第42話
文字数 1,844文字
江田が画面を指した。若い男の写真があった。
「17のとき、母親を殺してますね」
早朝、台所にあった包丁で、就寝中の母親をメッタ刺しにした。当時の捜査データでは、父親は医大教授、母親は教育熱心で、息子も常に成績優秀で、近所にもきちんと挨拶して評判良かった。両親とケンカしたとか聞いたこともないという証言もある。
多くの犯罪において、“そんなことするような人には見えなかった”と人は言う。人を殺すように見えるわけがない。ただ、内面を見せないだけだ。心の闇が深ければ深いほど、それは表からは見えにくい。秋本はそう思った。
「あたってみよう」
「この住所にですか?」
江田は、いるわけがないと言いたいようだった。
「そうだ。いなければ、引っ越し先とか近所で聞き込む」
「知ってますかね?」
「街中を調べる」
江田は驚いている。秋本がそういうことを言うとは、思わなかったからだ。
「ここにいてください」
秋本が振り向くと、来栖英里が不安そうに、落ち着きなく座っていた。
塔夏は痛みをこらえ、探って行く。来栖結衣の意識を見つけるのは至難の業だ。彼女のことをほとんど知らないからだ。
彼が見る世界には、様々なノイズ、様々な映像、あらゆる人々の生活の断片が溢れている。
人の笑った顔、何か書かれた書類、看護師さんが話しかける、 装飾がきれいなアンティーク時計、アイドルの映像、メリーゴランドで馬に乗って手を振る子供、誕生日のろうそくをつけたケーキ、釣った魚、電話が鳴る、夜景、木箱のヒナ、薬指にはめようとする指輪、スーパーのチラシ、 音楽、お城のある景色、かかとの折れたヒール、夜の工事現場の灯り、飛行機の窓から見える山脈、雪だるま、写真のためにポーズをとる子供たち、じゃれる猫、仏壇の写真、皆既日食、しかる声、バスケのシュート、凍り付いた湖、服や小物のある店、プリントアウトする書類、飲み会、 近づく唇、お歳暮と書かれたのし付き箱、運動会、夕焼けに渡り鳥、ギターをひく、雪山、ブランコに乗る子供、団地、路面電車で同じように揺れるつり革、笑う顔、七夕の願いごとを書いて笹につられる短冊、犬と走る、買い物で笑う人たち、飛行機雲、コートにバウンドするテニスボール、ゲームセンターで挟まれたぬいぐるみ、将棋盤の駒、英語を読む声、台風に揺れまくるパームツリー、澄んだ水に見えるアメゴ、桜吹雪、オーブンからひき出されるトレーにのったかわいい形のクッキー、嬌声があがる、会議、茶柱がたったコップ、研究データのグラフ、うれし泣きする野球少年たち、ナスを枝からとる、エッフェル塔、ピアノをひく指、起き上がる電動ベッド、わたがしがふくらんでいく、破れた麦わら帽子、お祭りの提灯、ゴミ袋をつっつくカラスたち、泣く人たち、コルクボードいっぱいに貼られたたくさんの写真、プールの中潜って見た空、くるくる回るハムスター、ピンクのランドセル、犬小屋をつくる親子、はりきって歌う高齢者たち、スパークリングワインの泡、雀の鳴く声、電車に揺られて眠る人、卓上の印のついた小さなカレンダー、ハングライダーで飛んで間近に見える山や畑、港で手をふる人たち、夜のアーケードでダンスの練習する人たち、英里。
一瞬、英里の顔が見えた。
塔夏は懸命に探した。塔夏は英里を見て、いま、自分の感情が揺れ動くのがわかる。
そして、これまで他人の生活の断片を見ても、自分が別の世界にいるような、ただの傍観者だったが、いまは様々な見知らぬ人々が、記憶の断片を通じてなにか温かい、愛おしいものに感じられた。
結衣は連れて行かれた場所を、記憶しているだろうか。さらに違う向きを探ってみる。が、レジを打つ操作、食品売場、見知らぬ人、それはどうやらスーパーの英里を知っている、誰かの記憶のようだった。
時計を見ると、ナビの言っていた時間まであと40分ほどしかない。いまだ結衣の記憶に辿り着けない。それならば、実際に探すしかない。
塔夏はよろよろと階段を下りていった。外へ出て、ようやく自分のいた、だいたいの場所がわかった。街の中心から東にある小さなビルだった。昔はにぎわっていたが、今はもう2つ先の駅の側に大きなショッピングセンターができて、今は空き店舗が目立つ。 ここから遠くない中心近くの商店街もシャッター街になっている。
彼が捕まっていたビルも今は「貸」の張り紙がしてある。歩行者はあまりいないが、歩道をはさんだ道路を、車はひっきりなしに通って行く。
