第28話

文字数 1,432文字

 相手の情報もなく探ると、いつもどこか霧がかかったようにぼやける。その中でビジョンを見るのは神経を使う。岩戸のビジョンも同じように最初は不明瞭だった。

 塔夏はいろいろな記憶の断片のような、意味のわからないものを感じとっていく。引き出し、消しゴム、数式、半裸の女性の胸元、ランドセル、キーボード、テスト、アリ、辞書、昆虫図鑑、頭蓋骨の模型、対戦ゲーム、ステーキ、ブラウザなどが見えてきた。

 普通、人との関わりが多く見える。塔夏は記憶というものが、いかに人との関わりで成り立っているか、そしてそれが人生の大部分を占めるのかをハッキングで感じ取ってきた。
 だが、岩戸の中では人との関わりはたいして重要ではなかった。

 またアリが見えた。アリの姿がくっきりと正確に現れる。彼がそこへ意識をもっていくと、アリの行列する光景が見えて来た。小さな手が、その行列を分断するように、木の枝で遮った。岩戸の幼い頃の記憶だろう。行列は木の枝にぶつかると、枝に沿って進み始める。今度は彼は一方の木の枝の先の方から、ぐるっと囲むように土を掘ると、そこにジョウロで水を入れた。数匹のアリが水に浮かび、バタバタもがいている。もう反対側の木の枝の先だけスペースを作った。 アリの行列は右往左往していたが、いつしかその流れはちゃんと彼の誘導する方へと向かった。
 次はその先に穴を掘ると、キャンデーをひとつ真ん中に置いた。アリの行列はその穴へと入り込み、キャンデーに群がっていく。やがて彼は穴に土をかぶせてふさぐと、足で踏みつけた。穴へ行列していた残りのアリが、ちりぢりになっていく。それも手で払って行くと、その場所には何の形跡もなくなった。

 塔夏はまた別の方へ意識をもっていく。大学の研究だ。岩戸が言っていたコントローラーを探す。
 ところが、何か壁のようなものが目の前にあった。突き当たり、曲がって行くと、また壁に突き当たる。迷路だ。そうわかったとき、それがモニターに映った映像だと知った。小さなネズミが機械を背負って迷路を動く。頭にも何かついている。おそらく電極だろうと思ったら、そういうものに見えてきた。
 コントローラーのようなものも探り当てた。塔夏はそのものを知らないから、なんとなく曖昧に見える。左右上下に動く、スイッチがついているようだった。 「前、左、左、前…」そういう声を感じた。映像が正面にあった。モニターに映っている。それはぶれて鮮明ではない。どうやら手持ちカメラで映されているらしかった。その映像をよく見ようとして驚いた。

 顔ははっきりしない。ただ男が階段を上がって行く。だが、その光景に覚えがあったのだ。あのコムテックのビルで、自分がコントロールされて上がって行った階段だ。
 映像は自分なのだろうか?男は屋上にいく。扉が閉まり、カメラの映像はその後を追っていく。扉は閉まっていて見えないが、「前、前、前…」と言い続ける声を感じた。
 やがてカメラの前に、映している誰かの手が現れ、扉を開けた。が、もう人の姿はなかった。死んだ伊勢山譲と塔夏が、岩戸の記憶の中では重なり合っていた。 姿がはっきりしなかったのは、岩戸が人そのものに関心がなかったせいだろう。

 メールの画面には“人間で実験してみたくないか”とある。

 一瞬、電車が映る。塔夏は一気にそこに意識を向けた。走ってぶれながら遠ざかる映像のなか、駅構内の電車のひとつの車両が爆発し、窓ガラスが吹き飛んだ。
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