をのせた。
「お、気がきくじゃん」
かりんは屈託なく笑った。
テレビではニュースをやっていた。あの爆破事件の犯人が逮捕されたというものだ。通り過ぎる車に乗った無表情な岩戸星哉が、たかれたフラッシュに見えて、アップになって止まっていた。
特殊危機管理対策局では、松島が疲れた面持ちで部屋に入って来た。
「どうでしたか?」
居残り待機の責任者だった高橋が、せっつくように聞く。
「いやあ、大変だったなあ」
さきほどまで爆破事件の記者発表に追われていたのだ。
「昼の休憩も、弁当かき込んで終わりだったし」
松島の他の部下は、まだマスコミ対応をしているはずだった。
この男はどう見ても、“危機”という言葉が似合わない。なぜ彼がこの職にいるのだろうと、高橋はいつも不思議に思った。普通にお役所仕事していればいいタイプだった。
「あれじゃあ、岩戸星哉が単独犯みたいじゃないですか。それに伊勢山の件には全く触れてない」
「それは、またおいおいやっていく。岩戸と組んだのはハッカーだ。同じハッカーに調べさせるさ」
「またあいつにですか」
「いや、ひとりにやらせるのは能率が悪いからねえ」
「じゃあ、複数リストアップしましょう」
「私がやるよ。きみは別の件を担当してもらうことになるからねえ。ほら、あの空港特別警戒訓練」
「空訓ですか…」
毎年やっているテロ対策の空港職員あげての訓練だ。対策局はアドバイス役で、たいして仕事はない。高橋は不満だったが、仕方なかった。
「やれやれ、やっと帰れるなあ。きみも帰れよ」
「木元たちはまだでしょう?」
高橋は他の同僚のことを言った。
「彼らはそのまま帰ると思うよ。あ、そうだ。高橋くん、これまでの芝西啓次の調査の件、まとめたら木元がいい。引き継がせるから」
松島は鞄を持つと、さっさと部屋を出た。高橋は見送ると、小さく舌打ちした。