第29話

文字数 2,622文字

 塔夏は松島と高橋にうなずいた。
「これでおわりですか?寝てしまいそうになりましたよ」
岩戸はさっきと同じように不敵な笑みのままだ。

「岩戸さん」
高橋が自信ありげに近づいた。 どうやら彼の‘曖昧な’ビジョンで確信が持てたらしい。
「あの電車爆破事件の時刻、教授は講義していたし、助手は休んでいた。他の学生は直接マウス実験のコントロール研究には関わってない。関わってたもう1人の学生は、レポートに追われて図書館にいた。となると、あなたしかあの研究室にいた人はいない」
「もしかして僕を疑っているんですか?」
岩戸は冗談なのかとでもいうように笑った。
「僕が研究室にいたとして、どうして電車の爆破に関われるんですか?爆破スイッチ押したとか言うんですか?」
「押させたんでしょう?」
松島がおだやかに言った。

「あの、いいですか?相手のアドレスを調べたり、無線をキャッチできたとして、それでホイホイコントロールできるわけないでしょ。そんなに僕を犯人にしたいなら、証拠を見せてくださいよ」

「きみは、アリの行列を、自分の行かせたい方にコントロールするのが上手だったね」
 塔夏がそう言うと、岩戸が彼をいぶかしげに見た。
「それに、実に熱心だ。木の枝を置いたり、水を入れてみたり、穴を作って埋めてみたり、アリの生死はおかまいない。自分の想像したような結果がでるのか確認したいんだ。純粋な学問的探究心とでも言えばいい?」
「なにわけわかんないこと、言ってるのかなあ」

「前、左、左、前…」
 岩戸の笑みが消えた。塔夏は言いながら、自分がした行動を思い出し、重ねてみた。階段上がり進む、左へ向きを変えると壁、さらに左向くと、また階段、それを上がり進む。やがて屋上への扉にたどり着くと、扉を開けて外に出る。

「前、前、前、前、前、前、前…」
岩戸はじっと聞いている。
「おれは手すりまで17歩だった。伊勢山譲は何歩だったの?」
「わけわかんないなあ」
 岩戸はそう言いながら、明らかに落ち着きがなくなっていた。

「共犯者がビデオ撮影して、それをきみがモニターで見る。共犯者は方向を指示して、きみはそれを声に出して繰り返しながら、コントローラーを動かした」
「コントロールできるっての?」
「マウスはきみの命令するとおり、迷路を上手に抜けられるだろう?」
「人間とは違う。それに離れてる」
「携帯とコネクターをつないでいた。伊勢山は株情報で、芝西啓次は音楽配信で。アドレスは共犯者が教えただろう」

「ふうん、じゃああんたは?」
 岩戸はいつしかさっきまでの、ばかていねいな言葉遣いを忘れていた。
「おれはコムテックを調べるためにさ」
「ああ、ハッカーかよ」
ふんと笑った。

「わかってないな。きみの共犯者とは違う。おれはブレインハッカーだ」
「なに?」

「おれは、人の脳をのぞき見る」

一瞬、岩戸は真面目な顔になったが、笑い出した。ふざけていると思ったのだろう。

塔夏はほんの少しだが、その笑い顔を変えてやりたいと思った。
「きみは小さいとき、小さな店でおばあさんの目を盗んで、消しゴムをひとつ盗んだ。バナナの匂いのするやつだ。斜め向かいの家の若い女性の着替えているのを、カーテンの隙間から見て、それで初めてマスターベーションをした。プリンをよく食べるが、必ず皿に移してシロップを最初になめる。へその上あたりに、やけどの痕がある。学生服を着ていた高校時代に、“おまえきもい”と言われたことをずっと気にしている。“人間で実験してみたくないか”というメールが来た。もっと言う?」

 岩戸はしばらく口を開けたままだった。
「なんでだ?どうして?あんた、どうやって」
ものすごい驚きようだ。
「その見える感じ、どうなんだ?どんなふうに見えるんだ?」
興味まるだしで、さきほどまでの自分が疑われている件を忘れ去り、塔夏の能力に関心が集中していた。
「すごいよ。脳の可能性が広がる。教授にも知らせないと。ぜひ研究させてほしいけど、だめかな」
岩戸はしばらく、塔夏の脳の仕組みへの興味だけしか、眼中になかった。

「実証できたらうれしい?」 塔夏はいつもの心が動かない彼に戻る。
「当然だよ」
「マウスコントロールの実験も、人間でも成功してうれしかった?」
「“やつ”が言ったことからひらめいたよ。わかりやすく言っちゃえば、ようは快楽中枢と直結させる命令をするウイルスを同時に送信しちゃって、ターゲットをマーキングするんだ。まさかあんなにうまくいくとは思わなかったよ。でも、いつもじゃない。たまたまうまくいったんだ。あんたはあれを追実験したとしても、無理っぽいな」
「それで、たまたま人が死ぬんだ」

「あんたが体験したことは、あり得ないようなすごいことだ。実験がこれからの科学の進歩にどれだけ貢献するか、あんたらはわかってないね。いろんなことに応用できる」
「誰がコントロールされたい」

岩戸はあっけらかんと笑った。
「自分がコントロールされてるなんてわかりゃしない。いいことさせようと思えば、本人がそうしたいと望んでいることになる。なんて自分は素晴らしい人間なんだと満足する。普段の生活でも、ネットやテレビ、いろんな情報に影響されて、いつのまにかみんな考え方をコントロールされてるのに、自分の感性だと思ってるじゃないか。みんな、ばかだから」

 岩戸は結局、芝西や伊勢山の件を認めた。しかし、頭はいいはずの男が、自分がやった罪の重さをまったく理解していなかった。まるで、オンラインゲームでもやったかのように、現実感が乏しく、感受性、想像力などが驚くほど未熟だった。

 例えば塔夏のような能力は、そういう部分が鋭くないと使い物にはならないだろう。機械にたよるのではなく、脳内イメージからヒントを得て、たどり着ける道を探求していくのだ。感受性、想像力、そういった目に見えない人間の本来もつものこそが大切で、信ずるべきものなのだ。

 その後、助手やもうひとりの学生も調べたが、関係はないようだった。だが、岩戸にしてもその共犯者のことは全く知らなかった。もちろん会ったこともなく、メールや携帯で連絡が向こうから来るだけの関係だったのだ。
 岩戸は犠牲者に関しては何も知らなかった。コントロールする一度だけしか犠牲者を、しかもカメラを通してしか見ていないし、ましてや自分では選んでなかった。
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