第10話

文字数 2,953文字

 しばらくためらったが、塔夏はドアを開けた。昨日来ていたあの女性が、昨日と同じトートバックを持って立っていた。
「あ…」と、驚いて、女は部屋を確認するように振り返る。
「ここは芝西の部屋だよ、まちがってない」
「どうして」
「ややこしい話だが」
「昨日、あなたが誰かに追われてたことに関係ある?」
少しおびえている。
「ある」
彼はあわてて即答した。女が予想外に率直だったからだ。昨日、女はあの男たちのことに、あえて触れなかったのだ。

「まさかその理由に、ここの芝西さんは関係ないでしょ?」
「おととい、爆破事件があっただろ?」
「あ、ええ。…それが?」
「芝西がやったみたいだ。自爆した」
「えっ?」
「だから英語を教えてもらうのは、あきらめるしかない」
塔夏は彼女の持つトートバックに視線を向けた。
「でも、じゃあ、あなたがなんで…」
明らかに動揺している。

「おれ自身が直接、その芝西という男と関わりがあるわけじゃない。ただ、その」
言いかけたが、果たして彼の能力を言ったところで、どうなるものかとも思った。
「つまり、その爆破事件で、おれに協力の要請がきたんだ」
「あなた、探偵かなにか?」
「まあ、そんなもんだ」
説明が面倒で、適当に答えた。

「でも誰が」
 彼女が言いかけたとき、クラクションが聞こえた。塔夏は嫌な予感がして、窓際に走って行った。
 縦長の窓の下には狭い路地が見える。そこで2台の車が行き違いができずに、クラクションを鳴らしていたのだ。その片方が見覚えのある車だった。
 車の後部座席のドアを開けて下りてきた男が、ふいに顔を上げた。昨日のあの高橋という男だった。塔夏は目が合ってしまい、とっさに顔を引っ込めたが、確実に見られたと思った。

「特殊危機管理対策局というところらしい。また来やがった」
「警察?」
「まあそうだ、役人だ。あんたも芝西と知り合いなら、疑われる」
「調べられる?」
「そりゃあな」
急いで自分の部屋に戻ろうとしたが、女性がつぶやいた。
「困るな。ここに来てるの、家族には秘密なのに」
「大変だな」
瞬間に、彼は芝西という男と彼女は、英会話というのは口実で、不倫の仲なのかと思った。

 彼は行きかけたが、彼女をひっぱり、向いの自分の部屋へ連れていった。
「なにするの!」
女はおびえて、声をふるわせた。
「しばらくここにいろ。見つかりたくないんだろう」
女は一瞬意外な顔をしたが、すぐうなずいた。

 彼は扉を閉め、芝西の部屋へと戻った。おそらく女は、自分のためにそうしてくれたと思っただろう。しかし塔夏は、芝西という男が犯人なのがわかった以上、その真相を探りたいために、女を利用しようと考えていた。やつらに先を越されたくなかったのだ。
 急いで階段を駆け上がってくる足音が聞こえる。彼は芝西の部屋に入った。

「ここで何をしてるんだ?」
 高橋が息を切らしながら言った。塔夏の目の前に立っている。塔夏は、この高橋という男を、一瞬で観察した。
 松島と違い、この男は洗いたてのようなぱりっとしたシャツに、しわひとつないスーツ、ぴかぴかに磨かれた靴で隙がない。 ネクタイは幅が広めでやや古くさいが、複雑な色の入ったペイズリー柄で、彼がこれを選んだという感じはしない。スーツとは違和感がある。スーツも靴も、これといった個性やこだわりがないのだ。
 そして服装よりも仕事を優先する、こういう男はボーダーなどオーソドックスで、しかも何にでも合いそうな無難な色を、適当に選ぶだろう。
 ネクタイを選んだのは女だと思った。服装の手入れ具合からみて、おそらくかいがいしく世話をやき、この男はそれを当たり前だと思っているはずだ。

「車は通れたんですか?」
 考えていることとまったく違うことを言った。
「塔夏、おまえ、言わなかったな」
高橋は語気を強めた。
「なにを?」
「ゴミ箱のそばにあるベンチに、落書きがある公園を突き止めた。ゴミが回収された時間、午後2時30分すぎ以降の公園西出口にある監視カメラに、しわくちゃだが、赤いラインがはいった紙袋を持った男が映っていた。 それが2時52分、それから横断歩道が映る定点監視カメラにもその男が映り、駅方面に歩いて行った。爆発時間に合致する。 その男を調べたところ、ここに住む21歳の学生、芝西啓次だ。そうなんだろう?おまえは気付いていたんだ」

塔夏は浅くため息をついた。
「なんでこの部屋にいる。不法侵入でしょっぴくぞ」
「あんたたちの仕事じゃないんだろ」
松島が言っていたことを言った。
「おれは違う。松島さんは今日は有給とってるから休みだ。まったく、いくら終業時間だからって。だから昨日、おれがもっとやらせろと言ったんだ」
「きのうは本当にはっきりしなかったんだ。だから確認に来た」
「そうか?言いたくなかっただけだろう」
高橋は塔夏に顔を近づけた。

「どういう意味だ」
「おかしいじゃないか。捜していた容疑者が、おまえの真向かいの部屋の住人だぜ。こんなに都合のいい話はない」
「おれは関係ない。芝西というやつとは、話したこともなかったし、顔もろくに知らなかったんだ」
「おまえの“お仕事”を知ってると、はいそうですかと、言えるわけがない」
「おれを疑っても、爆破事件に関しては何も出てこない」
「取り調べるには、理由はなんであれ、簡単に連れていけるんだ」
高橋はにやりと笑った。
「おまえ自身が、無実を証明できなければな」
そう言うと、高橋は携帯を取り出しながら、階段を下りて行った。彼らはこの芝西の部屋を調べにくるだろう。そして、彼もそのうち調べられる。

 塔夏は憂鬱になった。彼のやっていることは、高橋たちになんの関係もないことで、もちろん国家の損失になるわけがない。だが、変な事件の中に利用されて、抜け出せなくなった。
 皮肉なものだと思った。これまで他人のセキュリティを破る仕事をしてきて、自分は情報が漏れないように、用心してやってきたつもりが、実はやつらには筒抜けで、自分のセキュリティもまた破られていたのだ。あせりを感じた。

 塔夏は急いで芝西の寝室に戻ると、もう一度ながめた。英語の本が多い。女が英語を習いに来ていたというし、英文科の学生だろうか。どう見ても理系ではないのは確かだ。 だが、ネットで調べたら、原子爆弾の作り方までのっているぐらいだ、やろうと思えば爆破装置ぐらい作れるだろう。

 ケーブルがついたままのパソコンが気になった。そのあたりにあった洋服の端をもって、指紋がつかないように、パソコンの電源を入れてみた。が、何も変化が起きない。 元のコードを確かめたが、確かに入っているし、電源が入った明かりはつくが、画面が消えていた。このついたままのケーブルの先には、携帯がつけられていたはずだ。 そのときには画面はついていたのだろう。
 次に、机の引き出しの中を探ったが、何も情報につながるものはなかった。見つけた預金通帳にも、特別高額な数字があるわけでもなく、金の引き出しにも不自然なところはない。 学生証や手帳、携帯、他のあらゆる必要なものは、身につけて、鞄に入れて、持ち歩いていただろうと思えた。

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