「17のとき、母親を殺してますね」
早朝、台所にあった包丁で、就寝中の母親をメッタ刺しにした。当時の捜査データでは、父親は医大教授、母親は教育熱心で、息子も常に成績優秀で、近所にもきちんと挨拶して評判良かった。両親とケンカしたとか聞いたこともないという証言もある。
多くの犯罪において、“そんなことするような人には見えなかった”と人は言う。人を殺すように見えるわけがない。ただ、内面を見せないだけだ。心の闇が深ければ深いほど、それは表からは見えにくい。秋本はそう思った。
「あたってみよう」
「この住所にですか?」
江田は、いるわけがないと言いたいようだった。
「そうだ。いなければ、引っ越し先とか近所で聞き込む」
「知ってますかね?」
「街中を調べる」
江田は驚いている。秋本がそういうことを言うとは、思わなかったからだ。
「ここにいてください」
秋本が振り向くと、来栖英里が不安そうに、落ち着きなく座っていた。
塔夏は痛みをこらえ、探って行く。来栖結衣の意識を見つけるのは至難の業だ。彼女のことをほとんど知らないからだ。
彼が見る世界には、様々なノイズ、様々な映像、あらゆる人々の生活の断片が溢れている。
人の笑った顔、何か書かれた書類、看護師さんが話しかける、 装飾がきれいなアンティーク時計、アイドルの映像、メリーゴランドで馬に乗って手を振る子供、誕生日のろうそくをつけたケーキ、釣った魚、電話が鳴る、夜景、木箱のヒナ、薬指にはめようとする指輪、スーパーのチラシ、 音楽、お城のある景色、かかとの折れたヒール、夜の工事現場の灯り、飛行機の窓から見える山脈、雪だるま、写真のためにポーズをとる子供たち、じゃれる猫、仏壇の写真、皆既日食、しかる声、バスケのシュート、凍り付いた湖、服や小物のある店、プリントアウトする書類、飲み会、 近づく唇、お歳暮と書かれたのし付き箱、運動会、夕焼けに渡り鳥、ギターをひく、雪山、ブランコに乗る子供、団地、路面電車で同じように揺れるつり革、笑う顔、七夕の願いごとを書いて笹につられる短冊、犬と走る、買い物で笑う人たち、飛行機雲、コートにバウンドするテニスボール、ゲームセンターで挟まれたぬいぐるみ、将棋盤の駒、英語を読む声、台風に揺れまくるパームツリー、澄んだ水に見えるアメゴ、桜吹雪、オーブンからひき出されるトレーにのったかわいい形のクッキー、嬌声があがる、会議、茶柱がたったコップ、研究データのグラフ、うれし泣きする野球少年たち、ナスを枝からとる、エッフェル塔、ピアノをひく指、起き上がる電動ベッド、わたがしがふくらんでいく、破れた麦わら帽子、お祭りの提灯、ゴミ袋をつっつくカラスたち、泣く人たち、コルクボードいっぱいに貼られたたくさんの写真、プールの中潜って見た空、くるくる回るハムスター、ピンクのランドセル、犬小屋をつくる親子、はりきって歌う高齢者たち、スパークリングワインの泡、雀の鳴く声、電車に揺られて眠る人、卓上の印のついた小さなカレンダー、ハングライダーで飛んで間近に見える山や畑、港で手をふる人たち、夜のアーケードでダンスの練習する人たち、英里。
一瞬、英里の顔が見えた。
塔夏は懸命に探した。塔夏は英里を見て、いま、自分の感情が揺れ動くのがわかる。
そして、これまで他人の生活の断片を見ても、自分が別の世界にいるような、ただの傍観者だったが、いまは様々な見知らぬ人々が、記憶の断片を通じてなにか温かい、愛おしいものに感じられた。
結衣は連れて行かれた場所を、記憶しているだろうか。さらに違う向きを探ってみる。が、レジを打つ操作、食品売場、見知らぬ人、それはどうやらスーパーの英里を知っている、誰かの記憶のようだった。
時計を見ると、ナビの言っていた時間まであと40分ほどしかない。いまだ結衣の記憶に辿り着けない。それならば、実際に探すしかない。
塔夏はよろよろと階段を下りていった。外へ出て、ようやく自分のいた、だいたいの場所がわかった。街の中心から東にある小さなビルだった。昔はにぎわっていたが、今はもう2つ先の駅の側に大きなショッピングセンターができて、今は空き店舗が目立つ。 ここから遠くない中心近くの商店街もシャッター街になっている。
彼が捕まっていたビルも今は「貸」の張り紙がしてある。歩行者はあまりいないが、歩道をはさんだ道路を、車はひっきりなしに通って行く。