第12話

文字数 1,847文字

 広い部屋には高橋しかいない。外へ出ている者がほとんどなのと、いる者も昼休みで外にでているからだ。

「どのくらい進展しています?」
 地味な紺のスーツの、北佐木郁が、ヒールの音をたてて入って来た。
「ああ、どうも、北佐木さん」
北佐木は部屋を見回した。
「松島は今日は有休とってます」
「そうですか」と、北佐木という女性は、納得したように頷いた。
「先生はお元気ですか」高橋が聞く。
 先生とは議員の茅時優生のことで、北佐木はその茅時の秘書だ。
「はい。つい先日も議会で危機管理法案を出して、よくテレビに取り上げられています」
「そういうのができれば、助かりますよ」
高橋はノートパソコンのエンターキーを押した。
「世の中が乱れる一方ですからね。今こそ国が正しい方向へ向かわなければ」
高橋がそう言うと、彼女は笑みを浮かべた。

「それで犯人は?」
 北佐木は爆破事件の捜査経過を聞きにきたのだ。事件直後から、高橋の上司の責任者、松島とは連絡を取り合っているようだった。
「どうやら21歳のA大学の英文科学生、芝西啓次という男で、皆月公園で何者かに爆発物を渡され、そのまま電車に乗り込み爆発させたようです」
「まだ憶測なんですね。その学生はそれが爆発物と知らなかったかもしれないし。そう、渡した者だけは、確実に犯人のひとりと言えるでしょうね。誰ですか?」
彼女は単刀直入だ。そして、高橋が言葉を発するまで間があったことで、誰かわかっていないことも、すぐ理解したようだった。
「まだかなり時間がかかりそうですね」
「わかってますよ。先生は松島の元上司なんですから、もちろんできるだけ早く解決してみせますよ」

 茅時はこの特殊危機管理対策局の創設時、省庁から副局長として出向していたのだ。7年前、茅時が28歳の時だ。だが、1年後には、政治家であった父親の地盤を引き継いで政局に転じた。松島とは3歳しか年は違わないが、茅時は当時からすでにエリートとしてのふさわしい雰囲気と、それに合う役職で、平だった松島とは大きな差があった。そのことを、高橋も知っていた。

「いやあ、はやくも総理候補なんて、さすがですねえ」
「では、よろしくお願いします」
 北佐木は高橋の言うことには反応も示さず、事務的にそう言うと、すぐまた急ぎ足で出て行った。

「愛想がないババアだ」
 高橋はつぶやくと、凝りをほぐすように両手を上げてまわした。そして、携帯を取ると部下にかけた。
「どうだ?進展はあったか?」
西啓次の身辺を調べているところだった。大学も行き、交友関係もあたってみたが、何も関連性がなかったようだった。
「塔夏光一をもう一度つかってみますか?」
部下が聞く。高橋はすでに調べるように言ってあると言うと、部屋の時計を見上げた。もうすぐ2時になる。
「そうだな、もう少し自由にさせといて、また連れてくるか」
高橋はそう言うと、携帯を切った。

 これから昼飯だ。松島は進展具合を聞きもせず、引き継ぎもせず、さっさと休みをとった。おそらく上の娘のバレエ発表会のためだろう。ふんと、彼は鼻をならすと背広を直しながら、さっそうと部屋を出て行った。


 塔夏は皆月公園にいた。さきほどからずっとベンチに座ったままだ。彼自身が見た、落書きのあるベンチだ。それがこの公園だと、高橋から聞いたのだ。
 ここから見渡せる範囲は広い。植え込みが周囲にあり、中ほどに敷石があるだけの広場で、自転車に乗った人や歩行者が行き過ぎる。 出入り口はたくさんあり、こうしてじっと座っていても、人々はまったく彼を意識していない。袋に入った爆発物を持った芝西がいても、誰も気付かなかったのもあり得ることだ。

 まったく進展がなかった。芝西の大学に行くと、警察が来ていて、調べることができなかった。調べられたとしても、たいしたものは出て来なかっただろうと思う。

 塔夏はあの脳みそをハッキングしたときに抱いた、奇妙な感覚を忘れられないでいる。一部が欠けた、死にかけた脳みそだからかもしれないが、脳みそが見ていた部分があまりにも断片的でおかしかった。
 だが、調べることをどこから始めればいいのかもわからなかった。このままでは、彼が犯人にされかねない。

 携帯が鳴った。かりんからだ。時計を見ると、もう5時すぎだった。今日は彼女の家で焼き肉をしようと言う。彼は焦っている自身の心に気づかないかのように、自分が買い物をしてから行くよといつもより意欲的に伝えた。
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