第31話

文字数 2,152文字

「え?」
「実はおれは探偵じゃない。本当は違法なことをするハッカー、しかもブレインハッカーなんだ」
「ブレインハッカー…?」
「前に言ったよね、信じてないだろうけど、ここにコードを接続して、相手もそうしてればその脳をのぞき見ることができるんだ。いいよ信じなくて。ただ、聞いていてくれたら」
彼女の疑問府がついたような表情を見て、そう言った。なぜ自分がこんなことを今、彼女に話そうとしているのか、塔夏自身、理由はわからない。ただ、奇妙な感覚だ。

自分のことを語るー。

それはとてもぎこちなく、いつものハッキングする自分とはまったく別の、まとめられないいろいろな感情が浮き上がってくるような感覚だった。

「死に際の父親に接触したのが、おれのブレインハッカーになった最初の出来事だったんだ…」

 塔夏は17のとき、コネクターをつけた。最初は自分の意志を、画面に反映させることができなかった。操作がうまくいかなかった。脳の命令をパソコンに伝えるのは、ある程度、集中と脳の慣れがいる。
 やがて1ヶ月ほどたつと、ようやくほとんど自分の意のままに操作できるようになった。
 そんなあるときのことだ。彼はコネクターを接続し、いつものように練習していた。ネットサーフィンをしていた。めまぐるしく切り替えていく。

 なにか、一瞬、見えた気がした。

“えっ?”と思い、しばらく見えたものを探す気分だった。しだいに目を閉じて、眠るわけでもなく、知らず知らず無意識に近い、何も考えない状態になったとき、突然、映像のようなものが見えた。 一体なんだろうと、何もわからないまま、それを目を凝らしてみる。目を閉じているのに目を凝らすというのは矛盾しているようだが、実際閉じているまま、何かを見ようとしていた。
 ふいに映像のようなものが黒いシルエットで現れた。なにか動いている。いや、動いているのは自分の“視点”だった。

 やがてシルエットだったものが、しだいに形や色をもっていく。 風景だったり、見知らぬ人の顔だったり、どこかの家だったり、なんの脈絡もない断片が飛び込んで来る。だが、それは夢ではない。おそらく、はっきりした意識があって、それを“見ている”のだ。おそらく、というのは、その見えていると思う自分自身を疑ったからだ。

 なにが起きているのか、意味がわからなかったが、彼は好奇心いっぱいに、とにかくそれをもうしばらく見ていたいと思った。
 海を泳ぐように、いろいろな断片を見ていると、ふいに呼ばれたような気がした。呼ばれた、というのは少し違うかもしれない。後に考えると、それは彼に注意を向けさせる想念のようなものだったのだろう。

 彼は深く潜るように探していく。シルエットが形をとる。観覧車が見えた瞬間、蘇る記憶と重なった。

 10歳のときの彼自身の笑顔も見えてきた。走る車の助手席に乗る自分も。

 そして、かすかに覚えのある家が見えた。壁際にはキャビネットがあり、いちばん上の棚にはガラスがはめられ、中には外国ふうの花瓶が飾られている。壁紙は薄いクリーム色でざらざらした表面、そこには小さな絵が額縁に入れられ、掛けられている。深い赤茶色の3人がけソファーと1人がけソファーがある。彼が幼いときに住んでいた家だったのだろうが、彼自身にはこれほど具体的な記憶はない。

 そこに小さな子どもを抱いて座る女性。母親だ、と思った。そして抱かれているのは小さなときの彼だろう。これが夢ではないなら、いったい何だろうと考えた。しかも自分をも見ている。

 彼はしだいに、コネクターでつないだ脳が、別の脳を感じ取っているのではと思うようになった。だとすると、これは自分を置いていなくなった父親の記憶ということになる。
 その証拠に彼と父親しかしらない記憶、父親と別れるまでのいろいろなときの年代の彼が、まるで古い映画のように映っては消えていったからだ。
 もっと見たいと思った。だが、いくら意識をもっていっても、その見えるものは、範囲が次第に狭まっていき、ゆっくりと、やがて闇に消えていった。

 それから塔夏は、その奇妙な特技が偶然ではなく、意識的にできるようになるまで何度も何度もネットの海にコネクターで潜った。あの、最初に見た父親のであろうあの記憶に再びたどり着くことを願ったからだ。
 それから自分のその特技はどんどん磨かれていったが、二度と自分の知っているあの記憶を見つけることはなかった。

 イメージがゆっくりと消えていった意味を知るのは、ずっと後のことだ。

 危篤状態の金持ちの老人の脳をハッキングして、行方不明の遺言の在処を探すというのがあった。そのときはじめて、イメージがゆっくり静かに消えていくということが、その脳の持ち主が死ぬことを意味していることを知った。
 彼の父親もまた、あのときに亡くなったのだ。初めてブレインハッキングした相手が父親で、おそらく生命維持装置につながれていたから、つながることができた。 そして、彼が父親の最後を“看取った”のだ。

 幼い時の彼の姿ばかりが現れては消えたあの記憶、あれは父親が自分をずっと気にかけていたということなのだろうかー。

結局、塔夏はその答えを見つけることはできなかった。
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