第35話

文字数 2,500文字

 携帯が鳴った。松島は歩きながら、携帯に表示されたナンバーを見て、電話に出た。
「はい、松島です」
電話の相手は、政治家茅時優生の秘書、北佐木郁だった。
「うまくいってます。これから時間をかけて、岩戸星哉と共謀した犯人を探していきます」

 北佐木は露骨には言わないが、要はすぐ見つからなくていいということだった。
 今回の事件で、茅時がタイミングよく提出した危機管理法案に、国民が関心を持ち、世論調査でも肯定意見が7割を超えた。法案可決までは事件を引っ張る魂胆だ。それで松島と秘書の北佐木は話をつけていた。だから、偏狭な正義感とやる気溢れる高橋が邪魔で、行くのは誰でもいい警戒訓練担当にしたのだ。

「ハッカーは我々の手のうちにあるんですよ。大丈夫です。なんのために我々が“シフト”をやっていると思ってるんですか。まかせてくださいよ」
松島がそう言うと、北佐木は「茅時も喜ぶでしょう。これからもよろしくお願いします」と言った。

 実はハッカーの組織“シフト”を立ち上げたのは、他でもない、彼ら特殊危機管理対策局である。茅時が最初考え付き、立ち上げてもう5年になる。
 法律を犯すものは取り締まっても、いくらでも湧いて出て来る。となれば、少々の法律違反は目をつぶってでも、彼らを目の届くところに置くことの方がはるかに管理できるのだ。おかげで今は、ほとんどのハッカーを把握しているといっていい。

 タクシーに乗ると、後部座席についているテレビに、茅時優生が映っていた。相変わらず若々しく、颯爽と自信にあふれ、熱弁をふるっている。
「茅時はいいねえ。若いのにしっかりしてる。最年少総理誕生は確実だよ」
タクシーの運転手が、テレビの茅時の国会答弁を聞いて感心している。

 彼が提唱する危機管理法案は、今国会で通るだろう。それは社会に不安を与える犯罪においては、国民の権利より国家の権限が優先されるというものだ。
 松島たちは仕事がよりやりやすくなるが、岩戸がやったように脳を直接コントロールしなくても、みんなの考え方をある方向に誘導し、自分の意思で決めていると思うようにすることは、いかに簡単かと思う。政治だけではない。様々なところ、あらゆる機会、至るところで物事は意図的進められているが、そのことを、大半の人々は知ろうとも、考えようともしない。

「そうですねえ。私と3つしか違わないのに、えらい違いだ」 と、松島が言う。
「何言ってんの。お客さんも仕事がんばってんでしょ」フロントミラー越しに運転手が明るく言う。
 松島は明日から2日休みをとっている。子供の学校の休みに合わせて、家族で山へキャンプに行くためだった。
「まあ私は家族のために、そこそこね」
のちの総理に貸しを作っておくのは悪くない。
「まかせてくださいよ」
そうつぶやくと、彼はにっこりと笑った。


 塔夏は縦長の窓を上げ、ぼさぼさの寝起きの髪、くわえ煙草で外をのぞいている。柵のついたベランダの向こうには裏の路地を挟んで、密集したビルが見える。屋上に洗濯物が干されていたり、アンテナが立ち並ぶ。下を見ると、路地には野菜を乗せた車に、近所の人が入れ物をもって集まっている。彼らは顔見知りらしく、親しそうに話していた。
 いつもの朝の見慣れた光景だ。彼は短くなった煙草をそのまま外に放り捨てると、リビングに戻った。テレビでは芸能ニュースをやっていた。
「ねえねえ、あの人もう離婚だって。めちゃはやっ」
 かりんはパンをかじりながら、それを熱心に見ている。ミニチュアハウスがなくなったテーブルに、彼女のいつもの目玉焼きとベーコンと、ヨーグルトドリンクが置かれている。台所には彼が食べない目玉焼きとベーコンを除き、牛乳、パンがちゃんとかまえて置いてあった。

「ねえねえ、ミニチュアハウスは?」
「捨てた」
「えー」かりんがものすごく驚いた声をあげた。「作るのやめたの?」
「オタクっぽいって言ったくせに」
「でもせっかく、作りかけだったじゃん」
「もう、いいんだ」
かりんは妙に納得してない様子だったが、ふうんと、あくびをした。

 彼は今も気になっていた。テレビでは、まるで犯人が岩戸星哉だけのような報道だった。しかも、コムテックの情報漏洩事件で殺された伊勢山譲については、何も触れられてない。

 もう塔夏には関係のないことだったが、気にならずにはいられない。
 岩戸は主犯格ではない。彼もまた彼自身の持つ気質を揺さぶられ、知的好奇心を満たしたい思いにかられたに違いない。彼はコントロールされていることも知らずに、コントロールに熱心になるだけで良かったのだから。

 だが、世間はパニックになっていた。コネクターで接続するだけで、簡単にコントロールされると思い、恐れてコネクターを使う人が一日で激減した。
 本当は塔夏がされたように、用意周到にアドレスを調べ、コントロールができるように、快楽中枢と直結させるウイルスを回線から送り込み、ターゲットマーキングをし、1人が彼を見ながら、その情報をもう片方に送り、それを同時にしないといけない。さらにその成功の確率は、ほとんどないと言えるほどだ。接続した誰もがコントロールされるどころか、本当は一般的にはまだ無理な技術なのだが、コネクターでコントロールされたという情報だけが先走ってしまったのだ。

 主犯の人物が謎のままというのが不気味だった。伊勢山に関しては任海翔子が依頼したが、情報漏洩だけすればよかったことが、暴走して殺しにまでいく理由があるのだろうか?そして、爆破事件に使われたのが、なぜ芝西啓次だったのか?そこに何か意図を感じずにはいられない。実はすべてに意味がある、用意周到に練られた計画ではなかったのかと思えた。

 そのとき、ドアを叩く音がした。また回覧板だろうかと思う。回覧板を回して来る高齢の女性は、いつも朝が早い。
「はい」耳が遠い女性を考慮し、やや大声を出した。

 塔夏がドアを開けると、そこには、英里が立っていた。もう会うことはないだろうと思っていた英里が目の前にいて、塔夏は一瞬とまどった。

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