第7話

文字数 1,758文字

「残っていたのはこれだけなんですよ。ここだけかなり吹っ飛んで、焼けてしまうのを免れた」
「無理だ」
 塔夏はつぶやいた。漬け込まれた脳みそを、ハッキングできるわけがないと思った。

「逮捕されたいのか?あくどいことばかりに使ってる、その無駄にある能力を、せめて少しは社会のために役立てろ」
 さっきまで壁にもたれるようにながめていた別の男が、突然口を開いた。
「高橋くん」
松島がその男に、制するように声をかけた。高橋と呼ばれた男は、塔夏を睨みつけた。松島の部下らしく、まだ20代のようだ。

 松島はまたにこやかな笑顔で、塔夏の方を向いた。脳みそを前にして、まるで昼休みの食事の相談でもするような態度だ。
「ねえ、塔夏さん。あなたをどうにかするのは、まあそりゃ簡単だ。だけどね、それは警察の仕事でしょ?ね?我々じゃあない。ま、こうして時々協力してくれたら、それなりのことはさせてもらいますよ。持ちつ持たれつでいきましょうよ」

「あんたらはなにもわかってない」
 もう死んでいる脳みそだ。塔夏は死人をハッキングしたことはない。しかもこの脳みその持ち主の所持品など、周辺情報がなにもないでは、無理だと思った。
「おまえはやるしかないんだ」
高橋が怒鳴った。

 しばらく間があった。が、逃れようがないのは明らかだった。塔夏はコネクターを自分につないだ。どのみちやるしかない。
 彼らは塔夏が霊能力者かなにかのように思っている。何でも簡単に答えが出せると思っている。何の成果もなければ、塔夏は極めて不利な状況に陥るだろう。それは彼自身よくわかっていた。

 しだいに全意識を集中していく。脳に血液が集まって行く感じがわかる。脈打つ血流が脳の隅々に染み渡り、引いて行き、また新たにやってくる。いつもに増して、彼は少しでも見逃すまいと、ビジョンを探ってどんどん深いところへ下りて行った。

 いつもと違い、何も見えて来ない。しばらくは闇雲に探って行った。一瞬、何かが見えた。
人がたくさん乗った電車だ、と思った瞬間、すべてがそこを中心にすごい衝撃であたりへと吹き飛んだ。 車体の一部も、人々も、その持ち物も何もかもがへし折れるように歪み、あり得ない方向、空間に飛び散りかけた瞬間で消えた。

 塔夏はまるで、自分が体験したかのように飛び退いた。気がつくと、無意識に自分に差し込んでいたコードを抜き、脳みそから離れていた。その脳みその持ち主が死ぬ瞬間の記憶が、残像のように残っていたのだ。

「なんだ?なにかわかったか?」
  高橋がせっかちに聞く。松島もぽかんと見ている。
「いや…」
塔夏は言う言葉を失った。気を取り直し、再びコードを自分に接続した。「はやくしろ」という高橋の言葉が遠くに聞こえていた。

 塔夏はさっきの記憶を用心深く回避する意識を持って、深く入って行く。が、その周辺に何も見えてこない。

 いったいなぜ、あの瞬間だけが強烈に見えたのだろう。容疑者は駅に行くまで爆発物を持っていたのだ、意識しないわけがない。どうやってそこにたどり着いたんだろう、逆にたどればわかるはずだ。

 さらに意識を集中していく。不鮮明な、まるで焼け残りの、すすけた写真のようなビジョンが見えて来た。
 笑い声、自転車に乗ってとばしている感じがした。それは子供時代の記憶のようだった。
 横断歩道の信号が点滅していて、急いで渡る、それは直前の記憶だと思う。

 何かが違うと、塔夏は感じ取っていた。
そして今度は学校の構内が見える。近くの大学だ。 一部が欠損した脳みそだけの記憶は、なにか混乱していた。それまでの記憶が無作為に現れてくる。

 ゴミ箱がある。そばにベンチがあり、公園らしい。ベンチには落書きが浅く彫られている。誰かの手が茶色い紙袋を差し出した。しわくちゃだが、赤いラインがはいっている。それが爆発物だと塔夏は感じとったが、容疑者は何も思っていないようだ。

 すぐに黄色いおもちゃのアヒルが映る。風呂でアヒルを泳がせている。それは幼児の頃の遠い記憶で、そこには一緒に風呂に入る、父親の顔も感じ取れた。

 脳は死んでしまった持ち主の記憶を、いまもなおその中に納めていた。完全にただの“物”になってしまうまで、その死者の存在した証しを保とうとしていた。

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